l'esquisse

アート鑑賞の感想を中心に、日々思ったことをつらつらと。

フランダースの光 ベルギーの美しき村を描いて

2010-10-01 | アート鑑賞
Bunkamura ザ・ミュージアム 2010年9月4日(土)-10月24日(日)



ベルギー北部のフランダース地方にシント・マルテンス・ラーテムという小さな村があり、この村及び周辺に19世紀末から20世紀初頭にかけて芸術家たちが移り住み、創作活動を行っていたそうだ。本展では、そのラーテム村で制作を行った芸術家の作品89点を紹介するもので、日本初公開の作品も多いとのこと。

実はチラシを入手したときから密かに期待していたのだが、果たしてとても素晴らしい内容だった。何よりも良かったのは、世代ごとに三つ(すなわち「象徴主義」、「印象主義」、「表現主義」)に区切ったシンプルな構成の下、一人の作家の作品が複数揃えて展示されていること。1点やそこらでは画家の印象はなかなか残らないし、スーパースターの作品が1点もなくとも、このように質の高い作品を上手い切り口で展示して頂けると見応えがあります。

では、印象に残った作品を挙げながら感想を記しておきたいと思います:

第一章 精神的なものを追い求めて

1900年頃、産業革命による生活環境の変化や都会の喧騒から逃れるように、ラーテム村に移り住んできた第一世代の芸術家たち。彼らは深い精神性を表現した象徴主義的絵画を発展させた。

上は『春の緑』(1900年)、下は『シント・マルテンス・ラーテムの雑木林』(1898年)。共にアルベイン・ファン・デン・アルベール作。

 

『春の緑』の目の覚めるような黄緑色が目に飛び込んできた瞬間、わぁ、なんてきれいな絵なのだろうと思った。そして解説にある「象徴主義」の文字が頭の中で回り出す。

いわゆる「風景画」と、景色を描きながら「象徴主義」と呼ばれるこれらの絵を違わせているのは何だろう、と思ってしばらく眺めていた。確かにアルベールの画面には、例えば1本だけ抜きん出た大木であるとか、群れる動物であるとか、風車であるとか、鑑賞者の目を誘導するいわゆるフォーカル・ポイント(焦点)というものが全くない。しかしこの「何もなさ」は、鑑賞者の視覚のみならず、さまざまな感覚を覚醒させる。

アルベールはラーテム生まれで村長まで務めたというから(初めて絵筆を取ったのは39歳のときだそうです)、この村のことは隅々まで知り尽くしていたことでしょう。そんな彼が選んで切り取った情景には、産業革命云々という表層的なことよりも更に深い精神性を感じます。

左は『冬の果樹園』(1908年)、右は『冬景色(大)』(1926年頃)、共にヴァレリウス・ド・サードレール作。

 

少し前に観に行ったアントワープ王立美術館コレクション展で、私が思わず「近代のブリューゲル!」と感動した人の作品が沢山並んでいてとても嬉しかった。この画家も最初は印象派風の作品を描いていたそうだが(その作例が1点展示されている)、15世紀フランダース絵画展を観て方向転換。静謐な、心象風景ともいえる独特の世界を構築した。

この他、『静かなるレイエ川の淀み』(1905年)の、墨絵のような諧調を見せる空の表現、『フランダースの農家』(1914年)の、琥珀色の闇に落ちていく大きな農家から発せられる時の堆積。筆跡の残らない滑らかな画面に描かれる、これらの人の気配のない風景画の数々はじんわりと心に沁みてくる。余談ながら、写真を見ると随分恰幅のいい人であったようだ。

『悪しき種をまく人』 ギュスターヴ・ヴァン・ド・ウーステイヌ (1908年)



異彩を放っている作品だった。金地の上に人物が切り絵で貼られたような、まるでルネッサンスの宗教画が紛れ込んだのかと思うようなマチエール。この画家も、「初期フランダース美術の展覧会を見て以来、ルネッサンス以前の美術と文化に対する崇敬の念を持ち続けていた」と解説にあった。モデルになっている男性はデースという名の農民で、他の作品にも登場する。

第二章 移ろいゆく光を追い求めて

印象主義の画家たちが移り住み、第二世代を形成。村の美しい情景や、ブルジョワ的な美しい室内なども描いた。

『ピクニック風景』 エミール・クラウス (1887年)



第二世代の先駆となったのが、リュミニスム(光輝主義)と呼ばれる作風で外光表現を追求したエミール・クラウス。チラシに使われている作品(『刈草干し』1896年)を描いた人です。何と今回彼の油彩画が12点も大集合、そこだけ眩しい一角が。

この作品は、手前の人物たちの一群が写実的に描写されているのに対し、彼らを取り囲む川辺の草花がやや粗い乾いた筆捌きで描かれており、独特の効果を生み出していた。

『レイエ川沿いを歩く田舎の娘』 エミール・クラウス (1895年)



日本からベルギーに赴き、エミール・クラウスに絵の指導を受けた太田喜三郎(今回初めて知りました。ちょっと長友選手似)が残したノートには、師の言葉として「いつでも日に向かって画をすえて」とある。

その言葉通り、クラウスは逆光の中に飛散する光の粒子を追い求め、彼の描く人物達はその粒子をまとっている。この作品も、実物を観ないとわからないと思うのだが、右側の女性の横顔にちらりとのぞくおくれ毛にきらきらと光が宿り、私はこの画家の逆光に対するフェティシズムのようなものを感じずにいられなかった。

太田喜三郎と、太田と共にゲントの美術学校に学び、同じくクラウスに作品批評などをしてもらっていたという児島虎次郎の二人の作品も展示されていた。太田の『樹陰』(1911年))などはかなり師の教えに肉薄しているのではないでしょうか。

『運河沿いの楡の木』 エミール・クラウス (1904年)



151x184cmの大きな画面に現れた、ともすればどこにでもあるような風景ではあるが、絵の中に入り込んで左側の坂を上ってみたくなる。

『梨の木』 アルベール・サヴレイス (1912年)



印刷だと何だか色が薄くなってしまうような気がするが、絵具の置かれ方が、点描というよりモザイクに近い触感を醸し出す印象深い作品だった。

第三章 新たな造形を追い求めて

第三世代を形成したのは第二世代の画家たちだが、第一次世界大戦中に疎開していた先でドイツ表現主義やキュビスムなど新しい美術の潮流に触れ、戦争前とは異なる画風を成立させる。

上が『レイエ川』(1927年)、下が『レイエ川のアヒル』(1911年)、共にギュスターヴ・ド・スメット作。

 

左が『オーイドンク城の鳩舎』 (1923年)、右が『庭の少女』(1909年)、共にフリッツ・ヴァン・デン・ベルグ作。

 

上に挙げた二人の画家による4点ですが(ともに新しい年代の方が第3章に、古い方は第2章に展示)、どちらもとても同じ画家が描いたとは思えない画風の変貌ぶりでしょう?スメットなど同じ川の情景を描いてこの違い。

実は今までベルギー近代美術の展覧会で私が個人的に苦手だったのが、この3章に並ぶごっつい表現主義の作品たち。でも今回はあら不思議、朴訥とした色彩のブロックに何とも言えない味を感じてしまったのでした。

本展は10月24日(日)まで。お勧めします。