新谷研究室

新谷研究室の教育・研究・社会活動及びそれにかかわる新谷個人の問題を考える。

どじ

2005年05月27日 23時53分22秒 | 私生活
 今日は西南女学院は向こうのイベントでお休み。午前中は書評の原稿書きと院生のSさんの書いた原稿を読ませてもらう。で、Sさんに対してとてもいい意見を書いたのだが、メールで送ろうとしたときに操作を誤って全部パー。書き直したが、どうも前のとはちがう感じがする。Sさん、ごめんね。

 午後は14時半から九州工大百年史編集委員会。途中渋滞に入り、焦る。研究員のCさんにメールを送ってアリバイを作る。はたして10分遅れで到着。配付資料を見たら14時40分よりと書いてあり、ホッとする。しかし、会議はけっこう長引いた。研究員のCさんを助手席に高速で箱崎へ。かなり時間が切迫してきたので少し焦る。夜の体操部のコンパに間に合うかどうか気になったが、高速道路の走りを楽しむ。
 大学に車を置いて地下鉄で体操部のコンパへ。なんとか集合場所には間に合い、移動。会場は益正昭和通り店なのだが、幹事役のK部長が最初に連れて行ったのはなぜか新天町店、いやまちがいだったと次に行ったのが、北天神店。三軒目にようやくたどり着くも店の準備ができてなくて、しばし待たされる。
 新歓コンパなので、上級生諸君はけっこうきびしい出費のようだった。で、大枚はたいて学生にカッコつけて、地下鉄に乗る。このままだと博多発の「きらめき」に乗れる、と思ったのだが…
 安心して原稿の一部など書きつつ、ふと気付くと「馬出がどうのこうの」とアナウンス。あっ!貝塚線ではないか。ぎりぎり千早で最終に間に合うはずだが。なんともしまらない。


 最終を待つ待合室はねむそうな倦怠感と沈黙に満つ

 結局、最終各駅になった。帰ってから「天国の階段」を一本だけ見て寝る。ほぼ2時就寝。朝は9時近くまで爆睡していた。このところの休みなし&寝不足が効いている。

 今日はごごから心のノート研究会、僕とA-ペコさんの共同作品を検討してもらうことにしている。

木曜日

2005年05月26日 19時39分33秒 | スケジュール
 それにしても芸のないタイトルだ。水曜日の次が木曜日はないだろう。なぜかというと基本的に生産モードになっていない。だからこういうことになる。赤煉瓦歌会の出詠作品ができない。今日がリミットだろう。というわけで、朝6時半からパソコンの前で頭をひねっている。よしよしは駅前にビラ捲きに行ったので、パソコンを拝借する。8時10分にようやくでっち上げて、当番のMさんにFAXで送る。アイロンがけと排便と湯沸かしを同時並行的に行う。朝食は昨夜のディナーに出たヒラマサの刺身をごま醤油に漬けておいたのをご飯に載せ、熱いお湯をかけるお茶漬け。新鮮な天然物だったのでうまい。9時から日赤の授業。今日は「女と男」がテーマ。研究室の卒業生で、この大学の助手をしているHもといAさんの研究の一部などを披瀝する。
 帰ろうとしたら遠くから名を呼ぶ声がするので探すとそのHもといAさんであった。しばし立ち話。
 いったん帰宅する。人権と共生の会のNさんが来て総会とコラボレの相談。今年のコラボレは諸般の事情で出遅れているので、その打ち合わせであった。昼食にラーメンをかっ込んで大学へ。研究院長とさることで打ち合わせ。本日はそのさることバタバタ。
 教育学文献講読は今日は神近市子。おもしろかった。
 この授業は毎週一冊ずつ自伝を読んでもらい発表してもらう。いろんな人の自伝(自分で総括した人生)から人間の成長や生き方を学ぶのがねらい。教育史をめざす人間には当事者の生きた時代や学びの背景を知ることができるし、カウンセラー志望者には人間の心の襞を感じるきっかけにでもしてもらえればと思って始めたことだが、けっこうおもしろい。あんまり教師としての僕が説明しないほうがいいみたいなので、黙っているように努めている。で、今日は神近市子。大杉栄との刃傷事件は有名だが、学生はもっと彼女の人間としての生き方に迫っていた。

水曜日

2005年05月25日 18時36分30秒 | 管理・運営
 昨日は相変わらずの会議日だった。午前中にあった企画委員会はもっともたいへんな会議である。人環の今年の年度消す書くの半分くらいはこの委員会で考えなくてはならないからだ。結局WG(ワーキンググループ)を3つばかり作ってしまった。来週は将来構想委員会。ここでもWGを3つばかり作ることになる。人任せ作戦なのだ。
 企画委員会では人環コロキウムのことについても議論している。昨年までは博士課程のイベントであったが、D2はかなりきついだろうというので、M1を入れてはどうかという改革案を練ってもらうことにした。しかし、今年は暫定的に加勢委員としてM1を入れようということになった。新専攻の実践臨床心理専攻からも委員を入れることになったが、これはとりあえずM1相当ということになる。具体的な改革案はWGにお任せした。良い案が出てくるのを楽しみにしているのだ。それとこの委員をやったら単位にするというのをWGで考えてもらっている。楽しみが増えるだろう。

 おうおう今日は結婚30周年の記念日なんだわい。夜間のゼミが終わったらすぐに蛙ぞ。思えば短い30年だった。ふりかえってもたいしたことはない30年であった。愛が深まったかどうかは定かではないが、お互いに相手を自分に都合のいい道具とはしないでやってきたことだ。それぞれに自立。だからいつでも楽しい。
 

疲れは残る

2005年05月23日 16時48分54秒 | 教育・研究
 昨夜は福島から新幹線に乗り、羽田発の最終便で福岡へ。しかも、飛行機は遅れた。で、家には帰らずに研究室に直行し、N氏のための推薦状を書く。停電でサーバーが落ちていたため、公募の詳細がわからず、そこは空白にして切り上げる。帰宅は1時近くになった。結局2時過ぎに寝る。疲れが残ったまま起床。大根とわかめのみそ汁を作る。大根はイチョウに切って半量の味噌で煮る。わかめを入れて残りの味噌を入れると味噌の香りを殺さない。味噌を溶きつつ家人を起こす。ちょうど食卓につくころ香り高い味噌汁ができあがるというわけだ。味噌汁は作りたてしかうまくない。で、味噌汁調理人の特権として調理台の前でできたてを一杯啜る。これがいい。
 疲れた身体にむち打って出勤。バタバタと推薦書を書き直し、推敲して厳封しN氏に渡す。
 ゼミには欠席者多し。ぶりっ!
 昼、卒業生でN市大のUさんが来る。昼食はあの手羽もとカレーが食べたいというので一番館に行った。少し元気になった。帰り道オペラでケーキを買って戻る。企画委員会の資料づくりなんかしている。
 C女学園大学のK氏が来てインドの旅行計画を置いていく。そのあと世界不思議発見のビデオを見た。今度行くところを特集していたのだ。

全国地方教育史学会

2005年05月21日 16時01分25秒 | 教育・研究
 昨夜は中等教育史研究会の懇親会でした。会場のお店に福島大学の女子学生が案内してくれたのだが、なんと顔なじみっちゅう雰囲気で入っていく。不審に思ったら、その学生のバイト先だった。まもなく着物姿で登場した。K短大のMさんほか仲間たちと同じホテル。示し合わせてラーメンごっつに行く。朝食はお粥定食。
 今日は全国地方教育史学会の第一日目の資料見学会で、県立歴史資料館に行きました。資料館の近くに変な建物がありました。手作りカレーの古美術店で営業はしてませんでした。

中等教育史研究会

2005年05月19日 12時08分03秒 | 教育・研究
 本日は日赤国際看護大学で講義。午後は某医科大学で治療。夕方の教育学文献講読の後大学近くのホテルに投宿。教研世話人会の夕食会。あしたの朝は早起き7時10分の飛行機で東京そして新幹線で福島へ。中等教育史研究会と全国地方教育史学会が福島大学であるのだ。シンポジウムの司会をすることになっていた。
 機内と新幹線内でどういう仕事をするかだ。最近はこういう場で仕事の時間を稼いでいる。むしろ一日時間ができてもぼーっと過ごしてしまい、空港のロビーでいい原稿を書いたりしている。
 昨日、2階の研究室に院生がたむろして学振の対策を練っていた。なるべくたくさん通ってほしい。今はかなりの数の採用があるのだから、取れるような努力をしよう。今年dogloverさんが通ったように、業績があまりいわれないDC1はねらい目だ。自分の研究テーマの意義をいかに説得的に相手に伝えるか、という技術はもっと勉強していい。それは論文の書き方にも通じるし、ディスカッションの仕方にも通じる。そういう小細工は学問の神髄ではない、などという人もたまにはいるがそういう人は実は研究らしきものは何もできていないものである。痩せ犬の遠吠えという。
 社会的意義のあるものが通りやすいとはよく言われることである。確かにそうかもしれない。しかし、それは世に阿るということではない。学問研究としての意義や研究に値する意味というのはちゃんとあるのだ。むしろ史哲のような基礎学に研究の意義のあるものがあるはずである。通らないのは自分本位になっているからかもしれない。殊に教育学はもとより実用の学である。役に立つことで存在理由のある学問なので、そこでの基礎学という位置づけをきちんと知る必要があるだろう。それがわかっていないとどうにもならない。

今年もインドに行くバイ

2005年05月17日 10時24分44秒 | 私生活
 昨年末はTSUNAMIをかいくぐってのインド旅行でしたが、今年もまた行くことにした。例によりC女学園大学のK氏がツアーリーダーだが、今年は埼玉のD大のK肇氏夫妻、都内A短大のS氏夫妻、新潟県のN大Y氏夫妻というようにラブラブなのか修復なのかわからないけどつがいでの参加申請ばかりなのでK氏と僕はあぶれてしまう。で、K氏はつがい組とは別行動をとろうかなとか考えているらしい。で、昨日研究室で以前から関心を示していたlomonさんに声をかけたらのってきた。そしたらdogloverさんもいくいくと言うので一気にフレッシュなメンバーが誕生した。
 昨年末のインド旅行は北限72号に描かれているので参照されたし。ちなみにN大学のY氏は以前インドに行ったときから歌人になって僕と同じ塔短歌会で活躍しています。歌は僕よりうまいので、lemonさんもdogloverさんも短歌の手ほどきを受けることができます。

お勧め

2005年05月16日 09時51分40秒 | 教育・研究
 7日に東京でやったさる出版記念パーティーとはこの本のことであった。
 中野実研究会編『反大学論と大学史研究』東信堂 4800円だ。
 畏友中野実が亡くなって三年になるが中野実にまつわる3冊目の出版物になる。中野実は実は反大学論者であった。彼の若い頃を知る人間にとってはある程度知られていたことではあるが、彼が大学史研究者として名をなしてからはあまり語られることもなく、次世代の人々は知らなかったであろうと思われる。
 本書は中野実の反大学論及び大学論にかかわる文章と彼をめぐる人々の回想文などによって構成されているが、実はすぐれて70年代という時代を描いた本となっている。60年代が大学闘争に象徴されるように政治の時代であったのに対して70年代は赤軍派のハイジャック事件で幕を開ける。つまり、政治の季節が終わりを告げ、展望のない閉塞感の中で60年代を引きずる最後のあがきのようなものが大学の中に澱のように溜まっていた時代であったからだ。中野実はそういう時代の中で大学生となった。表紙カバーにはいみじくも彼の出身の立教大学と、彼の最後の職場となった東京大学をそれぞれ象徴する建物の写真が並んでいる。そして彼はいずれの大学にもnonを唱え、いずれの大学をも愛した。私大出身の反大学論者が帝国大学の頂点であるトーダイのアイデンティティを構築する仕事の第一人者となっていったこと。そしてそれは決して反大学論への裏切りではなかったことを本書は描こうとしている。同時にそういう生き方が70年代という時代を象徴していると思う。
 単なる一大学史研究者の死を惜しむ追悼の書としてではなく、大学史を研究する課題意識、大学問題に直接向き合うパトスをここから汲み取る書として若い世代の研究者は読むべきであろうと思う。研究に取り組む課題意識を見つめ直すために。

鬼平犯科帖

2005年05月12日 14時06分29秒 | 私生活
 池波正太郎はいい。鬼平は全部読んだし、仕掛人藤枝梅安シリーズもいい。なにしろ旨そう食い物が出てくる。ところで、地図の人文社から古地図シリーズが出ているが、それに鬼平シリーズに出てくる家や飲食店を書き込んだのが出版されている。これは便利です。鬼平の登場人物の住処や名物一本うどんの店とかが載っているのですから。
 鬼平のホームページもけっこう凝ったのがある。

不愉快なこと

2005年05月10日 15時32分51秒 | 教育・研究
 C女学園大のK氏が訪ねてきて、学会の打ち合わせをしたのはさておき、彼は最近村上龍の『半島を出よ』と三崎亜記『となり町戦争』を読んだという。なんとまったく僕の最近の読んだ本と重なっているではないか。それはかなりムッとしたことであった。『となり町戦争』はベッドサイドに置いておいて、目が覚めてから朝食を作るまでの間に読了してしまった。まさに朝飯前だ。K氏は飛行機の中で読み終えたという。いずれにしてもすいすい読める。目に見えない戦争が始まり市民の無関心の中で進行し、終わっていくところに現代の社会状況を想像できて興味深い。
 『半島を出よ』についてはK氏は期待はずれであったようだが、僕は着想はおもしろいし、それなりのリアリティはあると思った。デティールに力が入るせいか、話の進み方が遅い。映像化すると良いというのではK氏と意見は一致した。にしても、小さな島ひとつを制圧して人質を取ればこの国は簡単におさえられる、という発想はすごい。ただ、村上龍の描いた人物が単純な救国者になってしまうのはいささか残念。ニッポン壊滅まで話を進めてほしかったな。
 研究の合間に小説でも読むといい。多様な人間観が理解できるから。そうそう佐藤秀峰『ブラックジャックによろしく』の11巻目が出た。おすすめ。