新谷研究室

新谷研究室の教育・研究・社会活動及びそれにかかわる新谷個人の問題を考える。

文系コア科目「教育学」の問題とこたえ

2009年07月30日 11時14分57秒 | 学部教育情報


今日、文系コア科目の「教育学」の試験をおこなった。
問題は4問。いずれも講義に出ていて、ちょっとだけテキストとノートを見直せばできたはず。

問題1 「生理的早産」の教育的意味について述べよ。

簡単な問題だ。テキストの15頁を見てみよう。そこにポルトマンのの引用がある。その趣旨を書けばいいのだ。
※「生理的早産」とは何かが書いてあれば15点。それが可塑性に結びつけられれば加点。

問題2 学校のない時代における「一人前」概念について説明せよ。

これもテキストの27頁にだいたいのことが書いてあり、加えて「七歳までは神のうち」とか「子守歌の話」など講義中のネタを使えば、ぺるふぇくと。

問題3 羽仁もと子の仕事が女性の地位向上に果たした意味について説明せよ。

これは講義をさぼっているとわからない。「羽仁もと子の仕事」としてあるので、羽仁もと子の仕事に具体的に触れてなければ点はやれない。
羽仁もと子は『婦人の友』を創刊した人。就中、「家計簿」の果たした意味は女性の役割を確保し、「良妻賢母」に道を開いたことだ。それは従来の「女大学」的女性観を大きく転換させたのだったな。

※家計簿が書いてあれば基本的に20点。それについての妥当な説明会中で点は加減(増えたり減ったり)される。
※具体的な彼女の仕事に触れてなければ零点。だって適当になんか女性の地位向上らしきことをぬけぬけと書いているのが多い。

問題4 イリッチの言う「学校は、生徒たちが過程と実態を混同するように学校化する」内容を具体的実例を挙げて述べよ。

これも95-96頁にだいたいのことが書いてあり、具体的実例をどこか思い当たるものから引いてくればいい。この試験なんかはいい材料かもしれない。
95頁の記述があれば基本よし(20点)、だが、具体的実例があれば点は加減される。不適当な例なら減点だよ。


因みに各問25点。2題以下しか書かなかった人は不可となることを承知で提出したものとみなさざるを得ない。再試験はない。もう一回履修しなおすんだな。
さて、週末に採点するぞ。
顔見せ

授業評価2

2009年03月04日 11時13分12秒 | 学部教育情報

 学生に教員の教え方を評価させることについて、あらかじめ考えておかなければならないことがある。
 現在教え方に関しては前項に示した項目について4段階で点をつけさせるやり方をしている。ということはこれらの項目を支える「よい授業」のモデルがあるということだ。教育学部よい授業ポリシーとでも言っていいだろう。なにしろ教育学部なのだからどういう大学の授業がよい授業なのかという研究成果が背景にあると思われてもおかしくない。そのことをよく承知しておいて欲しい。

 まず、大学教師たるもの熱意を示さなくてはならない。研究に対する熱意ではない。学生を思う熱意だ。学生を教えたい、という熱情を示すことが必要なのだ。(と考えなくてはならない。なぜなら研究に対する熱意は以下のそれぞれの項目には合致しないからだ)
 その教育への熱意をどうやって示すか。
 私たちは他人の熱意をどのようにして感じるのか。新興宗教やマルチ商法の勧誘などに来る方々からは確かに熱意を感じる。そういう熱意にならざるを得ない。そういうものがなぜ大学の講義に必要なのだろうか。僕は不要だと思う。そのような熱意はあくまで表面にあらわされるパフォーマンスに過ぎない。
 小学生ならばそんなものは期待していないだろう。なぜなら、それが授業であるならば、「教えてやる」という熱意が見え見えになった段階でその授業は失敗となるからだ。冷静に子どもたちに仕掛ける仕掛けが熱意でばれないようにね。

 そして、私語は注意しなくてはならないらしいし(学生を叱ったらパワハラだという自由回答もあったらしい)、携帯をいじっている学生や居眠りをしている学生も注意しなくてはいけないらしい。だいたいそういうことが大学でまじめに考える必要があるのだろうか。大学によっては私語が甚だしいところもある。九大でもそういう講義を見た。しかし、それに注意をするようになったら学生をバカにしていると同じだろう。
 二つばかりの私大で講義をしている。私語をしようとする者は多い。だけど僕は私語を決して注意しない。ただ、私語がある限り授業は進めないから私語はしなくなる。それはおとなに対する礼儀というものだろう。友人の私語を注意してくれることを教師に期待するのは自らの幼児性を示すものでしかない。それにつきあうことでわれわれは評価されるのか。
 私語に対する適切な対応? そういうものが大学の授業評価に入っていることがおかしい。

 で、だ。1人ひとりの学生の理解度を見ながら、それに合わせていくという進め方をしなくてはならないらしい。そんなことをしたらシラバス通りにはすすまない。学生のペースとは何だ。講義を聴くのにペースがあるのか。学習指導要領に縛られていない大学だから学生の理解度に合わせた講義はできる。それならばシラバスを廃止すべきだ。とは言え、極力そのように努力はしてきたが、それだけシラバスはめちゃくちゃになる。それを後述のように「まとまりのある」講義に仕上げるのは至難の業だろうな。

 明瞭な口調で、聞き取りやすい話し方をすべきなんだと。僕のように先天的に滑舌の悪い人間はどうすればいいのだ。答は一つ。発声練習を毎日することだ。まもなく大学のあちこちで教員たちの発声練習の声が響き渡るようになるだろう。それが望ましい大学の姿なのだ。笑止。

大切なポイントを要約して伝えなくてはならない。しかし、これは困る。講義を要点にまとめるのは学生自身の訓練であって教員がすべきことではないと思うが、そういうポイントをまとめる能力は学生につける必要はないようなのだ。ノートまでとってやらなければならないのか。

授業評価

2009年03月04日 11時07分41秒 | 学部教育情報

今日結果が配られた。僕の場合は以下のよう。とりあえず感想を付しておいた。
数字は僕の点数。今回はかなり悪い。

〈担当教員の教え方について〉
Q9. 教員に熱意があった。3.00
僕の熱意をどうやって学生は理解するのだ。熱く語る必要があるのか。研究に対する熱意を示したら大切なポイントやら丁寧な説明はできない。

Q10.学生の受講態度への対応が適切であった。2.81
何かと思ったら私語なんかに対して注意したかどうか、だと。私語なんかないし、携帯をいじっているやつもいない。じゃ、何を評価としたのか。

Q11.学生の理解度やペースを考慮していた。2.70
毎回、わからないことや意見などを回収し、それについて丁寧な解説を付け加えていたのだが、それ他でもついて来られないヤツが多いということか。

Q12.口調が明瞭で、聞き取りやすかった。2.33
天性の滑舌の悪さがあるのだが、それを評価するというのはある意味障害に対する差別を助長してはいないか。

Q13.大切なポイントを適切に要約してくれた。2.33
大切なポイントは自分でつかむもの。

Q14.説明が丁寧でわかりやすかった。2.85
これ以上丁寧に説明することはできそうにないのだが。

Q15.教材や教具の活用が効果的であった。2.63
落語がおもしろくなかったのだろう。

Q16.授業にメリハリがあった。2.26
メリハリとは何か。やはり五段階教授法とかをやるべきなのか。

Q17.授業は全体としてまとまりがあった。2.41
まとまらないようにしている。

Q18.学生に、質問や意見発表を促した。3.37
毎回質問紙を配ってもこんなものか。ちゅうことは始終「質問はないかね」と言い続けなくてはならないのか。