新谷研究室

新谷研究室の教育・研究・社会活動及びそれにかかわる新谷個人の問題を考える。

地震

2005年04月20日 18時55分54秒 | スケジュール
 今日は会議日。10時半から学部改革委員会、11時から研究院長補佐会と予定されていたが、地震のため学部改革委員会は延期。ほっ、助かりぃ。なにしろN教務委員長が代役を頼んできて(僕は副委員長だが、もともと改革委員でもあるのに)、僕は補佐会があるのでH委員に頼んだらかれも予定があって、そしたら延期の報でした。補佐会には30分遅れで到着。T副院長は未到着。あたふたと弁当を食い、13時半より合同運営委員会、続けて衛生部会。それが終わるとP&Pの会議。17時半。ちょっと時間が中途半端になってしまった。今日も身体は動かせず。残念。8時からは社会人ゼミ。明日は日赤で1限目講義。午後にS医大で治療。15時30分に学生委員会、さっきメールで委員長代行を頼むと来た。むむ。そして16時40分からいよいよ教育学文献講読の授業、楽しみであるな。そして19時から地震直後の福ビル地下の御膳屋で市教委関係者と懇談。
 ついでに明後日は西南女学院(北九州)で1限目講義。13時にはT県人権文化センターのOさんたちが来てお話。で、18時から某研究所役員会。問題は車をどうするか、だ。明日は全部車で移動する。なぜなら日赤やせS医大は車なしでは困難だから。車を大学に置いて、明後日は電車で北九州・福岡移動。某研究所の役員会は当初Rホテルで食事をしながら、だったのだが、場所がとれなくて事務所になった。なぜかほっ、とする。

おおっ、大学の意見箱に僕の「あなたを守る道しるべ」についての投稿が載ったぜ。見てみようか。なんともはやだが。

書評とか

2005年04月20日 08時12分52秒 | 教育・研究
 地震が来たねぇ。僕はすでにベッドの中で新聞を読み、昨夜の勝利に浸っていたのだが、うむ。
 それはさておき、今までいろんな形で書評を書いてきた。電子化以前のもの、またDOS次代のソフトでつくったもの、ファイルがどっかにいっちゃったものなどがあるけど、手元のパソコンにあるものを整理してみた。そしたら単なる一筆紹介やら三上の推薦文まで入れて72本あった。他に電子化されていないものが10数本あるので、目指せ100本というところかな。で、このほとんどが業績表には載せていないのだ。つまりは働いても実績になっていないってことか。

おさぼり日記

2005年04月19日 13時47分02秒 | 私生活
 そんなわけで、今日はぐずぐずしてる。このところブログを楽しんでいるのだが、ライブドアのブログリーダーというのを使い始めた。まあ、便利と言うほどのものではないけど、お遊びツールとしてはいいかも。イシタキ人権研究所が4つばかりブログを立ち上げていることを発見。閑読閑語おもしろいから見てごらん。主宰のIさんは読書家だし、発想のユニークな歴史家だから、学ぶところは大きいぞ。

 たまにkinakoさんのところにも訪ねてあげてちょうだい。ここも楽しいよ。

授業時間の変更

2005年04月19日 13時33分35秒 | 教育・研究
 本日は学部ゼミの第一回目。しかし、ちょうど3年生の健康診断と重なってしまった。そんなわけで、授業時間を変更して18:30からにすることにした。それは他の時間だと学生諸君が他の授業に出ているからだ。ブログに案内を出したけど、みなさんお忙しいようで、なかなか見てくれないみたいな気がして、調べてみたらけっこう見ている人もいるようだ。
 とは言え、夕方まで時間があくので、久しぶりにゆっくり在宅。何もしたくない。とにかく疲れているのだろう。昨夜は夜中に風呂に入って村上龍『半島を出よ』を読んでいたが、途中で何度も眠っていた。風呂の中で眠るのは気持ちいいが、非常に危険である。風呂の中で眠るときは火をつけておくこと。眠ってしまっても熱くなってくると目が覚める。火を消しておくとぬるくなっても気がつかず、ますます気持ちよくなる。そして体温が下がり、山の中の凍死状態で死んでしまうそうな。昔、これで死にかけたことがある。その時読んでいたのが荒俣宏『帝都物語』。
 午後に身体を動かそうかなと思ったが、それは夜にしようかな、とまた揺れる。ともかくともかく、身辺にうんざりするようなことがうんざりあって、混乱しそうなのだ。
 お仕事;たぶん企画委員会と将来計画委員会、FD委員会なんかのプランニング。さっさとやりゃあいいのに管理職的仕事はきらいなので、延ばし延ばしにしている。明日の合同運営委員会が終わったら日程調整を始めようと思う。そうそう公開講座については不安だらけだ。Mセンセに早く渡してしまおう。管理職の仕事はいかにできる人にしていただくか、だ。おお、原稿を忘れていた。締め切りすぎが1本、連休明けに書評が1本。それと心のノート関係でおもしろいのを作りたいが、それ。
 授業の不安もある。軌道に乗るまで精神的に不安は大きい。某研究所の総会の準備も事務部に任せてあるとはいえ、胃壁を刺激し続けている。学会の編集委員会の審査結果の締切は月末。読む時間の確保が課題である。

 趣味;今月は『北限』が25日『塔』が30日、『短歌研究』が5月1日がそれぞれ締切。なかなかいい歌ができない。今日のように時間があっても作品は出てこない。以下のように私生活の悩みは深くても相対化できないので歌にはならない。うううう。
 で、歌のネタの私生活;カミさんの実家系もわが実家系も大問題を抱えていて考えるだけで気が重くなる。もっとも気が重くなるだけで自分が日々かかわるわけではないので物理的にはだいじょうぶなのだが、心理的にはよくない。体重が少し減っていたのは喜ぶべきなのかどうか。
 私生活といえば杉内の好調がうれしい。昨年杉内が一年を棒に振ることになった骨折事件の試合を見に行っていたから、なおのことうれしい。これでホークスが負けているようだとたまんねえな。ああ身体が鈍(なま)る。

 そうそう、kinakoさんの入学祝いをしてあげなくっちゃ。こういうのはいっときの癒しになっていいや。lemonさん、その辺で息抜きしよう。

編集委員会

2005年04月18日 22時23分25秒 | 教育・研究
 教育史学会の出版に助成金がついた。その一方、僕の科研は落ちてしまった。marronさんにもってかれたな。これで学会はまたまた黒字になる。
 九州教育学会の編集委員会も今日あった。今年から査読制度が始まったが、最低限の論文の質は維持する、という点で成功したのではないかと思う。I委員長の英断ですね。諸君、論文を書くことをなめてはいけない。まず、きちんと問題意識を立てること、先行研究を踏まえた上で自分の研究を位置づけること、論理的な構成をすること、…といった形式面を整えること。研究はオリジナルなものであること(史資料は自分でオリジナルなものを集めること)。研究の方法をきちんと示すこと。学習ではなく、研究であること。そういう基本をおさえておけば、ある程度まではいけるのだ。あとは研究としての貢献度になってくる。意味のある研究かどうかだ。自分だけで受けているようなせこい議論にならないことがたいせつになる。
 教育史学会はこれから掲載論文を選択するVOTEに入る。さあ一仕事。



大学院ゼミ

2005年04月18日 19時26分50秒 | スケジュール
 今日は大学院のゼミが実質始まった。Sくんの発表であったが、引用していた史料が適切に使われているかどうかという問題があった。実際史料を読んでみると引用者の解釈とはずいぶんちがっている。西南戦争に際し、参戦を求める中で、元高鍋藩の重役城勇雄に対して参軍派を説得するよう依頼したが、その説得にもかかわらず参軍派は制止を振り切って隊の編成を画策した、とするものだった。しかし、引用史料の出典にあたると、この件について会議の案内が来たが、城は確かに参軍するのが正しいとは思うけど、年寄りと幼子を抱えているので仮病で会議をさぼった。そうしたら押しかけてきて会議になったので、「自分は西郷に義理はないしぃ、病弱なので戦えないしぃ…」などと意見を回避した。再び詰め寄られると、「命を捨てて何かする時に他人に相談するもんかね。君らは情死をするときに親の意見を聞くかい?」と開き直ったというのが史料を忠実に読んだ内容である。城はまったく説得なんかしていなかったのだ。つまり、史料は思い込みではなくきっちり熟読し、史料に沿って歴史の再構成をしよう。
 そんなわけで、今日のお昼はmarronさんと一番館の手羽もとカレーであった。うまかった。

スンドーフチゲ

2005年04月18日 00時18分08秒 | Weblog
 本日は日曜日。朝目が覚めてベッドの中で本を読む。三崎亜記『となり町戦争』集英社。あっという間にほんとうに朝飯前に読んでしまった。この本はとなり町との戦争が目に見えない形で行われているという奇妙な設定で描かれているのだが、奇妙なリアリティがあっておもしろかった。例えばイラク戦争にしてもわれわれは日常の中で平和に暮らしながら戦争に参加しているのを知っているだろうか。そんなことを思い出してしまう読後感がある。
 朝飯はだったんそば。つゆは昨日釜揚げうどんをしたときに作ったつゆの残り。
 それでも今日は日曜日。しかし、しなくてはいけない仕事がある。ひとつは研究院と学府の年度計画の作成。もう一人の副研究院長のTさんが担当で、原案を作ってくれていたのだけれど、企画委員会、将来構想委員会、FD委員会(これらが僕の担当委員会)の年度計画を作らなくてはいけないのだ。Tさんの原案通りで行っちゃえ!と安易に思ったがそうはいかない、一昨日からやり始めて今日までかかった。もう一つしなくちゃいかんのがH大学図書刊行会からA教育大学のM氏の本が出るんだけど、その推薦文を書く仕事。たった400字程度なのだが、こういう文は難しい。今月の初めから取りかかり、ずっといい案が浮かばず、今日も午後からはずっとカミさんのパソコンを横取りして悪戦苦闘。ようやく夜中になってでけた。原稿料はなしだけど、同刊行会発行の書籍10000円分をくれるそうな。現物支給というのははじめてでうれしい。
 夕食はM市役所裏の漢江(ハンガン)で韓国料理を食べる。チヂミ、韓国風春雨(名前忘れた)、イカの炒め物、スンドーフチゲ(豆腐のチゲ)、石焼きビビンバ(カミさんはクッパ)。カミさんは生ビール3杯、僕はウーロン茶2杯。この店はちょくちょく行くので馴染み。この店では焼肉は食べない。焼肉もうまいらしいのだが、料理がうまいのだ。殊に僕はここのスンドーフチゲが好き。

心のノート

2005年04月17日 01時24分49秒 | 教育問題
 今日は教育総研の心のノート検討会。この会の特徴は一人一人の一家言が長いこと。僕も負けられないので長々としゃべってしまった。
 『心のノート』はたぶん特別なファシストを養成するのではなく、素朴で少し差別的なふつうのおっさん、おばはんを作るのがねらいなのだろう。道徳教育としてはそれでいいのだし、普通に国家を信じる人を作りたいのだということ。だから手強いのだ。教育効果は何もしなくても出てくるのだから。
 で、この件については教組だから『心のノート』を使います、とは言えないらしく、『心のノート』にはとりあえず反対しなくてはいけないらしい。結局は『心のノート』の各単元を反面教師としてみる、みたいな発想になるのかな。それじゃあつまんない。積極的に使うような手引き書を作りたいな。個人的にでいいから。

大学文書館

2005年04月16日 12時39分04秒 | Weblog
 「あなたを守る道しるべ」についてブログで意見を書いてきたが、これをコピーして大学の意見箱に入れた。そしたら、回答はしばらく待ってくれい、というメールが来たのでしばらく待つことにする。しかし、13日の学府の教務委員会で(なぜか教務委員にさせられていた)全学の学生委員に指名されてしまった。なぜなら、この仕事は各専攻の持ち回りで今年は教育システム専攻の番だったからだ。不幸ではない。これからこの件についても発言できるのだ。

 同じ日に大学文書館委員会を開いた。これまでの大学史料室が大学文書館に再編されたのだ。名称だけではない法人文書資料室と大学史資料室の2室体制になり。従来兼任教員はいたが、これからは兼任事務職員も置くことになった。法人文書資料室長は総務課長が兼務するのだ。事務方と教員が一緒に仕事をする、というこれもすごいことなのだ。で、さらに、教授ポストがついた。これは大学史上初の快挙であり、歴史に残さなくてはいけない事件なのだ。これで大学文書館は名実ともに本学の顔となった。積年の夢がついに実現したのだ。全国の大学アーカイブのみなさん、やったぜ!

あなたを守る道しるべ4

2005年04月13日 09時36分25秒 | 人権問題
 誰も書き込みをしないから、結局自分で書いちゃった。で、ほうっておけないから大学のご意見箱に投書した。さてどうなるか。
 少なくとも教育であるとか、大学問題であるとか、人権問題であるとか、教育学に関係する、ないしは大学や研究に関することで問題を見つければ発言することが必要です。時にそれは研究者としての使命でもあります。諸君も理不尽な上からの流れを愚痴だけ言って流すのではなく、言うべきところで言わなければなりませんよ。あんなパンフレットが世の中に出歩けば本学の恥ですからね。