やおよろずの神々の棲む国でⅡ

〝世界に貢献する誇りある日本″の実現を願いつつ、生きること、ことば、子育て、政治・経済などについて考えつづけます。

公立小見聞録8 ~G校 その2 教頭の仕事~

2010年12月30日 | ~h27 教育/小学校

G校 その2 約350人 約12学級 /3年間(H10:1996年ごろ) /40代後半 /教頭で2校目

○教頭の仕事・・・毎日13時間ほども何をしていたんだろうか? と、疑問を持たれた方もいらっしゃるでしょうから、いくらか説明します。

1.校長の補佐・・・校長は学校の最高責任者。したがって、教頭は次席の責任者ということになり、原則的には「校長の方針や指示・命令」に従い「職務を遂行」する。だから、校長ほどは精神的重圧はないのが普通。
 しかし、私の場合、《校長ではないのに実質的に校長の仕事をした》経験が3度ある。D校の1年目の2・3学期(教務主任)、F校の2年間(小中併設校の教頭)、ここの1年目。

・学校は(も)トップしだいで大きく変わることが多いが、赴任1年目に仕えた校長先生は、当校校6年目で退職間近だったが、残念なことに《あまり決断しない》という性格。学校運営のさまざまな領域に改善すべき問題点がたくさんみえたので、やむをえず教頭の職分を超えて働いた。毎日16時間ほど働いた大きな原因。
 幸い、4名ほど熱心に協力してくれる教員がいたので、《(私がとても低レベルだと判断した)問題群》は1年間でおおむね改善できた。

・2~3年目に仕えた校長先生は、識見豊かで子供たちを大切にする立派な校長先生だったので、安心して補佐に専念できた。(後で聞いたのだが、赴任する前に「あの教頭は校長をないがしろにするから気をつけろ」と言われたそうだ。確かに、とても緊張した顔で赴任してこられたのを覚えている。) 教育相談や不登校傾向の子供への対応などとても勉強になった。
 
 唯一「引かなかった」のは、来られたばかりの4月最初の職員会議での《学級担任配置計画のα教諭の件》。
 前年度(3月末)の素案の段階で、「組合専従のための無給休職」という身分で教職員組合の「専従」の仕事を終えて当校にもどってくる予定のα教諭は、級外(=学級担任ではない教員)に配置していた。その理由は、《学級運営がうまくいかない可能性が大きい》から。

 しかし、4月の会議で当人が「担任をしたい」と言い張り続けた。(企業や一般公務員の世界では、組織のトップが示す人事に従わないなんて考えられないことでしょうが…) α教諭はしきりに「担任にできない理由」を言うように要求する。校長は来られたばかりで事情にうといので応答は主に教頭がするのだが、私は教員が全員出席している職員会議で《本当のこと》は言わ(え)なかった(かわいそうなので)。

 実は、α教諭は自分では《一人前の先生》と思っていたようだが、私は10年ほど前から彼の《ソ連式集団主義による学級経営(=「全生研:全国生活指導研究協議会 方式)の弊害をよく知っていた。また、組合専従に行く前にはこの学校で何度も担任に失敗していることも知っていた。(ほんの一例をあげる:その学級や隣の学級では、ほとんどの子どもが、α教諭を呼ぶのに、「α」と名字の呼び捨てをしていた。それでもこの田舎のまじめで学力も高めの学校ではまだ「完全な学級崩壊(=授業がほぼ成立しない)」にはならなかったが。)

 このことだけで1時間近くかかっていたので、校長先生が「もういいのでは(=担任にしようか)?」と耳打ちされた。しかし私は引かずに押し通した、子どもが犠牲になるのがみえていたから。

 ※このような「学級運営が危ぶまれる程度の力不足教員」は約10%、「正常な学級運営ができない教員」は約1%。ようやく7,8年ほど前から「…できない教員」については、《それまでの「学校現場の工夫」ではなく「国と県教育委員会の施策」による再研修や転職(=依願退職や分限免職など)が効果をあげてきました。ほとんど(約90%)の教員は(時間外勤務をすることによって)定められた仕事を(どうにか)こなしています。そのうちの20%ほどの教員は、何の手当も特別ボーナスもなく、子供たちのために、(自分の家庭生活を犠牲にして)一生懸命働いてくれる《奉仕的精神》をもった素晴らしい先生方です。
 しばらく前までの、《低教育予算下での世界トップレベルの学力》は、このような先生方の地味な(=マスコミが報じない)努力もその一因(最大要因は伝統的日本文明・文化)だと思っています。
  
 この「強硬な」会議運営が成立した主な理由は、・私も教頭になる4年前まで「組合員」であり組合(員)のことをよく知っていた。 ・α教諭を援護していたのはこの地域の共産党系の組合員(県教祖の反主流派)である数人だけであり、(旧)社会党系の組合員は(黙って)支持してくれた。 ・PTAの活発な諸活動と強く連携していた(教頭はPTAの事務局長)。・校長の肝がすわっていた。 ・計画案は、「校内運営委員会(管理職+教務主任+生活活指導部部長などで組織)を経ている、などさまざまな要因が関わっていたと思う。
(他の学校には、結果的に、組合員の「口撃」に耐えられない管理職の方もいくらかおられたようです。)

 ~「教頭の仕事」がつづく~

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