S12L03(L)
2012.3.11
大斎節第3主日 <講釈>「自分の命 マルコ8:31-38」
1.イエスの言葉
マルコが福音書を書く前の状況を想像すると、教会の中で「権威ある言葉」は、いわゆる旧約聖書である。その後だんだんとパウロの手紙やその他の使徒たちの書簡が「権威ある文書」として読まれるようになった。それとほとんど並行的にいわゆる「イエスの言葉」が出回るようになる。当時、まだガリラヤを中心にイエスの言葉や功績が散在していたのであろう。その中には福音書に採用されなかったイエスの言葉もかなりあったものと思われる。その内、一つだけが使徒言行録20:35に残されている。「主イエス御自身が『受けるよりは与える方が幸いである』と言われた言葉を思い出すようにと、わたしはいつも身をもって示してきました。」
2.小さな言葉集(「受難の六訓」)
マルコは8:34から9:1までの部分に、当時の教会で流布していた「イエスの言葉」のうちで「イエスの弟子としての生き方」に関する6つの言葉をまとめている。これらは元来はそれぞれ単独で伝えられたものと思われる。
(1)わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。(8:34)<参照:マタイ10:38、ルカ14:27>
(2)自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのため、また福音のために命を失う者は、それを救うのである。(8:35)<参照:マタイ10:39、ルカ17:33>
(3)人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。(8:36)
(4)自分の命を買い戻すのに、どんな代価を支払えようか。(8:37)
(5)神に背いたこの罪深い時代に、わたしとわたしの言葉を恥じる者は、人の子もまた、父の栄光に輝いて聖なる天使たちと共に来るときに、その者を恥じる。(8:38)<マタイ10:32-33、ルカ12:8-9>
(6)はっきり言っておく。ここに一緒にいる人々の中には、神の国が力にあふれて現れるのを見るまでは、決して死なない者がいる。(9:1)
3.本日は3番目の言葉を取り上げる。
「人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか」(8:36)。
この言葉はイエス独自の言葉というより、当時一般的な格言の一つであったと言われている。しかし、それだからと言ってこの言葉の価値が下がるわけではない。むしろイエスはこういう当時一般的に流布していた寓話や格言を喜んで口にしたであろうと思う。
日本にも「命あっての物種」という格言がある。「物種」とは物事の元になるものを意味し、事物の根源を示す言葉である。つまり「自分の命」があってこそ世界が意味を持つ。自分の命は全世界よりも重要だという意味であり、本日のイエスの言葉と全く同じ意味である。
この世には自分の命より重要なものはない。このことについてこれ以上の細かい議論は必要ないであろう。ただ一つ非常に重要なことは、これがイエスの生き方、価値観の最も土台になっているものであるということである。本日のメッセージの結論を先取りすると、この世界には自分の命より大切なものはないということを語ること、自分の命を圧殺し、自分の思いとか願いを犯すものに対する怒りとか解放ということを自分自身の使命と考えていたのであろう。そのもっとも端的な表現が安息日の規定であった。
4.自分の命を否定する思想
この世界には自分の命より大切なものはないという思想に対して、自分の命よりももっと大切なものがこの世にはあるという主張がある。つまり神、民族、共同体、家族等の方が個人の命よりも優先するという思想である。
先日、ある本を読んでいると次のような文章があった。
ナショナリズムの恐ろしいところは自分の命を提供することを要求する点にあると言い、次のように述べていた。「本来自分の命ほど大切なものはないはずですが、人間は思想をもつ動物だから、命を放棄する気構えができるとそう行動しちゃんですね。(中略)(他の)動物もある時点まで自分の命を捨てる行動をとります。例えば、母猫が子猫を守るために自分の身を犠牲にする。しかし、ある時点になると、子猫を近づけなくなる。ところが人間は思想的な操作によって、自分の命を自分以外の者のために投げ出すことがいつでもできるようになった。ここが私は人間の文化で一番重要なところだと思うんですね。そこから宗教や哲学、文学も生まれるし、国家、人間の共同体が生まれる。人間が自分の個体がすべてではないんだという意識をもつからです」(佐藤優『国家と神とマルクス』46頁)。権力者たちは「神の名」や「民族のため」を持ち出して民衆の命を捧げさせる。
ここまで明瞭に述べられると、9.11事件や神風特攻隊のことなど、いろいろな出来事を思い起こす。特に私たちキリスト者にとっては、イエスの生き方、とくに十字架に向かうイエスの「わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」(8:34)という言葉を思い起こす。明らかにこの言葉と今日取り上げている言葉とは矛盾対立する。この矛盾対立をどう解決するのか。
5.百田尚樹著『永遠の0』について
この問題について考えている時に、昨年読んだ一冊の小説を思い出した。それは百田尚樹という放送作家が書いた『永遠の0』という小説である。ここでいう「ゼロ」とは太平洋戦争中、日本が世界に誇る名戦闘機として名を轟かせた海軍零式戦闘機、つまり「ゼロ戦」のことである。小説の筋はこのゼロ戦を巡って太平洋戦争の実態を戦争の現場のを視点にして描かれている。これ程までリアルな戦争物語を私たちは今まで手にしたことがない。その意味では、全ての日本人に読んでもらいたい作品である。この作品が提起しているいろいろな問題を取り上げる訳にはいかないが、ただ一点、人が国家のために命を捨てるとはどういうことなのか、ということに問題を絞って考える。
ここに登場する主人公は自ら志願して海軍航空隊に入隊した、いわば職業軍人宮部久蔵である。彼については「奴は海軍航空隊一の臆病者だった。宮部久蔵は何よりも命を惜しむ男だった」(30頁)。そのことがこの小説を貫くもっとも大きなメッセージである。彼は繰り返し「生きて帰る」「生きて妻や娘のところに帰る」という言葉を繰り返す。ある戦友は次のような言葉を残している。「宮部は、生きるか死ぬかの戦いのただ中にあって、家族のことを何より考える男だった」(466)。そのために彼は必死で操縦技術を磨き、肉体を鍛える。彼の生まれながらの才能もあったのであろうが、この努力の結果彼の航空技術は抜群となる。
この彼の生き方は太平洋戦争の末期、昭和19年10月に「特攻作戦」が採用され窮地に追い込められる。特攻作戦とはいわゆる敵艦への体当たり作戦である。敵戦闘機との空中戦をくぐり抜け、戦艦や空母からの対空砲撃を避けながら敵の船に体当たりする。しかし実際には敵艦に体当たりできたのはごく一部でほとんどはそこに至る前に撃墜されたという。特攻は今までの作戦とは根本的に違っていた。今までの作戦は全て「成功したら」戻って来ることができた。たとえそれが100機のうち1機でもその可能性はあった。しかし特攻の場合は「十死零生」といわれていた。それで宮部は特攻作戦が発表されたとき(昭和19年10月)、「もうそれは作戦ではない」という。国家をあげての「狂乱」であろう。しかし、そのために純真な青年たちが犠牲にされた。昭和18年の第1回学徒出陣で10万人の学徒兵が生まれたとされる(384頁)。その多くは促成の特攻用パイロットとして作られ、そのほとんどは散華した。
彼らの教官になったのが宮部であった。彼は学生たちを前にして次のように語る。
「わたしにとって操縦訓練は、生き残るための訓練でした。しかし、皆さんは違います。ただ死ぬためだけに訓練させられているのです。しかも上手くなったものから順々に行かされる。それなら、ずっと下手なままがいい」(438頁)。そのように語る彼のことについて学生たちは彼のことを回顧して「私は宮部さんの臆病なところは嫌いでしたが、人間としては好きでした」と告白している。
その宮部自身、最後に敵艦に体当たりして死ぬ。なぜ彼は死んだのか。このことについてこの書の帯に次のように書かれている。
「娘に会うまでは死ねない、妻との約束を守るために」。そう言い続けた男は、なぜ自ら零戦に乗り命を落としたのか。終戦から60年目の夏、健太郎は死んだ祖父の生涯を調べていた。天才だが臆病者。想像と違う人物像に戸惑いつつも、一つの謎が浮かんでくる。記憶の断片が揃うとき、明らかになる真実とは。」(紙表紙)
児玉清氏は絶賛して、次のように語る。「僕は号泣するのを懸命に歯を喰いしばってこらえたが、ダメだった。」
先日、テレビで作者の百田さんが登場し、出版後の反響について次のように語っていた。
(1)宮部さんのような人は結構いた。
(2)本音が出るときには、みんな帰国したがっていた。最終的に彼らが「格好のいい遺書を書いたのは親を悲しませたくないという思い。そのことについて本文の中でも述べられている。武田貴則(元外軍中尉、経済界の大物)が新聞記者に次のようにいう。
「遺族に書く手紙に『死にたくない! 辛い! 悲しい!』とでも書くのか。それを読んだ両親がどれ程悲しむかわかるか。大事に育てた息子が、そんな苦しい思いをして死んでいったと知った時の悲しみはいかばかりか。死に臨んで、せめて両親には、澄みきった心で死んでいった息子の姿を見せたいという思いがわからんのか!」と武田は怒鳴った(421頁)。
6.殉教、殉死を賛美すること
さてやはり殉教や殉死を賛美することには問題がある。特攻によって死んだ人たちに「散華(花が散る)」という美しい言葉で飾り、その名誉を讃えうるが、やはり可能性がある限り死ぬよりは生きる道を選んで欲しかった。もっと生き延びるということに拘って欲しかった。歴史に「もし、たら」は禁物であるといわれているが、もし彼らが敗戦を乗り越えて生き延びていたら日本の歴史はもっと違ったものになっていたかも知れない。それよりも彼らの家族や彼らの仲間の人生はもっと違ったものになったのは確実である。私は彼らの命を奪ったものは殉教は殉死を美しく賛美した国家権力やマスコミであり、それによって踊らされた人々である。
それはまさにイエスの場合と同様である。
しかしイエスにとっては「自分の命」の問題以前に、人間の命を軽視する風潮が問題であった。宗教も国家も、自分の命を捧げることを要求している。
結論から言うと、そういう社会の真ん中でイエスは「人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか」と宣言する。その意味ではこの宣言は反社会的であり、反権力である。
7.自分の命
イエスの「あの死」は決してイエス自身が望んだ死ではなかった。できるなら「避けたい死」であった。イエスにはするべきことが沢山あった。しかし、それが許されなかった。権力者たちは総力を挙げてイエスを死に追い込んだ。最後の段階でイエスは弟子たちの「生き残り」にかけて自らの使命を弟子たちの手にゆだねた。イエスにとって弟子たちの人生は「自分の命」よりも重要であった。
それがイエスの十字架の真相であろう。彼らはその時のことを次のように語る。イエスは、わたしたちのために、命を捨ててくださいました。そのことによって、わたしたちは愛を知りました。だから、わたしたちも兄弟のために命を捨てるべきです。 (1ヨハネ3:16)
2012.3.11
大斎節第3主日 <講釈>「自分の命 マルコ8:31-38」
1.イエスの言葉
マルコが福音書を書く前の状況を想像すると、教会の中で「権威ある言葉」は、いわゆる旧約聖書である。その後だんだんとパウロの手紙やその他の使徒たちの書簡が「権威ある文書」として読まれるようになった。それとほとんど並行的にいわゆる「イエスの言葉」が出回るようになる。当時、まだガリラヤを中心にイエスの言葉や功績が散在していたのであろう。その中には福音書に採用されなかったイエスの言葉もかなりあったものと思われる。その内、一つだけが使徒言行録20:35に残されている。「主イエス御自身が『受けるよりは与える方が幸いである』と言われた言葉を思い出すようにと、わたしはいつも身をもって示してきました。」
2.小さな言葉集(「受難の六訓」)
マルコは8:34から9:1までの部分に、当時の教会で流布していた「イエスの言葉」のうちで「イエスの弟子としての生き方」に関する6つの言葉をまとめている。これらは元来はそれぞれ単独で伝えられたものと思われる。
(1)わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。(8:34)<参照:マタイ10:38、ルカ14:27>
(2)自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのため、また福音のために命を失う者は、それを救うのである。(8:35)<参照:マタイ10:39、ルカ17:33>
(3)人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。(8:36)
(4)自分の命を買い戻すのに、どんな代価を支払えようか。(8:37)
(5)神に背いたこの罪深い時代に、わたしとわたしの言葉を恥じる者は、人の子もまた、父の栄光に輝いて聖なる天使たちと共に来るときに、その者を恥じる。(8:38)<マタイ10:32-33、ルカ12:8-9>
(6)はっきり言っておく。ここに一緒にいる人々の中には、神の国が力にあふれて現れるのを見るまでは、決して死なない者がいる。(9:1)
3.本日は3番目の言葉を取り上げる。
「人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか」(8:36)。
この言葉はイエス独自の言葉というより、当時一般的な格言の一つであったと言われている。しかし、それだからと言ってこの言葉の価値が下がるわけではない。むしろイエスはこういう当時一般的に流布していた寓話や格言を喜んで口にしたであろうと思う。
日本にも「命あっての物種」という格言がある。「物種」とは物事の元になるものを意味し、事物の根源を示す言葉である。つまり「自分の命」があってこそ世界が意味を持つ。自分の命は全世界よりも重要だという意味であり、本日のイエスの言葉と全く同じ意味である。
この世には自分の命より重要なものはない。このことについてこれ以上の細かい議論は必要ないであろう。ただ一つ非常に重要なことは、これがイエスの生き方、価値観の最も土台になっているものであるということである。本日のメッセージの結論を先取りすると、この世界には自分の命より大切なものはないということを語ること、自分の命を圧殺し、自分の思いとか願いを犯すものに対する怒りとか解放ということを自分自身の使命と考えていたのであろう。そのもっとも端的な表現が安息日の規定であった。
4.自分の命を否定する思想
この世界には自分の命より大切なものはないという思想に対して、自分の命よりももっと大切なものがこの世にはあるという主張がある。つまり神、民族、共同体、家族等の方が個人の命よりも優先するという思想である。
先日、ある本を読んでいると次のような文章があった。
ナショナリズムの恐ろしいところは自分の命を提供することを要求する点にあると言い、次のように述べていた。「本来自分の命ほど大切なものはないはずですが、人間は思想をもつ動物だから、命を放棄する気構えができるとそう行動しちゃんですね。(中略)(他の)動物もある時点まで自分の命を捨てる行動をとります。例えば、母猫が子猫を守るために自分の身を犠牲にする。しかし、ある時点になると、子猫を近づけなくなる。ところが人間は思想的な操作によって、自分の命を自分以外の者のために投げ出すことがいつでもできるようになった。ここが私は人間の文化で一番重要なところだと思うんですね。そこから宗教や哲学、文学も生まれるし、国家、人間の共同体が生まれる。人間が自分の個体がすべてではないんだという意識をもつからです」(佐藤優『国家と神とマルクス』46頁)。権力者たちは「神の名」や「民族のため」を持ち出して民衆の命を捧げさせる。
ここまで明瞭に述べられると、9.11事件や神風特攻隊のことなど、いろいろな出来事を思い起こす。特に私たちキリスト者にとっては、イエスの生き方、とくに十字架に向かうイエスの「わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」(8:34)という言葉を思い起こす。明らかにこの言葉と今日取り上げている言葉とは矛盾対立する。この矛盾対立をどう解決するのか。
5.百田尚樹著『永遠の0』について
この問題について考えている時に、昨年読んだ一冊の小説を思い出した。それは百田尚樹という放送作家が書いた『永遠の0』という小説である。ここでいう「ゼロ」とは太平洋戦争中、日本が世界に誇る名戦闘機として名を轟かせた海軍零式戦闘機、つまり「ゼロ戦」のことである。小説の筋はこのゼロ戦を巡って太平洋戦争の実態を戦争の現場のを視点にして描かれている。これ程までリアルな戦争物語を私たちは今まで手にしたことがない。その意味では、全ての日本人に読んでもらいたい作品である。この作品が提起しているいろいろな問題を取り上げる訳にはいかないが、ただ一点、人が国家のために命を捨てるとはどういうことなのか、ということに問題を絞って考える。
ここに登場する主人公は自ら志願して海軍航空隊に入隊した、いわば職業軍人宮部久蔵である。彼については「奴は海軍航空隊一の臆病者だった。宮部久蔵は何よりも命を惜しむ男だった」(30頁)。そのことがこの小説を貫くもっとも大きなメッセージである。彼は繰り返し「生きて帰る」「生きて妻や娘のところに帰る」という言葉を繰り返す。ある戦友は次のような言葉を残している。「宮部は、生きるか死ぬかの戦いのただ中にあって、家族のことを何より考える男だった」(466)。そのために彼は必死で操縦技術を磨き、肉体を鍛える。彼の生まれながらの才能もあったのであろうが、この努力の結果彼の航空技術は抜群となる。
この彼の生き方は太平洋戦争の末期、昭和19年10月に「特攻作戦」が採用され窮地に追い込められる。特攻作戦とはいわゆる敵艦への体当たり作戦である。敵戦闘機との空中戦をくぐり抜け、戦艦や空母からの対空砲撃を避けながら敵の船に体当たりする。しかし実際には敵艦に体当たりできたのはごく一部でほとんどはそこに至る前に撃墜されたという。特攻は今までの作戦とは根本的に違っていた。今までの作戦は全て「成功したら」戻って来ることができた。たとえそれが100機のうち1機でもその可能性はあった。しかし特攻の場合は「十死零生」といわれていた。それで宮部は特攻作戦が発表されたとき(昭和19年10月)、「もうそれは作戦ではない」という。国家をあげての「狂乱」であろう。しかし、そのために純真な青年たちが犠牲にされた。昭和18年の第1回学徒出陣で10万人の学徒兵が生まれたとされる(384頁)。その多くは促成の特攻用パイロットとして作られ、そのほとんどは散華した。
彼らの教官になったのが宮部であった。彼は学生たちを前にして次のように語る。
「わたしにとって操縦訓練は、生き残るための訓練でした。しかし、皆さんは違います。ただ死ぬためだけに訓練させられているのです。しかも上手くなったものから順々に行かされる。それなら、ずっと下手なままがいい」(438頁)。そのように語る彼のことについて学生たちは彼のことを回顧して「私は宮部さんの臆病なところは嫌いでしたが、人間としては好きでした」と告白している。
その宮部自身、最後に敵艦に体当たりして死ぬ。なぜ彼は死んだのか。このことについてこの書の帯に次のように書かれている。
「娘に会うまでは死ねない、妻との約束を守るために」。そう言い続けた男は、なぜ自ら零戦に乗り命を落としたのか。終戦から60年目の夏、健太郎は死んだ祖父の生涯を調べていた。天才だが臆病者。想像と違う人物像に戸惑いつつも、一つの謎が浮かんでくる。記憶の断片が揃うとき、明らかになる真実とは。」(紙表紙)
児玉清氏は絶賛して、次のように語る。「僕は号泣するのを懸命に歯を喰いしばってこらえたが、ダメだった。」
先日、テレビで作者の百田さんが登場し、出版後の反響について次のように語っていた。
(1)宮部さんのような人は結構いた。
(2)本音が出るときには、みんな帰国したがっていた。最終的に彼らが「格好のいい遺書を書いたのは親を悲しませたくないという思い。そのことについて本文の中でも述べられている。武田貴則(元外軍中尉、経済界の大物)が新聞記者に次のようにいう。
「遺族に書く手紙に『死にたくない! 辛い! 悲しい!』とでも書くのか。それを読んだ両親がどれ程悲しむかわかるか。大事に育てた息子が、そんな苦しい思いをして死んでいったと知った時の悲しみはいかばかりか。死に臨んで、せめて両親には、澄みきった心で死んでいった息子の姿を見せたいという思いがわからんのか!」と武田は怒鳴った(421頁)。
6.殉教、殉死を賛美すること
さてやはり殉教や殉死を賛美することには問題がある。特攻によって死んだ人たちに「散華(花が散る)」という美しい言葉で飾り、その名誉を讃えうるが、やはり可能性がある限り死ぬよりは生きる道を選んで欲しかった。もっと生き延びるということに拘って欲しかった。歴史に「もし、たら」は禁物であるといわれているが、もし彼らが敗戦を乗り越えて生き延びていたら日本の歴史はもっと違ったものになっていたかも知れない。それよりも彼らの家族や彼らの仲間の人生はもっと違ったものになったのは確実である。私は彼らの命を奪ったものは殉教は殉死を美しく賛美した国家権力やマスコミであり、それによって踊らされた人々である。
それはまさにイエスの場合と同様である。
しかしイエスにとっては「自分の命」の問題以前に、人間の命を軽視する風潮が問題であった。宗教も国家も、自分の命を捧げることを要求している。
結論から言うと、そういう社会の真ん中でイエスは「人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか」と宣言する。その意味ではこの宣言は反社会的であり、反権力である。
7.自分の命
イエスの「あの死」は決してイエス自身が望んだ死ではなかった。できるなら「避けたい死」であった。イエスにはするべきことが沢山あった。しかし、それが許されなかった。権力者たちは総力を挙げてイエスを死に追い込んだ。最後の段階でイエスは弟子たちの「生き残り」にかけて自らの使命を弟子たちの手にゆだねた。イエスにとって弟子たちの人生は「自分の命」よりも重要であった。
それがイエスの十字架の真相であろう。彼らはその時のことを次のように語る。イエスは、わたしたちのために、命を捨ててくださいました。そのことによって、わたしたちは愛を知りました。だから、わたしたちも兄弟のために命を捨てるべきです。 (1ヨハネ3:16)