~ここからは、《次からの項目でまとめて述べること》を除いて、できるだけくわしく書きます~
G校 約350人 約12学級 /3年間(H9:1997~H11:1999) /40代後半 /教頭で2校目
○勤務時間・・・規定は8時間。8:10~16:55(※昼の休憩時間45分は勤務時間には入らない。実際にはほとんどの教員が働いている。)自分の実際の勤務時間は・・・
1年目 7:20~22:00頃 約14時間(昼食時間を引いて) /2年目 7:20~21:00頃 約13時間 /3年目 7:20~20:00頃 約12時間 ※工夫してだんだん効率化したから短縮
※朝が遅い理由・・・学校の開錠をしなくてよかったから。つまり、毎朝6:30頃に来て開錠してくれる若い男性教員がいてくれたから。
この地域の小中学校では、開錠は教頭がすることが多い。なぜなら、《市町村職員の労働組合:自治労》が「学校用務員の変則勤務時間の運用」に強く反対するから。(と聞いていた。)
地域住民の多くは「用務員(環境整備や印刷、接客などを主に行う非教育職の市町村職員。各自治体により仕事内容は少しずつちがっていた)」が開錠していると思っているようだが、市町村職員の用務員の多くは《規定の勤務時間》しか働かない。教員と一体感をもって働いてくれるありがたい用務員さんは一部の《奉仕的精神≒ボランティア精神》をもった人だった。学校は強く要望したが、市町(教育委員会)による《システム改善》はなかった。
※小学校の玄関が開く時間・・・この小学校の活動が始まる時刻(=始業時刻)は8時10分。しかし、子どもたちの一部は7時ごろからやってくる。そんなに早いと教職員は(一人しか)いないので「安全確保」が難しいし、冬は凍える寒さ。だから「学校からのお知らせ」で「登校は始業の30分前(7:40)から」とお願いしても効果は限定的だった。
「早く来すぎる子」の理由はさまざまだった。・「家にだれもいなくなるから」、つまり、親が家の施錠を子どもにまかせない場合。・子が早く学校に来たい場合(友達と遊びたい、家にいたくないなど理由はさまざま)など。
結局、子どもを外に放置することはできないので、多くの学校では始業(=勤務時間開始)の1時間ほど前に、教頭か一部の用務員や教員が早出して、玄関を開けることになる。
(せちがらく言えば、早朝の1時間ほどはいわゆる「サービス残業」ということになります。せめて小学生の家族の皆様には、このような奉仕的精神をもった教職員がいて《学校運営の早朝の部》がなりたっていることを知ってほしいと思います。)
※時間外勤務手当(残業手当)・・・「教員」にはその制度はない。そのかわりに、故田中角栄総理時代に始まった「教員特別手当(人材確保のため)」と「教職調整額(時間外勤務手当の代わり:給料の4%)」があるが、その額は《想定される時間外勤務手当の支給額》よりそうとう少ないのはまちがいない。
詳しくは「教職員」の項目で述べる予定だが、かつての自民党政権下で、実情を知らない方々が提起して数年おきに繰り返された《特別な手当の廃止による教員給与の正常化(報酬引き下げ)》が、常にいつのまにか立ち消えになったのは、他の公務員やちゃんとした民間企業のように教員に残業手当を払ったら人件費が増大して大変なことになるからである。
○教頭の年齢・・・佐賀県では、20年ほど前まではほぼ50歳以上で教頭になっていた。その後、昭和40年代後半~50年代前半に採用された小中学校教員がとても少ないために、しだいに教頭昇任年齢が40代前半まで若くなった。今は高齢教職員がひしめいてきたので、またしだいに高齢化しはじめるだろう。(同年齢者が200人ほど。ちなみに佐賀県の公立小中学校の数も同じくらい。)
この教員採用数(≠退職数)の大きな変化は、主に大東亜戦争の影響。敗戦直後の大量採用の波と、敗戦後6~15年にわたる「団塊の世代」用の大量採用による。特定の時期に異常な大量採用があれば、必ず異常な少数採用があるのは当然。
~つづく~
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