新谷研究室

新谷研究室の教育・研究・社会活動及びそれにかかわる新谷個人の問題を考える。

教育史とは

2005年10月30日 20時53分09秒 | 教育・研究
 前回の続きだが、歴史研究そのものがどういう意義を持っているのか、を問わなければならない。何が面白くて研究をするのかというときに、何らかの成果主義のために(業績を一本作った!みたいな)研究をするのでは楽しくないだろう。自然科学だってそうだろうと思う。論文を一本作るために研究をするのではなく、研究をしていたら論文ができたというのが正しい。論文にまとめる技巧というのはその後についてくるものなのである。昔そんなことがあったんだよ、という研究にどういう意義があるのだろうか。トリビアの泉という番組で「へぇ~」というのをポイントにしているのだが、それは登場してくる知識がほんとうに役に立たないのではなく、実は何らかの意味を持っているということに「へぇ~」がついてくるのだ。二宮金次郎の像には高岡の銅器製造業者による銅像と岡崎の石屋による石像の二つのスタイルがあった、というだけでは「ふぅ~ん」(軽く無視)というだけで「へぇ~」はついてこない。これは皇紀2600年というイベントに乗じて銅像やら石像を小学校長会や地方名士にそれらの製造業者の組合が営業してまわったことによって広まった、というといくばくかの「へぇ~」はついてくる。なぜならそれには歴史的意味がついてくるからである。しかし、「なるほど」というほどにはならないのでなかなか論文にはなりにくいということになる。とは言え、社会史的発想を持てば政策的に二宮金次郎という道徳的人物を押しつけたのではなく、中小製造業者の商売根性が地方名士の「学校に寄付をする売名行為」と結びついて結果的に国民道徳の形成に貢献したという意味を見出すことになるのである。そうすると研究論文のネタにはなる。
 最近の研究を見てみると「ふぅ~ん」のレベルの研究が多いと思う。自分の研究を最低「へぇ~」程度にはしてほしい。
 本日は福岡市博物館に行った。おりしも浮世絵三大巨匠展をやっていたのだが、広重の東海道五十三次の絵に現在の同じ場所を写真で写したものが一緒に貼られていた。これは確か今年退職した都市・建築部門の萩島哲センセがやってた研究のパクリだぜ。いろいろ探したが萩島センセの名前はなかった。萩島さんは広重でやっただけでなく、ヨーロッパの絵画でも同じことをやっている。萩島センセの冒険だな。

 遊びこそ学問の根だと言ひさうな萩島教授が屋台論講ず
                    (『短歌』2005年1月号特選作品)



広重の浮世絵風景画と景観デザイン―東海道五十三次と木曽街道六十九次の景観

九州大学出版会

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新刊予告

2005年10月30日 09時13分02秒 | 教育・研究
 29日のアクセス数がガクッと落ちている。もとい週末は落ちるのだが、昨日今日と大学のサーバーが不調のようだ。教育学部や人環のHPにつながらない。もとい僕のHPにもつながらない。30名ほどの人間が大学のHPからこのブログに入るのを断念したようなのだ。断念ということではなく面倒で立ち寄らなかったということなのだろう。
 現在作成中の『学校の文化史』の草稿がほぼまとまってきた。今週中には仕上げて印刷にまわしたいと思う。振り返りつつ思うのだが、教育史と言われるものの研究の意義である。教育学部という政策的な学部が戦後登場し、教員養成という職場があったために教育史という領域も学会を作り、歴史を形成してきた。
 しかし、教育学というものじたいが大きく変わらされつつあるような傾向にある。教育学というのは九大教育学部でいえば旧教育学講座(現教育哲学研究室)が行っていた研究のことであった。「であった」という過去形で言うのはかつて文学部の中に教育学があった頃の話である。戦後政策として教育学部ができ、教員養成系の教育学教育が行われるようになって教育学の領域も広がった。そしてその枝のひとつである教育心理学や教育社会学はかなり肥大化し、教育社会学などは教育学会とは別の教育学の世界を作っているような趣もある。
 それは教育のフィールドを何のために研究するか、ということが試されているのだと考えている。「日本史学」という領域の中で教育の歴史について語られることと、教育学の一分野である日本教育史が語るところは同じなのかちがうのか。昨今では教育社会学の中の「歴史社会学」と称する研究とどう違うのか、ということはけっこう重要なのだと思う。ただ、勘違いしてはならないのは○○学的研究という棲み分けの問題ではないのだ、ということである。教育というのはやはりひとつの専門業種である。学校であれ、社会教育であれ、そこには〈学び〉を必要とする人がいて、〈教え〉を生業としちゃった人がいるわけで、その人たちに求められているのは自分たちにとって意味のある研究とは何かということであろう。
 自重しておかなければならないのは教育学領域は政策的に設けられた領域であり、純粋学問としてはもとより存在し得ないということである。だから政策科学としての自己認識は常に必要ではないかということが第一にあげられる。何のために教育史を研究するのか。それは私たちの営みとしての教育に力を与えるために、である。



 

ゼロから話せるスペイン語―会話中心

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今日は会議日

2005年10月26日 16時50分50秒 | 管理・運営
 今日は午前中は大学院改革案について本部企画部との話し合い。いろいろな意見がありますなあ、というところ。くたびれて戻ると留守電がチカチカしているので、確かめると県教委のIさん。二日間連絡が行き違っていたがやっと繋がった。すぐに連絡すると、われわれの提案に沿って支援するとのこと。心強い話である。
 そのあと、学位論文の構想発表会。お一人のしか聴いていないので、その方の分だけだけど、歴史研究は理論枠組みに史実をこじつけていくのではなく、史実から歴史を再構成していくという記述にすべきだと思った。このことは審査会でも述べたし、本人にも伝わっていると思う。歴史研究は枠組みで固めていくものではない。人間が生きてきた営みの痕跡を拾い集めていくというのが基本なのだ。人間を生かさないで歴史研究はないだろう。論文を最もらしく書くということより、楽しく書く、という姿勢から入れば結果的によい論文になるのである。僕は自分の書いた『尋常中学校の成立』が好きだ。だっておもしろいんだもん。
 で、教授会をやって、人権と共生の会の実行委員会をやってぇ、と続くので夜半までぎっしり。で、健康行動学専攻のHセンセから学位論文の差し替え分をもらいカバンに、ああいっぱい読むものがありますね。
尋常中学校の成立


専門職大学院総合ガイド―即戦力となる「キャリア」と「資格」への最短コース

プレジデント社

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今日行くのか

2005年10月25日 15時54分43秒 | 教育・研究
 今朝は早起きして車は家においてきた。駅まで歩くことで少しは運動しようと思ったからだ。昨夜の夜間の講義と今朝の一限、二限と連続の授業は疲労感をたっぷりくれる。脳に乳酸がたまった感じだ。歴史的想像力について講義をしているのだが、細かいところは講義ブログを見てもらうこととしてともかく今日は「教育の火」曜日である。そしたらタイトルが「今日行くのか」になってしまい、よくわからなくなってしまった。
 講義のあとで学生が質問に来てくれた。うれしい。TAのハニおさんが鼻をぐずぐずさせて帰って行った。
 県教委の然るべき人物にに連絡がとれない。会議中だったり、出張だったり…。もちっと教育的仕事をして今日は帰ろう。

女大学集

平凡社

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お昼は三種のカレー

2005年10月24日 14時51分36秒 | 教育・研究
 今日のお昼はmarronさんが「アスパラとチキンとうずらの卵のカレー」で、僕が「牛すじと冬瓜とマッシュルームのカレー」入っている三種類の組み合わせの根拠はよくわからないが、冬瓜はいけた。もちろん一番館(ココイチではない)
インド、カレーの旅―本場の味を求めて、インドカレーめぐり

文化出版局

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月例研究会

2005年10月24日 08時31分51秒 | 教育・研究
 23日は午前中に福岡市人権啓発センターでキャッチャー養成講座の講師を務める。キャッチャー養成講座といっても城島のあとをどうするかという問題ではない。けっこう質問が多かった。おおむね励ましてあげる。宗像の旧知のセンセが来てたのにはまいった。
 午後は研究室の月例の研究会。本日は二十四の瞳を鑑賞するはずだったが、dogloverさんひとり淋しくちがうDVDを見ている。どうもこのビデオだけ機械がはじくようなのだ。おかしい。
 今日はN国際大学のYさんが参加してくれた。marronさんの研究室の後輩だ。奥さんはスレンダーなスポーツギャルなんだと。発表は卒論を控えた21世紀プログラムのAさんと高鍋シリーズのSさん。Aさん、始まりが遅い。ともかく資料を集めよう。対象を絞ろう。足を使って稼ごう。がんばろうね。Sくん、先行研究に対する自分の研究の位置づけが大切。なんか人の作った枠組みもどきに乗っけて「らしく」見せるのはよくない。これはみんなに言えること。研究は新しい発見なのだから、そういう自覚で自己表現しよう。形式はあとからつけられる。
 夜は深酒。N尾くんが行政書士の試験が終わったと言って来てくれた。受かるといいね。

「仁」と「諌」―高鍋藩・鷹山を育んだ風土の形成と展開

鉱脈社

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土曜日もお仕事

2005年10月23日 00時11分17秒 | 教育・研究
 本日は午前中に原稿書き。『学校の文化史』の草稿に手を入れる。昼飯は例の盛岡冷麺を食べ、車を飛ばしてQ工大へ。Q工大には赤いRX8があるという噂を聞いていたのだが、果たして警備員氏は「職員の方でしょ」と言って手続きなしで通してくれた。
 百年史の打ち合わせ会議である。S県立大のM氏、N造船大のK氏らと久々の邂逅であった。帰りがけにAさんが専従のCさんのことを、「彼女はすごくいい。自分で仕事を作れる。そういうのが貴重な存在だ。」と誉めていた。Cさん、がんばってね。
 カミさんから「夜映画行こう」と誘われていたので、高速を楽しみながら蛙ことにした。しかし、逆光をモロにくらい、夕方にサングラスという惨めな走りであった。で、夜8:45開始の「私の頭の中の消しゴム」を見た。若年性アルツハイマーを題材にしたものである。本日封切りのせいかかなり混んでいた。夕日が不自然に落ちたり、けっこう遊びが入っている。とは言え深刻なテーマとそれなりのラブストーリーでかなり泣いている人もいた。
 車の中の音楽はようやくちあきなおみになったぞ。「黄昏のビギン」から「矢切の渡し」まで入っているので、ちょっと落ち着かない。「黄昏のビギン」は絶品であるが演歌っぽいのと抱き合わせたのはやはり「全曲集」だからか。にしても「黄昏のビギン」は何となくおとなの恋の感じがして引き込まれる。

私の頭の中の消しゴム

小学館

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買ったのはこれ

2005年10月22日 08時41分06秒 | 私生活
 昨日買ったのはこれ。すごく山口百恵の声がきれいに聞こえる。山口百恵ははじめ大人びた少女のイメージで売り出していたが、声は幼かった。しかし、横須賀ストーリーあたりからいい声になってきた。そして今聴いてみると歌は上手い。演歌系だった森昌子が上手いと言われ、ポップス系の山口百恵の歌唱力がどうのと言われることはあまりなかった。結果的に無冠の女王として一線を去ったが、去るときの惜しまれ方、引退後の売れ方では圧倒的に山口百恵だ。三浦友和という二流の俳優を見出し、育て、夫にして陰で支えてきているが、三浦友和が一流にはなれていないがゆえにいいのかもしれない。車に乗るのが楽しみである。プレイバックパートⅡにあるように「真っ赤なエイト」(?)の中で聴くのは最高だぜ。

山口百恵 ゴールデンJ-POP THE BEST
山口百恵
ソニーミュージックエンタテインメント

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