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パンダとそらまめ

ヴァイオリン弾きのパンダと環境系法律屋さんのそらまめによる不思議なコラボブログです。
(「初めに」をご一読ください)

ブログ一周年

2006-10-14 23:52:05 | Weblog
 実はというか、今日でこのブログを始めて1年が経つことになりました。NYに住むという非日常が日常化していく中で、刺激的だったことが記憶から消えていくのが寂しいなぁ~ということで、見たこと、聞いたこと、体験したこと、思ったこと、感じたこと等々気の赴くままに記録に留めておこうというつもりで2人で始めたのでした。直接のキッカケは去年の今頃に、来てスグの頃の家探しの大変さ(3日以上歩き回って、契約してデポジットおいて破棄されて・・・、気を取り直して入居の段になってももらった鍵で開かなかったり等々)とか忘れかけてて、例えばパンダさんも昨年夏から秋にボルドー近郊で講習を受けたり日本で公演したりとかの折角のいろんな体験が記憶から無くなって行くのが寂しいというものだったのですが、今見たら312エントリも書いてるから結構真面目に?記録に留めていることなりますね。
 書きたいことを書くというスタンスなので、見事なまでにトピックが定まらずに読者受けするものではないと分かってはいるのですが、それでもここ最近は毎日大体150ヒット・60-70アクセスぐらい頂いていて(違いよく分からず)、ありがたいことだなぁ~と思っています いや、とあるエントリが某所で紹介されてこんな日記ブログに1日4000アクセスぐらい頂いて結構ビックリしたこともあったし(3日ぐらい続いた)、今週も「ブログを見て」知り合いになるとか、結構意外なことも起こっていて、割と楽しんでいます。それでも話したいことの1/10も話していませんし、留学2年目になっても学校が変わったせいもありますが毎日の新鮮さは続いていますし、少なくとも留学期間が終わるまではこんな調子でちょこちょこ書き連ねたいなぁ~と思っています。
 
 パンダさんは、ブログ一周年でどんな感想

 なんだかブログ1周年という実感が全くないパンダでありますでも改めて1年もこっちにいたんだなぁ~なんて思ったりもして、1年前って何してたかな?なんてに飾ってあるパンダの大好きな高松のお菓子屋さんルー○さんのカレンダーを眺めると・・・自分が演奏させてもらった様子が描かれているではありませんか そう丁度1年前のこの頃は一時帰国をし、そのカフェで演奏をさせてもらったのです。なんだか懐かしかったり、また戻って演奏したいな、って気持ちになったり・・・
 しかし1年もいるにも関わらず、そらまめさんも言っているようにまだまだ毎日が新鮮で緊張の連続ですそしてまだまだ初めての経験がいっぱいです。今後もこれらの経験を少しでも残せていけたらな~って思います
そして読んでくださって&見守ってくださっているみなさん、今後ともよろしくお願いします 

小泉内閣総辞職に寄せて~ワン・フレーズの対内効用

2006-09-25 23:58:03 | Weblog
今日で5年半!もの小泉内閣が総辞職ということで感想を。まあ功罪いろんな総括があるんだろうから概括的に感想を書いても仕方がないので、しばしば大衆迎合のポピュリズムだと悪し様に言われるワン・フレーズ・ポリティクスの対内的な効用について。

最後の談話でも数々のワン・フレーズを繰り返していますが、メディアが伝えるのは対外的な功罪ばかりです。まぁ情報の伝え手として自らに与えた影響と自らが伝える情報のインパクトばかりに目がいくのは当たり前か。典型的なステレオタイプ↓
 小泉劇場終幕 訓練していた「ワンフレーズ」(朝日新聞 Sep. 26 2006)
  「最初に衆院選に立候補して落選した時、長々と難しい演説をしたのが失敗だと思った。それ以来、短く、わかりやすく、自分の言葉で話すように意識して訓練した」。小泉氏からこんな話も聞いた。小泉氏は記者団の質問に答える時、応答要領を全く見ない。「ワンフレーズ」のわかりやすさと「ぶっつけ本番」のライブ感覚が劇場政治に強烈な破壊力をもたらした。
署名記事(政治部・伊藤宏記者)だけあって!?、最後のワンフレーズリストがネガティブなものばかり以外は朝日新聞には珍しく無理矢理な展開がないように思う記事でしたが(でもステレオタイプ)、伊藤記者が指摘するように「自分の言葉で話すように」→「自分の言葉で考えるように」していたのは、霞ヶ関の誰もが(少なくとも総理マターになりそうな案件を扱う人間は)気づいていたことだと思います。自分の頭に入ってることしかしゃべらない場だから応答要領なんか見なくてもいいのです。国会で頭に入りきってないことを答弁する時は途中からは棒読みになることの方が多かった(のでは)。
 これを逆に言うと、頭に入らないことは自分からはしゃべってくれないことになります。だから説明がまどろっこしくてスッと頭に入らないとダメだとは言われないまでもプッシュもしてもらえないことになり、あんまり度が過ぎると「旧郵政省の訳の分からない論理は小泉内閣では通用しない」ってことになる((((;゜Д゜)))ガクガクブルブル じゃぁどうするかというと、長くて30秒ぐらいでスッと頭に入るように説明するよう心がけるわけです。これって大抵の役人が最も苦手なこと。
 おかげで?(実際の説明者にこう説明してくれと持っていく立場としては)、頭では分かっているつもりのことでも何でだろう、一言で言うと何だろう?と考える癖がついた気がする。いやそんなの小泉政権になる前から身につけていて当然だろうと言われればハイそれまでなのですが、ある分野に非常に詳しい(悪く言うと族)議員のように官僚の論理をマスターしてしまう政治家が少なくない中、あるいは記者クラブで日々専門性を高める記者が相手では一つ一つ説明すると分かってもらえてしまうのです。でも「一言で言うと?」と玉ねぎの皮をむくように一つ一つ核心に迫ろうと考えていくと、実は矛盾が見つかったり、やっぱり筋が悪いと分かったりと、結果として中身までよくなることがしばしばあったように思う。

 何でもワンフレーズで片付けて説明不足というのが主な批判だったように思うし、これを話し出すと、じゃぁそもそも政治家が(あるいは総理が)どこまで説明能力を持っているべきなのか、スタッフとしての役人との役割分担は?と議論が拡散するので対外的な功罪に踏み込むのはやめます。ただ、ワンフレーズ時代の終わり(?)を持って行政内部からこうした洗練化の努力がなくなって欲しくないなあと思います。

「きょうの出来事」の後番組

2006-08-29 23:53:03 | Weblog
 ニュースに反応するネタは久しぶり(というかほとんどない)気がしますが、ちょっとビックリしたので。

小林麻央&村尾信尚…「きょうの出来事」後番組のキャスターは異色コンビ:芸能:スポーツ報知
 9月いっぱいで52年の歴史に幕を閉じる日テレ系ニュース「NNNきょうの出来事」の後番組のメーンキャスターに村尾信尚(のぶたか)関西学院大学教授(50)が抜てきされたことが28日、分かった。新番組の題名は「NEWS ZERO」(10月2日スタート、月~木曜後10時54分、金曜後11時30分)。村尾教授は財務省出身でコメンテーターとして活躍中だが、キャスターは初挑戦。9月にフジテレビ系「めざましどようび」の天気キャスターを卒業するタレントの小林麻央(24)もキャスターを務める。

きょうの出来事が終了というのもビックリでしたが、一番反応した部分は小林麻央さんの所ではなくて村尾教授です。
 山田克也チーフプロデューサーは「『よい日本』『よい世界』のために、物事を批判するだけでなく、対案・提言ができないものかと考えた。村尾さんは市民の側に立ち、国の施策とは違った“プランB”を提案ができる方」と起用の理由を語った。

あんまり人のことは言えませんが、国の施策とは違った“プランB"を提案するのがかつて“プランA”を提案していた元官僚って何とも。脱官僚を旗印にした政党のネクスト・キャビネットの財務大臣が元官僚といういつぞやのプラクティカル・ジョークのような光景が蘇るというか何というか。
 なんか天に唾するようなものですが、AにしろBにしろプランを提供するのは結局は霞ヶ関人というのはあんまり好ましいことだとは思いません。他方で(日テレですが一応)アンチ権力のハズのメディアや官僚バッシングの政党が元官僚を起用する/せざるを得ないのはそれなりの理由がある(あったと過去形にした方が適切かな)と思っています。気が向けば(向かないかも)そのうち。

ノーベル平和賞受賞者光州サミットとダライ・ラマ

2006-06-20 23:53:08 | Weblog
 ミサイル騒ぎ喧しい頃ですが、そんな中先週末にあまりにも“タイムリー”なタイミングでノーベル平和賞受賞者光州サミットが開催されていました。 Yahoo 6/17 ノーベル平和賞受賞者の光州サミット、宣言文発表 
 金大中(キム・デジュン)前大統領とゴルバチョフ元旧ソ連大統領、国際アムネスティ関係者など、ノーベル平和賞受賞者が一堂に介した「光州サミット」の参加者らは17日、朝鮮半島と世界の民主主義、平和、人権発展に向けた努力と協力を行うとした「光州宣言文」を発表した。
 宣言文は、地球規模の問題、朝鮮半島問題、国際的非核化問題の3部門11項目に対する宣言と提案まとめたもの。地球規模問題については、民主主義と平和増進に向けた非暴力と、許し和解するなど平和的努力を継続していくべきで、抑圧された人権の改善に向け国際的協力も求められると指摘した。また、女性の権利と役割を尊重、健康な環境の維持、戦争のための各種制度の無力化、世界平和のための国連の役割尊重、アフリカ諸国の債務棒引きなども強調した。
 南北分断の朝鮮半島問題に関しては、非武装地帯の平和公園造成、北朝鮮核問題をめぐる国際的対立と緊張の解決、6カ国協議の迅速な再開、南北共同宣言の誠実な履行などを求めた。参加者らはこのために北朝鮮の核放棄と国際社会の徹底した検証、米国の北朝鮮に対する金融制裁解除と体制安全保障などを要求、朝鮮半島と世界平和増進に向けた多者間協議体の常設化を提議した。(以下略)
 緊張を和らげたいという意図は分かるけど、こんなタイミングでアメリカに制裁を緩和しろとか宣言しても全然説得力ないよねぇ~、そもそもキム・デジュン前大統領の地元で、南北首脳会議6?周年記念式典とback to backで開催というのもまたなんとも胡散臭いなぁ~と思いながら、けど平和賞受賞者達が平和の価値を強調するのは当たり前かぁ~とか、民主主義と人権の価値とかありふれているけどこうも集ったセレブレティに言われると重みも増すよね、とか、この宣言の他にもスーチー女史の処遇を批判する特別声明とか、一応民間知識人の会議ではあるけど、韓国の外交も随分立派なのね、などと思ったところ。

んで宣言の原文を見てみようと思ってぐぐぐっとググってもさっぱり公式HPが見当たらない。変わりに目に入ったのはHuman Rights Watch(注;屈指の人権NGO)のこのコラム。 Rejection of Visa for Dalai Lama ~ When does a Nobel Prize-winning peace activist become an “undesirable?” 6/19 (ダライ・ラマビザ申請拒否~いつノーベル平和賞受賞者が「望ましくない」というのか?)
 先週、28人中22人のノーベル平和賞受賞者達が、韓国光州でのノーベル平和賞受賞者サミットに参加した。ケニア、ロシア、グアテマラ、イラン、東チモール、英国の受賞者が招待に応じ、アムネスティーインターナショナル、国際赤十字、AFSCなどの受賞団体も招待に応じた。
 しかし、ダライ・ラマは参加できなかった。招かれなかったからでも、他に予定があったからでもない。他の受賞者と同じく、89年受賞者の彼も、金大中大統領図書館から、朝鮮半島と東アジアの平和を議論するサミットへの招待に応じていた。
 だが、韓国政府は、ダライ・ラマへのビザ給付を拒否した。自らの平和イニシアティブを政治がひっくり返したのだ。外務省はHRWに、「諸般の事情を踏まえ、今は、ダライ・ラマの訪韓は望ましくないと決定した」と語った。

 なっ、なんじゃそりゃぁ~。ノーベル平和賞受賞者を集めた会議をするんだったら最初から分かってたことだろうに。で当然ながら諸般の事情は中国の圧力だということでHRWは批判しています。それにしても「民主主義と平和増進に向けた非暴力と、許し和解するなど平和的努力」とか、「抑圧された人権の改善に向け国際的協力も求められる」とか、ダライ・ラマを中国に気兼ねして入国させない場で宣言採択する皮肉さ。彼は申請したのに断られたんですよ(どうやらずっと断られているらしい)。事情を知らずに参加した他の受賞者たち全員をコケにしかねないことに気づかないのでしょうか。ちなみに、マータイ女史率いるGBMのHPで宣言文見つけました。参加者は真剣だったハズだろうに、もう喜劇にしか見えない。。。

ちなみに中国から来てるクラスメートたちに以前チベットの話を向けると「チベット?、もちろん中国の領土よ」といういきなり核心を突いたお答え。とってもオープンマインドかつリベラルな彼らにしてこうなのかと相当ビックリした。仮に中国の体制がゆくゆく何らか変容するとしても、その恩恵が周辺部含めて行き渡るのは気が遠くなる先の話なのかと感じた。。。

Political Compass

2006-06-05 23:44:58 | Weblog
 どこで最初に見つけたのか忘れましたが、やってみました。日本版ポリティカルコンパス
 ポリティカルコンパスは、各人の政治的および経済的立ち位置を調べるページです。本家はPolitical Compassにあり、多くの日本人の関心を集めました。
 グラフの縦軸は、政治的価値観を示します。上に行くほど(値が10に近いほど)保守、下に行くほど(値が-10に近いほど)リベラルであることを示します。
 グラフの横軸は、経済的価値観を示します。左に行くほど(値が-10に近いほど)経済左派、右に行くほど(値が10に近いほど)経済右派であることを示します。
 政治的な保守・リベラルは字義通りで、普通に「右」とか「左」とか言うとこの文脈ですよね。経済的な右左というのは、市場信頼派か政府介入派かということだそうです。んで結果が、
判定結果は下記の通りです。
 政治的な右・左度(保守・リベラル度) 0.2
 経済的な右・左度(市場信頼派・政府介入派) 2.96
 あなたの分類は 保守右派 です。
 え~っと、政治的右左度(保守orリベラル)というのは0.2でほとんどゼロ!という見事な真ん中振りで保守という判定もほとんど無意味だと思いますが(自称「右でも左でもない」だったけど驚いた)、経済的右左度(市場信頼or政府介入)で2.96とそんなに大きくはないですが市場信頼側に触れているので結構ビックリした だってぇ~、私は環境系なのにぃ~、大学で経済学を学んだかじったときのアイドルはスティグリッツだよぉぉぉ。
 でもよく考えると、概して公共財供給・外部性是正における政府の役割を重視・強調するあまり、それに当てはまらないと思う場面での政府介入(公共投資のやり過ぎとか)にはえてして、いや、かなり批判的なので、数字にするとそうなのかも。そういえば市場の失敗に負けず劣らず政府の失敗も大嫌いなので、総じて見ると市場信頼派になるんですかね
 数字の信頼性はともかく、自分のバイアスを知っておくことはいいことなので、未経験の方はその手助けにどうぞ。

ダ・ヴィンチ・コードと星々のワシントンDC

2006-05-22 02:03:25 | Weblog
 映画公開で騒がれているので、とうとう買って読んでしまいました。ダ・ヴィンチ・コード。日本語書店の誘惑に勝てずに日本語で読みましたが英文で読んだ方が謎解きは面白かったかも(でも英文で読んだら2日ちょいで読み終わることはなかったハズ)。いやぁ、映画の評判は散々だけど(まだ見てないです)、この本、面白いじゃないですか(ネタばれしてないつもりだけど注意)
 
バラバラな展開がテンポよく進んで最後に交わるのはシドニー・シェルダンっぽかったですね(中学の頃友達に借りて読みまくった気がする。今思うとメチャクチャ借りた気がするけど、ありがとう)。って途中で犯人も謎解きのカギも分かっちゃったんですけど むしろ魅力はウンチクなんでしょうが、本当とウソの境界の曖昧感が絶妙で心地よいです。聞き覚えのある内容・言葉を織り交ぜて、どこまでが本当でどこからが嘘なのか自然と知りたくなるんですね。これが「芸術」じゃなくて何なのでしょう。こういう人の心の動かし方もあるのね。

読後の爽快感にひたりながら、昼食にまたもうどん(冷凍)を食べつつケーブルテレビのNational Geographicチャンネルをつけてたら、ダ・ヴィンチ・コードでも象徴として描かれたペンタクル(Pentacleって書いてたけどPentagramじゃないのかなぁ?)、そう、星のマークがDCに埋め込まれているって聞いてビックリしました。そう、これです(ちなみに写真は全部グーグル・アースからで線を付け加えています)。
   
これは真北向きですが、一番下の頂点は・・・ホワイトハウスです。結構有名なんですかね?

それだけじゃなくて、議会とホワイトハウスのあたりも、
   
こんな具合でキレイな三角形になっています。さっきと90°回転させて東が真上になっています。頂点が連邦議会、一番左下がホワイトハウス、真ん中の青いのがワシントンタワーです。その例のチャンネルはフリーメーソン(名前しか知りません。秘密結社なのか単に会員リストが秘密なコミュニティーか謎めいていますね)の象徴のコンパス(&スクエア)に結び付けようとしてましたネ。何でもDCの都市計画設計者もその一員だったらしく。でもその後チャンネルが続けて放送した1ドル紙幣の裏との比較を見てみるとそこに描かれた象徴との類似には愕然としました。。。
   
その目は何なのぉ~ この象徴図の関連も含めて、本当はDCの都市計画に散りばめられた星々はこんなものではないらしく(上の連邦議会の方の写真にもヘキサグラム=六芒星が見えるような???)、1冊の専門の本まで出てるみたいです。ググってみるとこんなページに出くわしましたし。このサイトの写真だけでも眺めてみると、いかに星々が意図的にちりばめられた都市設計なのか感嘆を禁じえないでしょう(道の交わる角度にも意図があるようで)。そしてきっといろんな意味が込められているんでしょうネ。でも、よく考えると平安京とかでも門の名前とか配置とかいろんな伝説を考えながら街づくりしてたから当然と言えば当然か?本が手に入ったら読んでみようかな
 
 ついでに。ダ・ヴィンチコードを読み終えたばかりの私は、「DCの街の中に星がある」とテレビで見た瞬間に「えっ、あそこはどうなんだろう」と思いました。そう、ルーブル美術館からシャンゼリゼ通りを通って真正面、パリにあるル・エトワール(=the star)、凱旋門です。DCのような人工都市ではないので街全体を使ったクリアな星は見て取れないのですが(あるんですかねぇ?)、凱旋門近くに限定すると・・・
   
ああっ、確かに見事な星でしたね 旅行で登ったときは遠くばかり見て全然気付きませんでしたよ

インタビューのネジマゲ

2006-05-04 19:21:20 | Weblog
 ついこの間朝日新聞の歴史認識云々の記事でケント・カルダー教授のインタビューが決め打ちにより捻じ曲げられていたとエントリしたばっかなのですが、似たようなインタビューのネジマゲを発見したので折角なので

 社説:特殊指定廃止 公取委員長の独断で決めるな (毎日5/1社説)

 ガ島通信さん「これは酷い 毎日新聞の竹島公取委員長インタビュー」経由で見たインタビュー記事そのものインタビュー・新聞「特殊指定」を考える:公正取引委員会委員長・竹島一彦さん(毎日4/25日)自体も何と言うか、個人攻撃まで飛び出すこれはもう本当に酷いのですが(しかし、まあ、編集した上でこんなにお下品なのだから実際はどんなものだったんだろう)、5月1日の社説のインタビューのネジマゲも負けず劣らず酷いものです。引用している竹島委員長のコメントは
「戸別配達が大変だとか、知る権利のために必要だとか、ピントのずれた、ワンパターンの話ばかり出てくる」
なのですが、実際のインタビュー記事にはそのワンパターンの議論もディスカスしていたわけで、
--特殊指定制度はもともと公正取引委員会が新聞の「文化的使命」に配慮して定めたものですね。
 ◆50年前の戦後の混乱期にね。今とは隔世の感がある。新聞社の販売の姿勢も違ったし、実際に景品(乱発)による混乱があった。公取が新聞業界の要望を受けて景品を取り締まり、「値引きもいけませんよ」という特殊指定を定めたのは、そういう時代だったからだと言わざるを得ない。
議論を発展させるなら現代的意義を問わなきゃいけないはず。

なのに、社説が言ってることは
 この50年間、特殊指定の法的根拠がないとの理由で公取委が撤廃を言い出したのは初めてだ。委員長が就任後自ら考えつき、見直しを指示したことを認めている。
 しかしこの間、特殊指定制度に不都合が生じたことはなく、7年前の見直し以降の環境にも変化がないことは公取委も認めている。
という経緯論と(経緯論はいつも強力ですね
 結局、竹島委員長は独禁法という狭い枠の中だけで判断し、国民の知る権利に応え、民主主義を支えてきた新聞の公共性への理解が足りないように映る。
という否定されたはずの元のワンパターンな議論 

 しかもですが、その社説で引用している3/27独占禁止懇話会での竹島委員長の発言
 「皆さん完全にマインドコントロールにかかっている。戸別配達のためには特殊指定が必要だという議論をうのみにしている」
は、実際の議事録を見ると、制度意義が問われた形跡がないこと、仮に裁判になったら行政の怠慢であるとされるのではないか、という懸念に触れられた後
 新聞でいろいろな識者の方々が発言しておりますけれども,皆さん,完全にマインドコントロールにかかっているのではないか。戸別配達のためには,特殊指定が必要なんだという議論をうのみにしておられる。新聞協会も新聞協会で非常に責任があると思いますが,何ゆえに特殊指定がなくなったら戸別配達がつぶれるのか。こんなものは,論理的な説明が全然なされていない。
と話しているわけで、「何ゆえに特殊指定がなくなったら戸別配達がつぶれるのか。」という問いへの現代的意義付けを根拠付けた論理的反論が必要だと言うことを強い調子で言う文脈だったわけですね。そりゃあらゆる規制に説明責任はつき物、まして裁判所に行政の怠慢と判断されるわけにはいかないわけで(最近じん肺訴訟だったり水俣病訴訟だったりそういう例も相次いでいますし)、その「論理的な反論」の部分はなぜ無視して「マインドコントロール」だけ取り上げるんでしょう。
 社説で唯一中身っぽい議論をしているのが、
 再販制度は値引きそのものを禁じてはいないため、特殊指定の廃止で販売店間の値引き競争が始まり、国民に必要な情報をくまなく提供する宅配制度が揺らぐことは予想がつくはずだ。
というところですが、これも既にインタビューで
--問題の核心は特殊指定を廃止した場合、全国一律の宅配システムが崩れるかどうかです。
 ◆それは再販制度という特権を持っている新聞社の価格政策いかんによります。私はおそらく大丈夫だと思っている。深刻なことにはならない。
--新聞業界と出版物の流通に詳しい識者は深刻な影響があると見ています。「影響があるというなら証明してみよ」というのは立証責任の逆転だという批判についてはどうですか。
 ◆その立証責任というのが不愉快な議論でしてね。配達をどうするかということをお考えになるのは新聞社の仕事なんですよ。消費者にいかによりよいサービスを提供するか考えていかれるべき立場にある。そこを自覚して頂きたい。
--法律的にすっきりすれば竹島さんは愉快かもしれないが・・・
といってバッチリ反論されちゃってる訳で、結局論理的反論への要請はシカトってことみたいです 
 百歩譲ってこの社説が竹島委員長への個人攻撃だと考えたとしても(見出しがそう)、実際委員会で新聞社の論説委員も入って議論しているのに「独断」はないでしょう。
 
 コシ・ファン・トゥッテと笑って済ませられる場合ではないのかも 
 特殊指定の記事のついでに。景品上限1千万円というくじがらみ特殊指定が廃止されたみたいですね。こちらのミリオネアは文字通り$ 1million = 1億円超!なのですが、日本のミリオネアの賞金も上がったりして 

Publication Biasと新聞記事 ~その1:決め打ち型

2006-05-01 23:35:17 | Weblog
 Publication Biasっていうのは研究者がNegativeな結果を論文にせずPositiveな結果ばかりを公表したがることを指摘するお言葉のハズですが(元々は疫学の言葉かな?切り札的な実験結果で白黒つける性質の学問でないことの表れかも)、新聞記事にも、同様な記事と実体の乖離傾向が(程度は不明ですが)あるんじゃないかと体験的に考えています。一言でいうとネタになるものでないと報道されないということですね(なんかトートロジカルですみません)。
 で、ネタになりやすいのは何かというと、差別化を図った記事ってことになって、結果として、他が取り扱っていない記事(所謂スクープ)が重宝されることになるんでしょう。まあそうはいっても大半は横並び報道なんでしょうけど。んで、差別化を図った記事にも2種類あると思っていて、
1)記者がネタをもらう立場の場合;
 この場合もさらに、情報提供者の意に反する場合(すっぱ抜き)と反しない場合(リーク)の二種類ある気がする
2)記者が能動的な場合;
 こっちのタイプは「事実を集めてそれを伝える」のではなくて、「書きたいことがあって、それに都合のいい材料を集める」ものですね。

別に私は世に花盛りのマスコミバッシングに今更加担するつもりはなく(彼らには彼らの役割があるという気もするし、結局は・・・Well, that’s their jobなので)、はたまた政治的に右でも左でもなく、いや「新聞記事ってそんなもんだ」と思っておかないと困ったことになるよね、と改めて思ったので忘れないうちに書いておこうというだけです。今回は記者が能動的な場合(勝手に決め打ち型と呼んでいます)について。
 何を見て思ったかというと、朝日新聞の30日のこの記事。
 日本の歴史問題、米国専門家も懸念 アジア戦略と対立

専門家といっても引かれている例えばKent Calder氏は大使館のアドバイザーも務めたような方で、見出しの驚きをひきずって記事に書かれた氏のコメント
「戦争を正当化することは、日本と戦った米国の歴史観と対立する。異なった歴史解釈のうえに安定した同盟は築けない」
 「多くの米国人が靖国を知るようになると、日米関係の障害となりかねない」
を読むと「アメリカでも総理の靖国参拝はよくないと思われているのねぇ~」っていう印象が残ったわけです。試験期間中だしそれで終わりにしてもよかったのですが、うーん腑に落ちない、アメリカの歴史観がデモクラシー否定の中国の歴史観寄りだなんて聞いたことがないよ、あれ、これはひょっとして「中国や韓国だけじゃなくて(多分一番影響力のある)アメリカも反対している」という記事を書きたい決め打ち型ではなかろうか、という疑念が浮かび、彼の最近の論文を読んだ上で現在学生という特権で突撃メール取材をしてみました。

 ちなみにKent Calder氏の最近の論文China and Japan's Simmering Rivalry(Foreign Affairs 3月4月号←注:オンライン購入も簡単です)では、
○日中関係がエネルギー問題や歴史問題で悪化している。これは問題。日中関係の安定化がアメリカの国益にもかなう。
○アメリカとしては、
 ・まず何より日米同盟(経済面含む)を強化すること
 ・次に日中間の対話、特に非政府間の対話を促進するよう努めること
 ・アメリカ政府の人間がデリケートな日本の戦没者慰霊の問題に立ち入らないこと

が主張されています。特に最後の点ですが、ここ最近検討されてきた無宗教慰霊施設の建設も日本国民の選択肢と言及しつつもあくまで日本国内の問題であることをヒトキワ強調しておられ、朝日の記事のような言及は彼がすべきでないと言っていたことそのものではないか?と思ってしまったわけです。
 当地のオープンないいところで、昨晩遅く質問(論文と新聞記事が一致していないように思える)を送ったら今朝早くあっという間に返事がかえってきまして(!)、一応ファン風な学生からの私信にお答えいただいたということなのでお返事の英文そのまま貼り付けることは差し控えますが、訳すと以下のようなことでした。
 私は、特に現職や過去政府の経験がある外国人が国内問題に入るべきでないと強く思っているが、朝日新聞は私を、不適切に、私がそう思っている国内問題に非常に近づけてしまった(the Asahi Shimbun pulled me inappropriately very close to a domestic matter)。
 既に朝日新聞にはインタビューの翻訳ミスについて抗議したところ。インタビューは***の自宅で数週間前にあったもの。インタビューの長文記事は5月4日に掲載される予定で、私の国内問題に立ち入らない決意をもう少し繊細に扱っていてほしいものだ。*(私の意図を明確にするため)*、明朝インタビューをした***論説委員と会う予定だ。

溜め息 決め打ち取材はこちらが何を言おうと都合のいい部分しか取り上げてくれませんが、Kent Calder氏のような学者にまでその弊害が、しかも一番不本意な形で及ぶとは。しかしこの記事よく見ると、よく工夫された味わい深い記事になっていて、
「(形容詞節)靖国神社が示す歴史観は先の戦争を正当化するもので」
というリード文と、Kent Calder氏のコメントの
「戦争を正当化する~」
ってよ~く読めば無関係な二つの文を並べただけで、ウソじゃない記事になっていますね。う~ん、もう芸術の域です

別に決め打ち取材そのものが悪いとは思わないし、仮にも「ジャーナリスト」なら書きたいことがあるのはむしろ当然とも思うのだけど、書きたいことが誤りだと分かったら方向転換する勇気が必要というか、モノには限度があるというか、取材協力者の意に反したウソぎりぎりの記事はよくないんじゃないか(そういえば向井亜紀さん v. TBSも意に反した引用の仕方でしたね)、ジャーナリスト魂みたいなものはみじんもないのかい?という気がします。それでも主張したいことがあるならいっそ表に出て署名記事にしたらいいんじゃないの?
 そういえば時期が時期(憲法記念日直前)で、同じ政治部の国政担当の関連?フォローアップ記事も出ているようなので、どうやら一連のキャンペーンみたいですね。

 まあ新聞記事にも不可避な限界がある、一言で言うとそんなものだ(コシ・ファン・トゥッテ)と思っていれば、目くじらを立てることもなくへぇ~で終わりますし、メディア・リテラシーなんて言葉も使い古されてきて、そう思っている人は大いに増えているんでしょう。未知の問題を指摘する場合もこれあり、それでもなお重要な役割を担っているとは思うのですが、しかし結局「そんなもの」に対して各種の特権を認める(記者クラブとか、再販・特殊指定)ことが適当かどうかはまた別の議論です。

 ちなみに他のタイプのことは近くないそのうち気が向いたときに。

印象バトン

2006-03-22 23:58:39 | Weblog
そういえばくぅobnwさんからバトンを頂いていたのでした

■回してくれた方に対しての印象は?
 サクサク、責任感強し、懐が深い(特に芸術系・エンタテイメント系)、ややおっちょこちょい

■周りから見た自分はどんな人だと思われてると思いますか?
 飄々、マイペース、間が独特(っていうかあやしい)

■自分が好きな人間性について5つ述べて下さい。
 ・正直 ・誠実 ・人情/思いやり ・男気※ ・余裕
 ※フェミニズムに対する挑戦ではないので念のため。

■では反対に嫌いなタイプは?
 ・リスクをとらず・汗もかかずに陰でコソコソおいしいとこだけ持っていくようなタイプ

■自分がこうなりたいと思う理想像とかありますか?
 オーフェルマウスというかコクーというか、何でもできるんだけど個人の特長があるってな感じ。

■自分のことを慕っている人に叫んでください。
 ありがとうございます。いや、ホントに。

■そんな大好きな人5人にバトンタッチ (印象付きで)
 メールでタッチすることにします^_^;

国家公務員の留学費用の償還に関する法律案

2006-03-16 22:17:26 | Weblog
Webをふらふらしていたら見つけました。いろいろ記事になっていましたが、苦節5年?6年? 国会審議はまだありますが、ようやく法制化にこぎつけたのですね(夏ごろは秋の臨時国会とか記事になってたけど、案の定それは間に合わなかったようで)。

最初に断りますが、この法案がやろうとしている(だろう)こと、すなわち国費留学にも関わらず身勝手に早期退職する者に費用償還を求めることが当然なことなのは多分ほとんど議論の余地がないと思いますし、私もそうだと思います。にもかかわらず、5年も6年もかかったというのは、公務員制度改革大綱(H13)自体(「能力本位」の人事処遇と退職制限の改定が柱)がその策定経緯の不透明さ(とある官庁が突っ走った)もあってストップしてしまったというだけでなく、法制上困難だった、ということもあったハズです。

というのも、(戦前からの行政法理論が色濃く残るのですが)そもそも公務員と国は雇用契約関係になく公務員は、大臣に命令(任命)されて働いているという建前になっています(当事者の感覚とはかけ離れていますが)。んで、留学に際しても研修命令が発令され、費用は命令を遂行するために必要な経費ということで支給されます。命令自体にはきちんと従ったのに、その後の事情で金を返せ、というのは理屈に合わない、と。さらに憲法で職業選択の自由が誰にでも保障されているので、退職するのに金を払え、というのは、そもそも労働基本権が制約されていることも考えると不当な人権侵害になるのではないか、とかとか議論されてきたようです。ちなみに雇用契約では、「使用者は、労働契約の不履行について違約金を定め、又は損害賠償額を予定する契約をしてはならない。」とされています(労働基準法16条)ので、全く馬鹿げた議論とも言えず、そんなこんなで多分内閣法制局を突破できなかったのだと思います。

この問題を法制化しようとすると、結局公務員の地位の法的な問題自体(特別権力関係か雇用契約かsomewhere in the middleか)を惹起せずには置かないので、私自身は、サクッと貸付制度にでも改めれば、と思っていたのですが、結局正面突破を図ったようで(それはそれで立派)、ようやく法案化にいたったのですね。さ~て、どうやって解いたのかというと、どうやらこの定義規定のようです。

2 この法律において「留学」とは、学校教育法(昭和二十二年法律第二十六号)に基づく大学の大学院の課程(同法第六十八条の二第四項第二号の規定により大学院の課程に相当する教育を行うものとして認められたものを含む。)又はこれに相当する外国の大学(これに準ずる教育施設を含む。)の課程に在学してその課程を履修する研修であって、国家公務員法第七十三条の規定に基づき、職員の同意を得て、国が実施するもののうち、その内容及び実施形態を考慮して人事院規則で定めるものをいう。

ん、「職員の同意を得て」? 伝統的な理論(公務員は命令を遂行するのみ)からすると、なんだそりゃぁ~という観がぬぐえませんが(大臣が命令するのに職員の同意が必要って変じゃないか?)、雇用契約的な当事者の実感には圧倒的に近いので結果オーライというところでしょうか。。。それにしても法制局の担当参事官&部長の勇気は賞賛されるべきだと思います

より細かいプラクティカルな問題として、まさか死んでも病気になっても返せというのではあるまいなぁ~と思っていたらさすがに適用除外になっていました(3条2項、4条)。法定の適用除外以外にも、例えばですが、親族の介護のためにやむにやまれず離職する場合にまで返せと言うのか、という気もするのですが、人事院規則で細かく定められるようになっているので、あんまり杓子定規にならないようにして欲しいものです。

ついでですが、この法案ができたから「はい、一丁上がり」として欲しくないですね。というのも、早期退職者の中に確信犯的な者が含まれていたことは残念な事実でしょうが、他方でやる気に燃えて戻ってきたにも関わらず絶望感に苛まれてあるいはせめてもの抵抗として心ならず職を去った者もいたのではなかろうか、と思うからで、留学者のみならず職員全体の士気を示しているとも考えられ、人材育成だったり人材登用だったり、もっというと仕事のあり方そのもの(士気が上がるものとそうでないものの違いを考えればコレに行き着くハズ)まで見直す契機を無駄にして欲しくないと思います。