やおよろずの神々の棲む国でⅡ

〝世界に貢献する誇りある日本″の実現を願いつつ、生きること、ことば、子育て、政治・経済などについて考えつづけます。

ある人々は、《3つの世界》で生きている。

2011年02月03日 | ~h27 生き方/文明
 人にとって、「世界」とはなんだろうか?

1.現実世界・・・多くの人々は、自分はこの現実世界(だけ)で生きていると思っている。別名「この世」(死ねば「あの世」に逝くと思っているだろう)。
 「科学的世界」・「客観世界」と言ってもよい。つまり、《誰もが同じように認識することができる(と思っている)》、《同じ条件で同じ手順を踏めば、同じ現象が再現できる》 世界だ。

2.脳内世界・・・脳を持つ人は(あらゆる動物も)、この脳内世界を創らないと生きていけない。なぜなら、すべての人は、《脳内の想像世界(=現実世界についてのシミュレーション・バーチャル世界)での認識と判断に基づいて》 現実の行動を起こしているからだ。
 「主観世界」と言ってもよい。 この主観世界は、たとえ同じ(ような)現実世界に棲んでいても、原理的に(=絶対に)すべての人が違っている。これが「個性」の本質。 

 ここまではおおむね納得してもらえたと思う、すべての人は原理的に、同時に2つの世界で生きている。》 ことを。

~さて、そのすべての人のうち、《宗教的世界》 にも棲んでいる人々がいる。~

3.宗教的世界・・・この世界は、現実世界や脳内世界があることを前提にしながら成り立っている、3つ目の不思議な世界だ。

現実世界は、誰もが《見ることができる》世界。より科学的に言えば《感覚器官で認知できる》世界。 ほとんどが《自分の外》にある。
脳内世界は、誰もが《意識できる》世界。より科学的に言えば、《意識(=脳内感覚)で認識できる》世界。 自分の脳内世界だけが意識できる。すべてが人の脳内にある。
  ※脳内世界の一部について(個性的に)表現した「文章」や「画像」などは、現実世界にある。)

 対する宗教的世界は、真の信仰心をもつ人だけが《意識したり、見たりできる》世界。 つまり、非信仰者には《意識できない》し、《見ることはできない》世界だ。

 例えば、さまざまな「神」・「仏」様たち・・・信仰者のうち、「見ることのできる」人は少数で、他は「意識できる」人か、「存在を信じる・信じたい」人らしい。
 それらの信仰者のうち、「存在を信じる・信じたい」信仰者は、《文化的=習慣的》に信仰しているのであって、実際に「その方」を脳内に意識したり、現実に見たりすることはできないらしい。
 (※「意識する」には、その人の脳内に、「神」などが 《実体に存在》していなければならない。)
 
 宗教的世界のなかには、「霊的世界」や、「気の世界」と呼ばれる世界もあり、そこに棲んでいる人もいる。

 そこで、ここでは、神や仏、霊や気などを、意識したり見たりできる人々を、《真の信仰者》と、あえて呼ばせてもらうことにする。 
 ※真の信仰者が実際どのくらいおられるかは、今のところ私には推定もできない。(数人については確信しているが…)
 ※真の信仰者になろうと修行している人々はとても多い。

 したがって、《真の信仰心をもつ人々は、3つの世界に棲んでいる。》 と言うことができる。

 
 ちなみに、天皇陛下(およびご一族)は、日本人の古代宗教(⊂日本文明)の真の継承者であり、代表者であられるという意味において、無二の存在である。
 現実世界では、憲法で定められた公務を果たしておられるが、天皇陛下の真に重要なお仕事は、国民のための《祈り》である。
 私たち日本国民の眼にはなかなかふれないところで、少なくとも二千年近く続いてきた《真の信仰者による祈り》によって、日本と日本人は護られ続けている。

 天皇家は、いまや世界最古の伝統を誇っている。


参考になりましたらクリックをお願いします! 読んでくださる方の存在が励みです。※コピー、リンクはご自由に
 神社のある風景11 名称不祥 祭神:不祥 創建:不祥 古来からこの集落の人々が祈りつづけている。(平成23年2月2日撮影)