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見えないものを見る 感じたことを写真と文章でつづる暮らしと自然のフォト日記

2008広島の日 こども宣言

2008-08-06 19:48:00 | 教養
昭和20年(1945年)8月6日午前8時15分。  突然のするどい閃光(せんこう)と爆風で、
数え切れない多くの尊い命が失われました。

 あの日、建物疎開や工場で働くために出かけていった子どもたちは、
63年たった今も帰りません。「いってきます。」と出かけ、「ただいま。」と帰ってくる。
原爆は、こんな当たり前の毎日を一瞬で奪いました。

 原爆は、やっと生き残った人たちも苦しめます。  放射線の影響で突然病に倒れる人。
 あの日のことを「思い出したくない」と心を閉ざす人。

 大切な家族や友人を亡くし、「わしは、生きとってもええんじゃろうか?」と苦しむ人。

 でも、生き抜いてくれた人たちがいてくれたからこそ、私たちまで命が続いています。
平和な街を築き上げてくれたからこそ、私たちの命があるのです。

 今、私たちは、生き抜いてくれた人たちに「ありがとう」と心の底から言いたいです。

 忘れてはならない原爆の記憶や、核兵器に対する怒りは、
年々人々の心から薄れていると思います。
しかし、人の命を奪う戦争や暴力は、遠い過去のことではありません。

 この瞬間にも、領土の取り合い、宗教の違いなどによる争いによって、
小さい子どもや大人、私たちと年齢の変わらない子どもたちの命が奪われています。

 失われた命の重さを思う時、何も知らなくて平和は語れません。
 事実を知る人がいなくなれば、また同じ過ちがくり返され、戦争で傷つき、
命を失った人たちの願いは、かき消されてしまいます。

だから、私たちは、大きくなった時、平和な世界にできるよう、
ヒロシマで起きた事実に学び、知り、考え、そして、
そのことをたくさんの人に伝えていくことから始めます。

 また、私たちは、世界の人々に、平和記念式典が行われ、
深い祈りの中にある広島に来てほしいと思っています。
ヒロシマのこと、戦争のことを知り、平和の大切さを肌で感じてほしいのです。
 そして今こそ、平和を願う子どもたちの声に耳をかたむけてほしいのです。

 みなさん、見ていて下さい。
 私たちは、原爆や戦争の事実に学びます。
 私たちは、次の世代の人たちに、ヒロシマの心を伝えます。
 そして、世界の人々に、平和のメッセージを伝えることを誓います。

 平成20年(2008年)8月6日

 こども代表  広島市立幟町小学校6年         今井(いまい) 穂花(ほのか)
         広島市立吉島東小学校6年         本堂(ほんどう) 壮太(そうた)


広島こども宣言に 毎年感動する 前文をコピーした 秋葉忠利市長は 
「今、必要なのは子どもたちの未来を守るという強い意志と行動力」と呼びかけた

昨夜プロフェッショナルにでていた 映画監督・宮崎駿さんの基本的な考え方は 
「子ども」が最高の存在で 大人になるに従ってつまらない存在になっていくという 
私たち いや権力のあるおとなたちは 子どもたちの期待を裏切らぎることはできない

建物疎開とは

こども宣言に「建物疎開」という言葉があるがこれは「強制疎開」のようだ
建物疎開を調べて見た それに寄ると 次のようだ

木造住宅が圧倒的に多い日本の都市は、ちょっと焼夷弾攻撃を
受けただけで丸焼けになり、多くの住民が焼死してしまう

そこで家を間引きして延焼を最小限にとどめ、住民が避難出来るよう、
過密地帯の住居を一部取り壊す必要があった。

京都の御池通りや五条通りが、やたらと道幅広くて古都の
風情を失わせているのは、この時期に行なわれた強制疎開の名残り