福岡人権研究所の機関誌『リベラシオン』No.126に加藤陽一氏が曽野綾子『沖縄戦・渡嘉敷島「集団自決」の真実』の紹介をしている。守備隊長による自決命令はなかった、ということを史実として言いたかったのだろう。そのことを高く評価している書評であった。当然反論も多々あったようだ。その一つが宮脇繁紀氏によって同研究所ニュース『りべらしおん』No.26に掲載されている。
ニュースの『りべらしおん』は研究所会員しか手に入れることはできないが、宮脇氏の反論はこれまでの人権問題にかかわってきた人たちにはほぼ共通するものであった。すなわち、人権とか被差別者の視点から見るべきではないかということが基本的な言い分だ。(ここで詳しく紹介する余裕はないので省略させていただく)
基本的に僕も宮脇氏に近い感じ方をした。同時に史実に忠実にということはたいせつにしたいとも思う。それで、短い意見を書いた。25日が研究所ニュースの原稿締切だと聞いたので。明日にでも研究所に送るつもりだ。
考えたのは歴史的事実とは何か、ということだ。ある事象があったか、なかったかということが歴史的事実なのだろうか。それで曽野綾子のこの本を読んでみた。なるほど曽野綾子のこの本にはすごい事実がいっぱい書いてある。もちろん作家だからかなり文学的に筆を走らせた部分も多いが、よく調べて書いている。そこで彼女の推測でも解釈でもなく、事実と断定されることをあげていくと真実はやはり藪の中なのだ。大量の島民が集団自決したこと、軍は数人の島民をスパイ容疑で処刑していること(そしてこれはまちがった判断かもしれないこと)、島民は軍から頼まれたことは命令だと思っていたこと、軍隊は大の虫を生かすために小の虫を見捨てるものであるということ…そういうことは曽野綾子氏も認めている。それと守備隊長が自決命令を出したのを聞いた人はいないこと、である。
問題にしたいのはそれらの事実から何を説明するかということである。曽野綾子氏は必要以上の意見は述べてはいない。ただ、守備隊長個人は非難されているように自決命令を出したという罪はないのではないのかということである。これを利用しようとしている人たちは沖縄の人々は軍の責任ではなく勝手に死んだことにしたい、ということだろうと思う。そして沖縄の人々は自分たちは日本軍に殺されたと言いたいのだと思う。
事実はそんなに違ってはいない。しかし、事実を受け取った人々それぞれに事実は違って受け止められているのだ。このことが重要だ。いじめっ子が「僕はいじめていない、ただの冗談だった」と言う。事実はそうであるのかもしれない。しかし、それをいじめと受け取った子は死ぬほどの苦しみをしているのである。
曽野綾子のこの本は一度読むには値すると思う。そしてそれぞれの立場で誤読して欲しいと思う。
| 沖縄戦・渡嘉敷島「集団自決」の真実―日本軍の住民自決命令はなかった! (ワックBUNKO)曽野 綾子ワックこのアイテムの詳細を見る |