落ち穂拾い<キリスト教の説教と講釈>

刈り入れをする人たちの後について麦束の間で落ち穂を拾い集めさせてください。(ルツ記2章7節)

<講釈>「主は分け隔てなく 詩96」

2011-10-10 18:18:55 | 講釈
SS11T24Ps096(L)
2011.10.16
聖霊降臨後第18主日(特定24)<講釈>「主は分け隔てなく 詩96」

1.詩96について
フランシスコ会訳聖書ではこの詩96を次にように解説している。「主の王権をたたえる本詩は、93編と97-99編とに密接な関係を持つ。これらの詩の特徴は、主を創造主、イスラエルの主とみなすだけでなく、すべての民の主ともみなし、統治者としての主の来臨を考察している点である」(13節)。つまり、この詩の視野は「世界」であり「宇宙」である。
メイズはキリスト者は伝統的にこの詩96をクリスマス・イブとクリスマスの日に用いていてきた」という。日本聖公会においては詩96、詩97、詩98を降誕日の聖餐式によまれることになっている。この詩の言葉遣いや歴史的背景を考えると、おそらく捕囚期後の神殿での礼拝において用いられてきたのであろうと推測されている。

2.詩96の構造と語句
詩編における「賛歌」の基本的形式は、賛美への呼びかけ+賛美の理由(あるいは内容)である。詩96はこの賛歌の基本形式が2回繰り返されている。
第1部 諸国の神々と主の統治とを対比
1-3節 賛美への呼びかけ
4-6節 賛美の理由
第2部 世界に対する主の統治
7-9節 賛美への呼びかけ
10節  世界に対する告知 
11-13節 賛美の内容

3.詩96と歴代誌上16章
専門的な見地から見ると詩96には「古い詩編やイザヤ書40-66からの引用が多い」(関根正雄)とされる。
7節は詩29:1-2、9節は同じ詩編の2節後半、10節については詩93:1、11節についてはイザヤ44:23、49:13を12節についてはイザヤ44:23、55:12、13節についてはイザヤ40:10、59:19、20、60:1、62:11。つまり詩96は一人の詩人によって書かれたというよりも共同体の合作という色彩が強い。言い換えると「民族の歌」という感じであろう。
もう一つ、この詩について重要なことは、ほとんどそのままで歴代誌上16:23-34に引用されていることである。歴代誌のこの部分は、サウルの時代におろそかにされ(歴代上13:3)、敵の手に奪われていた神の箱を再び迎え入れる式典で歌われる詩である。サムエル記下6章及び歴代誌上15章に、その時のダビデ王の興奮がかなり詳細に描かれている。ダビデ王は即位するとすぐにエルサレムを首都と定め、そこに神の箱を納める特別な天幕を造営し、そこに神の箱を設置する準備を進めた。そのことにより、エルサレムを文字通り政治(行政及び軍事)と宗教の中心とし、12部族を統一する精神的拠点とした。町中の人々が様々な楽器を鳴らす中、厳かに神の箱は迎え入れられた。
歴代誌上16:7によると「ダビデはその日その時、初めてアサフとその兄弟たちに、主に感謝をささげる務めを託した」という。つまり新しい祭司制度が制定されたのであろう。その時歌われた賛美が8節から36節まで記録されている。かなり長い詩である。この長い詩のほぼ中央部に詩96が組み入れられている。なお、その前後も詩編(詩105:1-15と詩106:1,47-48)と重なっている。
つまり、この詩は神の箱を迎えたときの民族的高揚の詩であると共に、世界に対する国家再出発の宣言を示すものであった。
「主はすべての王、大地の基は固められ、世界は固く立って揺るがない、主は分け隔てなく民を審かれる」。言い換えると、「わたしたちの主は、世界の王として君臨し、諸民族(天下)を統一し、平和を実現するのだ」ということを周辺諸民族に対して宣言するものである。その意味ではこの詩は世界に目を向けてはいるものの非常に民族主義的な色彩が強い。あくまでも世界はエルサレム(神殿)を中心として平和が実現するのだと確信されている。
私見ではあるが、この詩を読みながら、太平洋戦争の時の日本の「大東亜共栄圏」思想や「八紘一宇」のスローガンに似た政治的プロパガンダを思い起こす。あの時代に書かれた西田幾多郎の「日本文化の問題」に代表される京都学派の思想や松村克己の『イスラエル宗教の伝統とその生成並びに発展の過程』で論じられている「神の国論」と共通する雰囲気がある。この点については、説教の準備の範囲を逸脱するのでこれ以上論じない。ただ、参考資料として当時の日本の高揚した民族主義を表現した歌を紹介しておこう。
蛇足ながら、この歌を紹介するのはここで高く賞賛されている民族主義(=帝国主義)に対する批判的な立場からである。従って詩96の思想には批判的な立場に立つ。それを批判的に克服したのがキリスト教の「神は分け隔てしない」という視点である。

愛国行進曲
作詞:森川 幸雄  作曲:瀬戸口 藤吉
1.見よ東海の空あけて、旭日高く輝けば、天地の正気溌剌と希望は躍る大八洲(おおやしま)、
 おお晴朗の朝雲に、聳ゆる富士の姿こそ、金甌(きんおう)無欠揺るぎなき、わが日本の誇りなれ。
2.起て一系の大君を光と永久に戴きて、臣民われら皆共に御稜威に副わん大使命、
 往け八紘を宇(いえ)となし、四海の人を導きて、正しき平和うち建てん、理想は花と咲き薫る。
3.いま幾度かわが上に試練の嵐哮(たけ)るとも、断固と守れその正義、進まん道は一つのみ、
 ああ悠遠の神代より轟く歩調うけつぎて 大行進の行く彼方、皇国つねに栄えあれ。
(昭和13年発表)
※作詞、作曲共に公募され、総数5700詩、9500曲の中から選ばれた。作詞は鳥取県の23歳の青年、曲は70歳の瀬戸口籐吉のものである。瀬戸口は「軍艦行進曲」の作曲者でもあった。
「愛国行進曲」は昭和12年(1937年)8月に閣議決定された国民精神総動員の方針のもと、「国民が永遠に愛唱すべき国民歌」として同年に組織された内閣情報部によって歌詞が公募された。その際の選考基準は、(1)「美しき明るく勇ましき行進曲風のもの。(2)内容は日本の真の姿を讃え、帝国永遠の生命と理想とを象徴し、国民精神作興に資するに足るもの」などとされている。昭和11年生まれの私などは、この歌にどっぷり浸かって少年時代を過ごした。

4.世界の王としての主
詩96の重要なメッセージは、世界に対して10節の言葉を宣言することである。
<わたしたちの主は、世界の王として君臨し、諸民族(天下)を統一し、平和を実現するのだ。>
この詩は、ことを周辺諸民族に対して宣言するものである。
紀元前4~5百年頃、中近東の狭い場所、エルサレムで大きいことを宣言したものである。しかし当時のユダヤ人たちは本気でそう思い、そう信じ、そう宣言した。それがこの詩の意味であり、背景である。しかし、それを日本人は笑えない。織田信長とか豊臣秀吉とか徳川家康が血なまぐさい戦争を繰り返していたとき、彼らは「天下統一」とか「平和な世の中」を確立すると言っていたのであり、あまり違いはない。従って、詩96がいう「世界」が現在私たちが考えている「世界」なのか、精々彼らの生活圏のことなのか、あるいは12部族内の事柄なのか明確ではない。しかし当時既に彼らはエジプトやアッシリアやバビロンという強大帝国を知っていたのであるから、おそらく彼らが「世界」といったときにはその程度のことは頭に置いていたかもしれない。
そのような冷めた歴史感覚で旧約聖書や特に詩編を読むとき、おかしさを覚える。しかし、そういう冷めた歴史感覚を一旦カッコに入れて、この宣言文について考えてみよう。
<主はすべての王、大地の基は固められ、世界は固く立って揺るがない、主は分け隔てなく民を審かれる。>
これを新共同訳では次のように翻訳している。
<主こそ王と。世界は固く据えられ、決して揺らぐことがない。主は諸国の民を公平に裁かれる。>
前半の言葉は当時の人々の感覚なので、少し注釈が必要であろう。日本語的にいうならば「王に逆らう敵は滅ぼされ、王権は確立し、天下は統一された」ということであろう。日本史に当てはめるならば、天皇から「征夷大将軍の認証」を得たということであろうか。重要なことは後半の「主は分け隔てなく民を審かれる」ということであろう。新共同訳では「主は諸国の民を公平に裁かれる」。問題はここでの「民」という言葉の内容である。祈祷書の訳では「民」とは個人としての国民を意味するように思われる。それに対して新共同訳では「諸国の民」で、厳密には「諸民族」を意味している。つまりヤハウェは世界の王として諸民族に対して公平に統治するという意味であろう。この宣言の最大のポイントはここにある。ヤハウェが王として君臨するということは、ヤハウェの前では諸民族が全て公平に扱われる。そこには分け隔てがないという。問題はそうであろうか。ヤハウェはイスラエルの神である。イスラエルの神がエルサレムに着座して王権を確立するというときに、イスラエルの民はどのような立場になるのであろうか。もちろん他民族とは立場が異なる。出エジプト19:5-6にこういう言葉がある。
<今、もしわたしの声に聞き従い、わたしの契約を守るならば、あなたたちはすべての民の間にあって、わたしの宝となる。世界はすべてわたしのものである。あなたたちは、わたしにとって、祭司の王国、聖なる国民となる。>
イスラエルの民はこのヤハウェとの約束が成就すると考えていた。つまりヤハウェが王として「分け隔てなく審く」という諸民族にはイスラエルは含まれていない。イスラエルはヤハウェの王国では別格である。これが本当の意味での民族主義である。民族主義とはただその民族が優秀だとか、平和だということではなく国際関係において別格だということによって成立する。つまりイスラエルはヤハウェと共に審く側にいる。この点が克服されないかぎり「神は分け隔てしない」ということは成り立たない。

5.「神は分け隔てしない」
さて、一挙に結論に至るが、「神は分け隔てしない」ということの本当の意味を理解したのはキリスト教会においてである。それまでは「世界の主」という表現には常に民族主義的色彩が強かった。それを初めて打ち破ったのがキリスト教である。その時の出来事が使徒言行録10章に記録されている。かなり長いので概略を紹介しておく。

<カイサリアにコルネリウスという人がいた。彼はローマ軍の百人隊長で、信仰心あつく、一家そろって神を畏れ、慈善に熱心で、ユダヤ人社会でも評判は良かった。
ある日の午後の祈り時に、すぐにヤッファという町に使いを出してペトロと呼ばれる人を招きなさいという幻を見る。彼は早速、側近の部下と召使い2人とをヤッファに送った。
その翌日の昼ごろ、ペトロは昼ごろ空腹を覚え、昼食の準備中にやはり幻を見る。天から四隅をつるした大きな布が下りて来た。その中には、あらゆる獣、地を這うもの、空の鳥が入っていた。そして、「ペトロよ、これを全部料理して食べなさい」と言う声が聞こえた。その時、ペトロは「主よ、とんでもないことです。清くない物、汚れた物は何一つ食べたことがありません」と答える。また声が聞こえてきた。「神が清めた物を、清くないなどと、あなたは言ってはならない」。こういうことが3度繰り返された。
ペトロが、今見た幻はいったい何だろうかと、ひとりで思案に暮れているとちょうどその時にコルネリウスの使いがシモンの家に到着し、「ペトロ先生をお迎えに参りました」言う。ペトロは彼らの話しを聞いた上で、彼らに連れられて、コルネリウスの家に向かった。
その翌日、コルネリウスの家では親類や親しい友人を呼び集めて、ペトロの到着を待っていた。コルネリウスに丁重に迎えられ、二人はお互いに見た幻を話し合う。
そしてペトロは厳かに彼らに話す。「あなたがたもご存じのとおり、ユダヤ人が外国人と交際したり、外国人を訪問したりすることは、律法で禁じられています。けれども、神はわたしに、どんな人をも清くない者とか、汚れている者とか言ってはならないと、お示しになりました。それで、お招きを受けたとき、すぐ来たのです。私は今、神は人を分け隔てなさらないことが、よく分かりました」。
それからペトロはコルネリウスと家族の者たちにキリスト信仰について語ります。その話をしている最中に、彼らの上に聖霊が下り、その上で、彼らは洗礼を受ける。

6. 結び
この時、ペトロが語った「神は人を分け隔てなさらない」という言葉がキリスト教会での共通理解となり、いろい入ろなところで用いられている。先ず、マルコ福音書では、イエスの弟子以外の人々がイエスについて、「先生、わたしたちは、あなたが真実な方で、だれをもはばからない方であることを知っています。人々を分け隔てせず、真理に基づいて神の道を教えておられるからです」(12:14)。この言葉はマタイも同じように引用している(22:16)。パウロも、ロマ2:11、ガラテヤ2:6でこの言葉を使っているし、パウロの弟子たちも同じように言う(エフェソ6:9,コロサイ3:25)。パウロとは対立的な立場に立つヤコブ書では倫理化され「人を分け隔てしてはいけない」という言葉が繰り返されている(2:1、2:9)。
この「神は分け隔てしない」(使徒言行録10:34)の「分け隔てしない」という単語について田川建三は『使徒行伝』において、「顔により片寄り見る」と訳し、このギリシャ語はパウロの造語であり、この語を神が民族によって差別しないという意味に用いた最初の人物はパウロであるという(271頁)。最初に使ったのがパウロかペトロかということよりもこの単語がキリスト教会において発明され、使われたということは重要である。

つまり、人を分け隔てしないということは、先ず「神が人を分け隔てしない」というキリスト教会での大発見に基づき、さらに「従って私たちも人を分け隔てしてはならない」というキリスト者の倫理となっている。それこそが当時に世界においては、キリスト教がユダヤ教、あるいは別のあらゆる宗教や文化と異なる基本的な姿勢である。

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