山川草一郎ブログ

保守系無党派・山川草一郎の時事評論です。主に日本外交論、二大政党制論、メディア論などを扱ってます。

未完の中国革命と日本 =日中対立の本質とは何か=

2005年01月06日 | 日本の外交
小泉純一郎首相は「日本の伝統」として昨年、一昨年と続けた正月の靖国神社参拝を今年は見送ったようだ。中国の反発を懸念した結果だろう。

中国共産党は2005年を「反ファシスト闘争勝利60周年」の記念年に位置付けている。市場経済の浸透・拡大により、一党独裁体制が揺らぐことを何よりも脅威と感じている党指導部は、その政治基盤を守るために人民の思想教育に一層力を入れることだろう。

江沢民政権下で進められた「愛国」教育が、今日の過度に「反日」的な大衆の態度を生んだとの指摘は当たっている。思想教育は社会主義国家の基本である。そして当然のことながら、すべての社会主義国家は政変か大衆闘争によって樹立された「革命国家」だ。中国も例外ではない。

フランス革命や名誉革命(明治維新もそうかも知れないが)といった、西欧社会のいわゆる「ブルジョワ近代化革命」では、政権交代と同時に「革命」プロセスは終了し、新たな権力が「体制」となった。しかし、社会主義革命の特徴は、ユートピアである原始共産社会を実現するまで(つまり永遠に)「革命」が終わらないところにある。奇妙なことに革命政権は、いつまでも「反体制」なのである。

このことは現実の中国社会で、共産党政権を批判したり、抵抗したりする言動が「反体制」でなく「反革命」「右派反動」と呼ばれることからも明らかだろう。

ここに日中関係の修復を拒む不幸な呪縛がある。何故なら中国共産党にとっての日本は、かつて非合法ゲリラ時代に国民党政府とともに戦った「旧敵」であると同時に、戦後、国民党から中国政権の歴史的正統性を引き継いでからは、清朝にとって代わった封建主義勢力の残党、すなわち「旧体制」でもあるからだ。

革命国家である中国の「敵」は、次の3つに分類できる。すなわち―

【1】迷信や故習に支配された封建的君主制
【2】封建的君主制を倒し、独占資本による人民支配体制を築いた近代国民国家
【3】独占資本体制を海外植民地に拡大しようとした帝国主義侵略者(または覇権主義国家)

―である。さらにこれを大雑把に具体化すれば―

【1】清朝まで続く歴代王朝
【2】清朝を倒した国民党政権
【3】戦前の大英帝国と大日本帝国(または戦後のソ連、米国)

―ということになるだろう。

しかし、仮に東アジア地域全体を、19世紀から20世紀にかけての「世界革命」の流れの中に位置付けて捉え直した場合、日本は【1】【2】【3】のすべてに該当する可能性があるのだ。

その世界革命は「近代化革命」(経済面に限れば産業革命であり、政治的には自由放任主義、対外的には帝国主義を生んだ)として英国から始まり、米国を経て日本に伝わった。国内で徳川王朝を滅ぼした明治政府は、大陸では日清戦争で清王朝を、日露戦争でロマノフ王朝までをも崩壊させた。

東洋の島国に近代国家が出現し、封建時代の巨大帝国を滅ぼしたことは、皮肉なことに、近代産業革命の副産物である「帝国主義」を脅かす結果となった。ロシアを破った近代日本の快挙に呼応し、アジアの広い範囲に封建主義と帝国主義に抵抗する「民族主義」という第2の革命運動が勃興したのである。

清朝を倒した明治政府は本来、それら民族主義者の側に立つべきであった。(その意味で日清戦争を「文明と野蛮の戦い」と定義した福沢諭吉が、朝鮮の独立革命家を庇護したのは道理にかなっていた)

しかしながら、日露戦争に勝利した日本は、中国に現れた袁世凱政権に21カ条要求を突き付け、李朝なき後の朝鮮を保護国化した。徳川王朝を倒しながらも「天皇」という近代立憲君主を戴いた当時の日本政府は、君主制を否定する民族革命の津波が自国に波及するのを恐れたのだ。(本来、天皇制の正統性は「万世一系」神話でなく、憲法と議会に求めるべきだったのだが、明治後期以降の指導者は道を誤まった)

日本の支援を得られなかった国民政府は弱体化し、蒋介石クーデターを経て10年に及ぶ抗日戦争に突入した。ここでまた日本は重大なミスを犯した。清朝最後の皇帝である溥儀を傀儡国家「満州国」の元首として担ぎ出し、自ら「中国封建主義の擁護者」であることを宣言したのだ。

こうして日本は【1】封建体制【2】独占資本体制【3】帝国主義-という、中国共産党にとっての3つの敵をすべて継承することになった。

ところで、アジアで「民族主義革命」に火を点けた日露戦争は、ロシアにおいては、国家の解体と世界の労働者の連帯を目指す第3の革命運動「共産主義」を生み出した。一方、第一次世界大戦におけるドイツの敗退は、封建思想と近代思想、民族主義と帝国主義、資本主義と共産主義の各要素が奇妙に混合した第4の革命運動「全体主義」を派生した。

1930年代に封建制の擁護者に成り下がった日本は、ドイツの「全体主義」革命運動に合流していく。

アジアとヨーロッパの全域を巻き込んだ第二次世界大戦とは、こうした様々な革命運動がぶつかりあう中での「最終世界革命」だったのである。その外形上の勝利者は米英仏「近代産業革命」陣営と、ソ連「共産革命」陣営の連合軍であり、敗者は日独伊「全体主義」同盟だった。

アジアの民族主義者と共産主義者はというと、この世界革命によって大日本帝国から「解放」されはしたものの、日本そのものを打ち倒すことは出来なかった。第二次世界大戦を単なる「戦争」と考えるならば、日本の無条件降伏ですべては終結したことになるが、あの大戦を「革命」と捉え直すならば、日本国というアジアにとっての「中央政府」が存続している限り、それは戦後60年を経てもなお「未完」のままなのである。

それでも、戦後、近代産業国家としての原点に戻った日本は、台湾や韓国といった「民族主義」の生んだ新勢力とは和解を進めることに成功した。もはやこれら諸国が君主制を否定した「共和国」であることに脅える理由はないからだ。

一方、共産革命を経て新たに誕生した中華人民共和国にとって、日本は永遠に打倒すべき「旧体制」である。「A級戦犯」のみに罪をかぶせ、「日本人民もファシストによる被害者だ」という中国政府の公式見解は「建て前」に過ぎない。

共産党政権の最大の拠り所は「終わりなき革命」にある。革命を続けるには、倒すべき「体制」が必要である。実は共産党こそが「体制」であるという(当然の)事実に中国人民が気付いたとき、その「革命」は終焉を迎えることになる。

だから中国共産党は、抗日戦争という「革命の記憶」を常に<現在進行形>で人民の脳裏に移植し、伝承し続けなくてはならない。それはこの政権の宿命であり、中国共産党が政権を去らない限り、その思想上の「敵」の条件を兼ね備えた日本の存在は、いつまでも好都合な「仮想敵」であり続けるのだ。

(了)

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