酒とギターとまさやんと

酒好き野郎の音楽やギターやわが師匠「まさやん」の話など
徒然します。

当分は・・・

2007-05-30 19:06:56 | 日々徒然
投稿いたしません・・・などと言っておきながらちょっとばかし書かせて頂きます。

いよいよ7年間使いつづけたPCとお別れのときがやってまいります。そうです。たった今、ネットオンラインで注文を完了しました。当時(7年前)確か9万円前後で購入した「IBM Aptiva」・・・。一度ハードディスクの一部が焼き付けを起こしハードディスクを交換した事がありますが、あとはこれといった故障もなく7年間働きつづけくれました。が、時代の流れは速いもので進化を続けるブロードバンド時代にはいくら故障がないとはいえ本家マイクロソフト社にまで見放された「Windows98」では到底ついていく事が出来ず・・・。で、ココにきての度重なる異常事態・・・。

そんなこんなでココ何日かいろいろとネットでPC関連のページや身の回りにいるPC通の方々に意見を頂いた結果購入する機種が決まり本日の注文に至りました。一応商売をやっているので「個人事業者向け」というものや5月いっぱいまでの「特別割引クーポン」などをフル活用して、最小限のソフトをいれて「8万円」程度で購入することができました。というわけで、あとは我が家に来るのを待つだけです。とはいっても今回購入したPCは入金確認後に製造を開始するので到着までに10日ぐらいかかるとのこと。こういった無駄のないシステムによって低価格のPCが購入できるというのは非常によい事ではないのでしょうか。

それにしても今回PC購入を決断してからというもの、「Aptiva」君の調子が非常に良いのは気のせいでしょうか?

好き嫌い、良し悪しはさておき、音楽好きとしてはやはりショッキングなわけで・・・
間違いなくJ-POPというカテゴリーを築き上げた一人なわけで・・・。
音楽性やマスメディアに対する姿勢を時代と共に変えていくミュージシャンが多い中、15年間、そのスタイルを貫き通したのもやっぱり素敵なわけで・・・。

   ZARD 坂井泉水さん・・・ご冥福をお祈りいたします・・合掌。

まったくもって・・・

2007-05-28 20:07:07 | 日々徒然
暑い日が続いたと思っておりしたら本日はなんだか肌寒い日です。皆さん風邪などひいておりませんか?ってなことを言っているワタクシですが明日「抜歯」でございます。そしてPCがいよいよ限界です。本日も何度となくシャットダウンと強制終了と立ち上げを繰り返しなんとか仕事を終え今ブログを投稿しているところです。ということで、いよいよ買い替えを決意いたしました。なので当分投稿ができそうもありません。次回はニューPCより投稿できる事を祈りつつ今までワタクシのくだらない文章にお付き合いいただいた感謝と皆様のご健勝を祈念致しまして中締めの言葉と代えさせていただきます。では、またお会いいたしましょう。

次回からはメインタイトル「酒とギターとまさやんと」に偽りのないようタイトルに見合ったブログを投稿していきたいと思っております(笑)

では、PCと共にワタクシ自身も「抜歯」を終え元気な姿で戻ってまいります。では。

希望と現実

2007-05-22 18:24:54 | 日々徒然
ワタクシの住む市には多くの外国人が住んでおります。とくに「ブラジル」人。なんと日本全国にいるブラジル人の約40%が私の住む市に住居を構えているそうです。その他の外国籍の方も非常に多く、海外から来た外国の人たち(スペイン語圏、ポルトガル語圏)の間では「どこに行っていいか分からない時はまず〇〇市に行け」と言われているほどです。

先日、日系ブラジル人の方がこんなことを言っておりました。「私たち日系ブラジル人は本国ブラジルでも日本でも差別や偏見をうける。だったら、治安がよく経済的にも安定している日本に住んだほうが”マシ”だ」と。

昨晩、晩酌をしながら映画「クラッシュ」を見ました。1年以上も前の映画ですが・・。率直な感想は「絶望感」と「これが現実なんだ」というものでした。結局のところ真の正義などは存在しないという事です。それでも「人間」は生きていかなければならないという事です。

「世界平和」「戦争反対」「暴力反対」「世界はひとつ」・・・。残念ながらいくら声高にこれらの事を叫び続けても人間の根底にある「自主防衛」という本能がありつづける限り「世界平和」も「世界はひとつ」も不可能は話しなわけで・・・。大変ネガティヴな発想ではありますが・・・。「クラッシュ」という映画はそのような「絶望的」な感情になってしまう映画です。救いなのは要所で「希望的」なものが散りばめられているところでしょうか。

ただ、素晴らしい映画である事は間違いありません。見ていない方は、300円だしてレンタルして見ましょう。

最後に一言・・・。

それでもやっぱり人間は「世界平和」も「戦争反対」も叫びつづけなければならないわけで・・・。それが偽善だろうがポーズだろうが本心であろうが・・・。

子を持つ親としては非常にいただけない発想であることは分かっておりますが・・・。

んーーーーん・・・残念。

いろいろと・・・。

2007-05-21 19:43:35 | 音楽
探し物というものはだいたい忘れた頃に見つかるものです。半分諦めていたものが思わぬところから出てきました。約10年前に放送されたものを録画したビデオテープ・・・。五木寛之氏の「生きるヒント」の発売を記念して深夜に放送された「生きる」というプログラム。忌野清志郎と仲井戸麗市が出演したこのプログラム。最近モチベーションを失いかけていた「アコギ魂」に火をつけていただきました。感謝感謝!!

本日、日本テレビ系で22時からYMOが出演するとのこと。どんなパフォーマンスを見せてくれるのでしょうか。楽しみ楽しみ!!

のん気にくだらない文章を綴っておりますがココ何日かPCの具合が非常に良くありません。「コツン!コツン!」という非常に不似合いな音と共に突然PCがシャットダウンしてしまいます。そのご強制終了をして、再度PCを立ち上げると通常どおり起動し始めます。マイクロソフト社からも見放された「ウインドウズ98」もそろそろ限界なのでしょうか?

音楽と言葉と現代社会

2007-05-18 20:27:09 | 音楽
何度もこのブログで書いておりますが午前中、車中でラジオを聞いております。もっぱらNHK-FM。で、木曜日の10時から大変面白い番組をやっております。題名は忘れましたが作詞家「阿久 悠」氏の作品を毎週テーマを決めて阿久氏本人とアナウンサーが作品について語らいながら進んでいく番組です。で、先日の番組内で阿久氏がこんな事を言っておりました。「最近の歌は言葉数が多すぎる。これは作者側も聞く側も教養と思考が不足しているからではないか?」と。ワタクシ、大きく頷きました。

で、写真を見てください。これ我が家のトイレで見つけました。なんと書いてあるか見づらいのですがこんな事が書かれております。あっ、これトイレットペーパーの芯です。「これをトイレに流さないで下さい」と・・・。

結局のところ、消費者(聴く側)もメーカー(音楽作者)もなんでもかんでも「説明(言葉の羅列)」をする事によってお互いが「責任」を回避しているんじゃないのかなぁと思うわけです。よって、人間として当然備えられていなければならない「こうするとどうなるか?これをしてしまう事によってこの後どうなるか?」ってなことを考える能力がどんどん欠落していくんじゃないのでしょうか。

都はるみの「北の宿から」という曲をご存知でしょうか?

   ♪ あなた、変わりはないですか?日ごと寒さが募ります

     着てはもらえぬセーターを寒さこらえて編んでます ♪

                     「北の宿から」

1番の歌詞を読んだ私はずっとこう解釈しておりました。「どうして別れた男の為に着てもらう事の出来ないできないセーターをわざわざ寒いなか編みつづけなければならないのでしょう?まったく持って女々しさの極みだなぁ」と。当時ワタクシと同じような解釈をしていた人が殆どでお笑いのネタになったり識者が「いくらなんでもオンナはここまで女々しくない」といった発言なんかもしていたと記憶しております。実際に阿久氏にも直接大物女性歌手からクレームがついたそうです。

で、先日の放送で阿久氏が歌詞の真相とでも申しましょうか本当の意味を語っておりました。「これは付き合っていた時に編み始めたセーターが編んでいる途中で男と別れを迎えてしまい編みかけになってしまったそのセーターを編み終わらなければ自分(オンナ)のなかで完結できない恋愛」をあの一行の中で描いたそうです。

最近の曲(すべてではございませんが)がどうも飽きやすく記憶に残りづらいのはこういったイマジネーションという作業を聴くときにあまり必要としなくなったからなのかなぁなんてなことを考えてしまいました。

そのうち原付オートバイを購入するとこんな注意書きが書かれているかもしれません。

    「シート下の荷物入れに幼児を入れないで下さい」と・・・。

想像力と思考の欠落・・・恐ろしい世の中です・・・はい・・・。

痛みって・・・。

2007-05-16 20:43:45 | 日々徒然
3日前のことです。っていきなり投稿を再開です。
で、3日前の事なのですが。ワタクシ仕事関係の空箱を手に数個持って店の倉庫へと向かっておりました。当然家の敷地内のでのことです。いつものように薄暗い通路を両手の塞がった状態で歩いておりましたら突然足元の感覚がなくなったと思ったら次の瞬間、激痛が私の足に走りました。なんと父親が何かを流し捨てようと「下水溝」の蓋を開けたままの状態でその場を離れてしまっていたのです。でそこへワタクシが落ちてしまったのです。深さ的には40cmぐらいなのですが当然足は傷だらけ。で夜になり始めたら左足の太ももが腫れ上がってまいりました。で、3日が過ぎたのですがどうも痛みが増しているような気がします。

ッてなにが言いたいかと申しますと、結局のところ「痛み」って言うのは他者には伝わらないんだと言う事です。外傷的な痛みの場合「流血」したり「骨折」して腕や足が明らかに違う方向を向いていれば少しは痛みの程度が他者に伝わるのですが「うちみ」なんかで生じる痛みっていうのは殆ど他者にはその痛みが伝わらないわけで・・・。今回の私の怪我もはっきり言って歩行もままならないほど痛いのですが「痛い、痛い」と言っていても結局のところ本人以外は「何がそんなに痛いの?」ってな感情しかおこらない訳でして。腹痛や頭痛なんかも結局のところまったく他人には分かってもらえないわけで。

で、そういったところから見てみると「精神的」に病んでしまうとどんなに頑張ってもその辛さと言うのが他者には分かってもらえないわけで。よく「人の痛みのわかる人間になれ」なんてことを軽軽しく口にする人がいますがそんなことはほぼ「不可能」なわけでもし分かったという人がいればそれは間違いなく「ポーズ」なわけで。なので精神的にやんでしまい「心が痛い」人って言うのはどうにかしてその「痛み」を他者に分かってもらおうとしてちょっと「変わった行動」や「おかしな言動」をしてしまうじゃないのかなぁなんてことを足の痛みをガマンしながら考えておりました。

で、昨日起こった「高校生による母親殺害」というニュースを見聞きすると「痛み」という事をもっともっと考えさせられるわけでして。事件性についてはこの上なく「残忍」なのですが「心の痛み」をどうにか「外」へ表現したいが為の究極の「行動」だったのではないのかと思うわけです。

GWに起こった「ジェットコースター脱輪死亡事故」で亡くなられた女性被害者やそのご家族は本当にお気の毒でなりません。他の同乗者の方も当然の如く「被害者」なのですが他にも多くの方がいろいろな意味で「被害」を受けているのだとこの日記を読んで改めて考えさせられました。こちらは何度となくワタクシのブログに「コメント」を寄せてくれている「かおり」さんの日記です。この事故で多くの方が他者には決して理解してもらう事が出来ない「痛み」を抱えてしまったのです。

人は大なり小なり「痛み」と共に生きているのです。だから「人恋しく」なり「楽しさ」や「幸せ」をいつまでも求めるのではないのでしょうか。で「人」と接したり「楽しさ」で「痛み」を誤魔化しながら生きているんじゃないのでしょうか。酒を飲んだり、いい音楽に触れたり・・・。

ゴメンナサイ・・・結局結論付けられないまま今回のブログは終了いたします。

最後に。勝手に日記をリンクしてしまいました・・「かおり」さん、お許しを・・。

こんにちは

2007-05-14 21:30:46 | 日々徒然
何度もこのタイトルでMyブログを再開しようとPCの前に座るのですが・・・

落ち着いてギターを持つ事も出来ず、GoodMusicを聴く余裕も無く・・・。

刺激の少ない毎日を送っていると「人に何かを伝えよう」という感情がまったくもって沸き起こってこないわけで・・・。

というわけでココへ訪問してくださる数少ない方へ・・・。

もうしばらくお待ちください・・・。

多分ワタクシ「5月病」デス・・・。

梅雨のうっとうしい季節に再開したいと思っております。

とは言いつつ「あした」からくだらない文章を投稿し始めるかも???