l'esquisse

アート鑑賞の感想を中心に、日々思ったことをつらつらと。

三菱が夢見た美術館 岩崎家と三菱ゆかりのコレクション

2010-10-24 | アート鑑賞
三菱一号館美術館 2010年8月24日(火)-11月3日(水・祝)



本展の公式サイトはこちら

この美術館は水曜日・木曜日・金曜日は夜8時まで開いているので、私にとって前回のエドゥアール・マネ展に続いてこの美術館への2回目の訪問となる本展に、珍しくスーツ姿で平日の夜に行ってみた。

前回は気づかなかったのだが、ヒールのある靴で歩くと、この美術館の木の床は靴音がコツンコツンとひと際大きな音を立てる。展示室入口のドアの手前に、床に使われている資材が靴音を反響させやすいのでご留意を、というような但し書きがあり、しかもこの日は鑑賞者の数も少なめで展示室が静まり返っていたので、私も極力音を立てないようにそろそろと歩いた。

うっとりするほどピカピカの木の床に比べるとグレーの階段が味気ない感じがして、前回来た時はこの階段も木造りだったら更にいいのに、なんて思ったけれど、その思いは霧散。木だときっとタップダンス教室のようになってしまうでしょうね。

ついでと言っては何ですが、映画のチケットのような当日券もやっぱり味気ない気がします。本展に関しては私が入手しただけで3種類もの紙質の良いチラシがありますが、それだったらもう少しチケットを工夫願いたい、とまあこれは鑑賞者の勝手な要求でありますが。

では、本題に。

この展覧会は、簡単に言えば三菱を興した岩崎家の芸術パトロネージを、その蒐集品の中から総数約120点(会期中入れ替えを含む)を実見しながら紹介するもの。作品のカテゴリーごとに章が組まれており、すっきりした展示でとても見易かった。

序章 「丸の内美術館」計画:三菱による丸の内の近代化と文化

ここは岩崎家や三菱の依頼によりコンドルが手がけた建造物の設計図の並ぶ、本章への導入部。『丸の内美術館』(1892年)というものもあるが、ここはまずチラシからおさらい。

明治初年に岩崎彌太郎(1835-1885)が土佐藩の行っていた海運業を引き継いで興した三菱は、1890年に丸の内の土地を政府から一括購入し、地震に耐えうる洋風建築の並ぶオフィス街の建設を目指す。

二代目社長の岩崎彌之助(1851‐1908)は、英国人建築家ジョサイア・コンドルに最初の洋風事務所建築である旧三菱一号館建設(1894年竣工)を依頼。

明治20年代、三菱は丸の内を単なるオフィス街ではなく文化的な要素を取り入れた近代的な街にしようとコンドルに相談し、美術館や劇場の設計を試みる。

そこで「丸の内美術館」の設計がされたわけですが、計画は実現しなかったものの、旧三菱一号館の再生である三菱一号館美術館が今年誕生し、こうして岩崎家及びそのゆかりのコレクションが展示された、ということで本展のタイトルにつながる。

第一章 三菱のコレクション:日本近代美術

明治・大正期の富裕層の興味の対象が骨董や茶道具などに限られていた中、三菱のように同時代の芸術文化を支援した例は稀だった。この章には当時で言えば現代美術(今振り返れば日本近代美術)の洋画作品が並ぶ。

『十二支のうち午「殿中幼君の春駒」』 山本芳翠(1892年)

いきなり山本芳翠の作品が3点並ぶ。本展のサイトにリンクのあるmarunouchi.comに詳しい説明があった。それによると、この十二支にちなんで描かれたシリーズは二代目社長の岩崎彌之助の依頼により芳翠が制作したもので、12点中10点が現存し、今回はそのうちの3点が並んでいるとのこと。ちなみに午の他の2点は丑と戌。

画像はないが、私はとりわけ午が気に入った。先に挙げたサイトにある通り、徳川家光(竹千代)が張り子の午で遊ぶ様子を春日局と侍女が見守るという図だが、どことなくラファエル前派というか、着物の刺繍の質感描写が私の好きなヴィクトリア朝時代のイギリス人画家、J.W.ウォーターハウスを思わせ(そういえばウォーターハウスの『シャロット姫』の制作年も1888年だから両者はほぼ同じ頃に描かれたのですね)、芳翠独特の画世界に引き込まれた。

それと、同じく芳翠による『花』(制作年不詳)は、筆触の残し方がエドゥアール・マネの静物画を思い出させた。マネの作品の背景も、こんな茶系の色じゃありませんでしたっけ?

『花畑』 浅井忠 (1904年)

浅井忠というと秋の黄金色の情景の印象が強いので、このように鮮やかな緑の中に咲く赤や黄色の花を描いた風景は新鮮だった。塀の向こうに霞む山の稜線で奥行きや大気感が増して、取り立てて目を引くものが描かれているわけでもないのに引き込まれ、観飽きない。

『童女像(麗子花持てる)』 岸田劉生 (1921年)

チラシにある、赤いタータン・チェックのワンピースが印象的な麗子像。絵から離れて振り向くと、麗子の放つ存在感に驚く。

第二章 岩崎家と文化:静嘉堂

二代目彌之助により設立された静嘉堂は、明治初期から昭和前期にかけて古典籍20万冊、古美術6500件を蒐集した文化施設で、国宝7点、重文83点、重美79点を含む。四代目岩崎小彌太(1879‐1945)が彌之助の跡を継いで更に所蔵品を充実させ、1924年に現在の世田谷に静嘉堂文庫が、そして1992年に美術館が建設される。

『色絵吉野山図茶壺』 野々村仁清 (江戸時代) *重文



ゴージャスな仁清の茶壺。堂々とした存在感があって美しいけれど、個人的には出光で観た白地の壺(色絵芥子文茶壺)の方がすっきりしていて好みかな。

『江口君図』 円山応挙 (江戸時代) *重美



吸い寄せられるようにこの絵の掛かる展示ケースの前へ。この流麗で気品のある線描は見事ですね~。

『浪月蒔絵硯箱』 清水九兵衛 (江戸時代 17‐18世紀)

上方に細い三日月が浮かぶ箱の表面。下方の、岩や海藻には緑に光る螺鈿細工が施され、その間にうねる波や、箱の中の控えめな松の線がとても繊細。

第三章 岩崎家と文化:東洋文庫

三代目岩崎久彌(1865‐1955)が1917年に購入した、中華民国総統府顧問であったイギリス人のアーネスト・モリソンが蒐集した極東に関する文献(モリソン文庫)に、同じく久彌が購入した和漢書のコレクション「岩崎文庫」などが加えられ、1924年に建設されたのが東洋文庫。

原本である『ターヘル・アナトミア』 ヨハン・アダム・クルムス(1734年)と共に並ぶ『解体新書』 杉田玄白訳(1774年頃)、くっきりした活字で思わず読み出してしまう『ロビンソン漂流記』 ダニエル・デフォー(1719年)、江戸をCittie Edooと書いている『ジョン・セーリスの航海日誌』 ジョン・セーリス(1617年)、資料的に興味深い16世紀から18世紀に作られたアジアや日本の地図など、珍しいものが並んでいて楽しめた。

第四章 人の中へ街の中へ:日本郵船と麒麟麦酒のデザイン

日本郵船と麒麟麦酒も三菱系の企業だったのですね。前者は橋口五葉、後者は多田北烏(雑誌「主婦の友」の表紙を手掛けた人だそうです)などの大正ロマン風ポスター作品が並ぶ。昔はビールのコップも小さくて、慎ましやかな感じ。

第五章 三菱のコレクション:西洋近代美術 

『波』 モーリス・ド・ヴラマンク (制作年不詳)

個人的にこの章で一番良かった作品。嵐の海の波を画面一杯に描いた作品で、白い波頭は画面全体で荒れ狂い、水平線も判然としない。白と濃紺のほとんどモノトーンの世界だが、この人の油絵具を画布に乗せるセンスといいましょうか、とても好きです。ポストカードがあればよかったのに。

そういえばこの章の解説パネルに、久彌はバルビゾン派やラファエル前派を好んだと言うようなことが書かれていた。1章の芳翠の絵も好きだったかしら?

終章 世紀を超えて:三菱が夢見た美術館

『三菱ヶ原』 郡司卯之助(福秀) (1902年)

手前から広がるだだっ広い野原の向うに大きな木が数本あって、その背後に洋風の建物が数軒のぞくだけの牧歌的なこの絵はまるで印象派の風景画のようだが、これがたった120年くらい前の丸の内の風景だと言われてもにわかに信じがたい。

この絵の前に居合わせた老紳士たちが、「やっぱり不動産だよなぁ」。本当ですね(笑)

三菱の「大番頭」と呼ばれていた荘田平五郎という人が、イギリスで知見したことを踏まえて岩崎彌太郎に丸の内の土地を買うことや、美術のパトロンになることを進言したらしい。彌太郎はこの何もない広大な野原で「虎でも飼うか」と冗談を言ったそうだが、近年の再開発に伴ってこうして本当に美術館も加わった今の繁栄ぶりに、きっと天から目を細めて見ていることだろう。

本展は残すところあと少し、11月3日(水・祝)まで。通常月曜日はお休みですが、11月1日(月)は開いているそうです。

次回の展覧会は「カンディンスキーと青騎士展」ということで、個人的にも最近目覚めたドイツ表現主義の作品をいろいろ観られそうで楽しみ。ブリックスクエアのクリスマスの雰囲気も良さそう♪

 

レンバッハハウス所蔵美術館所蔵「カンディンスキーと青騎士展」
三菱一号館美術館
2010年11月23日(火・祝)-2011年2月6日(日)