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毎日が山のこと

最近の山歩きの記録はもちろん、作ってみた山行プラン、過去の山歩きの記録も順次掲載中です。

快晴の浅間山(前掛山)2022年8月19日

2022-08-20 09:32:23 | 信越・長野・西上州の山

前に投稿した登山靴忘れの大失敗のリベンジをと山小屋情報をあさっていたら、常念小屋でスタッフがコロナにかかり、23日まで営業を自粛するという。

これは、この夏は小屋どまりはあきらめて日帰りに徹するしかないと思った。

そんな折、天気予報をチェックすると19日はAランク保証の晴天となっている。

それも関東・中部周辺全域なので、高い山に登れば展望が期待できる。

まさかこの前に投稿した2006年の八ヶ岳

 

八ヶ岳(赤岳・横岳)縦走(2006年8月29日・30日) - 毎日が山のこと

 

のようなことにはなるまい。

そこで思いついたのが浅間山。

もちろん本体は今も立ち入り禁止だが、火口に近い外輪山の前掛山には登れる。

高峰高原から行くルートもあるが、帰りにトーミの頭への急登を登り返すのはいやなので、天狗温泉から往復することにした。

天狗温泉には登山者用の広い駐車場があるが、私有地なので駐車料500円。

車を降りたときは少し風が冷たく感じたので風よけを1枚羽織ったが、歩き始めるとすぐに脱いでしまいこんだ。

温泉の建物の前を通って沢の方に歩くと登山口をかねた鳥居があった。

そこから沢に沿って林道がある。そこを歩いていった。

木漏れ日がもれる散歩道のような気持ちのよい道。

30分ほどで一の鳥居に到着。ここからコースは2つにわかれて、一つは沢沿いに不動滝をへて二の鳥居へ。

左手に分かれるコースは沢の右岸を少し高まき気味に進んで二の鳥居へ。

不動滝を見てみたい私は躊躇なく沢沿いの不動滝コースを進んだ。

一の鳥居から15分ほど歩くと水場があった。実はコースにそって流れる蛇骨川は火山の影響だろうが、乳白色に濁っていて飲み水にはならない。

でもこの水はおいしかった。

水場から5分ほどで不動滝だ。この滝の水も濁っている。残念だけどしかたのないことだ。

滝から斜面を登っていくと先ほど別れたコースと合流し、その先に二の鳥居があった。

そして二の鳥居から少し登ったところにこんな看板が。

火山館でつかう薪を運んで欲しいというお願いだった。

二本くらいどうかと思ったらリュックにうまくおさまらない。1本だけにしておいた。

地図に長坂と書いてある斜面を登っていく。急登を予想していたらそんなこともなかった。

やがて木々のあいだから浅間山外輪山の黒斑山の崖が見えてきた。

そして行く手右側には牙山。牙と書いて「ギッパ」と読むらしい。

牙山の下には沢水の濁りのもととなるところが。

ここからは有毒ガスも出るらしくて、立ち入りは禁止されていた。あたりには硫黄臭もただよっていた。

その少し上には烏居があった。

そこが先ほど看板のあった火山館だった。

登山者のための休憩施設であり避難小屋も兼ねているようだ。

建物の下が頑丈に作られていて、噴火の際はそこに入れば火山弾などを避けることができそうだ。

火山館のすぐ裏手には祠があって、そこが浅間神社だった。

一の鳥居、二の鳥居はこの祠のための烏居だったようだ。

浅間神社の裏の斜面を登るとそこが湯の平だ。古い時代の浅間山の火口原だが、カラマツを主体に針葉樹林とそのあいだに草原が広がっていた。

草原には黄色がめだつダケブキがたくさんあった。

湯の平は、黒斑山などから見下ろした印象ではもっと草原なのだと思っていたら、その大半はカラマツ林だった。

道は森の中を高い方へとだんだん登っていく。カラマツが少し背を低くしてきたようだ。

するとこれから登る浅間山の砂礫の本体が見えてきた。

反対側には外輪山をなす蛇骨岳、黒斑山などの外輪山がおおいかぶさるようにつらなっていた。

Jバンドとの分岐もまだ森の中だった。Jバンドに向かえば先ほどの外輪山の山々へと登ることができる。

分岐から少し進むとようやくカラマツの森を抜けて浅間本体を斜めに登り始める。

このあたりで2100mを少し越しているはず。前掛山まで標高差400m余り。

砂というよりやや大きめの礫がたくさん混じっているので、富士山の宝永火口のようにずるずる崩れることはない。

着実に高度をあげていく。

浅間山北麓の嬬恋村が見え、四阿山も全貌が見えてきた。

ふと振り返るとJバンド越しに北アルプスが見え始めた。特徴のある双耳峰は鹿島槍だ。

さらに登ると予想通り白馬から乗鞍まで一望だ。やったー!

道は2200m近くから少し傾斜がきつくなった。

たくさんの登山者が登っている。すでに下ってくる人もいる。

小学生の孫といっしょの私と同年配のおじいさんもいた。

北東方向には尾瀬の燧ケ岳と思われる山も見えていた。

急登に少しピッチを落としながら登りつめるとようやく内側の外輪山の稜線にでた。

浅間山は三重式の複式火山なのだ。

振り返ると北アルプスの全容。写真の中央は立山だろう。

四阿山のわきからは妙高などの頚城山塊。

ようやく急登も終わって、これから外輪山にそって歩く。

ここが火口に一番近い。避難所もある。私もねんのためヘルメットを持参していた。

日差しは強いが少しも暑くはない。快適だ。

前掛山の内側は垂直の断崖だ。

そして内側には浅間山の火口丘。

11時30分、2524mの前掛山山頂に到着。

大勢が休憩して目の前に広がる大展望を楽しんでいた。

まずは富士山。ちょうど金峰山の山頂と重なっている。金峰の五丈石が見える。

八ヶ岳とその向こうには南アルプスの北岳、甲斐駒ヶ岳、仙丈ケ岳が頭を見せていた。

そして北アルプスの核心部、穂高岳と槍ヶ岳。写真の中央に変なゴミがついてしまったと思ったら、これは頂上にたくさんいたトンボが写りこんだものだった。

真下には佐久平。

北東側には浅間火口の火口丘。まだここは立ち入り禁止。

でもこの日は噴煙も少なく、静かなものだった。

西には黒斑山と籠ノ登山や湯ノ丸。その向こうに北アルプス。

こちらは東の妙義山。

十分に展望を楽しんで12時少しすぎに下山開始。

帰りの写真は省略するが、ふたたび森にはいって火山館で休憩。

その後の蛇骨川にそった森の山道が少々長く感じた。

全体では登り4時間半、くだり3時間余り、8時間近くかかっている。

天狗温泉で汗を流すつもりだったが、帰りの渋滞も気になるのでそのまま帰路についた。

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小海線沿線の御座山へ(2022年5月18日)

2022-05-20 08:44:56 | 信越・長野・西上州の山

小海線沿線にある御座山に登ってきた。

関東山地北部では飛びぬけて高い2112mの山だけど、なにせ埼玉からだと山の向こう側になってしまうのでなかなか機会がなかった。

行くのなら気候がいい今がチャンスと決断したのだ。

行程を組立、出発前に念のため情報を集めると、なんと予定していた下仁田からの山越えルートは通行止になっていた。

危ない危ない(~_~;)。

ルートを変更して、信越道から中部横断道を経由して行くことになった。

でも中部横断道は現在は無料区間になっているので助かった。

現在中部横断道は、八ヶ岳の麦草峠にむかう国道299号線のところまで開通している。

そこから国道141号を少し走ってから南北相木村へと左折する。

南相木村への道と分かれてからもかなり走って村役場と北相木小学校之前を通り、さらに奥へ奥へと走る。

村の中心部から見ると右手に奥に御座山が見えているので、まだまだ先だなとわかる。

その途中で、群馬へ抜ける道は通行止と表示してあった。早く気がついてよかったと胸をなでおろす。

7時50分、ようやく長者の森キャンプ場の駐車場に到着。

北相木村の車が1台だけ止まっていた。かなり広い駐車場だ。

支度をして8時に出発。駐車場からすぐに川へとおりる道にはいり、あとはしばらく道なりに歩く。

道のわきに奇妙なものがあった。石の「芸術作品」だった。

道は少し先のコテージのところまで舗装してあり、そこから未舗装の林道になった。

そこにも「御座山」のわかりやすい看板が設置してあった。

カラマツ林の緑も少し濃さを増してきている。

2万5千の地形図で調べた時、御座山は全山針葉樹でおおわれていることに気がついたが、その大部分はカラマツ林のようだ。

薄暗いスギやヒノキの林でなくてよかったと思う。

林道が終わってゆるやかな斜面の道になると、ニリンソウがたくさん咲いていた。

明るく開けたカラマツ林の林床に若いシダとニリンソウ、そしてスミレがたくさん見られる。

エンレイソウがあった。シロバナエンレイソウだ。

道は広くて歩きやすい。でも少しづつ傾斜が増して、右手の山へと登っていく。

その辺からミツバツツジが姿を見せた。

その山のピークの近くをかすめていくあたりにシャクナゲが咲いていた。

そして道はいったんくだっていく。

目印になる送電鉄塔が近づいた時、目の前に小鳥がとまった。どうもコガラのようだ。口に虫らしいものを咥えていた。

鉄塔の鞍部から少し急な道をジグザグに登り返して尾根に出るとそこが白岩登山口からの道との合流点だった。

9時26分。予定通りのタイムだ。道がいいので助けられている。

合流点からはしばらく上り下りのない歩きやすい尾根道になった。

道の両側にスミレがたくさん見られた。

次第に上りがきつくなってきて、岩が見られるようになるとシャクナゲが増えてきた。

その急登をのぼりきったところで右手にそれるとそこが展望台になっていた。北から西が見渡せる。

浅間山が遠くに霞んでいた。

シャクナゲを分けながらという感じの道を少し進むと今度は前衛峰と山頂が重なるように見えるところにでた。

そして奥には北八ヶ岳の山々が見えた。蓼科山の丸い山頂がよく目立っている。

その近くでシャクナゲの咲いているそばに「ハクサンシャクナゲ」の看板が。

ほかに「アズマシャクナゲ」の看板もあったが、そちらはまだ花芽もついていなかった。

シャクナゲの林を抜けたところでヒューイ、ヒューイという特徴のある鳥の声。

ウソだった。数羽が姿をみせて枝にとまってくれた。

あたりの雰囲気がかわって、どうもコメツガの森になったようだ。

尾根道が徐々に高度を上げていく。いよいよ前衛峰への登りにさしかかったようだ。

あまり急ではないのだが、その分登りが長く続いた。

この日は空気が冷えていて、森の中で日差しがないと手が少し冷たくなってしまった。

登りが終わってもなかなか前衛峰の標識が現れない。

少し細長い山頂の一番南の端にようやく標識があり、目の前に山頂が大きく見えていた。

「前衛峰」、1992m、山頂まで35分と書いてあった。

岩に腰をかけて山頂を見上げながら休憩する。ちょうど日が差していて暖かくなった。

そこからいったんくだってコルにでた。シラカバかダケカンバらしい木がこのあたりだけたくさんあった。

標識があって、そこから北相木村へと道があるように表示されているが、すでに長いこと使用されていないらしく、道らしいものは見当たらない。

オオカメノキ(ムシカリ)の花が咲いていた。

さて、ここからが最後の詰めの登りだが、このコースで一番急なところだった。

出発して3時間を超えていたので足も疲れてきて、たびたび立ち止まって小休止。

そんな時の向こうから一人が下ってきた。若い女性だった。

駐車場にはほかに車はなかったので、バス利用なのか、南側の栗生から登って北側に下っているのかもしれなかったが、ちょっと目顔で会釈してさっさと下っていった。

ようやく急な登りが終わると先の方に建物があらわれた。

山頂直下にある避難小屋だった。ようやくついた。

木材もしっかりしたものをつかってあり、頑丈そうで立派な避難小屋だ。

その小屋の裏にまわると大きな岩があらわれた。山頂の岩場だ。

岩場の先に八ヶ岳が北から南まで雄大に広がっていた。

疲れてふらつきながら岩場を登って山頂に到着。11:50。最後ののぼりはへばってしまって45分もかかってしまった。

あらためて八ヶ岳をながめる。赤岳から横岳、硫黄岳辺の斜面にはまだ残雪が見えている。

南に目をやると霞んでいるが甲斐駒ヶ岳、北岳などの南アルプスの山々。

その左手には瑞牆山のギザギザ。

そして金峰山の五丈岩。

一番高いところに祠の土台だったらしいコンクリートの基礎があった。

山頂の標識はさらに先の岩の場の先端付近にあった。

そこまでへっぴり腰で岩を伝っていく。もう疲れているのでふらつくと足がつってしまいそうだ。

山頂標識の脇に石の祠があった。今はこの祠だけなのか、小銭がたくさん供えられていた。

先ほどのコンクリートのところにもどって疲れた足をなげだし、おにぎりをほうばる。

今回は荷を軽くするためにガスやコンロ等は持ってこなかった。

食べ終わってもう一度八ヶ岳をながめる。

でももうやることはないので、帰路につくことにした。休憩は25分。

でもやはり、歩き出すとすぐに足がつってしまった。

こういう時につるのは太ももの内側の筋肉だ。しばらく立ち止まって回復を待ち、あとはだましだましゆっくり目で歩く。

動いたことで逆に疲労物質が流れたのか次第につらなくなり、ペースが掴めてきた。

登るときには気がつかなかった大きなダケカンバの木が目に入った。

同じコースを戻っていても登りには気がつかなかったものも目に入る。

バイケイソウらしい草もあった。

なんだかゴリラの顔に見えなくもない岩も目に付いた。ほっぺたに食べ物をほうばっている感じだ。

ゆるやかな登り返しのところでまた足がつってしまった。久しぶりに芍薬甘草湯を服用した。

効果てきめんだ。

林道近くのニリンソウの群落の中を歩いていて、ふと三輪ついている株があるのに気がついた。

ニリンソウだって一輪のものや三輪ついたものもあるようだ。

ようやく林道にもどってあとは駐車場へ向かうだけというときふと足元で動くものが・・・

蛇が2匹。一匹はすぐに草むらに姿を隠した。もう一匹の方だけ写真に撮れた。

ヤマカガシだった。毒蛇です。

でもちょっかいを出さなければ向こうから襲ってくることはありません。

車へは15;07到着。

駐車場は出発の時のまま。一台も増えていない。

今回は途中で出会ったのは若い女性一人だけ。静かな山旅だった。

足がつってしまったのでゆっくり目でくだったので、あまり疲れを残さずに登山を終了できた。

 

 

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もう一度行きたい火打山、2回目のときの記録(2011年8月3日~4日)

2022-05-13 10:11:23 | 信越・長野・西上州の山

今年は梅雨入りが早くなるのか、このところ雨の日が続いている。

今日も朝から雨。明日にかけてかなりの大雨になりそうだ。

日帰り山行がほとんどの私だが、梅雨明け後の時期だけは小屋泊まりで出かけたい。

今からどこに行こうかとそわそわしながら考えている。

そんな中、すでに2回行っているのだが、もう一度、いや何回でも行ってみたいところが火打山だ。

1回目は2003年8月、職場の同僚と出かけてとてもいい印象が残った。

それなのに、使っていたバカチョンカメラの設定が間違っていたのか、写真はどれもひどいピンボケだった。

2回目は2011年8月、私と妻、そして兄夫婦とで1回目と同じ行程を予定して出かけた。

登山道の出発点には門のような建物がある。途中の蕎麦屋で早めのお昼をすませてきたのだがちょっと時間をくいすぎて、すでに12時をまわっていた。

まあそれでも4時か4時半にはつけるとふんでいた。

笹ヶ峰に車をおいて、まずは十二曲がりへむかって森の中を歩く。ここまでは順調。

しかし、十二曲がりを登り始めると当然のことながらペースがあがらない。

冷たい沢の水で汗を拭いて休憩。

女性陣から、話よりきついとボヤキがではじめた。

花がきれいだし、コースも楽だからといって誘ったのは私だ。

でもコースは楽ではなかった。

ようやく十二曲がりを突破。「ここからは楽勝だよ」などと言ってみたが、大間違い。

コースは黒沢池ヒュッテとの分岐点までまだまだ登りが続いた。

8年前の記憶で計画を立てていたのだが、メンバーが違う。これでは4時半までにはつかないぞ。

富士見平の分岐から高谷池ヒュッテまではそんなに高低差はないのだが、すでにお疲れのメンバーの歩調はあがらない。

高谷池ヒュッテについたのは、すでに夕食がはじまる時刻。

荷物はあとまわしですぐに夕食となった。出発が遅すぎたと反省。

翌日もいい天気。でもメンバーを考えて火打山山頂はあきらめて天狗の庭まで往復することにした。

荷物は小屋において空身で歩いた。

ヒュッテの前にある高谷池湿原をまわりこんで登っていく。

一段高くなると湿原ごしにヒュッテの三角屋根が見える。いいよね、ここ。

花をながめながらのんびり歩いていくと正面に火打山が見えてきた。

ああ、やっぱりいいな。写真を見ていたら今年も行ってみたくなった。

天狗の庭に到着。正面に火打山。そして足元の池には逆さ火打山。

8年前とほぼ同じ時期に来たのだが、今回は残雪がほとんど残っていない。

雪解けとともに咲くハクサンコザクラも前回よりは少ない。

ようやく大きな群落を見つけた。地形から見て雪が最後まで残っていたと思われる。

戻って高谷池ヒュッテで小休止後、今度は茶臼山をこえて黒沢池ヒュッテへとむかう。

ゆるやかな木道の道を登りきると大きな湿原が見えてくる。

この茶臼山のコースでコオニユリの大きな群落に出会った。

ドーム型の屋根が特徴の黒沢池ヒュッテ。こちらにも一度泊まってみたい。

ヒュッテのわきにある黒沢池のあたりにはまだ残雪が残っていた。

小屋の前のベンチで休憩。小屋の人がドーム屋根のペンキ塗りをしていた。

黒沢池の湿原にはチングルマの穂とワタスゲが一面に広がっていた。

昨日はきついきついとぼやいていた女性陣も今日はご機嫌だった。

1日目は私の計画の甘さを反省させられたが、とにかくたくさんの花に出逢えた山旅だった。

今年もし行くことができたら、黒沢池ヒュッテに泊まって、翌日は妙高山にも登ってみたい。

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飯縄山(2022年4月28日)

2022-04-29 11:12:17 | 信越・長野・西上州の山

長野の飯縄山に登った。

北信五岳と称される山々の中でもっともアプローチしやすい山だ。

飯縄山の西に広がる戸隠高原にはスノーシューなどでなんどか訪れていて、飯縄山の一角である瑪瑙山までリフトで上がり、スノーシューで歩いてくだったことがある。

長野駅からループ経由の戸隠キャンプ場行きのバスにのり、飯綱登山口でおりた。

アルピコグループのバスは独自のICカードを導入しているのでSUICAは使えない。

登山道は飯縄山にむかってまっすぐ伸びる舗装道路ではじまる。

バードラインの反対側はゴルフ場だ。

登山道の両側は別荘地だった。ゆとりのある敷地に結構大きな建物がたっている。

「こんな別荘暮らししてみたいな」などと考えるのだが、私はすぐに飽きてしまうだろう。

標高1000mをこえるこのあたりは、初夏ではなくまだ春だ。

別荘の敷地のあちこちにフキノトウがほころんでいた。

舗装道路の終点に駐車スペースがあって5台ほど車がとめてあった。

そういえばバスの登山客は私一人だけだった。やはりマイカー登山の時代だ。

カラマツの林のなかをゆったりと登っていく。新芽が明るく美しい。

登山道の入口と途中の林道を横切った先とに木の鳥居があった。

ときどきウグイスがよく通る声で歌う。

右手に白い木の花が見えた。コブシならもう散っているだろう、タムシバかなと思いながら写真におさめた。

振り返って左手を見るとすぐ目の前に1合目の標識と不動明王の石像があった。

かたわらの看板には十三仏とは死後33回忌まで司る仏たちで、飯縄山を来世に至る道と考えて順番に祀ったようだ。

欠けて失われていた2体を彫り直して安置したらしい。

そういえば「いいずな」という動物の伝説があった思い、帰ってから調べてみたら、伝説ではなくて実在の動物だった。

イタチ科の動物で北海道、東北地方から本州中部にかけて生息しているそうだ。

オオカメノキのような葉の木の枝に花が並んで咲いていた。

リズミカルでかわいらしい。保育園児のお散歩のようだ。

少し登ると2番目の石仏、釈迦如来があった。かたわらに標高の木柱がそえてある。ありがたい。

三文殊から次々と石仏があらわれ、全部写真には撮ったもののここで並べてもしかたがないので割愛する。

ちなみに名前だけ並べると四普賢、五地蔵、六弥勒、七薬師、八観音と続く。

なぜこの順番なのか?曼荼羅と関係があるのだろうか。

九番目は勢至菩薩だった。このあたりから道は少しけわしくなった。

十番目は馬頭観音。そのすぐ上に十一番目の阿しゅく如来があって少し広くなっていた。

駒つなぎ場との案内表示がある。

ここから道は尾根をはずれて右手の斜面へとのぼっていく。

雪のせいだろう。木の幹が大きく曲がっている。

斜面の道の折り返し、沢筋には南斜面とはいえ雪が残っていた。

雪のすぐ下から水がでていて、看板に「富士見の水場」と書いてある。

このあたりから天気が良ければ富士山が見えるのかもしれない。

斜面をジグザグに登っていくと「天狗の硯石」と呼ばれる大きな石があった。

たしかに四角くて平らなだ。

 

その少し上に十三番の虚空蔵菩薩の石仏があった。これで13体がそろった。

でもここはこれといって目標となるような地形ではない。

なぜここまでで13体を並べたのかはよくわからない。

でもこのあたりから大きな樹木がなくなって振り返ると展望が開けていた。

見上げれば地図に飯縄大明神の祠があると示されている最初のピークが目の前だった。

考えてみるとこのあたりから上では石仏を安置しても雪崩で失われてしまうかもしれない。

「あとひと登りかな」そんなことを考えながら少し重くなった足を前に出す。

西の方を見ると上は雲に隠れているが戸隠連峰の西岳あたりと思われる山裾が見えていた。

ふと見上げると雪がある。稜線に出たようだ。

標識に中社の文字が見える。戸隠中社からの登山道との合流点だった。

標高は1840mくらいだろう。

さすがに北西からの季節風をうける山頂稜線にはまだたっぷりと雪が残っていた。

雪は中社にむかう稜線の上にも白く見えていた。そしてそちらに向う足跡は見当たらない。

「どうも同じ道を戻ったほうがよさそうだな」

帰りは中社に下りようと考えていたが、考え直すことにして山頂へとむかった。

残雪の中に祠と鳥居があった。

これが大明神の祠かと思った。

他に小さな石の祠があちこちにある。

このピークには9合目の標識があってダケカンバの木々にかこまれて残雪がたっぷりと残っていた。

そしてピークの南東側に行くと建物と鳥居があった。これが飯縄大明神だった。

鳥居のところからは飯綱高原が一望できた。遠く善光寺平やその向こうには志賀高原の山々が見えるはずだが、雨上がりの今日はまだ雲に遮られて見えない。

いよいよ飯縄山の山頂だ。北の空は晴れ上がっている。

そこに至る稜線もたっぷりの残雪の中を歩く。

適度に固くなっているので足がもぐることはほとんどなかった。

ふとみると残雪に丸い窓があいて竹の葉が覗いていた。

ゆるやかな稜線をゆっくり登り詰める。

12時10分。山頂に到着。登山口から2時間50分かかった。

西の戸隠山や高妻山はまだ雲に隠されていて山裾しか見えない。

でも山頂の北のハズレまで行くと妙高山から火打山、焼山と続く山々がよく見渡せた。

すぐ目の前は稜線続きの霊仙寺山。その右下に野尻湖らしい湖が見えている。

今日は、日本海に近いほうが天気がいいようだ。

この時は妙高の山頂付近だけ雲に隠れていた。

休んでいるうちに雲が取れることを期待して、山頂標識の東側でランチタイムとした。

弱い南寄りの風が吹いているが、座っていても日差しが暖かい。

しかし、南側にはまだ雲がたくさん残っていて、志賀の山々も見えない。

コーヒーを入れながらもう一度西の方を見ると高妻山が姿を現しだした。

カメラをもって雪の上に戻ってしばらく待つとようやく雲が流れて高妻山の全容があらわれた。

残雪をまとった三角錐の姿は堂々として立派だ。

さらにもう一度山頂の北のハズレにいってみると妙高山の山頂の雲もとれて、火打山、焼山までがすっきりと見渡せた。

もっと待っていれば東の方も雲がとれるかもしれないが、日帰り旅なのでそうそうのんびりとはしていられない。12時55分下山を開始した。

大明神のピークへと歩く途中で戸隠山を見るとすっかり雲がとれていた。

そして大明神のピークからは霞んでいるけれども北アルプスも見え始めていた。

中社へ下ることはやはり途中の急斜面に残雪があるかもしれないのでやめにして、登ってきた道を引き返すことにした。

バスは一時間に1本なので、時刻を確認。急げば2時台のバスに間に合いそうだ。

途中の駒つなぎ場で休憩しながらタイムを再確認。この分なら無理に急がなくても間に合いそうだ。

無事、別荘地に出て歩いていると目の前の木の枝から小鳥が飛び出してすぐそばの枝にとまった。

みるとヤマガラだった。望遠にしなくても写真にとれるくらいすぐそばだった。

つかれた足には舗装の道は歩きにくいので途中から一の鳥居苑地への道を歩いた。

とても歩きやすい林間の散歩道だ。

そして着いた一の鳥居苑池は、出発した飯綱登山口とは目と鼻の距離だった。

ここは登山者も自由に利用できる大きな駐車場でトイレもある。

2時38分。バスの時刻の10分前だった。

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鼻曲山(2017年12月29日)

2021-12-25 10:10:32 | 信越・長野・西上州の山

年末山行シリーズというわけではないが、調べてみたら2017年には鼻曲山に登っていた。

奮発して新幹線を使い、軽井沢からバスで長日向というところでおりて、そこから高原状の道をのんびり歩いた。

軽井沢からのバスはほとんどが観光客で、山の格好をしているのは私だけだった。

長日向の周辺は別荘地だ。夏はにぎやかになるのだろうが、寒い年末年始を過ごす人もいるのだろうか。

まずは林道をゆっくりとあがっていく。

すぐに別の林道と出会った。その林道を横切って少しせまくなった道をそのまま登っていく。

その交差点に標識があった。鼻曲山まで120分とある。

雪は少ないのだが、ところどころで動物の足跡にであった。

から松林の中の道をときどき青空に広がる梢を見上げながら歩く。

あまり見たことのない足跡だ。これは調べてみたがなんの足跡だかわからなかった。

鼻曲山へは、二度上峠から氷妻山をこえて尾根通しに往復する人がほとんどだろう。

中には霧積温泉から登る人もあるだろう。でもこのコースから登る人は少ないかもしれない。

山登りというより高原散策に近い。元気な人にはものたらないだろう。

さらに上の林道に遭遇した。

林道を横切り、尾根の右の斜面にそってゆるやかに登っていくときりづみ温泉の案内標識があった。

この近くに住んで、毎朝こんなところを散歩できたらいいなと思う。

また足跡があった。鹿のものだろう。

斜面を登って尾根の上にむかう。もう頂上はそう遠くないはずだ。

広々とした尾根の上にでた。あとはこの尾根をつめていくだけだ。

頂上直下だけはこれまでとはちがって急斜面になって、ロープもつけられていた。でもほんの10mほどだ。

頂上間近の稜線に出ると目の前に関東平野の大展望が開けた。

南を見ると奥秩父の山のむこうに富士山がちょこんと頭をのぞかせている。

手前には妙義山のぎざぎざのシルエットがある。

北の方にはなかなか立派な浅間隠山。

そして西には真っ白な浅間山が噴煙をあげていた。

カップラーメンで昼食にする。

見上げると近くの木に修験道の札が取り付けられていた。

熊野修験、那智山青岸渡寺、平成28年10月吉日としてある。22年前のものだ。

修行のために全国の山をめぐり歩いているのだろうか。

帰りは同じ道を戻るのだが、バスの時刻まで時間があるのでのんびりすごす。

三角点の標石と自分の影を撮ってみた。

地面が雪で白くなったおかげでカラマツ林がリズミカルな繰り返しとなって美しい。

帰り道、林の中にほとんど藪がないので、登山道をはずれて尾根の上をそのまままっすぐ下ってみた。

雪は少ないのだが、難なく歩けて林道に出ることができた。

美しいカラマツ林。その中になにか書いた標柱が立っていた。

カラマツ林除伐形式試験地と読める。

長日向に近づいた道にウサギの足跡。

そしてふたたび別荘地に戻ってきた。

ゆっくり下ってきたのだが、まだバスまでには時間があった。

自分の靴跡を撮ってみた。暇つぶしだ。

バスを降りてからこのバス停に戻るまで誰にも会わない静かな山旅だった。

私の歩いたコースはハイキング地図には乙女コースと書いてあった。じいさんが乙女の真似をしたということか。

山頂からの展望は申し分ないのだが、コースは楽でも少し長くて単調だ。

カラマツの黄葉のころとか5月の新緑のころがいいのかもしれない。

 

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