(【博物館 明治村】日帰り観光の続き)
まだまだ見たい建物が目白押し。
次は、3丁目にある「北里研究所本館・医学館」を見学。
「北里研究所」は、
北里柴三郎(きたさと しばさぶろう)が
伝染病の研究をするために創立した建物だそうだ。
北里柴三郎といえば、2024年から紙幣の肖像が変わるということで、
今の千円札、野口英世(のぐち ひでよ)から替わって
新しく千円札の肖像になる人物だ。
どんな功績を遺した人だったのかを学んでみたいと思う。
ドイツバロック風の建物 ↓
大正4年に建てられ、(明治時代ではないけど明治村に保存)
当時あった場所は、東京都港区白金。
玄関前に、間取り図と簡単な説明の案内板 があった。↓
この建物はガイドがいないので、
見学したい人は自由に出入りできる。
さて、建物の中はどうなっているのだろう?
早速、研究所の中へと入ってみる。
入ってすぐのところに
北里柴三郎の像と「ペスト菌発見」という展示 ↓
早速、偉業を示す展示がある。
順番に部屋を見ていく。
この部屋では、北里柴三郎の歴史についての展示。
このマークが「北里研究所」のシンボルマーク ↓
マッチ棒みたいなのが2本交差しているように見えるが、
これは破傷風菌を表していて、
(破傷風菌を発見したのが、北里柴三郎だ!)
その破傷風菌を月桂樹の枝葉で取り囲んでいる、というマーク。
他にも結核についての歴史や
それにまつわる人物の説明 ↓
北里柴三郎が結核研究で書いたメモなども
展示されていた。 ↓
部屋を移動して……
ここが、北里柴三郎が使用していた研究室 ↓
流しは、耐食性に強い鉛板が使われている。↓
そしてこの実験器具が、北里柴三郎が実験を重ねて考案した
「破傷風菌培養装置 」だそうだ。↓
純粋培養は難しい、と言われた破傷風菌培養に
世界で初めて成功した、
歴史的な偉業だったという。
さらに、その純粋培養を応用して「血清療法」を確立して
研究者として一躍有名になったのだそうだ。
続いて、香港で流行していたペストの原因調査で現地へ行き、
ペスト菌を発見!するという、
とにかく研究熱心な人物だったということが分かる。
北里柴三郎が使用していた室長室 ↓
当時のままかどうかは分からないけれど
余計な飾りもなく、いたって簡素な部屋。↓
書類棚 ↓
室長室の机 ↓
別の部屋には
北里柴三郎の揮毫(きごう)↓
自作の七言絶句が紹介されていた。↓
余談だけど、調べてみると
北里柴三郎は弟子たちから「ドンネル先生」と呼ばれていたのだとか。
ドンネルとはドイツ語で、“雷(かみなり)おやじ”という意味らしい。
研究に対する姿勢が真剣で、研究のこととなると
ついカーッとなってしまい、
真面目に取り組まない者は呼び出して
(人前では怒らずに! ←これが重要)
注意をしたという。
この「北里研究所」の門下生からは優れた研究者が次々と現れ、
その中には、野口英世もいたというから面白い。
千円札は、弟子から師匠にバトンタッチされるのだ。
(おまけ)北里柴三郎の “柴” つながりで…
『柴犬、ハッチ!』 ↓ (今年の8月で11才になります)
ぼくは柴犬だよ!の、ハッチ
アレルギーの治療、頑張ってるよ!
北里柴三郎さんにアレルギー研究もお願いしたかったなぁ…
無理な話だけど…
ちょっとしんみりしてしまったけれど、
ハッチは継続してアレルギー治療をしているので安心して下さい。
散歩大好き!食欲旺盛!
我が家の大事な一員、ハッチなのです。
まだまだ見たい建物が目白押し。
次は、3丁目にある「北里研究所本館・医学館」を見学。
「北里研究所」は、
北里柴三郎(きたさと しばさぶろう)が
伝染病の研究をするために創立した建物だそうだ。
北里柴三郎といえば、2024年から紙幣の肖像が変わるということで、
今の千円札、野口英世(のぐち ひでよ)から替わって
新しく千円札の肖像になる人物だ。
どんな功績を遺した人だったのかを学んでみたいと思う。
ドイツバロック風の建物 ↓
大正4年に建てられ、(明治時代ではないけど明治村に保存)
当時あった場所は、東京都港区白金。
玄関前に、間取り図と簡単な説明の案内板 があった。↓
この建物はガイドがいないので、
見学したい人は自由に出入りできる。
さて、建物の中はどうなっているのだろう?
早速、研究所の中へと入ってみる。
入ってすぐのところに
北里柴三郎の像と「ペスト菌発見」という展示 ↓
早速、偉業を示す展示がある。
順番に部屋を見ていく。
この部屋では、北里柴三郎の歴史についての展示。
このマークが「北里研究所」のシンボルマーク ↓
マッチ棒みたいなのが2本交差しているように見えるが、
これは破傷風菌を表していて、
(破傷風菌を発見したのが、北里柴三郎だ!)
その破傷風菌を月桂樹の枝葉で取り囲んでいる、というマーク。
他にも結核についての歴史や
それにまつわる人物の説明 ↓
北里柴三郎が結核研究で書いたメモなども
展示されていた。 ↓
部屋を移動して……
ここが、北里柴三郎が使用していた研究室 ↓
流しは、耐食性に強い鉛板が使われている。↓
そしてこの実験器具が、北里柴三郎が実験を重ねて考案した
「破傷風菌培養装置 」だそうだ。↓
純粋培養は難しい、と言われた破傷風菌培養に
世界で初めて成功した、
歴史的な偉業だったという。
さらに、その純粋培養を応用して「血清療法」を確立して
研究者として一躍有名になったのだそうだ。
続いて、香港で流行していたペストの原因調査で現地へ行き、
ペスト菌を発見!するという、
とにかく研究熱心な人物だったということが分かる。
北里柴三郎が使用していた室長室 ↓
当時のままかどうかは分からないけれど
余計な飾りもなく、いたって簡素な部屋。↓
書類棚 ↓
室長室の机 ↓
別の部屋には
北里柴三郎の揮毫(きごう)↓
自作の七言絶句が紹介されていた。↓
余談だけど、調べてみると
北里柴三郎は弟子たちから「ドンネル先生」と呼ばれていたのだとか。
ドンネルとはドイツ語で、“雷(かみなり)おやじ”という意味らしい。
研究に対する姿勢が真剣で、研究のこととなると
ついカーッとなってしまい、
真面目に取り組まない者は呼び出して
(人前では怒らずに! ←これが重要)
注意をしたという。
この「北里研究所」の門下生からは優れた研究者が次々と現れ、
その中には、野口英世もいたというから面白い。
千円札は、弟子から師匠にバトンタッチされるのだ。
(おまけ)北里柴三郎の “柴” つながりで…
『柴犬、ハッチ!』 ↓ (今年の8月で11才になります)
ぼくは柴犬だよ!の、ハッチ
アレルギーの治療、頑張ってるよ!
北里柴三郎さんにアレルギー研究もお願いしたかったなぁ…
無理な話だけど…
ちょっとしんみりしてしまったけれど、
ハッチは継続してアレルギー治療をしているので安心して下さい。
散歩大好き!食欲旺盛!
我が家の大事な一員、ハッチなのです。