新谷研究室

新谷研究室の教育・研究・社会活動及びそれにかかわる新谷個人の問題を考える。

まだ出て来ない

2007年12月31日 23時07分08秒 | 教育・研究
昨日、時間ができたので、ジュンク堂に立ち寄って思わず買ったのが、この本。いわゆる教養論から新制大学における一般教育の成立までいろいろ書いてあるので買ってしまった。んで、ここに紹介しようとしたが、帰ってから風呂で読み、寝る前に読もうとしたところまでは覚えているが、見つからない。大騒ぎで小一時間探したが、見つからない。寝る前に読もうとしたのでその周辺まで探したが出て来ない。カミさんに教えを乞うとベッドの下を探してご覧、とのご託宣。……あった。
探している途中で、高山文彦『水平記』を見つけた。見あたらないし、文庫が出たというので文庫版を買ったところだった。

ジュンク堂で『吉原と島原』を手にとって、買ったら出てくるかな、などと考えたが900円という値段にびびって買わなかった。
つまり、『吉原と島原』は出て来ない。




移りゆく「教養」 (日本の〈現代〉 (5))
苅部 直
NTT出版

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モノをなくす

2007年12月28日 09時27分42秒 | 私生活
最近は(と言っても今に始まったことではないと、カミさんは申しております)すぐに手元からモノがなくなる。どこかにしまい直したとか、忘れたとか、様々な要素がそこには絡む。整理整頓ができないというのも大きな要因のひとつだ。昨日は帰りがけに短歌誌を持ち帰ったのだが、今朝一冊見あたらない。電車の中に忘れたのかと思っていたが、今、風呂場に置いてきたことを思い出した。たぶんそうだろう。
本書↓も最近僕の前から消えたままである。読みかけのまま消えてしまった。どうしてそういうことが起きるのか、謎である。
本日は雨模様。気はどんどん滅入っていく。

吉原と島原 (講談社学術文庫)
小野 武雄
講談社

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『沖縄戦・渡嘉敷島「集団自決」の真実』をめぐって

2007年12月27日 10時23分57秒 | 教育・研究
先ほど人権研究所から電話があった。送った原稿についてだが、今回の号は職員募集記事で埋まるので、次回に載せたいということだった。宮脇氏の意見が当初本誌掲載を企図して大部のものであったのを「ニュース」用に書き直してもらったというので、僕のもこのまま「ニュース」用にということだった。会員内部の議論がまず大切なのでそれでいいと思う。
今日の新聞でも教科書記載について書かれていた。出ていた意見の要旨を見ても世の常識は暗黙に強制されたというところにあり、「公式に命令書は出していない」というのが史実派(?)だ。「公式に命令書は出していない」と敢えて言うことで何を主張したいのだろうか。曽野綾子氏は日本国家に責任を持っていっている。論理的にそちらに持っていかざるを得ない。それは当時の臣民教育の批判であり、それこそ修身科やら錬成の批判になる。そうすれば国家(大日本帝国)の戦争責任に行くだろう。それは軍国日本を擁護したい人びとにとってはまずいだろう、と思うのだが。
国体か、旧日本軍か、自決した人びとか、戦後民主主義かいずれにしても、いったい何を護りたいのか。それが問題だ。

沖縄戦・渡嘉敷島「集団自決」の真実―日本軍の住民自決命令はなかった! (ワックBUNKO)
曽野 綾子
ワック

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錬成

2007年12月27日 10時02分02秒 | 教育・研究
清水さんの集中講義に院生諸君はずいぶんと刺激を受けているらしい。「錬成」をなんと英訳するのか。で議論になった。trainingもdrillingもしっくりいかない。心身の鍛錬という考え方が英語圏にはないのだろう。
講義中に見た映画の話も盛り上がっていた。見てない僕はちょっと悔しかったが、映像という資史料は時代を把握する上で重要だと思う。

昨夜は受講生が清水先生を囲む会をしていた。(写真)
それぞれにいい夜であったと思う。

物理学校―近代史のなかの理科学生 (中公新書ラクレ)
馬場 錬成
中央公論新社

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集中講義

2007年12月26日 00時13分24秒 | 教育・研究
今日から青山学院短期大学の清水康幸さんに集中講義に来ていただいている。本日は一日目の打ち上げをした。斯界の実力者に来ていただくことで学生諸君の受ける影響は大きいと思う。学部の講義で主役は学部学生だが、いちばんためになっているのは大学院生だろう。
戦時下の教育を研究対象としたのは寺崎御大の立教の学部ゼミが発端だったのではないかと思う。その直後寺崎先生は東大へ移り、その辺りから戦時下の教育関係の文献は古本業界で値上がりをしたと記憶している。そうした研究史上の転換期を若き清水さんたちは引っ張っていた。その気概を若い研究者たちに受け継いで欲しい。いつだって時代を動かすのは若者なのだ。
予算の関係からなかなか外部講師を呼べなくなってきている。その中で貴重なチャンスを得られたのだ。院生諸君はこの4日間に吸収し尽くして欲しい。ま、これを機に学会で清水さんと話す機会も増えると思う。
何より、来年の教育史学会の発表を3人の院生は約束した。これは大きい。


総力戦体制と教育―皇国民「錬成」の理念と実践
寺崎 昌男,戦時下教育研究会
東京大学出版会

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『沖縄ノート』

2007年12月24日 00時11分17秒 | 教育・研究
 曽野綾子の『沖縄戦・渡嘉敷島「集団自決」の真実』は大江健三郎が『沖縄ノート』でこの守備隊長を断罪しているのに対して自分はそのように人を断罪することはできないという旨の批判をしている。加藤陽一氏は前掲の書評の中で大江健三郎をファシストであるかのように「断罪」しているのだが、それはいただけない。
 加藤氏の書評を評価して同研究所ニュース『りべらしおん』No.24で、同研究所長の西尾紀臣氏は「大江さんが独自の現場取材をしていれば、もっと説得力のある曽野さんへの反証になったのではないか」と記している。そういうわけで大江健三郎の『沖縄ノート』を読んでみた。実にいい本だ。懐かしい本だと言ってもいい。60年代末期から70年にかけての時代とその思想が読み取れる。
 言えるのは後世の史実論争の中に大江健三郎を巻き込むのはおかしい。大江は人間論を語っているのである。曽野の大江批判もそこにある。大江が「あまりに巨きい罪の巨塊」という表現に対してそのように異論を唱えているのだ。大江に歴史的事実を調べろと言うのは筋違いであろうと思う。もちろん、当該人物は大江と裁判で争っているのだが、そのことと書評の文脈とは違う。
 『沖縄ノート』は名文だな。



沖縄ノート (岩波新書)
大江 健三郎
岩波書店

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『沖縄戦・渡嘉敷島「集団自決」の真実』

2007年12月23日 23時32分03秒 | 教育・研究
 福岡人権研究所の機関誌『リベラシオン』No.126に加藤陽一氏が曽野綾子『沖縄戦・渡嘉敷島「集団自決」の真実』の紹介をしている。守備隊長による自決命令はなかった、ということを史実として言いたかったのだろう。そのことを高く評価している書評であった。当然反論も多々あったようだ。その一つが宮脇繁紀氏によって同研究所ニュース『りべらしおん』No.26に掲載されている。
 ニュースの『りべらしおん』は研究所会員しか手に入れることはできないが、宮脇氏の反論はこれまでの人権問題にかかわってきた人たちにはほぼ共通するものであった。すなわち、人権とか被差別者の視点から見るべきではないかということが基本的な言い分だ。(ここで詳しく紹介する余裕はないので省略させていただく)
 基本的に僕も宮脇氏に近い感じ方をした。同時に史実に忠実にということはたいせつにしたいとも思う。それで、短い意見を書いた。25日が研究所ニュースの原稿締切だと聞いたので。明日にでも研究所に送るつもりだ。
 考えたのは歴史的事実とは何か、ということだ。ある事象があったか、なかったかということが歴史的事実なのだろうか。それで曽野綾子のこの本を読んでみた。なるほど曽野綾子のこの本にはすごい事実がいっぱい書いてある。もちろん作家だからかなり文学的に筆を走らせた部分も多いが、よく調べて書いている。そこで彼女の推測でも解釈でもなく、事実と断定されることをあげていくと真実はやはり藪の中なのだ。大量の島民が集団自決したこと、軍は数人の島民をスパイ容疑で処刑していること(そしてこれはまちがった判断かもしれないこと)、島民は軍から頼まれたことは命令だと思っていたこと、軍隊は大の虫を生かすために小の虫を見捨てるものであるということ…そういうことは曽野綾子氏も認めている。それと守備隊長が自決命令を出したのを聞いた人はいないこと、である。
 問題にしたいのはそれらの事実から何を説明するかということである。曽野綾子氏は必要以上の意見は述べてはいない。ただ、守備隊長個人は非難されているように自決命令を出したという罪はないのではないのかということである。これを利用しようとしている人たちは沖縄の人々は軍の責任ではなく勝手に死んだことにしたい、ということだろうと思う。そして沖縄の人々は自分たちは日本軍に殺されたと言いたいのだと思う。
 事実はそんなに違ってはいない。しかし、事実を受け取った人々それぞれに事実は違って受け止められているのだ。このことが重要だ。いじめっ子が「僕はいじめていない、ただの冗談だった」と言う。事実はそうであるのかもしれない。しかし、それをいじめと受け取った子は死ぬほどの苦しみをしているのである。
 曽野綾子のこの本は一度読むには値すると思う。そしてそれぞれの立場で誤読して欲しいと思う。
 


沖縄戦・渡嘉敷島「集団自決」の真実―日本軍の住民自決命令はなかった! (ワックBUNKO)
曽野 綾子
ワック

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マリアッチ

2007年12月10日 20時16分43秒 | 私生活
先日、訳あって代車に乗っていた。そういうわけでこのところ聞いている落語のiPodは聞けなくてラジオをかけていたのだ。そうして郵便局前の小道を走っていたらdogloverさんが歩いていたので乗せてあげた。とそのときラジオから何ともいい音楽がなり出した。dogloverさんはCDだと思ったのか、「これは何ですか?」と尋ねたのだが、答えられない。んで2人で「いいね、いいね」と言いながら「なんて曲だろう?」と悩みつつ、大学に着いたのだ。
本日、ののさんを乗せて昼食に行こうとしたとき、この曲が流れた。ののさんも「いいですね、いいですね」と言う。誰が聞いても「いいですね」と言う曲なのだ。そう、本日はCDを流していたのです。つまり、ワンフレーズからこの曲を探し出し、CDをゲットしたのはすごいだろう。
どこかで聞いたような曲で、喉元まで出かかる懐かしさなのだが、先ほど思い出した。「エノケンの洒落男」の感覚なのだ。わかるかな?わっからないだろな。「♪おれぇ~は、むらじゅうぅでいちばん、モボだといわれぇ~たぁ、男♪」という歌だ。
それで曲の感じが「森の熊さん」にも似ているのだ。
それが、これ↓。聴きたい人は僕の車にどうぞ。



バンバンバザール
インディーズ・メーカー

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教育社会学の方法?

2007年12月07日 01時30分49秒 | 教育・研究
 ゼミで門脇厚司・北村久美子「大正期新学校支持層の社会的特性 ―成城学園入学者父兄の特性分析をもとに―」という論文を読んだ。パーソナルコンピーターにデータをインプットしたとか豪語しているようにまだパソコンが普及していない時代のデータ処理歴史社会学論文だ。いくら「社会学的」に処理するにしても教育史の基礎くらいは知っておいて欲しいと思わざるを得なかった。
 まず全くの初学者である学部の2年生が指摘したのは「どの本を読んでも高等学校が新学校だとは書いていない。新教育というのは小学校が中心なんじゃないですか」という疑問だった。それは正しい。成城高等学校は七年制高等学校である。新教育の学校であるはずがない。高等学校は帝国大学に入るための学校である。ほとんどが官立大学に入っているとか、大学への進学準備教育をしていたなんてことをあたかもコンピーターによって発見したように言うのは可笑しい。「彼女は女だ」と言っているに等しい。
 成城高等学校の生徒が小学校とはちがい東京全域から来ていることを通学圏が広いかのように分析しているのも可笑しい。高等学校なんだから全国から生徒が集まるはず。それが東京の生徒ばかりというのは通学圏が狭いと言うことだろう。
 成城小学校の親の居住地も学校から遠いか近いしか分析していない。下町とか山の手という地域文化について分析してもよさそうなのに一言も触れていない。
 こういうのが教育社会学の歴史研究だとは思わないが、データごっこで教育史を歪めないでほしいと思った次第だ。まあ、昔の論文だから、では済まされない。この程度の教育史的知識はその頃でも常識だったのだから。





学校は軍隊に似ている―学校文化史のささやき
新谷 恭明
福岡県人権研究所

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修学旅行史

2007年12月06日 16時38分12秒 | 教育・研究
ゼミで修学旅行史の研究をしているが(修学旅行史研究会と自称しつつ)、そのゼミ中に何を修学旅行とし、何を遠足とするのかを教育史的にきちんと把握しておくべきだと考えた。
修学旅行の教育史的定義については、高嶺秀夫が命名したことが重要な意味を持つ。それは行軍旅行(長途遠足)を遺憾として学術研究の要素を盛り込んだことだ。それが、既成事実となって文部省も法的に承認することになった。重要なのは法的に修学旅行が位置づけられたことではなく高嶺の定義が法的に受け入れられたということだ。だから、高等師範学校での修学旅行以前の長途遠足、行軍、兎狩りなどはすべて修学旅行ではない、とまず考えるべきである。先日のゼミではとある論文を読んだがその点で大きな過ちを犯していたようだ。それで前史的行軍らしきものの中に教育的意義があったから修学旅行のようなものだという理解をしてしまっているらしいのだが、それでは修学旅行の本質から外れた議論になってしまう。



H5N1―強毒性新型インフルエンザウイルス日本上陸のシナリオ
岡田晴恵
ダイヤモンド社

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