仕事と家庭、犠牲と両立

2007-10-10 20:31:09 | Weblog
 先日あった『ラヴィング・マンデー』(いのちのことば社)という講演会でのこと。
 アメリカのクリスチャンの社長さんが書いた本で、どんな人かと思っていたらすごく温かみのある方でほっとしました。(もっとすごいのは夫人で、当然社長夫人なのに、えらそうじゃないしセレブっぽくないし、全然ふつうのおばあちゃん、ていう感じなの。もう、びっくり!)
 講演の後の質疑応答の時間で、ある人が「自分は今の仕事にやりがいを感じ、これこそ自分の仕事だと思ってやってる。でも、どうしても三人の子どもとの時間が取れないし、自分の時間がほしいと思ってしまう。どうやって両立したらいいの?」というような質問をしたら、「それはそうだよね」という感じで見方を変えるようなアドバイスなどをした後、「でも、どうしても家族との時間を取るのが難しいと感じたら、今の仕事を辞めるのも一つの方法だよ」と言っていました。
 その時は、「うわー」ぐらいにしか感じず、まあ予想できる答えなのだけれども、だんだん、私の中で、仕事によって犠牲になっている‘自分’が見えてきたのです。(今、私は一人暮らしで、だからこそ自由がきいてラクと思っていたけど、実はそういう自分の犠牲になっている自分がいたことに気がついたのだ)

 元々メーカーの営業だった父は、時代の背景もあってまさに仕事のため出世のためには家庭を犠牲にしても構わない考え方。母もそんな父を支え、時には私や妹に言って聞かせていたほど。そんな父を見て、「働くとはそういうもの」という感覚がいつのまにか自分のスタンダードになっていて、自分でもそんなもんだ、承知の上だと思っていた。だけど、その社長さんのことばには家庭を大事にしてきた人だけがもつ力があって、それに照らされたみたい。
 ちょっとびっくりしました。
 時間がたっても、そのことだけははっきり残っていて、犠牲(ということばは少し重いけど)になっている今の家族であるもう一人の自分の痛みがじわじわと伝わってきて。
 これまで、いい仕事をするためにプライベートを犠牲にしてもいい(しょうがない)と思っていたけれど、そうじゃないみたい。生き方、働き方を、方向転回する時みたいです。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿