新谷研究室

新谷研究室の教育・研究・社会活動及びそれにかかわる新谷個人の問題を考える。

学習指導要領を読む視点

2008年08月21日 11時35分57秒 | 教育・研究
学習指導要領を読む視点 2008年版 (2008)
竹内 常一
白澤社

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新しい学習指導要領が出たことはご存じだろう。教育基本法が変わったのを機にどどっと新しい教育のおかしな流れを作ろうとしている。そんなわけで『2008年版 学習指導要領を読む視点』という実に売れそうにないタイトルの本が緊急出版された。発行白澤社、発売は現代書館なのだが。執筆者は竹内常一、子安潤、木村涼子、阿部昇、加藤郁夫、小野政美、吉永紀子、鶴田敦子、松下良平、藤井啓之、寺島隆吉、金馬国晴、新谷恭明 と論客が揃っている。
内容はどこの解説書よりも闘争的だ。教育学研究は歴史や哲学の迷宮に陥っていてはいけない。常に現場で起きていること、日本の(世界の)教育がどうなっているのかを問題意識として認識しておくことが必要である。この本は教育学徒ならば必ず読んでおくことだ。

IDE大学セミナー

2008年08月13日 16時12分34秒 | 教育・研究
世界は仕事で満ちている 誰もが知っている、でも誰も覗いたことのない38の仕事案内 (NB Online book) 降籏 学
降旗 学
日経BP社

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8月7日は鼻の日であるが、この日にQ大西新プラザで開催されたIDE大学セミナーに参加した。今年から理事にさせられたので、東京からこの日だけ戻っての参加だった。テーマは「大学におけるキャリア教育の現状と課題」だ。
基調講演は㈲ユニバーシテイ・アクティブ代表取締役社長大江淳良による「大学のキャリア開発支援の現状」。これが午前中にあった。そして午後は法政大学キャリア・デザイン学部長の高野良一氏、福岡女子大学キャリア支援センター長の森邦昭氏の報告であった。
 いずれも刺激的な話で、まあ、最近流行の言い方をすれば目からウロコが数枚落ちたとでも言うところだろうか。キャリア教育を狭義の職業体験教育に限定してしまっている現状が何とも情けなく感じてしまった。

サマーセミナー3

2008年08月13日 15時58分37秒 | 教育・研究
学校は軍隊に似ている―学校文化史のささやき
新谷 恭明
福岡県人権研究所

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さらに続きだ。
史料批判という点で気になるのは、われわれは史料として何を使ってよいのか、何を使ってはよくないのかということである。例えばせっかく作った史料集やデジタルアーカイブを使うとしばしば「原典にあたらないと…」と言う意見に出会う。しかし、原典にあたることの意味というのはより正確な史料集編纂のためにあるのであって、研究のためには積極的に活用することの方が重要なのだろう。おおむねそのあたりについては異論はなかったように思う。これからは積極的にこのような二次史料も使うことによって価値を高めていく必要があるだろう。

2日目の議論は僕はコメンテーターの責務をはずれたのでよけいなことは書かない。しかし、前日とはちがってこちらは史料そのものを研究対象としてきたまさしく史料論の報告であった。いま思えば第一日目は史料批判、第二日目は史料論、と主題を分ければよかった。これは企画者の不手際ということではなく、コメンテーターの私自身が早く気づけばよかったことで、そうすれば前述のゆらゆらしたコメントまがいの感想ではなくもう少しまともな議論に持って行けたのかもしれない。


サマーセミナー2

2008年08月13日 14時40分22秒 | 教育・研究
学習指導要領を読む視点 2008年版 (2008)
竹内 常一
白澤社

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続きだ。
ところで、D間氏はくずし文字の読解力の習得に関するアンケートの結果を話題として提供してくれた。これはけっこうおもしろかった。教育史研究者できちんと古文書の解読の訓練を受けた人というのは決して多くはないことは以前から感じていた。僕自身の体験でいえば、大学院生時代に東京大学百年史の仕事をした時、本格的に古文書の解読をしなくてはならなくなった。しかも、近代文書である。当時、教育学畑の人間と東大の国史の院生たちと一緒にこの仕事をしていたのだが、東大の院生たちは学部時代からどうやらその訓練を受けていたようなので、だいぶその素養に出発点で差があると感じていた。Q大に勤めるようになって、近世史の研究にも首を突っ込むようになって、近世文書も読まなくてはならなくなり、ということで、こちらは独学でやった。時には近世教育史をやっている大学院生とやりあいながら勉強した。こうした古文書読解力(史料論に基づくと思われる)は歴史研究を第二ディシプリンとして始めた者(教育学、政治学、経済学、科学、…)にとってはそれぞれ苦労はしたのではないかと思う。もとい学部での演習にそうしたスキルの習得は含まれていない場合が多いのだから、そのあたりの苦労は多かったのだろうと思う。
現在教育学部で学部生を指導しているが、この学生たちに古文書を読ませることは先ず無理である。しばらく前までは研究室のOBが週にいっぺん指導に来てくれていてずいぶん助かったが、昨今ではこの御仁も本務がお忙しくなったのでなかなかそうも甘えてはいられなくなってきた。かといって僕自身がその時間を作るのも難しいし、このあたりは重要な課題である。
K村氏の発表は識字という観点から史料論に迫ろうとしたものだった。K村氏が院生時代に筆子塚(師匠塚)の研究をしたときに文書ではなく墓を見て歩いたということを話された。K氏は文書だけでは史料として限界がある、と言うのだ。殊に識字研究は文書を作ることのできない人々の歴史が対象となるのであるから当然と言えば当然のことであろう。しかし、その当然のことに気づかない(取り敢えずK村氏がオリジナルな発言として「墓」を持ち出したので)ならば、私たちは史料と研究との本末転倒に陥ってしまうことも考えられるのではなかろうか、とこれもとりあえず言ってみたい。
とりあえず言ってはみたいが、D間氏がいみじくもくずし字解読能力を問題にしたように、教育史研究者のけっこう多くが古文書コンプレックスを持っているとみていい。これをいい方に考えれば、研究対象、課題が先ずあって、史料はそれを解決するための材料であることを多くの教育史研究者は知っている、ということなのだ。それは決して悪いことではない。史料とはあくまで史実を明らかにしていくための素材でしかないし、史料そのものが目的なのではないからだ。
もう一つ。史料そのものは目的ではないが、史料ないし史料群の評価をきちんとしておかなければ史料批判はできない。使う側からすれば史料批判の技法の方が重要だと言える。
 そう考えれば、Y田氏が『明治以降教育制度発達史』を松浦鎭次郎の歴史著作だと位置づけ、学説史の対象にすべきだと提言したのは、史料批判論としても興味深い。


サマーセミナー1

2008年08月07日 22時52分26秒 | 教育・研究
近世地域教育史の研究
木村 政伸
思文閣出版

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8月5日、6日に立教大学で日本教育史研究会のサマーセミナーという催しがあった。誘われなければ行かぬ。行かぬと言うより、誘われたときにのみ行っているセミナーなのだが、そのように捻くれてみせる可愛さを僕は持っているようだ。今回はコメンテーターという役割を頂戴し、その役目故に多忙な中すべての用務をキャンセルして出席することにした。
しかし、テーマはなんと「日本教育史史料の現在~教育史史料論の試み」というわけのわからないものであった。標題の日本教育史というのはこの研究会の名称でもあるし、僕の専門分野でもあるからそれでいいのだが、続く「史料の現在」というのが怪しい。史料というのは過去に生まれたものでありながら、現在も残っているものを言い、その現在と言うのは如何なる意味かと問い返したくなる危うさを持ってい、そこで止まればいいものを副題までつけている。副題は「教育史史料論の試み」ときた。つまりは「史料の現在」と「史料論の試み」とは論理的な整合性のつかない組み合わせであって、主題と副題のつけ方に関して言えば、絶対にわが研究室の連中にはさせないつけ方である。
要するにこのセミナーの議論の論点がかみ合わないことはすでに予想されてい、コメンテーターとしてその統括を任された者としては何とか些末な議論に陥らないことにのみ神経を使わなければならないことを覚悟していた。
案の定3人の報告者の話は全く別の世界の話であった。
のみならず翌日の2人の報告も別々の世界であり、ならば各論はコメントするなということなのだろう。
Y田氏は『明治以降教育制度発達史』と『近代教育制度史料』との比較にならぬ比較を試みてい、なおかつ前者を松浦鎮次郎の史書として見るべきであり、史料論ではなく学説史で扱うべきだとの意見を述べた。然り。それは然り。
ならば、史料集として批判した『近代教育制度史料』の課題。それは『現代教育制度史料』の評価で答えが出るはずだが、そこへの言及はなかった。ここで言うのもなんだが、実は『現代教育制度史料』は僕が担当するはずだった。僕の名前で給与計算までできていたのだが、その後Q大の仕事が決まったので、K沢氏にしてもらうことになったといういきさつがある。だからこの評価については気になる。僕はK沢氏の仕事には至って敬意を表している。だからY田氏がどう評価するかが気になるところだった。また、『明治以降教育制度発達史』が松浦の史書だという結論ならばあらためてこの時代の史料集を作り直すべきではないだろうか。
D間氏の報告は江藤新平文書にかかわったD間氏から個人文書の話を引き出そうとした企てへの回答だろう。しかし、教育史史料としての個人文書について語ることは難しい課題だ。そうやすやすと語れるはずはない。まして、教育史上にその影の薄い江藤新平文書を根拠に、だ。D間氏はそのような無理難題に対して誠実な報告をしてくれた。ここで出てきた問題はまずは個人文書とは何か、ということだろう。個人文書と言うべきか私文書と言うべきか僕は迷っている。私文書ならば公文書ではないものというすっきりした位置づけになるが、個人文書となるとその個人その人と文書との関係性を言わなければ文書としての位置づけがなされない。つまりはその文書の全体像が明らかにならないと個人文書とは言えないだろう。
僕自身は人物研究をする予定はないから個人文書を個人文書として扱うことはあまりないだろうが、時にはその視点に立った史料の扱い方も必要となるだろう。