新谷研究室

新谷研究室の教育・研究・社会活動及びそれにかかわる新谷個人の問題を考える。

日々の行い

2005年07月31日 16時28分38秒 | 私生活
 もっとも直接的に恫喝されたのはベッドサイドに積まれた本。買ってきて楽しみながら読み始めたり、眺めたりしているのがついつい積み上げられているのだ。この写真はすでにカミさんが一部整理したもの。寝返りをうつと本にぶつかる感じであった。こういうことは日々の整理方法の問題なのかもしれない。よく言うところの基本的生活習慣というヤツかな。
 この状況は浴室にもある。浴室で本を読むことも多く、『明治前期の小学校と地域社会』や『近代日本中等教員養成論争史論―「大学における教員養成」原則の歴史的研究―』は入浴しながら読み書評の構想を練ったものである。
 それにしても困った。これを抜け出さなければ、研究者として生きていけないかもしれない。

家で原稿

2005年07月31日 16時17分59秒 | 教育・研究
 本日は日曜日ですから、というより久々に出かけなくてもいい日曜日です。盆前に書けと言われていた原稿をぐずぐず書いていました。テキパキと書けないところが昨今の問題です。そうしたら大掃除をしていたカミさんからきついお叱りを受けてしまった。「床に本を積み上げるな!」「いらない本を整理しろ!」「読まないものは捨てろ!」と罵詈雑言を浴びてしまった。こっちはこっちで段ボール箱に入れて一時避難しておいたものが使えないなどの問題を抱えており、おお研究室前のものもそうだったし、教育社会史研究室に避難生活をしている本も多々あった。わが研究室は地震の被害から立ち直っていないのだ。
 問題はこれらの本を使いやすいように整理する方法はないかということだ。カミさんは「あんたの同業者がみんな本を散らかしているとは思えない」と罵倒するし、僕からみれば僕よりもはるかに蔵書家はいるのだが彼らはどうしているのだろうかが気になる。師匠であったHセンセは庭に書庫用の物置を置いていた。引っ越した後、可動式の書棚を置いていたようだが、全容はわからない。もう一人の師匠のTセンセは昔は団地を2軒分借りていて家中に本が積み上げてあった。新居を建てられたときは書店のような文庫が特別に作られていた。Hセンセの親友で我が恩人のIセンセは御父上以来の蔵書がうなっていて、図書館並みである。実際そうなのだ。で、神奈川県にもう一軒持っているとか。法人化しているかもしれないのでこちらは別格かな。
 ともかくこの商売は若いときから他の人間よりも一部屋よけいに必要なさだめとなっている。よくよく覚悟してほしい。
 
  

リコール

2005年07月28日 17時43分36秒 | 私生活
 で、S医科大学に行き、定期点検を受けて帰宅するとなんとRX-8のリコールのお知らせが来ていた。現行のエンジン制御用のプログラムが不適切なんだと。およよ、急いでディーラーに行き、来週末に修理してもらう段取りをつけた。それにしても…ちょうど休暇中なので5日からはです。
 

研究サイトビジット

2005年07月28日 13時21分06秒 | 管理・運営
 本日は研究サイトビジットという会議があった。研究戦略担当のN副学長以下研究戦略企画室関係の面々が我が研究院を訪れ人環の研究戦略についてもの申すという話。研究院長とイカ部門長などが待機して待った。緊張した割にはいろいろな情報も得られたし、人環の評価は悪くはなかったのでとりあえず胸なで下ろしです。その中で研究員の制度について話が出た。いわゆるODを研究員として位置づけて身分保障するもので、彼らに科研費の申請資格ができるというもの。昨年、外国人研究員について内規を作ったが廃案になってしまった。なるほど、外国人に限定せず枠を広げればいいので、この案は復活する。早速原案を作り直すことにした。うまくいけばOD諸君に科研費申請のチャンスが出てくるのだ。
 さて、北九州まで治療に行くぞ。

アスベスト

2005年07月26日 10時38分02秒 | 管理・運営
 昨今アスベストの被害が社会問題となっているけれど、大学の中も実は深刻なのではないだろうか。大学の建造物のかなりの部分でアスベストは使われているはずで、それが老朽化などで崩れはじめたり、補修をしようなどとするときにどどっと出てくるのではないか。ある人から電話がかかってきて十数年前から自分のデスクサイドの壁が崩落していて、気にしないで扇風機なんぞをバンバン使って空気も撹拌していたが、昨今のニュースで気になっていくつか打診したらアスベストらしいことがわかってきたという。今は施設部に調査を依頼しているとのことだが、先行きの職員の健康問題も含めてきわめて深刻な問題なのだ。もしかしてわれわれの居住している建物も壁の中には断熱材としてアスベストが使用されている可能性が高い。もし、どこかで崩落現象が起きていれば即刻注意して調査を依頼するようにしなければならないので承知しておくことです。
 それはそうと今日は予定を入れていない日です。もっともいろんな仕事は持ち帰っているのだが、気持ちがずいぶんちがう。

定例研究会

2005年07月25日 12時06分32秒 | 教育・研究
 24日は月例の研究会でした。このところ参加者が多いですね。Tさん、Iさんと議論が沸騰しましたね。お二人とも言えるのは研究の方法論ですね。Iさんは教育史研究ではないと言うけれど、歴史研究の方法論はきちんと使わないといけません。つまり史料批判と史料の活用の仕方です。つい論を主張したくなるのですが、Aさんが発言していたように、現実にそぐわなくなってしまっては意味がありません。
 dogloverさんはTセンセにいい助言をいただきましたね。大学を超えたコラボレーションの成果は大きいです。Tセンセありがとうございました。

窓に映った男の顔

2005年07月25日 00時12分45秒 | 私生活
 やりましたね。酔っぱらって帰る電車の中で車窓を写したら男の顔がクリアに映りました。古賀に着くちょっと前です。その後何度も撮りましたが何も写りません。反対側の座席には20代の女性、僕の前後には乗客はいませんでした。するとこれは心霊写真かな。実際に携帯カメラに写ったのを見たときはホントに鮮明に写ってたので、かなり驚きました。

今日は土曜日

2005年07月24日 01時04分15秒 | 人権問題
 本日は土曜日だけど、まずはお昼にUさんの研究の相談と昼食。Uさん、いよいよ本番が近づいてきましたね。がんばってね。んで、午後は某人権研究所の定例研究会がココロンセンターでありました。発表者は『隠された風景―死の現場を歩く―』の著者の福岡賢正さんです。前著『たのしい不便』(南方新社)に書かれた内容も含めて実におもしろいお話でした。ところでこの本の書評が昨日印刷のあがった『解放史ふくおか』118号に載っている。ご覧あれ。
 で、今夜はゆっくり「バリでの出来事」の2巻、3巻を見る。「秘密」で敵役を好演したハ・ジウォンがいい。「秘密」のときは敵役ながら僕はけっこう好きだった。バリ島のシーンでは田舎臭くて誰だかわからなかったが韓国に戻ってからはどんどん化粧も「秘密」のときに近くなり、めんこくなってきた。ジタバタするときにいい演技をする。
 そういえば帰りがけにブックオフで昭和史のシリーズものを9冊1~10巻(5巻欠)を一冊500円で買う。近々研究室に持っていこうと思う(明日は車で行かないので、たぶん水曜日に)。なぜ買ったかというと、ひとつはhaoさんのため。それと昭和史をやっているdogloverさんやハニおさんのためです。昨日N看護大学の教育学の試験をやったが、問題の最後に「過程と実態を混同したもの(95頁)は評価しない」と注意書きをしておいた。(95頁)とはテキストにした『人間形成の基礎と展開』の(95頁)のことである。何のことかというとイリッチの脱学校論の話で、学校化されていくと習った知識が実態を離れて実態と勘違いされていくということである。つまり、何のリアリティもなく例えば戦後社会という文字による情報だけが研究対象となり、その時代の実感がまったく感じられない研究が行われてはいけないという警告なのだ。先日はhaoさんと戦後の民主主義がなんたらというDVDを見た。haoさんだけじゃなく、日本人の院生にしても戦後日本という実態は感覚としてわかっていないのではないか、と思う。明治にしても江戸期にしても、その時代の実感をいろんな形で再現する想像力は必要なのだ。昭和は幸い映像が残っている。いや、20世紀は映像が残っている。「映像の20世紀」というビデオも配備しているだろう。そういうのを見たり、文学作品を読んだりするのも想像力をつけるのに大切なことだ。想像力がないと史料を読み込む力にモロ影響してくる。歴史研究は人間が実際に生きた事実をたどる作業だ。諸君は異時代に生まれたが、その歴史的教養と想像力をツールに歴史を再構成する職人とならねばならないのだ。



しばらくぶりで

2005年07月23日 09時02分13秒 | スケジュール
 しばらくぶりでブログに書きますね。心身共にバテ気味というのが正解ですね。20日水曜日は合同運営委員会、これは翌週にある教授会の議題を決めるところという性格を持ってはいるものの事実上の研究院・学府の執行機関でもあります。ここで決めたことがだいたい研究院・学府の方針となっていきます。メンバーは研究院長、副研究院長、各部門長、各専攻長、各コース代表ですが、ある意味広く研究院内の意見も反映できます。トップダウンの改革がどんどん進んでいる中で、この合同運営委員会も代議員型の組織になるかとも思っていましたが、そこそこ組織内の合議機関になっていて研究院民主主義は定着しています。名称が示すように曖昧なところがいいでしょう。
 その後、衛生部会でした。この部会は先般の箱崎地区衛生委員会で文系四部局の衛生部会の統合が認められたので、そろそろ任務を終了しそうなのです。取り立てて議題はないようでいてそこそこ肝腎なときには重要な会議なのです。ちなみに分煙施策はここでやりました。
 21日には某研究院の研究院長が相談に見えると言うことで病院での加療予定をキャンセルしてW研究院長、T副研究院長とが集合、某研究院のY研究院長と密談をしました。向こうからのお願いなのですが、はてさてどうなりますことですやら。
 22日は朝はS女学院大学の、午後はN看護大学の試験でした。N看護大学は受験者が多く、2教室を行ったり来たりしながらの監督でした。それにしても採点がたいへん。記述式にしなければよかったと毎回思うのだけれど…