新谷研究室

新谷研究室の教育・研究・社会活動及びそれにかかわる新谷個人の問題を考える。

自転車

2005年04月30日 15時49分38秒 | 教育・研究
 haoさん、自転車を買いましたか。世界が広くなったでしょう。自転車は便利だけど、自動車には気をつけてね。それと盗まれないように。また、夜道は危険だから、ライトをつけることと夜遅く一人でうろうろしないこと。最近の日本は治安が悪いからね。
 教育哲学のemileさんからYOUME(ゆめ)タウンに靴屋があるとの情報です。自転車ならいけるでしょう。国道3号線(大学の前の大きなバス通り)を天神方面に行けばありますよ。わかるかな。
 

連休二日目

2005年04月30日 09時21分40秒 | 教育・研究
 昨日は「みどりの日」。かつては天皇誕生日といわれていた昭和天皇の誕生日であった。たまたまゴールデンウィークの入り口であったというので、彼が亡くなっても「みどりの日」とかわけのわからないネーミングの祝日になって残ったのだ。国民に大型連休をサービスする、という意味なので反天皇主義者も強く異論は唱えてこなかったと思う。ま、今の天皇もクリスマスイブの前の日という微妙なところに生まれたおかげで冬休みを微妙に調整してくれる感じで、日本の教育に貢献している。
 ところが最近「みどりの日」を「昭和の日」に使用という動きがあるので要注意。かつて天皇の誕生日を「天長節」と言ったことは教育社会史研究室の諸君なら周知のことだよね。で、11月3日は今では「文化の日」だが、この日に叙勲があるのは(4月29日にも春の叙勲がある)11月3日がかつい明治天皇の誕生日で、後に彼の偉勲を記念して「明治節」という祝日にしていたからに他ならない。「みどりの日」を「昭和の日」にするならば「文化の日」も「明治の日」となって復活するだろうし、「勤労感謝の日」もかつては「新嘗祭」であったから、次第に天皇制の色彩が強く出てくるね。研究室の恒例の「紀元節」集会はこの日が祝日なんかではなく働く日であるということで祝日化に反対し、僕は学生に説教をする、カミさんは料理を作る、学生諸君はいやいや教員の顔色をうかがう、といったサブ労働の日としたのだ。すごく学術的であり、社会運動的なのだ。
 
 そういうわけで、昨日は働いた。『日本の教育史学』の最終的な採点作業だ。各委員の採点結果を集計して5月7日の編集委員会で最終的に論文掲載者を決定する。みんながんばろうね。
 細かいことは立場上言えないが、ここに載せることはそんなに難しいことではない。一番重要なのはその研究が研究史的に意義があるかどうかだ。重箱の隅をつつくだけだったり、自分だけのゆがんだ視野から抜けられなかったりする程度の課題意識では相手にされない。それから、自信だな。自分の研究に対する自信だ。誰かに評価してもらおうとか、「何点くらいかな?」というような感覚が見えるとそれだけで通らない。けっこう実力者と言われる人々も投稿してきている。彼らの強みは自信だ。自分の研究が第一線に位置付くことをよく知っているので、書き方にも、査読者に対する「申立書」にも余裕がある。院生の論文でもいいものはそうした自信がみなぎっている。自信というのはキャリアや地位が持たせるものではなく、納得のいく研究をしたという実感がなせるものだ。
 だいたい博士課程くらいになれば専門家のはしくれであろう。いちいち指導教員におうかがいを立てるような指導を求めていたのでは一人前とは言えんぞ。指導教員の指導助言なんてキャリアにモノを言わせた、権威主義的な教育アリバイに過ぎない。専門家は自分なんだ、という自負がなければ、どこに出したって通るわけがない。博士課程になればチマチマした指導はしない、論争ならする。こういうふうにいきたい。だいたいよくわかっていないセンセにいらん指導をされる方がストレスになるだろう。研究指導は研究の内容を指導教員に教えてやる程度でいいのだ。で、指導されているようなら、まだ博士課程の研究能力には達していないということだな。素人の指導教員あたりにディスカッションで負ける程度ならどこでも通らない。まして、専門外の他分野の教員に論破されるようではムリムリ…。

 次は15日だが、定例の研究会でも発言が少ない。研究者としての自覚が足りないのだろう。指導教員のお言葉を待っているようだと指導教員はますます増長してよけいなお説教を始めるに決まっているのだ。博士課程であればすでに人を指導するだけの力量を身につけていなければならないし、修士課程の人間とて同じコト。研究の世界は研究の能力だけが勝負なのだ。年齢もキャリアも関係はとりあえず、ない。ディスカッションがいちばん研究能力を高める。だから研究者は学会を作り、研究会を組織するのだ。自分たちのために。
 本日、僕はさぼっているからどんどん追い越してゆけ。

連休

2005年04月28日 22時42分25秒 | スケジュール
 いよいよゴールデンウイークですね。抱え込んだ仕事(家でできる仕事)は持ち帰ることとして、とりあえずスケジュールはまっさらです。うきうきしますね何もしないということが。
 しかし、研究室の復興作業が残っていた。日を見て復興に行かないとすすまないので、どっかで出ることになりそう。
 新メンバーのhaoさん、ひとりぽっちの連休になりますが、日本語をがんばろうね。日本での学生生活を意義あるものにするには日本語能力にかかっているからね。それと先天的な方向オンチは仕方ないとして早く福岡の街になれようね。迷子にならないようにあちこち行ってごらん?連休中は福岡は博多どんたくというお祭りだ。天神あたりに出かけてみるのもいいよ。JR博多駅から地下鉄に乗って、中洲川端か、天神駅で降りれば街の散歩ができるよ。


ふう~~

2005年04月27日 13時29分58秒 | スケジュール
 今日は朝から専攻会議、学部改革委員会、臨時部門会議と続いて溜息モノ。お昼は久々にmarronさんと一番館の手羽元カレーでした。今日はmarronさんとCDの取り替えっこ。僕が買ったばかりのクラモトユウキとmarronさんお気に入りのジュリーロンドンのオールデイズを取り替えしました。
 今日はさらに15:00から人環の教授会、夜は社会人ゼミ。ふううの日だ。
 ところで昨日我が研究室に入ることになったhaoさんがなかなか来ないなあ、と思っていたらA-ペコさんからメールが来て「今一緒にいましたよ」って。何で知ってるんだろうと思ったら、道に迷っていたところを親切な日本人に助けられて、それがAーペコさん御一行だったそうな。偶然だし、ラッキーだった。しかし、haoさん、昨日も行きちがいになっていたし、心配だな。
 

新しい仲間

2005年04月26日 16時56分19秒 | 管理・運営
 今日、研究室に新しいメンバーが入りました。犬好きさんにはようやく後輩ができましたね。初めての外国での生活になりますから、みんなで応援してあげてください。某先輩と同じ名前なので同じように優秀だと思いますよ。
 ハニおさん、このブログやゼミのブログなんかも教えてあげてくださいね。今日は久々に身体を動かしてきます。

お疲れさま

2005年04月25日 10時26分26秒 | 教育・研究
 昨日の定例研究会はお疲れさまでした。新しい人や久々の人が来て充実していたと思います。F大のUさん、ご苦労様。研究の具体性と掘り下げを期待しています。「もっとリアルに」で進めるといいでしょう。資料はいつでもお貸しします。政策研究、政策史研究は意志決定にいたるプロセスと、その背景の政治的事情の分析が欠かせません。人の見ていないモノを如何に探して見つけるか、ですね。
 今回は課題の見つけ方と課題の妥当性について考えざるを得ませんでした。発言のなかった人たちにも共通の「課題」であったろうと思います。誰でも「なんでこのテーマを選んだのか」とか「そもそも何で大学院なんぞにいるのか」という自問自答の動機があると思います。その中で現在の課題が出てくるのですが、何をしたいかを一言でまず言い切ることが必要です。
 例えば「○○学校の成立過程を調べる」とか「家族の中における妻の位置を明らかにする」というようにです。その前になぜそういうコトをしようと思うのか、という問われます。それは大事です。しかし、ここではそれは措いておきましょう。いざ研究を始めたら、何をするのかを決めることがまずしなくてはならないことです。
 「○○学校の成立過程を調べる」と決めたらその方法論を考えます。研究のオリジナリティが発揮されるところです。政策決定過程からアプローチするとか、地域文化史的アプローチをするというのがそれにあたります。そして資料として学校文書を次がすとか、県庁の記録を探すというのが作業になります。「家族の中における妻の位置を明らかにする」でも同じです。その位置を何で測るか、がオリジナリティのポイントでしょうね。山本敏子さんは絵を使った有名な研究をしていますよね。それが方法です。
 そうしたらやることはいっぱいあるはずです。自分独自の方法を見つけてください。
 

 本日はmarronさんは在宅。お昼はどうしようかなと、雑務を片付けつつ院生諸君を誘えばお弁当を買ってきたとのこと。んー、で、自分も盛況のお弁当を買ってきた。

明治22年の大地震

2005年04月23日 11時16分02秒 | 教育・研究
 ところで、福岡西方沖地震はたいへんだったけど明治22(1889)年の夏に九州を大地震が襲っている。っていうのを僕は知っていた。これは明治22年7月に実施された福岡県尋常師範学校の修学旅行の最中であった。かつて橋本元吉という人物の修学旅行日誌を大学の紀要に紹介したことがあるが、その中の一節である。
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七月二十八日 三池泊        行程四里半
三時半晨起五時出発ニテ瀬高町ヲ通リ藤吉村学校前ヨリ中島村ニ至リ越エテ三池郡江ノ浦村徳島ヨリヨリ仝江ノ浦ヲ通リ開村二川村ヲ経下楠田ノ町中ヲ通リ三池新町ノ入口ニテ三池尋常小学校ノ出迎ヲ受ケテ着ス …中略… 行程往復三里許大ニ疲レタリ本日郡長ヨリ鶏ヲ送ラレタルヲ以テ分配ヲ受ケテ各宿ニテ之ヲ食フ。又夜五人ニテリキューヲ飲メリ夜八時三十分人員検査直ニ就寝十一時三十分大地震アリ睡眠中ノコトゝテ初メハ大風ニテ家屋動揺シ傾斜スルモノカト思ヒ身ヲ起シテ廃セシカ初メテソノ風ニアラサルコトニ気付キ地震ナリト言フ者モアリテ其ノ然ルヘキニ心付キタリ其ノ時ハ既ニ止ム頃ナリシモ人ト共ニ争ヒテ階段ヲ下リテ戸前ニ出テタリ止ミテ後モ再ヒ二階ニ上リテ臥スル気持トナラス表側ノ床上ニウタゝ寝ノ侭晨ヲ俟ツ者多シ午前一時三十分ニ至リ再ヒ震ヒシカ共ニ石松豊作氏ト起キ上リタルモ出テサリキ二時二十五分ニ又大ニ震フヘシトノ電報アリタリナト云フ者アリ遂ニ起キ出テゝ表床上ニ再ヒ出テ来リ此ニ寝ネテ其ノ時ヲ待チタリ中村文太郎氏ハ先発ニテ出テタリシカ三時三十分頃小震アリ夫ヨリ直チニ出発用意ヲ報セラレタリ為ニ睡ルコト甚タ少ナカリキ宿ハ小松屋トイヘリ此ノ時ハ家屋ノ堅牢ナルヘキヲ痛感セリ
  七月二十九日           熊本県玉名郡高瀬泊  行程五里半許
午前三時三十分出発用意、五時出発。玉川村大字檪野ヨリ熊本県玉名郡平山村ニ入リ府本村ニテ一休ス。其ノ間旧ノ山路ヲ改通セシ新通多シ築山村ニテ第二休。是ヨリ週番分隊長ハ五分間休ミテ先発セリ。休息二三十分位ニシテ進ミ亀甲村繁根木村ヨリ錦橋ヲ経テ高瀬街中ニ入リ着宿。時ニ十一時前ナリ。直ニ高瀬川ニ至リテ洗濯ヲナシ後、昨夜ノ地震ノコトヲ聞ケハ余程劇シカリシ由ニテ倉ノ壁ノ落チタルモノ多シ。震後ハ徹宵セリトイフ。昼食後少シク震フ。本日途中ニテモ数回震リタル由ナリ。本日ノ炎暑、昨日ノ疲労、昨夜ノ睡眠不足ニテ何レモ疲レヲ見セタリ。宿ハ若緑屋ト云ヒ只一学友ノミニシテ十五畳ニ八畳位ノ間アリテ清潔ナリ。夜、原田氏ト共ニ次ノ間ニ臥ス。又数震アリ。八時半検査、九時就寝。宿ノ人ハ時々震フヲ以テ終夜寝ネス居レリ

   …中略…

八月六日             山鹿郡山鹿泊     行程四里
午前三時半晨起五時出発植木町ノ警察署前ヲ右ニ曲リ山本高等小学校前ヲ経豊田上分田ノ二ヶ所ニテ休息八時四十分着宿学校ヨリ二厘湯ニ一度入ルコトヲ許サレタリ一銭札ヲ五厘ニテ数枚買ヒテ之ニモ入レリ宿ハ蒟蒻屋トイヒ龍廼湯ノ正面ニシテ一、二、三学友二十五人ノ同宿ナリ植木ヲ出テシヨリハ一モ地震ナケレトモ尚ホ地震的神経過敏止マス久シク此ノ感ヲ止メタリ宿ノ人ハ時々震フヲ以テ終夜寝ネス居レリ

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 余震もかなり続いたみたいだ。史料を読む練習もしようね。修学旅行は福岡から熊本の往復行軍だが、三池(大牟田)あたりで地震に遭っている。

長距離移動

2005年04月23日 10時04分08秒 | スケジュール
 昨夜は福岡市教委の方々と呑んだので、朝は電車で戸畑へ。こういう日はカミさんに頭を下げて駅まで送ってもらう。もしご機嫌を損ねるとタクシー代が1000円弱かかるので、「呑むときは計画的に」なのだ。戸畑からバスに乗り、早めに西南女学院大学へ。教室へ行ったら、大騒ぎ。座席が足りないというので作業職員の方が机を搬入してくださっていた。ぎゅうぎゅう詰めの教室で講義。資料として拙文のコピーを用意しておいてもらったのだが、4部ほど不足した。なんていう人気なんだ。Q大では考えられない。
 で、講義が終わると本学へ。13時にT県人権文化センターかの方がお見えになるので、急いで戻るのだが、長旅であった。その間ずっと尿意をこらえ、千早駅で一本やり過ごして排尿する。仕方なく貝塚駅のやりうどんで昼食とするが、ちょっと量に問題あり。T県人権文化センターが帰られてから、事務的な仕事をこなさなければならないのだが、気合いが入らない。
 FOMAに変えたら電池の消耗が激しい。長旅のあいだiモードをいじってたら早くも電池消費がグレード2に下がっていた。で、みなさんの意見を参考にACアダプターを買ってきて、職場用とする。ついでにオペラのケーキを買ってきた。ハニおさんの分も買ってきたが、見あたらないのでK事務室のTさんに食べていただいた。
 夜は某人権研究所の役員会。帰りはすごくくたびれていたし、お腹もすいていたので牧のうどんで掻き揚げに卵入りうどんを食べる。食べていると突然「こんにちは」と声をかけられる。ここで働いているHさんである。どういう関係かって?ただのうどん屋にお勤めの女性である。カミさんの選挙の時によく通っていたので顔を覚えられたようなのだ。ある時は「中めんの、掻き揚げに卵入れたのでいいですね」と言われて、「ハイ!」と返事をしてしまったことがある。もしかして昔から知っていた人なのかな、とか思うけど、よくわからない。しかし、ここのうどんはお気に入りだ。Hさんも感じがいい。

朝から講義

2005年04月21日 11時48分14秒 | 教育・研究
 本日1限目は日赤大学で教育学の講義だった。テキストに使っている新谷恭明・土戸敏彦編著『人間形成の基礎と展開』(コレール社)はいいテキストです。4月にまたまた重版となったみたい。いい本だものね。今、第1章にはまっている。これは実におもしろい章だ。執筆者の土戸さんはやはりすごい哲学者だよね。この章だけで教育学の講義は十分って感じかな。
 
 午後は産業医大へ行って定期点検。今日は一気に箱崎に行くので高速を使ってみる。九州自動車道まで25分かけて出て、そこからとばした。やはり高速は気持ちいい。昨日の余震でかなりの渋滞だったのだがおかげでガソリンをだいぶ消耗していた。で、この高速疾走でぐっと挽回した。この車は高速だと低燃費なのだ。
15時30分より学生委員会。委員長代行に指名される。理由は文系の新任委員で最年長者、ということ。委員長に「長老」と言われ、若手教授だったのにいつの間に歳を食ったんだ、と複雑であった。終わりかけを途中で抜けて教育学文献講読。なかなかおもしろい発表だった。犬好きさんがいい牧野富太郎の読んだ本とか、発行した雑誌とかの現物を持ってきてくれたので感激。学生諸君も大喜びであった。実にすばらしいTAだ。