【 保護犬:ハッチ日記 】

成犬の保護犬、里親日記

『ポーツマスの旗』とポーツマス条約の机

2024-02-07 | 博物館 明治村
先日、『ポーツマスの旗』吉村 昭(よしむら あきら)新潮社
を読了しました。

歴史の授業で “ポーツマス条約” という単語は
覚えたけれど

こんなに緊迫した外交交渉だったとは……

「ネズミ行使」と揶揄(やゆ)された
小村寿太郎(こむらじゅたろう)が

ロシアとの外交の駆け引きにあたり
冷静に対応していく様子が丁寧に描かれています。

条約締結の内容は
“ 戦争を回避する ”、という最大の目的を果たしたものの

ロシア側から賠償金の支払いを得ることは
出来ず、
日本国内から不満がつのり暴動につながり

この暴動が「昭和の戦争」へと突き進んでいく…という、
本当に皮肉なものです。


歴史の舞台裏というのは
教科書だけでは学べないものですね。

とても読み応えのある一冊でした。

そして、この“ポーツマス条約”締結時に使用された机、
これが明治村で展示されているのです ↓


帝国ホテル・ライト館の2階に展示されています。

本物しか展示しない、という
明治村にぴったりな展示物ですね。


明治38年(1905年)にポーツマス条約は締結されました。


『ポーツマスの旗』を読んでから
ポーツマスの机を見ると
感慨深いものがあります…

明治村「帝国ホテル・ライト館 」外観 ↓

昭和40年に開村した【明治村】の歴史について

2023-11-25 | 博物館 明治村
愛知県犬山市にある
野外博物館【明治村】↓

以前見学した時の写真が
ブログにアップしていないままになっていたので
今回はその紹介を。

明治村2丁目にある
「第四高等学校物理化学教室 」です ↓


建物案内板 ↓

この建物は
【明治村】創設者である
谷口氏と土川氏の母校。

明治村を創った二人。
谷口吉郎(たにぐち よしろう) 氏 ↓


土川元夫(つちかわ もとお)氏 ↓


両氏の肖像は、彫刻家である菊池一雄 氏によって
作製。

【明治村】は、
この二人がいなければ
開村することはなかったのです。

(余談ですが、彫刻家の菊池一雄氏といえば
京都大学「湯川記念館」内に飾られていた、中間子を
象徴したという親子像の作製者。
(ブログあり ↑ クリックすると移動します)
広く知られているのは、広島平和記念公園内にある
「原爆の子の像」を作製されています)

建物内の教室の一室には
二人の功績をたたえる顕彰(けんしょう)室が
設けられていました。↓

室内には
明治村を創ることになった動機や

その意義、

建築物に対する想いが

経歴と共に記されています ↓

扉や窓にも言葉が綴られていて

さらに、
未来に向けてのメッセージや

建物を
遺(のこ)すことの重要性

本物を見ることの必要性

そして自身についても

語られています ↓


この室内には他にも
1965年(昭和40年)に開村した明治村を
紹介する展示もあり

開村当時のポスター、聖ヨハネ教会堂 ↓

明治40年建設、アメリカ人のガーディナーが設計。
京都五条にあった教会です。

開村当時の案内図 ↓

建物や電車など併せて15件で開村。

開村6周年にはさらに建物が増えて


村内の地図も広がりを見せています ↓


昭和50年の村内地図 ↓


明治村10周年、建物の数がさらに増えています ↓

そして、
現在では60を超える建物となっています。

この「第四高等学校物理化学教室」では、
明治村を紹介する展示以外の教室も
見学することが出来ます。

校舎内の廊下、天井が高いです ↓


物理化学教室です ↓


当時の教室内 ↓


実験がよく見えるよう段差を設けて
机が配置されています ↓




さらに、この教室内の窓は上げ下げ式の暗戸と
なっていて
室内を暗くできるよう工夫されていたのだとか。


校舎の上には煙突もあり ↓

実験で発生した有毒ガスなどを外へ排出し
換気が出来るよう設計されているのだそうです。

明治23年(1890年)建設

当時、石川県金沢市にあった
「第四高等学校物理化学教室」

明治村の歴史を知るなら、この建物を
見学されると良いですよ!

100周年!帝国ホテル【ライト館】vol.3

2023-09-05 | 博物館 明治村
ライト館の竣工(しゅんこう)100年記念として
明治村では
9月1日より特別展【 東洋の宝石 】を開催中です。
(~12月17日まで)

現地に貼ってあったポスター ↓


この特別展も楽しみにしていたので、
ライト館が名残惜しいですが移動します。

展示会場となる場所は
ライト館のある明治村5丁目から離れていて…

やってきたのは
明治村2丁目にある
『千早赤阪小学校講堂』(大阪府千早赤阪村)です。↓


この小学校、元はというと…
大阪市北区大工町の堀川尋常小学校にあったもので、
同校の校舎が新築されるに際し、昭和4年(1929)に
南河内郡の赤阪尋常小学校に移築された。
とのことです。

そういえば、大阪市北区と言えば
【 帝国ホテル 大阪 】がありますよね。

不思議な縁を感じます…。

小学校の体操場として使用されていた場所が
展示会場となっていました。↓



大きな看板です!↓


この小学校が明治村に移築されたのは
昭和51年(1976年)。
当時の面影を残し、登録有形文化財に指定されています。


中に入ると受付があり、
ここで入場料を支払います。(700円/人)
※ 注:明治村の入村料とは別です。

展示リストの載った紙と、
ライトのステンドグラスを模したブックマーカー
(プラスチック製で薄いもの)をいただき、

さらに説明があります。
写真を撮っても良い場所は2カ所。
その場所では自由に写真を撮っても良いが、
それ以外の場所は撮影禁止。
とのことでした。

展示内容は大きく5つのテーマに分かれていました。

・ライトと日本
・ライト館の記憶コーナー
・関東大震災とライト館
・ライト館のおもてなし
・ⅤRで甦る(よみがえる)ライト館

写真を撮っても良い場所は
フォアイエ再現のコーナー ↓


壁にはカラー写真で甦ったライト館のフォアイエ。
そこにライトの家具が並びます。↓


実際に靴を脱いで、この椅子に座って写真を撮る
ことも出来ました。
スタッフの方も「撮りましょうか?」と
声を掛けてくれました。


撮影禁止の展示の中には、ライト館でも見ることが出来ない
個人蔵の照明器具や
客室椅子、テーブルなどが展示されていて

他にも
ライト館の開業案内やライト館のしおり、
当時の絵はがき等々…

中でも私が興味深く見たのは、
“帝国ホテルに泊まった記録”として残っている
「婦人の友」1922年9月号より
抜粋した記事です。

帝国ホテル『ライト館』の2階、30号室に宿泊したという記者が
その感想を丁寧に記事にしているのです。

ライトのことを
「設計者の異常な天才」と表現している箇所があり
当時の人たちもそんなふうに感じたんだなぁ…と、
妙に納得したのでした。


そして、写真OKスポットのもう1つが…
こちら!↓
渋沢栄一(しぶさわ えいいち)、米寿のパーティーメニューです。
再現したものが展示されていました。


クリームスープ、
伊勢えび、鶏肉のローストなど豪華な料理が並びます。
デザートのプディング(プリン)も美味しそう!


渋沢栄一と言えば、24年度に刷新する紙幣の
新1万円札の顔になりますよね。

帝国ホテルと渋沢栄一
どういう繋がりがあるのかというと…

渋沢栄一は、帝国ホテル初代会長!だったのです。

米寿(べいじゅ)というと88歳。
長寿のお祝いはこれぐらい豪華にいきたいものですね(笑)

最後に、
【 ⅤRで甦る(よみがえる)ライト館 】の
映像を見ましたが
これがまた、とんでもなく素晴らしかったです!

ライト館にも同じようにⅤRで見る、という
部屋があるのですが、↓


この特別展のVRでは、さらに続きを見ることが出来ます!

私が見たかった饗宴場『ピーコックルーム(クジャクの間)』が
カラー映像で映し出された場面では
「おぉ~!これが…!」と、
大感激しました。2回観ました。(時間があればもう一回見たかったです)

やっぱり【 ライト館 】は凄かった!

そういうわけで
ライト館100年記念、特別展【 東洋の宝石 】
大いに楽しませてもらいました!


↓ 下にあるのが、特別展入場の際に頂いたブックマーカー
 左上、帝国ホテルライト館のピンバッジ
 右上、帝国ホテルライト館の建物カード


建物カードとピンバッジは、
明治村「浪漫募金」をしたので貰いました。


浪漫募金の受付場所は
明治村正門、北口、近衛局本部付属舎の3カ所です。

500円から募金できます。
詳しくは【 明治村 浪漫募金 】←こちらで確認してください。

というわけで、
長くなりましたが以上です。お疲れ様でした!

(おまけ)当時のライト館の一部




ライト館の車寄せの場所には
当時のままの状態で使われているのもあります。
それが、これ!↓


100年経っても、大丈夫!(笑)

※ ちなみに、特別展『東洋の宝石』は
期間中に展示資料の入れ替えがあるそうです。

入れ替わったら又、見に行きたくなってしまいますね。

100周年!帝国ホテル【ライト館】vol.2

2023-09-04 | 博物館 明治村
続いて紹介するのは、館内にある
ライト館の装飾にスポットをあてた展示です。

当時の貴重な資料です。

スクラッチタイル(スダレ煉瓦とも言う)↓
レンガに櫛(くし)で引っ掻いたような溝をつけることで
光に対する反射がほとんどなくなって
重厚感がでるのだそうです。

これは愛知県の常滑市(とこなめし)にある
帝国ホテル専用の窯で焼きあげられたものです。

この黄色いレンガを巡っては
何度も問題が勃発したそうで…
(費用面、技術、調達など)

それでもライトはこの黄色いレンガにこだわり
加工にも妥協を許さず、
納得できなければ何度でも
やり直しを求めたのだとか。

そして、世界で初めて外壁にスクラッチタイルを用いた
作品が誕生したのです。

ライト館を明治村へ移築するにあたっては
当時のままの状態で運ぶことは難しく、
『様式保存』という形で移築することになりました。

そこで、↓ 新たに造られたスクラッチタイル

(中央に展示されている薄いレンガ)

当時のスクラッチタイル(右側)と比べると
薄く、軽くなっています。

そして、出来るだけ当時と同じようにと再現し完成したのが
現在、明治村にある【ライト館】なのです。


展示されているのは他にも、
金箔を挟んで創った市松模様のステンドグラスや
千鳥模様のステンドグラス ↓


ステンドグラスを構成するガラス片の説明 ↓


ライトが設計した照明の模型 ↓


こうして展示を見ていると、
ライトの装飾へのこだわりというのは
ライト独自のものでありながらも
日本の伝統や芸術、美術から多くの影響を受けたのではないか、
ということです。

そんなことを考えながら、
今度は喫茶室へと。

2階にある喫茶室へは
1.5階というか、中2階にあるラウンジを通ります。↓
(2つあるラウンジは当時、男女で分かれていたそうです)


ライト館の喫茶室です。↓

↑ 奥には、『光の籠柱(かごばしら)』が見えます。

この『光の籠柱』も、
ライトが納得できるまで
積み上げては壊し、積み上げては壊し……の繰り返しだったそうで、
ようやくライトからOKが出た時には
職人さんの中には嬉しくて泣き出す人もいたのだとか。

当時の日本の職人さんたちが苦労して造り上げた
『光の籠柱』。
この柱には光だけでなく、職人の魂も籠っているように思えてなりません。

喫茶室では100周年をお祝いして、
当時の帝国ホテル【ライト館】の写真や ↓


期間限定で、
帝国ホテルの珈琲をいただくことが出来ました。↓


暑い日ではありましたが、
このライト館という特別な場所、特別な空間、
そして100周年という特別な節目で
飲む珈琲は「美味しい!」の、一言です。

ラウンジです。↓


天井には楽しませてくれる模様があったり、↓


窓の小さな装飾には心が和んだり、↓


階段の天井の装飾には驚いたり…! ↓


やっぱりライト館は何度見ても凄いし、
写真を撮っても撮っても、撮り足りない気持ちになります。

と、ここまで書きましたが、まだ書ききれないので
次回にします。
【ライト館】の魅力は簡単には伝えられないものですね。

100周年!帝国ホテル【ライト館】

2023-09-03 | 博物館 明治村
先日、帝国ホテル【ライト館】の
100周年に合わせて、
愛知県にある野外博物館『明治村』へ行ってきました。

この日に見学するべく
予定を合わせ、意気込んで出掛けました。

まずは正門入ってすぐの所にある
お馴染み、明治村の日付記念撮影スポットです。↓

2023年9月1日に行きましたが
明治村での日付は
明治156年9月1日です(笑)

では、目指すは帝国ホテル【ライト館】。

正門前から村営バスに乗り、↓
(尋常じゃない暑さだったので、バスもクールダウンで水まきです)


村営バスに揺られて約10分。
最終駅で着いたところが
帝国ホテル【ライト館】↓

まずは、
【ライト館】100周年、おめでとう!


100年前の9月1日、開業当日に関東大震災が発生したという
もの凄い経歴を持つライト館。


周りの建物が倒壊したり、焼失する中で
ライト館は大きな被害を出すことなく建っていたそうです。


中でも、建設当時には反対の声も多かったという
玄関前に造られた「池」↓

この池の水が
災害により発生した火災の消火活動に
大いに役立ったのだとか。

当時の外国人宿泊客も一緒になって
池の水を汲んでバケツリレーで消火にあたったという。


設計者のフランク・ロイド・ライトの先見の明というか
こんなところでも凄さを感じます。



ライト館の建物、外側はもちろん言うまでもないですが
内部についても、どこを見ても素晴らしい!のです。


当時は回転ドアだったという玄関。
現在は出入りのしやすいドアへと替わっています。

玄関を入って中へと進みます。


天井の低い玄関から
一気に大きな広いロビーへと。↓


この解放感に驚かされ…


さらに、4本もある圧倒的な存在感の
『光の籠柱(かごばしら)』↓


何度見ても素晴らしい…


これを加工し積み上げていったという
当時の日本の職人さんの凄さ…
驚くべき技術力に震えます。

他にも大谷石(おおやいし)の壁泉(へきせん)↓


ライト設計の家具も展示 ↓


ピーコックチェアです。↓


2階の食堂へと続く通路には
こんな不思議な装飾もあります。↓


ライトにしか考えつかない設計ですね。


そして、2階に飾られている大きな写真が
フランク・ロイド・ライトです。↓


結局、ライトは【ライト館】の完成を自分の目で
見ることなくアメリカへと帰国しますが、
唯一無二の建造物を日本に残してくれました。

100年経った今も
一部分ではあるけれど
保存されていることは、とても意味深いことですね。

自然光によって装飾がさらに輝きを増し、
ライト館が
『東洋の宝石』と称されたのも納得です。


何度見てもカッコイイし、綺麗で不思議。
魅力的で見飽きない建物。
それが、ライト館。

ライト館についてはまだまだ紹介したい事が
ありますが、今回はここまで。
次回に続きます。

↑ 貫禄のある帝国ホテル【ライト館】

7年ぶりの重連運転が実施されます!

2023-06-25 | 博物館 明治村
蒸気機関車が好きな方に朗報です。

( ↑ 明治村にて国内最古の動くSL,12号)

オーバーホール(大規模修理)を終えて
約3年8ヶ月ぶりに戻ってきた12号につづき、

今度は9号もオーバーホールすることに
決まったそうです。約2年間かけて修理されます。

それにともなって
特別イベントを実施されるとのニュースが!

2023年7月2日(日)
愛知県犬山市の【明治村】にて
特別企画として、約7年ぶりとなる
重連運転(じゅうれんうんてん)が実施されます!

重連運転(じゅうれんうんてん)とは
機関車を2両以上連結して運転することです。



普段は機関車が1両で引っ張って動くところを
この特別企画では2両で引っ張って動く姿が
見られるということです。

つまり、
12号と9号の両方の蒸気機関車が連結して、同時に
動くのです!なんとも豪華ですよね~!

この重連運転は7月2日(日)のみの特別企画です。
発車時間も決まっていて、3回だけ!↓

(明治村SL乗車乗り場)
名古屋駅発 13:15、 13:50、 14:25


都合の合う方、重連運転を見たい!という方、
当日を楽しんできて下さいね。
(私は残念ながら行くことが出来ませんが…)


12号と9号が同時に動くなんて、
煙がモクモクの倍だから凄い迫力だろうなぁ!

明治村「時間旅行クーポン」

2023-06-01 | 博物館 明治村
名鉄(めいてつ)電車が企画している
【 明治村 時間旅行きっぷ 】
これを購入して4月、5月と2回にわたって
明治村を見学してきました。

見学した記事は書きましたが
(書いていない建物が他にもあるけれど)
今回は、
「時間旅行クーポン」について。

「時間旅行クーポン」というのは、
明治村内でグルメやお土産と引換できるクーポンで、
(12個ある中から一つ選択)
時間旅行きっぷの特典として付いてくるものです。

2回利用したので、その紹介です。

4月に行った時には「帝国ホテル」ライト館で利用。
ライト館の素晴らしさに感動したので
即決で、喫茶室にて珈琲と引換えました。 ↓


ティーカップはライト設計のものではありませんが、
帝国ホテル、ライト館という素晴らしい建物の中で
いただく珈琲は気分が上がります!

2階にある喫茶室からの外の眺め ↓
(この窓枠も可愛らしい!)


フランク・ロイド・ライトが設計した
六角形の背もたれ椅子 ↓
ピーコックチェアと呼ばれています。
(喫茶室にあるのはレプリカのよう)


ピーコックチェアとよばれる由来は、
帝国ホテルにあった宴会場「孔雀の間」(ピーコックルーム)に
置かれていた椅子だからです。
「孔雀の間」(ピーコックルーム)の天井には
幾何学模様の孔雀が描かれていたそうです。

建物内にはピーコックチェアが展示 ↓
(これもレプリカかな?)

六角形の背もたれの形が、座った人の
後ろ姿を綺麗に見せるのだそうです。
そんなところにまで配慮していたとは…さすが、ライト!

フランク・ロイド・ライトの
建物だけでなく、装飾品から家具にいたるまで自ら設計する
凄まじいまでのこだわり!

こちらは八角形のテーブル


そして何度見ても
神々しささえ感じる建物内部 ↓

建物のどこをを見ていても
感嘆の声しか出てこない。

この芸術作品ともいえる建物が
全て壊されなくて本当に良かった。

1回目、4月に行った見学でした。
明治156年(2023年4月11日)



続いて5月に行った時には
大井牛肉店で牛鍋を食べたので、
お土産の中から選択しました。
「明治村バタークッキー(中)」と引換えました。↓


家に帰ってから
箱を開けると中はこんなふうでした。


バタークッキーをお皿に取り出してみました。

とってもシンプルなクッキーです。
味は、森永クッキー「チョイス」をちょっと固くしたような感じ(笑)
お土産に良いですね。

バタークッキーを入れてもらったレジ袋(笑)


2回目、5月に行った見学でした。
明治156年(2023年5月11日)


以上、明治村「 時間旅行クーポン」の報告でした。

時間旅行クーポンで引換えできるのは他にも
7月23日までの期限付きで、
「謎解きアトラクション」のコースも選択できるようです。

詳しくは「時間旅行きっぷ」 ↓
明治村 時間旅行きっぷ
( ↑ ここをクリックすると名鉄電車の案内へ移動します)

( おまけ )明治村ノベルティも特典としてもらえます。

呉服座(くれはざ)の建物紹介です。

 ↑ 裏面
ノベルティはこの呉服座(くれはざ)だけのようです。
色んな建物紹介の種類があると面白いのになぁ!

国内最古の動くSL、復帰した12号に乗車する!

2023-05-18 | 博物館 明治村
明治村での楽しみ方というのは
建物見学や食事の他にも色々あって、

“ SL乗車体験ができる!”というのも
魅力の一つとなっている。

しかも、 “動く蒸気機関車” としては
日本最古のものがあり、
それが
「蒸気機関車12号」だ。
今年の4月、オーバーホール(大規模な修復)を終えて
約3年8ヶ月ぶりに戻ってきたという。

先月来た時はSLの運休日だったので
ぜひ、今回は乗車したい!
ということで…

運行時間を調べてから
明治村5丁目にある「SL東京駅」へ ↓
今回はバスに乗車せず、歩いて移動した。
(1丁目から5丁目までは徒歩で20分ほどかかる)


客車はすでに待機していて
この客車も明治時代に製造された車両だという。

(写真を撮り忘れたけれど
ここへ入る前にSL東京駅の改札があり、
乗車前に料金を払う)

出発時間まで少し時間があったので
客車の中を撮影することに ↓


年季の入った、時間を経てきた客車だなぁ…!




明治時代の人たちが乗っていたものと
同じ車両に乗車している、という不思議な感覚。


車内の網棚 ↓


車内の窓を開閉する取手(とって) ↓


車内の写真を撮るのに夢中になっていたら…

客車と連結作業に入る蒸気機関車12号が横を通過… ↓
(痛恨の極み……)


後ろの車体部分だけ写すことが出来たが…残念。

でもとにかく、蒸気機関車12号のお目見えだ!
おかえり!12号。

気を取り直して、客車と連結をする12号の動きを
じっと見守る。 ↓


12号は線路が交差するところまで進み


客車が停まっている線路に車線を変更した後、
バックをしながら客車へと近づいてきた ↓


ここで、12号と客車を連結させる。↓

素早く連結作業をする作業員の姿が見える。

連結が終わるといよいよ出発!
SL名古屋駅へ向けて
約5分間の乗車体験だ。

煙はモクモクと上がり、車内にも線香花火の匂いを濃縮させたような
独特の香りが入ってくる。

汽笛が鳴り、ゆっくりと12号が動き始め
3両ある客車も引っ張られて動き出す。
頑張れ!12号!

緑の木々の間をゆっくりと走る蒸気機関車。
(車窓からの眺めに夢中になり写真を撮るのを忘れる…)

あっという間にSL名古屋駅に到着。↓


ここで、客車を引っ張ってきた12号が離されて


今度は名古屋から出発して東京駅へと向かう準備へ。
12号は車線を変更するべく回転台へと直進 ↓


この先の回転台で、車体の向きを変える
ことになるはずが…


現在、回転台の不具合により車両の向きが変えられないのだ。
そういうわけで、直進した後
客車が停まっていない線路へと車線を変更したら


バックをしながら走っていく12号 ↓
(本当なら正面を向いて直進で走ってくるところ)


そのままバックで走り続け、客車を追い越したら
また客車の停まる線路へと車線変更するのだ。


そして、車線を変更して戻ってきた!↓

これが正真正銘、正面から走ってくる12号の姿!
(でも本来は、ここではバックで入ってくる)

近くで見るととても迫力がある!


車掌さんに誘導されて、客車との連結作業にはいる ↓


車体に三等と書いてある客車と
蒸気機関車12号 ↓


大事な連結作業に入ります。


鉄道作業員さんが人間の頭ほどもある大きな鎖を繋げて
12号と客車を結びます。↓


作業の間も、12号からはモクモクと煙が沸き上がり
なんだか生きているみたいだ!


蒸気機関車12号は
イギリス、 マンチェスターの
シャープ・ スチュワート社製。
1874年に製造されたそうだ。
(ちなみに1874年は、明治7年)↓


12の数字も付いている。
(この数字は日本の鉄道会社でつけられたもの)


迫力のある蒸気機関車!

躍動感にあふれています。


汽笛がなり、12号は客車に向かって正面を向いたまま
SL東京駅へとバックをしながら動きはじめます。↓


3両編成の客車を引っ張りながら
12号は煙をあげながらバックで進んでいった。↓


12号、頑張れ~!

ありがとう!蒸気機関車12号!

SL名古屋駅ホームにある看板 ↓

12号は、日本に輸入された当初は
新橋 ー 横浜間を走ったそうだ。
明治44年に尾西鉄道(びさいてつどう)に払い下げられ
ここで「12」の数字がつけられたのだ。

さらに、
明治村にはもう一台、9号という蒸気機関車もあり
9号は、アメリカのボールドウィン社製で1912年(明治45年)だ。

番号は9号のほうが年代が旧いように思うけれど
日本の鉄道会社が番号を決めるので
必ずしも番号が年代順になっているわけではない。

蒸気機関車の動く仕組みを解説する看板 ↓


SL名古屋駅の駅舎 ↓

蒸気機関車12号の勇姿を間近に見ることが出来て満足。
これからも活躍を期待しています!
(もちろん、蒸気機関車9号も頑張れ~!)

というわけで蒸気機関車12号の乗車報告は終了。
お疲れ様でした。

大井牛肉店で牛鍋!~小学生の頃の自分へ

2023-05-16 | 博物館 明治村
私が小学生の時、
社会見学で1度だけ明治村へ行ったことがあった。

当時は遠足気分。
歴史も建物にも全く興味がなく…
恥ずかしながら
明治村での記憶が残っていなかった。

でも先月、
明治村を観光して
記憶に残る建物があった!

それが、大井牛肉店 ↓


当時と変わらない看板 ↓


牛肉のお店なのにどうして鶴なんだろう?と、
子ども心に不思議に思ったのだ。

そして当時も
お店の前にはメニューの看板が置いてあって… ↓
(料金は昔とは違うけれど)


メニューを見て、当時小学生だった私は
「お金持ちの人しか食べられへんなぁ」と。



でも同時に、
「大人になったらお金稼いで、
ここで牛鍋食べるんや!」と密かに誓った、という

懐かしい当時のことを思い出したのだ(笑)

というわけで、前置きが長くなりましたが…

小学生の頃の誓いを果たすべく
大井牛肉店で牛鍋を食べてきました!

店内に入るとこんなふうに当時を再現 ↓
(もちろんお肉はサンプルです)


ランプがシャンデリアみたいになっていて
可愛らしい ↓


その奥には急傾斜の階段! ↓


お店は2階で営業されており、
牛鍋をいただくには
この急傾斜の階段を上らなければいけない。


予約をしておいたので
靴を脱いで階段を上がっていく ↓


そして2階の部屋へ入ると… ↓


洋風だけど和風!な、
和洋折衷の不思議な空間。

部屋の隅に
当時の建物の写真が飾られていた ↓


元は神戸市にあったお店で
明治20年頃に建てられたそうだ。

さらに奥の部屋へ案内される ↓


少し時間がかかるようだったので、
外の景色を見ようと
ベランダから覗いてみると…

どこの神殿ですか?と思うような造り!↓


ちなみにこれ、すべて木造だそうだ。

擬洋風建築(ぎようふうけんちく)と言って、
当時、日本人の職人さんが見よう見真似で造ったという
職人魂満載!の建造物。


すごいね!明治時代の職人さん。

一人で関心しながら見ていると、
お店の人から「お席へどうぞ」と勧められた ↓


牛鍋専用の机です!
ここで牛鍋を頂きます。

予約時に食事の注文はすでに済ませているけれど、
お店の人から「飲み物はどうされますか?」と。
お茶をいただくことに。
生卵の入った器も並びました。↓

机にはもう炭火が用意されており、
すっかり準備が整っています。

ちなみに机の下はどうなっているのか?というと…
こんなふうでした。 ↓


いよいよ、牛鍋の調理が始まります。
すべて店員さんが調理をしてくれるので、
私は写真を撮りながら出来上がるのを待ちます。

まず鉄鍋を置き、その上に砂糖を敷いていきます。


そして牛肉を並べて焼いていきます ↓

関西風のすき焼きの作り方です。
お肉に火を通して… ↓


「大井牛肉店」秘伝の割り下が投入されます ↓

鉄鍋からは美味しそうな匂いが充満!

お肉を寄せて、椎茸、白ネギ、と順番に
野菜が並べられていきます ↓


三つ葉が入ると色鮮やかで
見た目も爽やか!


焼き豆腐、もち麩、糸こんにゃくなどが入り
綺麗に盛り付けがなされます ↓


すべての食材が投入されました! ↓

ここで店員さんから、ごはんの量をたずねられました。
大盛りで、と言いたいところだったけれど、
この後の見学や移動を考え
「普通の量でお願いします」と答えた。

ごはんが運ばれてきました。
間もなく完成です! ↓


割りばしを見ると
「大井牛肉店 明治村」と刻印されています ↓


それではもう食べても良いようです。
食べやすいように器を並べて…

じゃーん!
これが【 牛鍋 】です! ↓

(牛鍋(竹)飛騨牛肩ロース肉)

出来立ての熱々をいただきます。
生卵を溶いて、味の浸みたお肉や野菜を入れて
口に入れると…
もう、文明開化バンザイ!って気分(笑)

美味しくて写真を撮ることも忘れ、
気付いたらあっという間に完食。

もう少しゆっくり食べれば良かった、とは思うけど
動き始めた箸は止められない(笑)

牛鍋、美味しかった~!!
こりゃ、髷(まげ)切ってザンギリ頭になるなぁ、と(笑)


鉄鍋が片付けられても
勢いの衰えない炭火 ↓


食後のデザートは移動して、別室で
ゆっくりと涼みながらいただきます ↓

シャーベットとお茶が用意されました。

季節によってデザートは替わるようで、
今回は「薔薇(ばら)とラズベリーのシャーベット」でした。


牛鍋の余韻に浸りながら
思うことは…

“小学生の頃の私、時間は随分経ったけど、
約束を果たしたよ!”と。


正直、牛鍋のお値段はするけれど、
明治時代の建物の中で炭火を使い
目の前で調理をしてもらっていただけるということで

場所代 + サービス料 + 良い思い出になる!
ということで、
とても良い記念になりました。


シャーベットを美味しくいただき、
ここでお勘定をしてお店の人にお礼を言って
下へと降ります。↓

緊張が走ります。
階段を上から見下ろすとこんな感じ。

足を滑らせないように注意して下ります。


お店は平日でもお客さんが次々と入って来ていて、
これを食べる為だけにはるばる見える方もいるとか。

階段を下りて窓際のところには
牛鍋の展示物! ↓

見本は二人前です、と表示されている。
これを見て、
「いつかここで牛鍋を食べるぞ」と思う小学生が
何人かはいるのだろう(笑)


建物は、登録有形文化財

大井のマークも入っていました。↓


以上で、牛鍋の報告は終了です。
お疲れ様でした!

【明治村】森鴎外・夏目漱石住宅、再訪問

2023-05-14 | 博物館 明治村
【博物館 明治村】にある
「森鴎外・夏目漱石住宅」を再訪問してきた。


実は前回見学した後、家に戻ってから
写真の撮り忘れや
確認することを忘れていたことに気付き、
さらに
漱石の小説『吾輩は猫である』を再読したので、
建物の確認をもう一度したいと思い
再訪問することにした。

先月来たばかりなので
知り合いの家に再び遊びにきたような…(笑)

では早速、玄関からお邪魔します。


見学者はここで靴を脱いであがります。↓

当たり前だけれど、
この玄関を鴎外や漱石が出入りしていたのです。

玄関の照明 ↓


玄関左側にある
書斎の掃き出し窓 ↓


玄関を上がってから見るとこんな感じ。↓


住宅の間取り図 ↓



玄関入って右側が炊事場(台所)
食器などが入った棚。 ↓


炊事道具 ↓


漱石の小説『吾輩は猫である』の中では、
主人公の猫が食べ物を探して台所をウロウロする描写が
出てくる。
他にも、猫がお雑煮のお餅を食べて歯にくっつき、
餅を取ろうと必死になる姿が描かれているシーンも出てくる。
当時、漱石の家にいた猫がそうしていたのだろう。

炊事場の天井 ↓

火を熾して煮炊きをするため
天井が高い。

外から見た炊事場のある場所 ↓



炊事場(台所)の隣にある女中部屋 ↓
三畳の部屋。


『吾輩は猫である』の中では、御三(おさん)と呼ばれる
女中が出てくるが、猫を毛嫌いするシーンが何度か書かれている。
さらに、睡眠中に歯ぎしりをするということも書かれていて
小説家の女中はプライバシーも何もないもんだなぁ…(苦笑)と。

子ども部屋 ↓


北側から建物を撮る ↓


女中部屋から女中が座敷を通ることなく、北側の廊下を通って
炊事場や子ども部屋へ行くことが出来るようになっている。

ついでに外回りの外観 ↓


裏側からも ↓


猫が出入りしていたと思われる
掃き出し窓 ↓


住宅の説明を猫がしてくれている ↓


次の間から、奥にある座敷を見る ↓


漱石のパネル ↓

漱石の身長や体重まで記入されている(笑)

同じく鴎外のパネルも ↓


鴎外がこの住宅に住んだのは
わずか1年5ヶ月という短い期間。

漱石自身は、鴎外がこの家に住んでいたことを知らなかったそうだ。
ただし、鴎外は知っていたという。

鴎外の小説『青年』は、
漱石の小説『三四郎』に影響を受けたのではないかと言われていて
(ラジオ【メロディアス・ライブラリー】2022,1,2放送にも出てくる)
鴎外は漱石を意識していたのだろうなぁ、と思われる。


座敷にある床の間。
そこに飾られている掛け軸 ↓


これ、近寄ってよーく見てみると…
漱石の小説原稿!

絶筆となった『明暗』の原稿複製 ↓


漱石の『明暗』が執筆されたのはこの住居ではないけれど、
未完となった小説原稿が
小説を書き始めるきっかけとなったこの住居に飾られているのは
感慨深いものがある。

そして、最後はやはり執筆部屋。
漱石の執筆机 ↓


『吾輩は猫である』の中には、
この執筆机に関する記述がある。

特注で作ってもらった机であるということと、
さらに、
猫の飼い主である苦娑弥(くしゃみ)先生が
この机の上に横になって寝てみて、
縁側に転げ落ちてしまったという話。



漱石の実話だろうか…?
確かにこの大きさの机なら…と、
思わないでもないけれど
ベッド代わりにはならないなぁ、と見て改めて感じた(笑)

そして、『吾輩は猫である』の原稿複製 ↓


ホトトギスと赤い字で書かれていて
この原稿は第11話のもの。


この原稿の複製を提供してくれたのは
虚子記念文学館だ。

漱石の文字 ↓


『吾輩は猫である』は
第11話で小説が終わる。


漱石が推敲を重ねながら
原稿を書いているのが伝わる ↓


書斎で過ごす時間が多かった思われる漱石。


ここから始まる執筆が
後に、“明治の文豪”と称されるようになろうとは
本人も思ってもみなかっただろう。


書斎から廊下を見る ↓


書斎の押し入れ ↓


明り取り窓付きの浅い押し入れ ↓

本棚に入りきらない書籍が山積み…

書斎から縁側を見る ↓


書斎の縁側の天井 ↓


書斎にある火鉢 ↓


書斎の説明 ↓


書斎の広さが七畳と書かれているが
他の文献では、八畳と書かれているものもあり
漱石自身は『吾輩は猫である』の中では
六畳としている。

大きな執筆机、本棚、溢れるほどの書籍の山……
部屋が小さく見えるのは仕方がないのかも(笑)

長くなったけれど
以上で、再訪問の報告は終了!
お疲れさまでした。

(おまけ)
庭にあった鴎外の詩
『沙羅(ナツツバキ)の木』↓


   褐色(かちいろ)の根府川石(ねぶかはいし)に
   白き花はたと落ちたり、
   ありとしも青葉がくれに
   見えざりし さらの木の花。

鴎外記念館にはこの詩の碑があり、
揮毫(きごう)はなんと、永井荷風!なのです。
(鴎外の長男が永井荷風に頼んで、詩の文字を書いてもらったとのこと)

【明治村 時間旅行きっぷ】

2023-05-13 | 博物館 明治村
先月、日帰り観光をしてきた《 博物館 明治村 》。

自宅に戻ってから、

やっぱり
「もう一度行きたい!」という思いが強くなり…

先日、再び行って来た。

前回も利用したプランで、
名鉄電車が企画している
【明治村 時間旅行きっぷ】これを利用 ↓


名鉄電車の改札窓口で発行してもらう。


このきっぷに含まれているのは

・名鉄電車(めいてつでんしゃ)1日乗り放題
  + 犬山駅から明治村までの往復バス運賃

・明治村の入村券

・明治村のりもの乗車券
(村内バス一日 or 市電一回 or SL片道)

・明治村内で使えるクーポン
(喫茶店や販売所での飲食か、お土産の中から1品選択)

・明治村オリジナルノベルティ

さらに、
・犬山駅構内にあるコンビニ(ファミリーマート)での買い物割引券
・犬山市の街歩きクーポン
・名鉄電車特急の割引券

以上がセットになっている。


普通に購入するよりもお得なきっぷ。

今回、《 明治村 》観光の目的は…
ズバリ、漱石のお宅再訪問 、SL乗車、そして牛鍋!

というわけで、長くなるので感想は次回に!
期待せずに待っていてください(笑)

【明治村】北里研究所で、新千円札の北里柴三郎を知る

2023-04-15 | 博物館 明治村
(【博物館 明治村】日帰り観光の続き)

まだまだ見たい建物が目白押し。
次は、3丁目にある「北里研究所本館・医学館」を見学。

「北里研究所」は、
北里柴三郎(きたさと しばさぶろう)が
伝染病の研究をするために創立した建物だそうだ。

北里柴三郎といえば、2024年から紙幣の肖像が変わるということで、
今の千円札、野口英世(のぐち ひでよ)から替わって
新しく千円札の肖像になる人物だ。
どんな功績を遺した人だったのかを学んでみたいと思う。

ドイツバロック風の建物 ↓


大正4年に建てられ、(明治時代ではないけど明治村に保存)
当時あった場所は、東京都港区白金。


玄関前に、間取り図と簡単な説明の案内板 があった。↓


この建物はガイドがいないので、
見学したい人は自由に出入りできる。

さて、建物の中はどうなっているのだろう?
早速、研究所の中へと入ってみる。


入ってすぐのところに
北里柴三郎の像と「ペスト菌発見」という展示 ↓

早速、偉業を示す展示がある。

順番に部屋を見ていく。
この部屋では、北里柴三郎の歴史についての展示。


このマークが「北里研究所」のシンボルマーク ↓

マッチ棒みたいなのが2本交差しているように見えるが、
これは破傷風菌を表していて、
(破傷風菌を発見したのが、北里柴三郎だ!)
その破傷風菌を月桂樹の枝葉で取り囲んでいる、というマーク。


他にも結核についての歴史や
それにまつわる人物の説明 ↓


北里柴三郎が結核研究で書いたメモなども
展示されていた。 ↓


部屋を移動して……
ここが、北里柴三郎が使用していた研究室 ↓


流しは、耐食性に強い鉛板が使われている。↓


そしてこの実験器具が、北里柴三郎が実験を重ねて考案した
「破傷風菌培養装置 」だそうだ。↓

純粋培養は難しい、と言われた破傷風菌培養に
世界で初めて成功した、
歴史的な偉業だったという。

さらに、その純粋培養を応用して「血清療法」を確立して
研究者として一躍有名になったのだそうだ。
続いて、香港で流行していたペストの原因調査で現地へ行き、
ペスト菌を発見!するという、
とにかく研究熱心な人物だったということが分かる。

北里柴三郎が使用していた室長室 ↓


当時のままかどうかは分からないけれど
余計な飾りもなく、いたって簡素な部屋。↓


書類棚 ↓


室長室の机 ↓


別の部屋には
北里柴三郎の揮毫(きごう)↓

自作の七言絶句が紹介されていた。↓



余談だけど、調べてみると
北里柴三郎は弟子たちから「ドンネル先生」と呼ばれていたのだとか。
ドンネルとはドイツ語で、“雷(かみなり)おやじ”という意味らしい。

研究に対する姿勢が真剣で、研究のこととなると
ついカーッとなってしまい、
真面目に取り組まない者は呼び出して
(人前では怒らずに! ←これが重要)
注意をしたという。

この「北里研究所」の門下生からは優れた研究者が次々と現れ、
その中には、野口英世もいたというから面白い。

千円札は、弟子から師匠にバトンタッチされるのだ。


(おまけ)北里柴三郎の “柴” つながりで…
     『柴犬、ハッチ!』 ↓ (今年の8月で11才になります)

ぼくは柴犬だよ!の、ハッチ


アレルギーの治療、頑張ってるよ!


北里柴三郎さんにアレルギー研究もお願いしたかったなぁ…


無理な話だけど…

ちょっとしんみりしてしまったけれど、
ハッチは継続してアレルギー治療をしているので安心して下さい。
散歩大好き!食欲旺盛!
我が家の大事な一員、ハッチなのです。

【明治村】芝川又右衛門邸が凄かった!

2023-04-14 | 博物館 明治村
(【博物館 明治村】日帰り観光、記録の続き)

【明治村】で見たかった「帝国ホテル」と
「明治の文豪お宅拝見」という2つの目的は達成できた。

これで満足なのだけど
せっかく来たのだから、時間の許す限り他の建物も見てみたい。

というわけで、次に見学したのが
明治村に移築されて公開が2007年という、一番新しい建物。
阪神淡路大震災がきっかけとなり、
明治村へ寄贈されたという経緯をもつ

明治村3丁目にある
「芝川又右衛門邸」(しばかわまたえもん てい) ↓


実は、私は芝川又右衛門という人を知らなかった。
調べると、
大阪の商人で、当時の長者番付にも載るような大富豪だった。
その芝川又右衛門の別荘だったのが、この立派な建物。


設計者は、武田五一 (たけだ ごいち)。
京都帝国大学建築学科の創設者である。

ヨーロッパへ留学した武田五一による、和洋折衷の設計となっている。

玄関前からして異国情緒が漂う ↓


和の物も取り入れられていて ↓

独特の雰囲気を持つ建物だ。

ここでは、学芸員さんによる《建物ガイド》がある。
予約不要で、建物内部の非公開の場所を案内してくれる。
開催時間が決まっているので、
その時間に建物前に集合すればよい。

開催時間になり、学芸員さんの案内で建物の中を見学した。

まずは玄関入って右側のドア ↓

学芸員さん曰く、このドアからして不思議なのだとか。
写真が暗く分かりづらいけれど、
扉ガラスの形や、蝶番(ちょうつがい)の数や位置、
片側にしか付けられていないランプ、などを
教えてもらった。

どういう意図があるのか、その説明はなかったけれど
(ガイドの案内時間が決まっているので)
設計者である武田五一には意図するものがあったのだろう。

扉を開けて中に入ると、大広間。 ↓


当時はここでダンスパーティーが行われたり、
宝塚歌劇団のスターを招いたり、
社交場として使われたそうだ。
備え付けのベンチや
さらに、暖炉も ↓


そんな洋風の大広間でありながら、
天井を見ると……↓

網代(あじろ)と葦簀(よしず)の市松模様!

それが洋室に違和感なく溶け込んでいるから不思議。
まさに、和洋折衷だ。
面白いし素敵!

場所は変わって、お風呂場 ↓

シンプルなお風呂。

そして、お風呂場の天井(換気口)にもデザインが !↓


フランク・ロイド・ライトといい、
武田五一といい、
一流の設計者はこういう所にも手を抜かないのだなぁ!
(ちなみに、ライトと武田五一は親交があったそうだ。)

さらに移動して、台所 ↓

備え付けの棚↓


台所はそれほど広くはなく、
実際はここで食事を調理するのではなく、
仕出しなどを頼んでいたのだとか。(別荘だから)

面白いのは、台所に取り付けられている
呼び鈴のボタン装置 ↓

食事などを持ってきてほしい時に
部屋に設置されてある呼び鈴を鳴らすと、この表示盤に
部屋番号が表示されるという仕組み。

広い家ならではのお助け便利機器だ。

続いて2階へと移動する。

この建物の一番の特徴は、“階段回りにある”、と言っても良いほど
特徴的な階段だった。

壁にくっつくように階段が設計されていて、
階段が宙に浮いているかのように見える ↓






さらに、天井の素材が各階で異なっている。というのが
分かるのもこの階段の特徴だ。
こういう所が、設計者である武田五一の凄さなのだろう。

壁面には一つ一つ小さな渦巻き模様が施され、

漆喰に真鍮が塗ってあるのだという。

これも職人が手作業で行ったそうだ。

ランプも特徴的 ↓


2階の部屋は和室 ↓


広い床の間もあり、ここにも仕掛けが!

何の変哲もないように見えるけれど、
床の間の段差の部分に木のカバーがされているのだ。
外すと、黒い漆塗りの本体が表れた。
(傷がつかないようにするための工夫)

他にも仕掛けがあって
襖の奥には……


なんと、暖炉! ↓


ただ、ここには焼いた墨を持ってくるだけで
火を熾すことはしなかったそうだ。



2階からの景色
小さい猪目(いのめ)=ハートマークが
欄干に施されているのが見える。↓


洋室もあり、椅子が置いてあった。


あっという間にガイド案内の時間が過ぎ、
1階の玄関に戻ってきた。
玄関にあるステンドグラス。↓

ここにも仕掛けがあるという。
ステンドグラスは
通常は暗くなると真っ暗になるのだけれど、
暗くなっても
模様部分が輪郭として表れるようになっていた。↓

色んな場所に細かな設計がされていて、
設計者という職の奥深さを感じることが出来た。

最後に、ランプに付いた猪目(いのめ)が
アクセントになっていて可愛らしかった。↓


「芝川又右衛門邸」
和洋折衷で、とても素晴らしい建物だった!


(おまけ)
【明治村】はペット禁止なので連れていけず、
帰ると、ふてくされたハッチの姿が… ↓

ハッチ、ごめんね。

でもこの後、ハッチと追いかけっこをして仲直り(笑)
ハッチはご機嫌になったのでご安心を!

【明治村】明治の文豪、お宅拝見

2023-04-13 | 博物館 明治村
(【博物館 明治村】日帰り観光、記録の続き)

「帝国ホテル」ライト館の見学で、あまりの凄さに驚き
興奮冷めやらぬ状態になってしまったけれど、
見学はまだ始まったばかり。

次の見学先へと向かう。
次は、“明治の文豪、お宅拝見”だ。
今回【明治村】へ来た、もう一つの目的でもある。

目的を達成すべく、帝国ホテルの5丁目から移動する。

そして、明治村1丁目。
“明治の文豪”と称される作家のお宅に到着!↓

さて、誰のお宅か想像がつきますか?





答えは……




夏目漱石 & 森鴎外

“明治の文豪”と言われる二人が、この家に住んでいたのだ!
すごいですよねぇ…!

ただ、2人が一緒に住んでいたわけではない!のです。
混乱するといけないので補足説明すると、
正しくは、この家は貸し家で
先に森鴎外が暮らし、鴎外が別へ移ったその後、
漱石がこの家で暮らした。という。

というわけで、文豪のお宅にお邪魔します。
(家の中は出入り自由で、写真も自由に撮れる。
もちろん、中にある展示物を触るのはダメ!)

玄関で靴を脱いで、すぐ左手が書斎 だった。


↑ この部屋が漱石の執筆部屋である。

書斎からは外の景色が見え、風遠しの良い部屋だ。
耳をすますと、
鳥のさえずりや木々の葉擦れの音が聞こえてくる。
(移築されているので、元の場所から見る景色とは異なるが)


近寄ってみると……
机の上には漱石の『吾輩は猫である』の原稿が! ↓


漱石は、この和風住宅に住んでいた時に
高浜虚子に勧められて小説を書き始める。
『吾輩は猫である』をはじめ、
『坊ちゃん』
『草枕』
などの作品を執筆している。

ここに漱石が座り、小説を生み出していったのかと思うと
感無量。

年季の入った硯や筆や印鑑など ↓


筆や硯が置いてあるけれど、
執筆で使用したのはペンだったのかな?


正面の机から左側にも机 ↓


さらに、後ろにある本棚には本がびっしり!
入りきらず下にも置いてある。↓


ただ、印象としては随分、こじんまりとした部屋だなぁ、と。
文豪の執筆部屋というと、もっと広くて
大きな机で椅子に座って、万年筆やランプが置いてあって……
みたいなイメージを勝手に持っていたのだけれど。(笑)


書斎だけでなく、他の部屋も見学することができるので
お邪魔させてもらう。

住宅についての説明 ↓


写真がブレてしまっているけど
掛け時計や棚に小さな飾り人形などが置いてあった。
そして漱石といえば、猫!


部屋のあちこちに猫の置物があり、
漱石とのエピソードが綴られていた。↓


寝転がって新聞を読む漱石の上に
猫がよく乗っかっていた、とか。(笑)



漱石にとって猫は、名前をつけなくても
大事な存在だったのだろう。

室内での見学を終え、
漱石が執筆をしていた部屋を外から見る↓


何かの雑誌で読んだことがあるけれど、
この家は「家相が良かった」と、漱石の家族が話していたとか。

この書斎が、“巽(たつみ)の方角”(南東の方角)だったのが
良かった、ということらしい。

私は全く家相についての知識はないのだけれど、
先人の智慧からくるのだろうから、そういうのはあるのだろう。



確かに家相も大事かもしれない。
しかし、それだけでは小説は書けないだろう。

やはり本人の
書く意志、書き上げる忍耐力、物語を創り上げる想像力、
言葉を紙面に書き表すことの出来る表現力など、
こういう能力がないと
小説を生み出すことは出来ないんだろうなぁ……、と。

でも、実は家相が一番大事だったりするのかも?!


 ↑ 書斎にも猫の置物
黒い猫で、爪の先まで黒かったそうだ。(笑)

こうして“明治の文豪、お宅拝見”を終えた。
楽しかった!

(追記)
私の大好きなラジオ番組『メロディアス・ライブラリー』(3月末に終了したが)
この番組では、夏目漱石にはじまり、夏目漱石で幕を閉じた。
15年6ヶ月続いた番組を振り返る意味でも
夏目漱石の住宅に来てみたかった。
(あっ!森鷗外、完全に蚊帳の外……鴎外、ごめんなさい)

【明治村】旧帝国ホテル、ライト館に驚いた!

2023-04-12 | 博物館 明治村
昨日、愛知県犬山市にある【明治村】へ日帰り観光をしてきた。

正しい名称は、【博物館 明治村】。

明治時代の貴重な建物や資料などが展示されていて、
現在、60以上もの建造物が並ぶという施設。
その中には…
国指定重要文化財の建物が11件も!あり、
さらに、産業遺産が3つもあるのだ。

正門からして、歴史の匂いがプンプン漂ってくる ↓


正門は、名古屋市瑞穂区にあった
「第八高等学校正門」の門だそうだ。

そして、正門を入るとすぐに出迎えてくれるのが、
記念写真用の日付板 ↓


昨日(2023.4.11)は、明治の年号で数えると明治156年に
なるそうだ。
遠いような、でもそんなに遠い過去とも呼べないような…
何とも不思議な気持ちになる。

そんな気持ちになったところで、
早速、明治村を探索するべく出発!

まずは、村営バス停「正門」のりばへ ↓


始発の9時40分を待つ。
(その後は、20分間隔ぐらいで巡回しながらバスが来る)
時間通り、村営バスが走ってきた! ↓


鯉のぼりも揚がり、何ともカッコよい!
(風が吹いておらず、鯉が泳いでいないのが残念だけど)

村営バスに乗車。乗車時に切符を見せる。
車内、一番後ろの席からの眺め ↓


明治村は広いので、村営バスは移動するのにおすすめ。
明治村の敷地面積は100万㎡で、
南北に約1100m
東西に620m
正門から北口までがおよそ徒歩20分という。

エリアごとに番地が付いていて
1丁目から5丁目まである。
正門があるのは1丁目。

効率よく見学するならバス移動は必須。
バスの車内では、車窓から見える建物の説明もしてくれるので、
乗車しながら見学もできる。

バスは坂道や曲道をゆっくり進み、
私は、終点の5丁目「帝国ホテル」で下車。

まずは、じっくりと見てみたかった
「帝国ホテル」へ向かう。

帝国ホテル、ライト館の中央玄関を正面から↓


設計者はアメリカのフランク・ロイド・ライト。
鉄筋コンクリートおよび煉瓦(レンガ)コンクリート造。
日本の建造物である、
京都宇治の「平等院鳳凰堂」をモチーフにしたと言われている。


ホテルの側面 ↓




ホテルの庇(ひさし)↓


もう、外観からして圧倒的な存在感!!

完璧主義者のライトは、建設にあたっては職人にも容赦なしで、
納得がいかなければ何度でもやり直しを求め、
素材にもこだわり、
建設費用にいたっては当初の予定よりも6倍にも
跳ね上がってしまったとか…。



柱の一本、一本、丁寧に作られているのが分かる。

もはや芸術作品! ↓


空間を意識して設計されている内部。


階段も意識して設計されているとのこと。↓


細かい所にまでデザインが施されていて…


自然光が入るように意識して設計されている。


この建物内を見ていると、
「すごい!」の言葉が連続して口から出てくる。


天井にも手を抜かない。↓


照明に至るまで、ライト自らが設計している。


控え目な照明だけど、存在感がある。↓


建物と照明と自然光が上品に交わっている。 ↓


窓枠のデザインも可愛らしい。



どこを見ても手を抜かない設計。




とにかく素晴らしい!




圧巻の美しさ!




建造物という言葉では括れない、
一級の芸術作品だ。

当時の実物の一部分が外に展示されていた。↓


明治村の「帝国ホテル」ライト館。
想像以上の美しさに驚いた!
取り壊されなくて、本当に良かった。
明治村で「帝国ホテル」を見るだけでも貴重な体験になる。