やおよろずの神々の棲む国でⅡ

〝世界に貢献する誇りある日本″の実現を願いつつ、生きること、ことば、子育て、政治・経済などについて考えつづけます。

教育技術の向上 3/3 ~実証的研究・実践の大事さ~

2011年08月17日 | ~h27 教育/小学校

教育技術の向上 3/3
 向山洋一氏の小論を中心に、前々回前回と「教育技術の研究と実践のありかた」についておおまかに考えてきた。今回は、私の体験も交えてもう少し具体的に考える。

■ 実証的研究・実践の大事さ
 

 向山氏は、論の冒頭で宿題
で学力がつくというのは迷信である。」と、教員・国民のほとんどの常識を否定して断言されている。
 なぜ、断言できるのか・・・それは、「約1万人の
研究会員」が毎年度「全国調査をして」おり、その結果を分析しているからだろう。
 私は「宿題は知識・技能の定着の役にたつ(だろう)」と考えて、ほぼ毎日宿題を出していたが、「
計算ドリル、漢字ドリルを宿題にしていたクラスの学力は低い。」と言われると、けっこう衝撃を受ける。受けるが、氏の断言を重く受け入れる。なぜなら、客観的なデータを基にした結論だと信じられるからだ。
 

 次に、授業中にプリントで学習する教師のクラスも学力は低い。」と断言され、教材としての教科書や専門的な市販教材の優秀さと高い使用効果について述べられている。
 実は、これも多くの教員の「常識」に反するだろう。教員の多くは、《自作教材は目の前の児童の実態に合わせて作られた優れた教材》と思っているだろう。私もかなりの自作教材を作ってきたし、おそらく教えるのに熱心な教師の多くが多作しているだろう。


 上記2点とも多くの教師の常識に反するうえに、「学力低下を招く」とまで言われている。
 そこまで言われると、怒ったり、反発する先生がかなりおられるだろう。しかし、本当に《自分が教えている子を賢くしたい》と願うのなら、一度は向山氏の論拠を専門的に、かつより詳細に調べるべきだろう。
 向山氏が「思いつき」で断言しているとは思えないからだ。 TOSSの《実証的研究・実践》の方法を使って結論が出されているのならば、それは重く受け止めたほうがよい。そして納得できれば、自らの「教育技術の改善」に活かすべきことなのだと思う。



 小論の最後には 「教えることの大切さ」が述べられている。 これは体験上よくわかる。
 ほんの一例をあげると・・・34年前に佐賀県の春日小学校で45名の1年生を受け持ったときのこと。生意気な28歳の若造だった私は、《入学当初の給食準備の方法》について、対等学級の3人の女性先輩教師の採った方法(=当時の春日小の通例)ではない方法を採った。他の3学級は、《4月あるいは1学期いっぱい(?)は6年生から準備してもらう方法》。一方、我が1年4組は《最初から1年生だけで準備する方法=希望者を募り、準備の仕方を教え、訓練する。順次全員に広げる)。革命的方法を採用した目的は《賢くて何にでも挑戦する1年生》を育てたかったこと。採用の根拠は、《家事を手伝っている子や、難しくても挑戦したい子が4分の1ほどはいるだろう、という推理》。それは見事に成功した。
 氏が言われるように、「教えて」「ほめる」ことが学校では(も)最重要。それにより、子は驚くほどの成長をする。
  

※蛇足1・・・3回で書いてきたのは「教育技術(の向上)」についてであって、「教育目標」や「教育内容」、「教育論」などについてではありません。
※蛇足2・・・「法則化」と称してあるように、TOSSは《まともな教師であれば誰でも有効に使える一般的教育技術の開発と普及》をされていると思います。したがって、その方法は、相対的に単純な(と私は思う)技能教科には極めて有効であり、科学的かつ論理的な理数科や、人文科学としての社会科にもとても有効だと思う。
 ただし、教師の人格・識見・価値観・生き方などにまで関わってくるような「道徳」「歴史」「公民」や、《世界(宇宙)と人間の脳内世界の総体を表しているような言語》に関して学ぶ「国語」については、通常の「教育技術(論)」だけでは対応できない内容がかなりあると思います。したがって、先生方には、技術に安住することなく、《人間に関わる豊かな体験と思考》を重ね続けて、師たるべく、修行を深められるよう期待いたします。


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