酒とギターとまさやんと

酒好き野郎の音楽やギターやわが師匠「まさやん」の話など
徒然します。

とりあえず・・・ワタクシは最後まで。

2008-07-28 20:59:41 | 酒、食・・・。
今朝、ワタクシの母親が朝市で野菜を買ったついでに「かぶとむし」を購入してきました。しかもオスだけ・・・。幼稚園生の孫が喜ぶだろうと思っての行動だろうが結局世話をするのはワタクシ・・・。というわけでこの話題にちなんでチョット「ペット」についてワタクシの持論を書こうと思ったのですが、下記のニュースが目に入ってしまったので「ペット論」はまた後日ということで・・・。

     「ビールを飲めない若者急増中

これってどうなんでしょう??たぶんほとんどのビール通の人たちが生まれて初めてビールを口にしたとき「マズイ」と思ったはずです。ワタクシもそうでした。がしかし今では「くぁーーー!!ウマイ!!」に変わっているのです。

以前、医療関係の方に聞いた話。「子供が野菜、特にピーマンやニンジンを好んで食べないのは当たり前のことです。味覚の成長が苦みやエグミを拒絶している段階だからです。」

この話から考えると「アルコールは摂取できるけれどビールは飲めない」という若者は味覚の成長が大人レベルに達していないんじゃないのかなぁなんて思うわけです。別にどおってことない話なんですけど「カルアミルクに刺身」はやっぱり変です。「バカヤロウ、ビールぐらい飲め!!」っていう先輩やそれに嫌々ながらも「ハイ!いただきます」って答える若者がいなくなってきている証拠ですね。少しぐらいの強制は「文化の継承」には必要だと思うのですが・・・「食」も立派の文化ですから。

冒頭にかぶとむしの話題に触れたので一曲・・・。

      「カブトムシ・・・秦基博

ヴォーカルとしてはかなりのクオリティーですね。ちゃんとコナシテおります。ただアルバム聴いてもどの楽曲もこなし切れていない感じがします。

もしかしたらここ数年の「カヴァー」ブームもここからきているような気がします。オリジナルにこだわり過ぎているような・・・。勇気を出して自分のヴォーカルを生かし切ってもらえるような楽曲をプロフェッショナルにお願いできないのでしょうかねぇ・・。CDが消費されない時代じゃそれも無理か・・・。「ビール」にしても「音楽」にしてもなんだかさびしい時代です。以前にも書きましたが「沢田研二」が輝いていた時代が懐かしい・・・。


皆さん・・・

2008-07-19 19:40:45 | 山崎まさよし、ギター
先程、山崎氏TV出演しておりました。今度は赤のストラトです。最近の山崎氏の情報があまり目に入れていないので詳しくはわかりませんがLIVEイヴェントなんかではこのギターなのでしょうか。「深海魚」いい曲ですね。そして「人生に欠かせないもの」・・・やっぱり「酒」ですね。

ワタクシがお邪魔している「ブログ」の数々・・・。すべてが一か月以上更新されておりません。もう皆さん飽きてきちゃったんでしょうね。ワタクシもそうですが・・・。

今晩は、「監査法人」の最終回です。初回に想像していたドロドロ感は終盤になって影をひそめてしまいましたがなんとか最終回まで楽しませてもらいました。

ワタクシが現在仕事で使っている手帳に「は・せ・が・わ・き・よ・し」の走り書きが・・・。以前ラジオで流れてきた彼の音楽に衝撃を受けてメモっておいたものですが・・・。確か曲紹介の後、突然前奏がながれて曲が始まったのですが曲中は「演奏も歌も上手だなぁ」なんて感想を持ちながら聴き入っていたのです。で、終盤に入り曲が終わるとなんとお客さんの「拍手」が流れてきたのです。そう、てっきりスタジオ録音だと信じて聴いていた音源がLIVE音源だったのです。DJをやっていた「つのだ★ひろ」氏も「えぇーーー!!これLiveだったんですねぇ」と驚きの声を上げておりました。それほどまでに完璧な演奏と歌だったのです。

というわけで最近のワタクシのお気に入りです。

    「別れのサンバ・・・長谷川きよし

このコメント欄にも書いてありますがラストは衝撃の一言です。しかも彼が19歳の時に書いた曲とは!!まさに必聴の一曲です。

40年近く前から日本にもスティービーや今でいうところのラウルミトンが存在したのですね。

食べごろです・・・枯れるとは・・・。

2008-07-14 20:16:15 | 日々徒然
初期の4枚目ぐらいまでのネガティブな歌詞をポップな曲調で歌い上げる、そんなスガシカオを好きなのはワタクシだけではないと思います。「木曜日、見舞いに行く」という曲があります。死に向かっている身内の事を歌っている曲ですが曲調は裏打ちビシバシのレゲエ調。センスってこういうことなんじゃないのでしょうか。

いずれ死ぬであろう人・・・。病んで死に向かっていく人。植物なんかも葉は役目を終えるとカラカラに乾いて枯葉となります。そして土にかえります。人間もそうなんじゃないのでしょうか。病院で寝たまま「死」を迎えるであろう人にとって点滴による「栄養」や過度な「水分」って果たして必要なんでしょうか?これって枯れ落ちる寸前の葉っぱに多量の水を与えているのと同じことのように思えるのですが・・・。

先日、友人のお父様がお亡くなりになりました。死を宣告されギリギリまで自宅で時を過ごし病院に入って10日目で亡くなられました。死に顔を拝ませてもらったのですが大変きれいな顔でした。

実は上記の「枯れ行く・・云々」の話はあるコラムニストの方が新聞に書かれていた話でして・・・。その方のお母さんが亡くなるときは点滴はもちろん、水分も極力与えずに病院での生活を送られたそうです。最後は本当に「枯れ行く」と言った感じの死に方だったそうです。やせ細りはしたものの大変美しい死に顔だったそうです。その方はお母様の意思でそのような処置をとったそうなのですが非常に満足していると書かれてありました。

ワタクシのカミさんのお父さんは意識のないまま狭い病院のベットに寝かせられながら「抗がん剤」や「点滴」を繰り返されやせ細った顔とは多少的にパンパンに浮腫みきった下半身をしたまま死を迎えました。上記の話を読んだときまず最初にカミさんのお父さんの最後の姿が目に浮かびました。

そんな話を先日カミさんにしたところ・・「自分の親なら医者や病院に対して点滴や水分の事を希望出来るかもしれないけど、もし自分の子供だったら一分でも一秒でも長く温かい体でいてもらいたいから最善の処置を望むんじゃないかなぁ」という返事が返ってきました。・・・考えさせられました・・・。難しいです。

以前からUPしていた「おかひじき」君がそろそろ食べごろです。明日あたり食卓に並ぶことでしょう。UPした写真は最後の姿です。この「おかひじき」は枯れることが役目ではなく、ワタクシが食べきることが最後の役目なのです。美味しくいただきます。

     ♪ あなたがもう言葉にしなくても 僕にはわかるから

         続いていくすべてのことが 永遠じゃないこと ♪

                 スガシカオ 「木曜日、見舞いに行く」