やおよろずの神々の棲む国でⅡ

〝世界に貢献する誇りある日本″の実現を願いつつ、生きること、ことば、子育て、政治・経済などについて考えつづけます。

【新日本】24 「日本」の再発見 1/2 ~歴史認識~

2011年08月05日 | ~h27 生き方/文明
 10年ほど前は小学校の校長をしていましたが、市内の本屋さんで珍しいことに中学校の教科書を目にしました。それが、扶桑社の「新しい歴史教科書」でした。話題になっていたこともあって、買って読んでみました。
 歴史教科書は新鮮で一気に読んでしまいました。とても爽やかな読後感でした。日本と日本人を見直した感じがしたので、教科書の基になった歴史書を読みたくなり、「国民の歴史(西尾幹二:著/発行:産経新聞ニュースサービス/発売:扶桑社)」も買って読みました。
 「国民の歴史」は774ページで厚さが約5cmもありましたが、これも二晩続けて一気に読んでしまいました。日本人であることが誇らしくなりました。 

 
私は昭和25(1950)年生まれで61歳、いわゆる「団塊の世代」の最後あたりの「庶民」です。
 子供のころは野外で遊んでばかりいたので、世の中のできごとを意識し始めたのは10歳になった昭和35(1960)ころからでしょう。、小学4年生のとき、教室で「樺美智子さんという人がデモで死んだ。」と発表して友達から冷やかされたことを覚えています。
 佐賀県の小中高の公立学校で学んだあと、東京で18~26歳のほぼ8年間暮らしました。そのころ周りは天皇陛下のことを「天ちゃん」と呼ぶような人たちばかりでした。「べ平連デモ」によく参加しました。大学で小学校教員免許用の「社会科教材研究」を受講したとき、レポートで「三里塚闘争など具体的な問題を通して憲法や政治について学習する6年生社会科の指導案:約70時間扱い」を提出したらAAの評価を受けました。つまり、そのころ私がいた東京は、ほとんど「左翼の世界」で、しっかり朱に交わっていました。
 佐賀県に戻って小学校教員になりましたが、すぐに教職員組合に入りました。そのころは組合に入らない人はとても少なく、「変人」扱いされていたように思います。教頭(管理職)になるまでの19年間は「日教組」の組合員だったことになります。

 わざわざ私的な経歴を書いたのは、私の《団塊の世代の庶民としての歴史認識》 はかなり一般的ではないだろうか、と思っているからです。
 若い時は、《戦前の日本は暗黒社会だし、封建的でなにも良いところはなかった》、《日本帝国は悪い国で、アジアを侵略し、アメリカにまで手を出して敗れてしまった》と、本気で思っていたし、中年になってからもさほど認識は変わっていませんでした。


 その歴史認識、「負の日本と日本人像」が大きく揺らぎ、変わり始めたのが、10年ほど前、中学生用の「新しい歴史教科書」を読んでからだったのです。
 一度新しい認識・歴史感覚を感じると、すべての風景が、できごとがそれまでと違った意味を持ちはじめてきました。私にとって、《日本と日本人像の転換》は、生き方まで変えてしまうほどの力がありました。

~次回、■新しい日本に脱皮する闘い~

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