東京芸術大学大学美術館 2010年7月3日(土)-10月11日(月・祝)
展覧会の公式サイトはこちら
今通っている美容室で私を担当して下さっている方は、美術がお好き。先日、まだ残暑が厳しかった日にお世話になったとき、暑いですねぇ、という挨拶もそこそこに「予約リストにYCさんの名前があると、朝からヨシッて思うんですよ~」とおっしゃって下さった(嬉)。そしてお互いが最近観た展覧会の報告をしながら髪がパラパラ切られる中、話はシャガール展の話題へ。はい、私も行きました。多分1カ月以上前に。。。
というわけで慌てて記事に取りかかります。
実は私は今まで「シャガール展」というものに行ったことがかった。決して嫌いなのではないし、美術の教科書に載っていた『私と村』(1911)は私の西洋画の原初体験みたいなものとしてずっと心の中にある特別な作品。しかしながら何となくそこで止まってしまい、リトグラフ作品などが巷に溢れているせいか、今までシャガール作品は表層的にしか観ないできてしまった。
本展はしかし、単なるシャガールの作品(今回出展の約70点は、全てパリのポンピドー・センターのコレクション)を並べたものではなく、彼と密接な関係があったという「ロシア・アヴァンギャルド運動」とのつながりの中にその画業を見ていくもの。難しい内容なのかな、と思ったが、観ていくうちに「ロシアの作家の作品と並んで自作が展示されること」というシャガールの生前の夢が理解され、私が今まで知らなかったシャガール像が立ち上がってきて、なかなか得るもののある展覧会だった。
では、構成通りにざっくりと追っていきたいと思います:
Ⅰ ロシアのネオ・プリミティヴィスム
『自画像』 マルク・シャガール (1908年)
マルク・シャガール(1887-1985)は、ヴィテブスク(現ベラルーシ共和国)のユダヤ人居留区に生まれた。1908年にサンクト・ペテルブルクの居住資格を得て現地の美術学校に入学。フォーヴィズムや洗練された東洋趣味に目覚めるも、主題は民衆芸術であり続け、故郷の街、家族、農民などを描き続けた。
そう説明されて改めてシャガールの作品を観ていくと、いつも必ず画面に彼の故郷の情景が溶け込んでいることに気づく。
『収穫物を運ぶ女たち』 ナターリヤ・ゴンチャローワ (1911年)
ネオ・プリミティズムとは、「ミハイル・ラリオーノフや(その妻)ナターリヤ・ゴンチャローワを中心に展開されたロシア・アヴァンギャルド運動初期の一流派」だそうです。スラヴ民族の独自性、イコン、木彫、刺繍、ルボーク(大衆版画)、店舗の看板などの民衆芸術にインスピレーションを見出し、20世紀初頭から活動。1912年にラリオーノフが組織し、モスクワで開いた「ロバの尻尾」展にはシャガールも参加。
ここに挙げたゴンチャローワの作品は、まるでステンドグラス(というよりルボークと言うべきか)の枠のように取られた輪郭線で囲まれ、画面一杯に描かれた二人の人物が、逞しい存在感を放っている。
Ⅱ 形と光―ロシアの芸術家たちとキュビスム
『ロシアとロバとその他のものに』 マルク・シャガール (1911年)
シャガールは1911年にパリに向かい、あの有名なラ・リュッシュ(「蜂の巣」という意味の、モンパルナスにあった集合アトリエ)で制作を始める。そこでキュビスムなどに出会って生まれたのがこの作品。
解説には「キュビスムの様式とフォーヴィスムの色彩が見事に結実」とあったが、まずもってなぜ女性の首が宙に飛んでいるのかが気になる。これは、夢想に動かされるままの人物をイディッシュ語とロシア語で「頭が飛び立っている」と表現するそうで、それを文字通り絵にしたもの。女性の姿をしているけれど、多分にシャガール本人が投影されているようにも思える。下の方にはロシアの教会が見え、上方はカラフルなオーロラが出ているかのように幻想的。
Ⅲ ロシアへの帰郷
『立体派の風景』 マルク・シャガール (1918-1919年)
1914年に勃発した戦争のため、滞在先のロシアで足止めを食らったシャガールは、1918年に故郷ヴィテブスクでの美術学校の設立・運営に携わる。しかし教師として招来したカジミール・マレーヴィチ(本展では、彼の建物模型のような造形物の複製が何点か展示されている)に生徒の人気を奪われてしまい、居場所を失ったシャガールは1920年にモスクワへ。
この作品は、そんな時期に描かれたキュビスム風の作品。真ん中に見えるのが、その美術学校の建物だそうだ。
尚、1915年には愛妻ベラ・ローゼンフェルトと結婚している。以降、何枚も「恋人たち」をテーマとした作品を描いているが、今回はその1枚『緑色の恋人たち』(1916-1917年)も展示。濃い緑色を背景に、女性の胸に目を閉じて顔をうずめる男性は、女性の母性愛に包まれ安心し切った赤子のよう。まぁ確かにヨーロッパではこのような光景によく出くわしますね。
『アフティルカ 赤い教会の風景』 ワシリー・カンディンスキー (1917年)
ワシリー・カンディンスキーの、モスクワ近郊で描かれた油彩の風景画6点も並ぶ。彼もまた、第一次世界大戦を機にドイツからロシアへ帰還した一人とのこと。
Ⅳ シャガール独自の世界へ
『彼女を巡って』 マルク・シャガール (1945年)
1923年に再びパリに戻って独自の路線を進むが、1940年のナチスドイツによるパリ占領に伴い、翌41年に妻ベラと共にアメリカへ亡命。しかし、その亡命中の1944年に最愛の妻が亡くなる。
シャガールは悲しみのために9ヶ月もの間絵筆が取れなかったそうだが、1933年に描いた『サーカスの人々』を二分割して、その左側部分に筆を入れて本作品を完成。真ん中に故郷の風景を置き、その右にローズ色の服を着たベラが首を傾げ、上空には彼女との幸福な日々の残像が浮遊する中、左側にいるパレットを持つ画家本人の顔は上下が反転している。
『日曜日』 マルク・シャガール (1952-1954年)
1948年にフランスに戻ったシャガールは、1950年に南仏のサン・ポール・ド・ヴァンスに居を定める。52年には65歳にして再婚。この作品はその二度目の妻を描いたものであるらしい。月明かりがかろうじて光源であった『彼女を巡って』の青ざめた絶望感を脱し、この絵では新妻の頬もバラ色に輝き、朝日が昇って幸せオーラが一杯。画面下にはパリのお馴染みの建造物群が並び(ノートルダム寺院と思しき紫色の建物と背景の黄色の対比が鮮やか)、そして上方にはいかなる状況でもシャガールの頭から消え去ることのなかった故郷の風景が描き込まれている。
『イカルスの墜落』 マルク・シャガール (1974-77年)
90歳にて完成をみた、約200cm四方の大作。天から落ちてくるイカルスを待ち受けるのは、故郷の村人や動物たち。伴侶の死や二度の大戦を乗り越え、フランスやアメリカなどを渡り歩いた自分の人生は、ここで始まり、ここで終わるのだということだろうか。最晩年にこの主題を選んだ画家の心境をいろいろ思う。
Ⅴ 歌劇「魔笛」の舞台美術
『シリーズ:モーツァルト「魔笛」 フィナーレのための背景幕、第Ⅱ幕第30場』 (1966-67年)
1964年、シャガールはニューヨークのメトロポリタン歌劇場から、新しい建物のこけら落としとして上演されるモーツァルトの「魔笛」のための舞台装飾と衣裳の素案を受注。私は「魔笛」を観たことがないのだが、壁にずらりと並んでいる約50点の色とりどりの舞台美術や衣装のデザイン画(部分的にコラージュのように布も貼りつけてある)を見渡すと、実に華やかな舞台になったであろうことが想像される。彼が描いたパリのオペラ座の天井画もそうだが、シャガールの、華やかながら毒々しくない色彩センスと柔らかい線描は、こうした万人の目に触れる装飾的作品にはまさに打ってつけだと改めて思う。
私は残念ながら時間がなくて観られなかったのだが、展示室内で52分に及ぶシャガールのドキュメンタリー映画も上映中です。とてもよく出来た作品だそうなので(冒頭の美容師さんによると、これを観るだけでも観覧料1500円の元が取れるとのこと)、お時間が合う方は是非。上映開始時間を転載しておきます:
①午前11時 ②午後12時 ③午後1時 ④午後2時 ⑤午後3時の1日5回
本展は10月11日(月・祝)までです。
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今通っている美容室で私を担当して下さっている方は、美術がお好き。先日、まだ残暑が厳しかった日にお世話になったとき、暑いですねぇ、という挨拶もそこそこに「予約リストにYCさんの名前があると、朝からヨシッて思うんですよ~」とおっしゃって下さった(嬉)。そしてお互いが最近観た展覧会の報告をしながら髪がパラパラ切られる中、話はシャガール展の話題へ。はい、私も行きました。多分1カ月以上前に。。。
というわけで慌てて記事に取りかかります。
実は私は今まで「シャガール展」というものに行ったことがかった。決して嫌いなのではないし、美術の教科書に載っていた『私と村』(1911)は私の西洋画の原初体験みたいなものとしてずっと心の中にある特別な作品。しかしながら何となくそこで止まってしまい、リトグラフ作品などが巷に溢れているせいか、今までシャガール作品は表層的にしか観ないできてしまった。
本展はしかし、単なるシャガールの作品(今回出展の約70点は、全てパリのポンピドー・センターのコレクション)を並べたものではなく、彼と密接な関係があったという「ロシア・アヴァンギャルド運動」とのつながりの中にその画業を見ていくもの。難しい内容なのかな、と思ったが、観ていくうちに「ロシアの作家の作品と並んで自作が展示されること」というシャガールの生前の夢が理解され、私が今まで知らなかったシャガール像が立ち上がってきて、なかなか得るもののある展覧会だった。
では、構成通りにざっくりと追っていきたいと思います:
Ⅰ ロシアのネオ・プリミティヴィスム
『自画像』 マルク・シャガール (1908年)
マルク・シャガール(1887-1985)は、ヴィテブスク(現ベラルーシ共和国)のユダヤ人居留区に生まれた。1908年にサンクト・ペテルブルクの居住資格を得て現地の美術学校に入学。フォーヴィズムや洗練された東洋趣味に目覚めるも、主題は民衆芸術であり続け、故郷の街、家族、農民などを描き続けた。
そう説明されて改めてシャガールの作品を観ていくと、いつも必ず画面に彼の故郷の情景が溶け込んでいることに気づく。
『収穫物を運ぶ女たち』 ナターリヤ・ゴンチャローワ (1911年)
ネオ・プリミティズムとは、「ミハイル・ラリオーノフや(その妻)ナターリヤ・ゴンチャローワを中心に展開されたロシア・アヴァンギャルド運動初期の一流派」だそうです。スラヴ民族の独自性、イコン、木彫、刺繍、ルボーク(大衆版画)、店舗の看板などの民衆芸術にインスピレーションを見出し、20世紀初頭から活動。1912年にラリオーノフが組織し、モスクワで開いた「ロバの尻尾」展にはシャガールも参加。
ここに挙げたゴンチャローワの作品は、まるでステンドグラス(というよりルボークと言うべきか)の枠のように取られた輪郭線で囲まれ、画面一杯に描かれた二人の人物が、逞しい存在感を放っている。
Ⅱ 形と光―ロシアの芸術家たちとキュビスム
『ロシアとロバとその他のものに』 マルク・シャガール (1911年)
シャガールは1911年にパリに向かい、あの有名なラ・リュッシュ(「蜂の巣」という意味の、モンパルナスにあった集合アトリエ)で制作を始める。そこでキュビスムなどに出会って生まれたのがこの作品。
解説には「キュビスムの様式とフォーヴィスムの色彩が見事に結実」とあったが、まずもってなぜ女性の首が宙に飛んでいるのかが気になる。これは、夢想に動かされるままの人物をイディッシュ語とロシア語で「頭が飛び立っている」と表現するそうで、それを文字通り絵にしたもの。女性の姿をしているけれど、多分にシャガール本人が投影されているようにも思える。下の方にはロシアの教会が見え、上方はカラフルなオーロラが出ているかのように幻想的。
Ⅲ ロシアへの帰郷
『立体派の風景』 マルク・シャガール (1918-1919年)
1914年に勃発した戦争のため、滞在先のロシアで足止めを食らったシャガールは、1918年に故郷ヴィテブスクでの美術学校の設立・運営に携わる。しかし教師として招来したカジミール・マレーヴィチ(本展では、彼の建物模型のような造形物の複製が何点か展示されている)に生徒の人気を奪われてしまい、居場所を失ったシャガールは1920年にモスクワへ。
この作品は、そんな時期に描かれたキュビスム風の作品。真ん中に見えるのが、その美術学校の建物だそうだ。
尚、1915年には愛妻ベラ・ローゼンフェルトと結婚している。以降、何枚も「恋人たち」をテーマとした作品を描いているが、今回はその1枚『緑色の恋人たち』(1916-1917年)も展示。濃い緑色を背景に、女性の胸に目を閉じて顔をうずめる男性は、女性の母性愛に包まれ安心し切った赤子のよう。まぁ確かにヨーロッパではこのような光景によく出くわしますね。
『アフティルカ 赤い教会の風景』 ワシリー・カンディンスキー (1917年)
ワシリー・カンディンスキーの、モスクワ近郊で描かれた油彩の風景画6点も並ぶ。彼もまた、第一次世界大戦を機にドイツからロシアへ帰還した一人とのこと。
Ⅳ シャガール独自の世界へ
『彼女を巡って』 マルク・シャガール (1945年)
1923年に再びパリに戻って独自の路線を進むが、1940年のナチスドイツによるパリ占領に伴い、翌41年に妻ベラと共にアメリカへ亡命。しかし、その亡命中の1944年に最愛の妻が亡くなる。
シャガールは悲しみのために9ヶ月もの間絵筆が取れなかったそうだが、1933年に描いた『サーカスの人々』を二分割して、その左側部分に筆を入れて本作品を完成。真ん中に故郷の風景を置き、その右にローズ色の服を着たベラが首を傾げ、上空には彼女との幸福な日々の残像が浮遊する中、左側にいるパレットを持つ画家本人の顔は上下が反転している。
『日曜日』 マルク・シャガール (1952-1954年)
1948年にフランスに戻ったシャガールは、1950年に南仏のサン・ポール・ド・ヴァンスに居を定める。52年には65歳にして再婚。この作品はその二度目の妻を描いたものであるらしい。月明かりがかろうじて光源であった『彼女を巡って』の青ざめた絶望感を脱し、この絵では新妻の頬もバラ色に輝き、朝日が昇って幸せオーラが一杯。画面下にはパリのお馴染みの建造物群が並び(ノートルダム寺院と思しき紫色の建物と背景の黄色の対比が鮮やか)、そして上方にはいかなる状況でもシャガールの頭から消え去ることのなかった故郷の風景が描き込まれている。
『イカルスの墜落』 マルク・シャガール (1974-77年)
90歳にて完成をみた、約200cm四方の大作。天から落ちてくるイカルスを待ち受けるのは、故郷の村人や動物たち。伴侶の死や二度の大戦を乗り越え、フランスやアメリカなどを渡り歩いた自分の人生は、ここで始まり、ここで終わるのだということだろうか。最晩年にこの主題を選んだ画家の心境をいろいろ思う。
Ⅴ 歌劇「魔笛」の舞台美術
『シリーズ:モーツァルト「魔笛」 フィナーレのための背景幕、第Ⅱ幕第30場』 (1966-67年)
1964年、シャガールはニューヨークのメトロポリタン歌劇場から、新しい建物のこけら落としとして上演されるモーツァルトの「魔笛」のための舞台装飾と衣裳の素案を受注。私は「魔笛」を観たことがないのだが、壁にずらりと並んでいる約50点の色とりどりの舞台美術や衣装のデザイン画(部分的にコラージュのように布も貼りつけてある)を見渡すと、実に華やかな舞台になったであろうことが想像される。彼が描いたパリのオペラ座の天井画もそうだが、シャガールの、華やかながら毒々しくない色彩センスと柔らかい線描は、こうした万人の目に触れる装飾的作品にはまさに打ってつけだと改めて思う。
私は残念ながら時間がなくて観られなかったのだが、展示室内で52分に及ぶシャガールのドキュメンタリー映画も上映中です。とてもよく出来た作品だそうなので(冒頭の美容師さんによると、これを観るだけでも観覧料1500円の元が取れるとのこと)、お時間が合う方は是非。上映開始時間を転載しておきます:
①午前11時 ②午後12時 ③午後1時 ④午後2時 ⑤午後3時の1日5回
本展は10月11日(月・祝)までです。