酒とギターとまさやんと

酒好き野郎の音楽やギターやわが師匠「まさやん」の話など
徒然します。

痛みって・・・。

2007-05-16 20:43:45 | 日々徒然
3日前のことです。っていきなり投稿を再開です。
で、3日前の事なのですが。ワタクシ仕事関係の空箱を手に数個持って店の倉庫へと向かっておりました。当然家の敷地内のでのことです。いつものように薄暗い通路を両手の塞がった状態で歩いておりましたら突然足元の感覚がなくなったと思ったら次の瞬間、激痛が私の足に走りました。なんと父親が何かを流し捨てようと「下水溝」の蓋を開けたままの状態でその場を離れてしまっていたのです。でそこへワタクシが落ちてしまったのです。深さ的には40cmぐらいなのですが当然足は傷だらけ。で夜になり始めたら左足の太ももが腫れ上がってまいりました。で、3日が過ぎたのですがどうも痛みが増しているような気がします。

ッてなにが言いたいかと申しますと、結局のところ「痛み」って言うのは他者には伝わらないんだと言う事です。外傷的な痛みの場合「流血」したり「骨折」して腕や足が明らかに違う方向を向いていれば少しは痛みの程度が他者に伝わるのですが「うちみ」なんかで生じる痛みっていうのは殆ど他者にはその痛みが伝わらないわけで・・・。今回の私の怪我もはっきり言って歩行もままならないほど痛いのですが「痛い、痛い」と言っていても結局のところ本人以外は「何がそんなに痛いの?」ってな感情しかおこらない訳でして。腹痛や頭痛なんかも結局のところまったく他人には分かってもらえないわけで。

で、そういったところから見てみると「精神的」に病んでしまうとどんなに頑張ってもその辛さと言うのが他者には分かってもらえないわけで。よく「人の痛みのわかる人間になれ」なんてことを軽軽しく口にする人がいますがそんなことはほぼ「不可能」なわけでもし分かったという人がいればそれは間違いなく「ポーズ」なわけで。なので精神的にやんでしまい「心が痛い」人って言うのはどうにかしてその「痛み」を他者に分かってもらおうとしてちょっと「変わった行動」や「おかしな言動」をしてしまうじゃないのかなぁなんてことを足の痛みをガマンしながら考えておりました。

で、昨日起こった「高校生による母親殺害」というニュースを見聞きすると「痛み」という事をもっともっと考えさせられるわけでして。事件性についてはこの上なく「残忍」なのですが「心の痛み」をどうにか「外」へ表現したいが為の究極の「行動」だったのではないのかと思うわけです。

GWに起こった「ジェットコースター脱輪死亡事故」で亡くなられた女性被害者やそのご家族は本当にお気の毒でなりません。他の同乗者の方も当然の如く「被害者」なのですが他にも多くの方がいろいろな意味で「被害」を受けているのだとこの日記を読んで改めて考えさせられました。こちらは何度となくワタクシのブログに「コメント」を寄せてくれている「かおり」さんの日記です。この事故で多くの方が他者には決して理解してもらう事が出来ない「痛み」を抱えてしまったのです。

人は大なり小なり「痛み」と共に生きているのです。だから「人恋しく」なり「楽しさ」や「幸せ」をいつまでも求めるのではないのでしょうか。で「人」と接したり「楽しさ」で「痛み」を誤魔化しながら生きているんじゃないのでしょうか。酒を飲んだり、いい音楽に触れたり・・・。

ゴメンナサイ・・・結局結論付けられないまま今回のブログは終了いたします。

最後に。勝手に日記をリンクしてしまいました・・「かおり」さん、お許しを・・。