落ち穂拾い<キリスト教の説教と講釈>

刈り入れをする人たちの後について麦束の間で落ち穂を拾い集めさせてください。(ルツ記2章7節)

<講釈>許しと赦し

2006-10-05 21:18:51 | 講釈
2006年 聖霊降臨後第18主日(特定22) (2006.10.8)
<講釈>許しと赦し   マルコ10:2-9

1. ファリサイ派について
本論に入る前に、まずファリサイ派についてまとめておく。ファリサイ派について、成立の歴史や名称等について、全体的に論じることは簡単ではない。「イエスとパリサイ派」(教文館)の著者ボウカーは、「現在のところほとんど不可能である」という。その理由として、あまりにも証言が少なすぎること、それとその逆に第2の理由として、あまりにも多すぎること、というように述べている。従って、ここでは福音書に現れている限りでの時代背景としてのファリサイ派に限定しておく。
紀元前後10数年間に活躍したファイリサイ派の指導者として、ラビ・ヒレルとラビ・シャンマイという2人の人物が注目される。彼らは、おそらく同年代であったと思われるが、律法の解釈についてはかなりハッキリと対立的であった。特に、異邦人改宗者について、こういう記録がある。「シャンマイは短気で、わたしたち(ユダヤ教への改宗者)を認めようとしないが、ヒレルはわたしたちを優しく神の翼の下にいざなう」(バビロニア・タルムード、シャバット31a,教文館版聖書大事典 575頁)。つまり、シャンマイは民族的伝統を重んじ、外国人に対してかなり差別的である。それに対して、ラビ・ヒレルはリベラルで外国人に対してもかなり寛容であったようである。従って、ローマ帝国に対しても決して敵対的ではなかった。従って、70年にローマによってエルサレムが徹底的に壊滅されたときにもヒレル派は生き残ることができた。わたしたちが普通ファリサイ派という場合に、そのほとんどはヒレル派のイメージである。シャンマイ派はエルサレムの陥落と共に歴史から消え、それは熱心党というもっと過激なセクトへとつながっていった、と思われる。
シャンマイ派とヒレル派とは、律法のほとんどすべての箇条について激しく論争し、その主張は彼らの後継者によって継承された。イエスの時代においては、主に、シャンマイ派とヒレル派がお互いに激しく対立論争を続けていた。彼らの対立はついに武力闘争にまで発展した。それがいわゆる「18のハラコート(教え)の事件」と呼ばれるものである。この論争はユダヤ人が異邦社会において生活する上での生活習慣に関する論争で、12の食物規定(異邦人のパン、チーズ、ぶどう酒、酢、オリーブ油など)とその他の6箇条(異邦人の言語等)の禁止項目をめぐっての論争であった。勢力的にはヒレル派が優勢であったが、シャンマイ派は議場を「剣と槍」とをもって支配してヒレル派を排除して、自分たちの主張を通してしまった。その結果、ファリサイ派としての公式見解はかなり厳格な規定となってしまった。
シャンマイ派の律法解釈の基本的な姿勢は、律法は細部を厳格に遵守することによって全体が守られるというものであった。その意味では、どちらかというと新約聖書の中ではヤコブなどがこの立場に立っている(ヤコブ書2:10)。
それに対して、ヒレル派は律法の中心的な主張は「おのれの如く汝の隣り人を愛すべし。これこそ律法中で最も重要で、かつ包括的な基本の戒めであり、その他のものはすべてその解釈にすぎない」とし、細則よりは中心的な意味を問うものであった。マルコ福音書12章28節に登場し、「あらゆる掟のうちで、どれが第1でしょうか」と質問した律法学者はヒレル派の人物であったと思われる。彼は、従って、当然細部の規定に関してはリベラルな解釈をした。イエスの先生であったという伝説もあるが、それを証明する何の根拠もない。
両派の対立が最も鮮明になる議論が、本日取り上げられている離縁問題である。
2. 申命記の言葉の検討
まず始めに、ここで問題になっているモーセが語ったという旧約聖書のテキストを検討しておく。申命記第24章1節の言葉である。「人が妻をめとり、その夫となってから、妻に何か恥ずべきことを見いだし、気に入らなくなったときは、離縁状を書いて彼女の手に渡し、家を去らせる」。このテキストめぐって、シャンマイ派とヒレル派との間でかなり激しい論争がなされた(ボウカー「イエスとパリサイ派」教文館、74頁)。律法をできるだけ狭くそして厳格に解釈しようとする傾向の強いシャンマイ派は「何か恥ずべきこと」という曖昧な言葉を「性的不貞」という意味に解釈する。夫が妻を離縁することが許されているのは妻に性的不貞があったことが明らかになった場合に限定される。もちろん、その場合でも姦淫そのものについては石打の刑ということに決まっていたので、姦淫に近い性的不貞を意味したであろうし、あるいは姦淫というような場合でも夫が認めれば離縁という手続きが有効であったものと思われる。イエスの誕生をめぐって、ヨセフがマリアに対して取った態度などがそれである。
それに対して、ヒレル派では、この「何か恥ずべきこと」という言葉をできるだけ広く、緩やかに解釈する。この場合、法律用語を緩やかに拡大解釈するということは必ずしもすべての人に対する人間的な優しさを意味しない。拡大解釈ということで「何か恥ずべきこと」という言葉の中に何でも放り込むことができる。その結果、この規定は特定の人には非常に厳しいものとなる。たとえば、当時実際にあった実例として、「何か恥ずべきこと」とは「食べ物を焦げ付かせた女」を意味したり、時には「乱れた髪で外出をする女」を意味したり、破れた衣服の間から「腕が露わになっている女」に対する離縁の理由とされたりしたらしい。今日のアラブ社会における習慣を見ても、十分あり得たことだろうと思われる。日本社会でいうと「子なきは去れ」という習慣のようなものである。つまり、この拡大解釈は男にとってのものであり、女性には苛酷な規定となる。こういう規定が堂々と許されている社会的背景には女性の人権はまったく認められず、むしろ「財産的価値」で女性を計るというものである。その意味では、財産価値が下がった女は処分してもいい、という思想がある。この思想は、必ずしもヒレル派だけのものではなく、シャンマイ派も共有するものであったのだろう。
3. 離縁についてのイエスの考え
ここでは離縁という問題に対してイエスがどう考えているのかということが問題とされている。この問題に対する答えによって、律法というものに対するイエスのスタンスが明らかになる。従って、この問いはイエスに対する「試み」(2節)になる。マタイはこの問題に対してイエスに次のように答えさせている。「わたしは言っておく。不法な結婚でもないのに妻を離縁する者はだれでも、その女に姦通の罪を犯させることになる。離縁された女を妻にする者も、姦通の罪を犯すことになる」(マタイ5:32)つまり、この答えは「何か恥ずべきこと」を不当に拡大解釈することによって、「不法な結婚でもないのに妻を離縁すること」を批判している。これは明らかにヒレル派に対する批判である。マタイにおけるイエスのこの問題に対する答えはシャンマイ派を支持している。いろいろな点で、イエスはヒレル派に近いと思われている状況において、あえてマタイはイエスをシャンマイ派に近づけている。ここにマタイのイエス理解の一端が見える。
マルコにおいては、イエスはファリサイ派の質問にまともに答えていない。というより、わざと答えることを拒否している。むしろ、モーセが離縁についてこういう指導をしなければならなかった人間の不正な現実を指摘する。「あなたたちの心が頑固なので、このような掟をモーセは書いたのだ」(5節)。この言葉の中には、モーセがこういう規定を書かざるを得なかった状況と、それにその規定を前提とする人々に対する怒りが感じられる。
イエスにとって、男と女の自然の結びつきというもの、もしそれを「結婚」と称するならば、それは、神による創造の秩序に属する事柄で、人間が自由に操作することのできるものではない。「神は人を男と女にお造りになった」。この言葉には男と女とが、対等に向かい合い、共に生きる健康な関係が謳歌されている。その関係を神は祝福してくださる。「神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない」(9節)。理想的すぎるほど美しい関係が語られている。これが人間の本質、男と女との本来的な姿である。
しかし、人間の頑固さ(=罪)のゆえに、現実的には「離婚」させることが相互の救いになる場合も生じる。やむを得ない現実というべきか、それこそが頑なな人間の現実でもある。その現実を目の前にして、モーセは不本意ながらこの掟を定めた。ところが、それ以後の人間は、このモーセの掟をある種の既得権のようにして、この掟の上に新しい男と女との関係を作り上げ、性差別、女性を一種の財産とみなすような制度に変えてしまった。このイエスの発言にはこのような意味が込められている。マルコにおけるイエスはシャンマイ派にも、ヒレル派にも属さず、両者を独自の視点から批判している。(この部分は田川建三の「イエスという男」を参照した。297-299頁)
4. 日本聖公会における離婚問題
この結婚と離婚の問題については、日本聖公会でもかなり問題とされる。古い法規では離婚は認められていなかったが、現在の法規では正当な手続きによって認められるようになった。現実に聖職の中にも離婚経験者がおり、再婚経験者もいる。しかし、離婚ということがそのような法規や制度によってスッキリと解決できるような事柄ではなく、そこに至る過程においても、またその後の生き方においても様々な問題を含み、当事者たちにとっても苦しみと悩みを伴うものである。
結婚と離婚という問題は、実は人間の理想と現実との葛藤という問題である。人間の理想としては「離婚」はあり得ない。しかし、同時に人間の現実としては「離婚」以外の解決の方法がない場合がある。理想主義の立場に立てば、「離婚」は認められず、あり得ないこととされる。しかし、現実主義の立場に立つと、離婚を認めざるを得ない。
5. モーセの許可
さて、離婚という問題は現実には大多数の人にはほとんど無関係な問題のように思われるが、必ずしもそうとは限らない。むしろ、わたしたちはすべて離婚を認めざるを得ないような状況の中で生きている。つまり、人間は神による創造の秩序を貫徹できるほど完全ではない。常に失敗の繰り返しであり、悔い改めの連続である。そういう現実の中で生きている。
ここで注目しておかねばならないことは、「モーセは、離縁状を書いて離縁することを許しました」(4節)という場合の「許しました」という言葉である。つまり、「許可」である。モーセは離婚を許可した。確かに、許可されたのであるから、離婚しても罪にならない。これと同じようなことは現実に多くの場面で経験する。幼稚園で、先生たちはよく「園長先生がいいと言いました」と言う。確かに、わたしは「いい」と言った。しかし、「いい」と言うことにもいろいろ意味がある。これぐらいしか出来ないのか、仕方がないな、「まぁ、いいや」という「いい」もあれば、これはとても「良い考えだ」「いいぞ」という「いい」もある。理想的なことを考えると駄目なのだが、それが現実ならば仕方がないという意味もあれば、理想的であるという意味もある。
そこでイエスは問う。なぜ、モーセは離婚を許可したのか。「あなたたちの心が頑固なので」仕方なく許可したのである。わたしたちはその現実をしっかりと見なければならない。これは「あってはならない現実」である。しかし、わたしたちはそこで生きている。国と国との間の戦争も、家族間のいざこざも、わたしたちは「あってはならない現実」に取り囲まれている。
神は人を男と女とにお造りになった。これも現実である。いやこれこそが天地創造以来の人間の「あるべき現実」である。この現実の中で、人間は父と母とから生まれ、育ち、成人し、父と母とから独立し、それぞれ相手を見つけ、結ばれ、「二人が一体となる」。これこそが人間の最も根本的な現実であり、どの様な苦労があってもそれを貫徹すべき現実である。それに対して、離婚というような現実は、「あってはならない現実」であり、ないほうがいい現実である。しかし、現実にあることであり、離婚ということによってしか救われない現実でもある。その現実もまたわたしたちは受け入れなければならない。
「ゆるし」という言葉には二つの漢字がある。一つは「許可の許し」ともう一つ「赦免の赦し」である。これは罪に対する赦しである。人間の現実は罪の現実だという意味での罪である。わたしたちはすべての人間は赦されなければ生きていけない現実の中で生きている。この現実から無関係な人間は誰一人いない。わたしたちは生きることを許可されているのではない。赦されて生きている。

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