ニュースは最悪な結果を報じた
NGOペシャワール会の
伊藤和也さんは殺害された
アフガンを緑豊かな国に戻したい
子供たちが食べ物に困らないように
農地を開墾した 現地でも慕われていて
拉致された時は住民総出で彼を探したと言う
今頃は伊藤さんが作った田んぼに水が引かれ稲の緑が広がっている
やがて稲は収獲され米となる
この米でそこに暮らす何人ものこどもたちの空腹を満たしてくれることだろう
こんな残念な結果になり悔しいが 彼の尊い遺志は 無駄にすることなく
彼がいなくてなったこれからも 多くの人に受け継がれていくことを信じる
困っている人のためになりたい 純粋な気持ちを持ち続けた青年
遠い国で一生懸命にがんばってくれた伊藤和也さんを誇りに思う ありがとう
伊藤和也
私がワーカーを志望した動機は、アフガニスタンに行き、私ができることをやりたい、そう思ったからです。 私が、アフガニスタンという国を知ったのは、2001年の9・11同時多発テロに対するアメリカの報復爆撃によってです。
その時まで、周辺国であるパキスタンやイランといった国は知っているのに、アフガニスタンという国を全く知りませんでした。
「アフガニスタンは、忘れさられた国である」
この言葉は、私がペシャワール会を知る前から入会している「カレーズの会」の理事長であり、アフガニスタン人でもある医師のレシャード・カレッド先生が言われたことです。今ならうなずけます。
私がなぜアフガニスタンに関心を持つようになったのか。
それは、アフガニスタンの復興に関係するニュースが流れている時に見た農業支援という言葉からです。
このこと以降、アフガニスタンに対しての興味を持ち、「風の学校」の設立者である中田正一先生の番組、偶然新聞で見つけたカレーズの会の活動、そして、カレーズの会の活動に参加している時に見せてもらったペシャワール会の会報とその活動をテーマにしたマンガ、それらを通して現地にいきたい気持ちが、強くなりました。 私は、関心がないことには、まったくと言っていいほど反応しない性格です。
反応したとしても、すぐに、忘れてしまうか、流してしまいます。その反面、関心を持ったことはとことんやってみたい、やらなければ気がすまないといった面があり、今回は、後者です。
私の現在の力量を判断すると、語学は、はっきりいってダメです。農業の分野に関しても、経験・知識ともに不足していることは否定できません。ただ私は、現地の人たちと一緒に成長していきたいと考えています。
私が目指していること、アフガニスタンを本来あるべき緑豊かな国に、戻すことをお手伝いしたいということです。これは2年や3年で出来ることではありません。 子どもたちが将来、食料のことで困ることのない環境に少しでも近づけることができるよう、力になれればと考えています。
甘い考えかもしれないし、行ったとしても現地の厳しい環境に耐えられるのかどうかもわかりません。
しかし、現地に行かなければ、何も始まらない。
そう考えて、今回、日本人ワーカーを希望しました。 2003・6・15