昨日は学生委員として九大祭のパトロールに行った。17:00からだったが、九州自動車道の福岡インターで渋滞。都市高速が渋滞しているというので、こりゃやべぇ、と思案して次の太宰府インターまで飛ばしてそっちから都市高速に入ろうとした。太宰府インターに着くと都市高速は呉服町まで7㎞の渋滞というではないか。まっその手前で降りて行くか、とチャレンジしたが途中で渋滞に入ってしまう。結局30分ばかり遅刻してしまった。
基本的には定刻には行事を終わらせ、学生を帰宅させて施錠をするという管理上の仕事だが、終日パトロールをしているのは政治的党派の連中がトラブルを起こさないようにということでもある。ていうか、そのことに神経を使うのだ。昔のことを思えば、学生運動潰しのようなものだけれど、現在の党派のありようを見れば仕方のないことでもある。
とは言え、施錠のあとの集合場所で、酔って喧嘩している学生と遭遇。しらふでそのやりとりを見れば、一見して深刻になってしまった人間関係図が読み取れる。一人の男子学生がなにやら怒っていて、彼と和解しようという学生ともみ合っている。男子学生がかれを振り切ると、女子学生がこの男子学生にすがるようにして何か言おうとしている。それを別の男子学生がとめる。酔った学生は看板などを叩き、手を痛めている。なんてことをしていた。
ああ何度こういう場面に出会い、また自身がこういう場面にかかわってきたか。人間というのはいくたびも同じことを繰り返すのだな。そしてそれぞれに深刻な一瞬が同じ形式を取りつつここにはあるのだ、と感じてしまった。いくつものドラマが同じパターンで作れそうだ。
しらふで傍観者となること。たまにはいいのかもしれないが、そのように傍観者面をしている自分もまた他者から見られている同じ形式の行動様式の中で葛藤している一人なのだろう。
にしても青春はいいね。酒に荒れるのもいいんだろうね。