毎日が山のこと

最近の山歩きの記録はもちろん、作ってみた山行プラン、過去の山歩きの記録も順次掲載中です。

寒かった山梨の小楢山―琴川ダムから(2020年12月16日)

2024-01-29 16:24:54 | 奥多摩・奥秩父

4年前、冬の展望を満喫できる山に、ということで山梨の小楢山に出かけた時の記録。

子なら山への一番楽なコースは焼山峠からの往復だが、10日から林道は冬期閉鎖になっていた。

林道は管理者が責任を取りたくないせいか、早めに閉鎖してしまうように思える。

でも、調べてみると、新しくできた琴川ダムからルートがあることがわかったので、そこから往復することにした。

 

ダムサイトには駐車場があり、トイレもある。それにしてもこの日は寒かった。

ダムの堰堤を渡って、向こうの山を階段で登る。そこがダムと乙女湖の展望台になっていた。

堰堤にはられたロープは車止めなので歩行者ははいれる。でも向こうの階段の入口にもロープが。

ここも管理者の都合で立ち入り禁止にしているようだが、ここしかルートがないし、特に危険な理由も見当たらない。

禁止ではなくで、自己責任で登れと表示すべきだろう。ほかにも何組かがこのルートで登っていた。

 

ダムをつくるくらいの所なので、いきなり急登だ。

 

階段を登るとダムの向こう側には冬色の山肌が見渡せた。なだらかな山容が心地よい。

まだ葉を落としきっていないが、白っぽい幹が目立ち始めていた。

 

この展望台には、シーズン中は焼山峠から車で上がってこれる。

 

小楢山の登山道にむかってしばらくは舗装の車道を歩く。

 

登山道への合流点は、見当をつけてありったが、赤い目印にだまされて少し早い地点から山に踏み込んでしまった。

余計なアップダウンになったが、それほど困難もなく稜線にある防火帯にでて、そこをたどって登山道にでることができた。

本来のコースは、目印のある尾根をまわりこんだ先にあった。帰りに確認したら、本来の道の方がずっと楽ちんだった。

 

防火帯の見通しのよい尾根をしばらく歩く。ゆるやかにアップダウンを繰り返す。

風もあたらず、足元の落ち葉を踏みしめる音だけが響き、ほかには何も聞こえず静まり返っていた。

 

防火帯をはなれて落葉松の林の中をしばらく歩くと的石ルートとの分岐点にでた。

斜面を直登するのが的石ルート。行きに通るつもりだったが、ちょっときつそうにしているメンバーもいたので斜面をたどる道で小楢山をめざした。

 

道はカラマツ林の山腹をぬうように徐々に高度をあげていった。

 

的石ルートと合流してさらに進むと白樺がめだってきた。いよいよ山頂間近だ。

山頂へむかう赤いリボンの新ルートがあったが、私たちは旧道をたどって、小楢峠へ向かう道との分岐点から山頂をめざした。

この分岐の付近は地形が開けているのと落ち葉の堆積でルートが見えにくくなっていたので、私が先頭にかわって登った。

 

いよいよ山頂だ。見るからに展望がよさそうな!期待が高まる。そして・・・

 

大展望の山頂。正面に富士山が・・・。

きらめく雲がまぶしいくらいなので、写真はかなり暗く写ってしまった。

 

冷たい風が吹いて超寒い山頂だった。ほかの登山者は少し休憩するとすぐに下山していったが、私がお汁粉とつくると宣言していたので、なんだかだと1時間近く滞在していた(笑)。

途中で風花(かざばな)が舞い始めた。あとで確認したらこのシーズン一番の冷え込みだったそうだ。

 

帰りは同じコースを戻り、結局的石にも寄らなかった。

道は風花でうっすらと白くなっていた。

 

最後に一句  風花や山路の果てに富士を見つ

 

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戸隠高原古池スノーシュー(2014年2月12日)

2024-01-25 16:26:03 | スノーシュー

西高東低の冬型が強まって冷たい風が身に染みる。

これは10年前の雪遊びの記録。今年は出かけられそうもないのでタイヤ交換もしていない。

 

2014年の2月、妻を伴って戸隠の樅木山荘に泊まってスノーシューをした。

1日目は宿の近くの越水ヶ原や戸隠神社参道付近を歩いて、2日目に黒姫山の南山麓にある古池をめざして歩いてみた。

 

妻は宿で用意してくれたスノーシューを借りた。越水ガ原から車で移動し、戸隠牧場の北のはずれ、鳥居川を渡る大橋のたもとの駐車スペースに車を留めた。

そこから少し歩いた古池の入り口から歩き始めた。上の写真は戸隠山の姿。曇っているし、雪も落ちて黒々としてる。

 

静かな雪の疎林の中へと踏み込んでいく。

目標は北にそびえる黒姫山。そのふもと近くまで歩く。

 

道にはトレースができていたが、この日はだれにも会わない。

積もった雪が美しいグラデーションを見せ、風もなくて本当に静かだ。

 

まずは、古池までの途中にある小さな種池に行ってみた。

結氷して一面の雪の原になっていた。たぶん上に乗っても大丈夫なのだが、妻が怖がるのでやめておいた。

 

林の囲まれた丸い種池の雪原。周囲の樹林は雪を落として黒々と静まっている。

 

種池からは道に戻らずに池のほとりをショートカットし古池に向かった。

 

写真は古池の農業用水管理用建物のよう。

古びた石造りの基礎にトタンの建物。なかなか風情がある。

 

池からの排水口の石積みに白い綿帽子。

 

丸い古池はかなり大きいので傍からでは全景が写真に入らない。その奥は黒姫山。

ここでは少しだけ池の中に踏み込んでみた。

でも妻が心配するのですぐにやめにして池の北側、黒姫山の山すそまで行って食事休憩にした。

少し高い所まであがって景色を眺めてみたかったが、雪が深すぎるのであきらめた。

 

そろそろ戻ろうとするころ、それまで曇っていた空が晴れてきて周囲の山々が白銀のかがやきを放ち始めた。

雪の印象は日が当たっているかどうかで本当に変わるものだ。

写真は古池の西、高妻山につながる五地蔵山から東に伸びた尾根のはずれあたり。

 

帰りの途中で撮ったこのの写真の奥に見える白い山は高妻山、その左手前が五地蔵山だと思われる。

帰りは古池から鳥居川へと流れる川の反対側を歩いた。トレースを参考に、地図で確認しながら適当にコースを選んでいった。

 

古池から流れ出し、鳥居川へとつづく流れ。

 

黒姫山をバックに駐車場へともどる。

戸隠高原を囲む山々が良く見えるので安心して気持ちよく歩けた。

 

すっかり真っ青となった空の下に戸隠の雪の岩壁。晴れるとまるで印象が変わる。

 

最後に、歩いたコースを地図で紹介しておく。

特に危険はないコースだが、曇って周囲の山が見えないと広すぎて方角を間違える可能性がる。地図読みの力とコンパスなどは必携。

 

戸隠では、越水が原から歩いていけるコースとして、戸隠神社奥社への往復がある。このコースは道路から随神門までは一直線で道もはっきりしている。ときどき道をそれて新雪を楽しんでもちゃんと戻れる。随神門から奥社までは両側は杉の並木なので間違えようがない。

もう一つのポイントは鏡池。ここへは随神門から左に折れて1.3kmほど歩いたところにある山に囲まれた静かな池。もちろんこの時期は結氷して真っ白だ。数年後に子どもたちと歩いてみたが、池にたどり着く前に時間切れになった。

 

 

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足慣らしに日和田山から物見山へ(2024年1月17日)

2024-01-19 11:48:27 | 奥武蔵・秩父の山

この週末は冬にしてはめずらしく2日とも雨になるという予報だ。

子の権現に出かけて2週間になろうとしている。そろそろ体を動かさなくっちゃ。

そこで、風もなく穏やかな天気となった17日、日和田山とその奥にある物見山を歩いてみた。

 

一人で足慣らしの運動のためにはこれまでよく越生に出かけた。でもそろそろコースも登りつくした。

日和田山を選んだのは、さいたま市からだと川越線を使って高麗川駅からバスを利用すれば巾着田に出られるからだ。

この周辺は人気のハイキングコースなので、歩くコースがたくさんありそうだ。

 

巾着田でバスを降りると目の前がコンビニなので、そこで昼食とお茶を仕入れた。

そしてほんのわずか歩いて、ここが登山口。日和田山には妻と孫をつれて来たことがある。

 

冬枯れの暖かい色の森が広がっている。

このあたりは日高市のふるさとの森として整備されている。

 

これまではその森の道を適当に選んで登っていたが、今日はきちんと登山道を利用。

小さな子どもを連れたお母さんたちも歩いていた。

 

女坂とちょっとした岩場のある男坂とある。これまではいつも男坂を使っていた。

岩場の展望がいいから。でも今日は初めて女坂を利用した。

幅2m余りの踏み固められた歩きよい道が続く。

 

林の中からジュクジュクという鳥の声がした。

エナガだった。小さな体と長めのしっぽがかわいい。

 

足元に所々岩場が現れる。秩父に多い縞々の堆積岩。角張っているので足場がはっきりしている。

そしてあっけなく金比羅神社の鳥居が見えてきた。

この鳥居の下が男坂の岩場だ。岩場と言っても子どもでも登れる。

 

鳥居のところからは高麗地域の民家や飯能の街並みが見える。

 

そして反対側を振り返ると富士山が奥多摩の山越しに頭をのぞかせていた。

 

金刀比羅神社。尾根の先端の見晴らしのいいところにはなぜか金刀比羅神社がまつってある。

前々から気になっているが、調べてもよくわからない。

 

今日は足慣らしのためにせっせと歩いたので家を出て2時間と少しで山頂に到着だ。

 

日高市高萩にあるセメント工場。秩父の武甲山からベルトコンベアで石灰石が運ばれてくる。

その奥に筑波山が見えていた。やはり関東平野は広いなぁ。広すぎて山が遠くなる(笑)。

 

今日は平日だけどけっこうたくさんの人が休憩していた。

一服してアンパンを食べ、すぐに次の物見山へとむかう。

日和田山だけだとあっけなさすぎて足慣らしにもならない。

 

日当たりのいい道。冬はこういうところを歩けるとうれしくなる。

 

となりの高指山。なにかの建物が建っているので反対側から舗装の道が来ている。

これまで奥にいったことがなかった。

確認のために奥に行ってみた。山頂標識のとなりはなにかの建物。

 

でも振り返るとここからも富士山と奥多摩の大岳山が見えていた。

 

高指山からは舗装の道になる。700mほど歩くとまた視界が開けてきた。

ここは駒高というところ。尾根近くの日当たりのいいところに民家が数軒建っている。

 

ろうばいが咲いていた。

 

ここには立派な観光用トイレもあり、ベンチをそなえた東屋も建っている。

南西に広がる奥多摩の山々と富士山の展望を楽しみながら休憩できる。

 

このお宅は、家のまどから富士山がみえるんだね。うらやましい。

 

日当たりのいい斜面にもう花が咲いていた。オドリコソウ?いやホトケノザみたいだ。

 

地図を見ずに適当に歩いていたら、どうも物見山への道を通り過ぎてしまったらしい。

先ほどのトイレの手前で山にはいる道があったらしい。展望に目が行って気が付かなかった。

でも先に見えているお堂の向こう側からも登れるようだ。

 

お堂の前にあった二体のお地蔵様。このお堂は駒高の文殊様と呼ばれているらしい。

高麗郷の山の上だから高麗高から駒高になったのかな。

 

その先で舗装の道は谷をくだっていく。そこを右へと山道へと入っていく。

すると先日の雪がまだ残っていた。

 

山畑の前の道にも白く残って一部凍っていた。

 

山道なのに簡易舗装が施してある。車が通れる道ではないのになんのためだろう。

でも足元を気にせずに歩けるので助かる。

 

ジグザグを繰り返して尾根道に到着。ここが本来のハイキングルートらしい。

この標識で、物見山を通り過ぎた地点に出たことがわかった。

反対側に行けば北向地蔵だ。

 

ハイキング道を日和田山方向に戻るようにたどって物見山山頂に到着。

このあたりは何度か歩いているけど、物見山に寄るのは初めて。

 

山頂一帯が切り開いてあるけど、残念ながら下のヒノキが伸びてきて視界をふさいでしまっている。

おにぎり一個と魔法瓶のお湯でコーヒーを入れて飲んだ。

わずかな時間だったけど次々にハイキングの人があがってくる。

 

さて今日は足慣らし目的なので、あまりのんびりせずに先を急ぐ。

ここから北東の尾根をたどって下り、高麗川駅まで歩こうかと考えていた。

でも今読んでいる沢野ひとしの本で日和田山にクライミングの練習に使われる岩場があることを思い出した。

まだそこには足を伸ばしたことがないので、今日は戻ってそちらに向かうことにした。

 

物見山から日和田山へのルートにはいる。

やはりこの道がメインルートなのだろう。よく踏まれていて道幅もある。

途中の小さなピークに祠があった。その先で東の展望が開けた。

 

そこから下ると駒高に出た。富士山の展望に気を取られていた地点にちゃんと標識が立っていた。

 

でも反対側がこの展望だもの、つい見落としてしまうよ。

青梅や五日市付近の山ひだが寒色の十二単のように折り重なって広がっている。

 

細い茎の先に白いポンポン。

駒高の暖かい日差しを堪能した。

 

高指山をすぎたところから分かれ道を南西へと下る。

この道は2度ほど歩いたことがあり、高麗川のほとりに出て巾着田へと戻ることができる。

その途中に、男岩、女岩への標識があることは知っていた。

その道は谷底へと急に下っていって、こんどは反対側の斜面へと登りはじめる。

すると木々のあいだから大きな岩が見えてきた。

 

二つの岩があって、右側の岩には赤いロープが見え、トレーニング中の人の姿も見えた。

三ツ峠のような大きな岩壁をイメージしていたが、独立した大きな岩だった。

でも岩の左側はオーバーハングしているので、かなり上級のトレーニングにも使えるのかもしれない。

私はロープを使うような本格的はクライミングは経験がない。

でも山野井泰史さんのようなクライマーの本などはよく読んでいるので興味深く眺めた。

 

そこから日和田山へ戻る道もあるが、私はそのまま下る道を選んで高麗川のほとりに出た。

巾着田に戻って高麗川駅行きのバスの時刻を見るとしばらくない。

仕方がないので西武線の高麗駅へと歩くことにした。

高麗川にかかる鹿台橋から川を見下ろすともうお昼を回っているのに川面に氷が輝いていた。

 

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静けさ求めて父不見山へ(2021年2月5日)

2024-01-10 16:39:03 | 信越・長野・西上州の山

(手を入れての再投稿です)

秩父の小鹿野町と群馬県の神流町との境界に父不見山という山がある。秩父側では「ててみえず」、神流町側では「ててみぇーじ」と呼ぶらしい。

2月、冬の静かな山歩きを求めてこの山に登ってみた。

あまり人の行かない山だ。なにしろアプローチが不便。標高も1047mしかない地味な山なので静かな山歩きが期待できるが、電車とバスで神流町の万場まで行くには埼玉から3時間もかかる。

そこで今回の計画は、マイカーを万場の駐車場に留め、歩いて生利(しょうり)から秩父の吉田町へ抜ける県道を使って杉ノ峠北登山口をめざす。

杉ノ峠から父不見山、長久保の頭と歩いて坂丸峠から小平へと下る。小平からはバスで万場へと戻るという計画だ。

道の駅万葉の里に留めて周回する人もあるようだが、バスを利用する場合は、バスが万場で運転士の休憩で10分間とまる。だから万場に留めると無駄が少ない。

 

万場の中心部に写真のように外来者も駐車できるスペースがある。

以前に若神子尾根から西御荷鉾山に登ったときもここを使わせてもらった。7時30分出発。

 

今回初めて気がついたのだが、そこから川の方にいくともっと広い駐車場もあった。夏の観光客用らしい。

万場の町はまだ日があたっていない。

 

橋で川の南側に渡り、歩いて生利へと向かった。途中にもう1本橋があるのだが、現在架け替え工事中だった。

 

生利から吉田に抜ける県道を歩いて登ると父不見山登山口の標識があった。

 

ここから山道に入るところだが、私はこれを見ながら、計画とは違うコースだと思い込んで県道をさらに上に登ってしまった。

 

やはり、標識の通りに登るべきだったのだ。

1kmほども登ってしまったので引き返すのはいやで、一段上にある林道をめざして斜面を登り、山仕事に使ったらしい古い尾根道をたどって中腹の林道に出ることができた。

下の写真はその尾根道と林道への到達点。

 

舗装の林道をたどって本来の登山コースにもどる途中、視界が開けて父不見山が見えた。

 

途中沢に沿って道があったが、これは登山道ではなかった。もう少し歩くとようやく案内標識を発見。

 

立派な標識だが、少し傷んできていて文字が読みづらい。私製らしい青い標識も近くにあった。

 

道は最初は舗装されていた。車でも入れそうなのだが、作業用の車以外は乗り入れないよう注意看板があった。

 

この山の群馬側は比較的なだらかなので、山中に林道がつくられている。

間違って入り込まないようにしたい。私製の青看板もそのためにつけたものだろう。

 

やがて、赤い布や青い私製看板に導かれて沢を渡り、向かいの斜面の山道を登り始めた。

しかし、その後なんども林道に遭遇した。

 

山の斜面自体がゆるやかなので道も楽に歩ける。ただ北斜面なので寒い。

 

峠が近づくと日陰には雪が積もっていた。

 

10時2分、ようやく杉ノ峠だ。

 

広い尾根の南側にまわると石の祠と灯篭が2基、南向きに設置されていた。秩父側の人が祀ったものだろう。

 

ここでなんと、カメラのバッテリーが切れてしまった。前回使ってチャージし忘れていた。このあとはスマホでの記録だ。

 

杉ノ峠から父不見山までは歩きやすい尾根道だ。気分ものんびりしてくる。

そうそうこんな気分を味わうためにこの山を選んだのだ。

途中奥秩父の山なみが見渡せるところがあった。

 

さらに歩くと父不見山のあと向う長久保の頭も木々の間から見ることができた。

 

10時35分、父不見山山頂に到着。いくつかの標識と石碑があり、小さなベンチも置いてあった。

ベンチに腰掛け、おにぎりとカップラーメンをいただく。

すぐあとに男性が一人登ってきた。しばらく写真を撮っていたがすぐに引き返していった。

秩父側の林道に車を留めて上がってきたのだろう。この山で唯一の人との遭遇だった。

 

山頂からは木の枝越しに白銀の山が見えた。冷えて澄み切った空気の中でかがやいていた。

長野県との境である十石峠やぶどう峠越しに見えているようなので、北八ヶ岳の一部と思われる。

 

20分の休憩後となりの長久保の頭へ向う。

2万五千分の1の地形図では、三角点のない父不見山の名前は書いてあるが、そこより標高が高くて三角点のあるこの山には山名が書いていない。

山頂の標識には長久保の頭と大塚という2つの表示があった。

長久保川というのが秩父側にあるので、秩父側では長久保の頭、万場側では大塚と呼んでいたのかもしれない。

 

坂丸峠への道も歩きやすくいい道だった。

葉をきれいに落としてしまった樹林は明るくて開放的た。

 

途中にある985mの高まりは南側の沢に下りながらまいていくので登り返しもない。

 

坂丸峠も広々した峠だ。

 

峠にはまだ新しい石の祠が祀ってあった。

 

峠の北側はかなり広い落葉樹の広場になっていて、奥の方には送電鉄塔が立っていた。

 

静かだ。風もないので日向は暖かくさえある。

1本の木が横たわっていたので、そこに腰をかけ、お湯を注いでコーヒーいただこうとしたら、お湯の入った魔法瓶はあるのに肝心のコーヒーパックを入れ忘れてきてしまった。

うーむ。最近こういうことが増えているなぁ。

 

坂丸峠から小平への道は道幅も広く傾斜もゆるくて歩きやすい。上部はほとんどが落葉樹林なので明るくて見通しも良い。

 

雪は降ってから数日が立っており少し硬くなっていて、特に踏み跡の部分は氷になっているところがあった。

上の写真の林道を横切った下側は特に雪も多かったので、短時間軽アイゼンを使用した。安心感が違う。

 

道はほかの林道と交錯しつつくだっていくが、迷うようなところはなかった。

 

バスの時刻まで余裕があるので、道をふさいでいる枝等を拾って片付けながらのんびりと下り、13時12分小平のバス停に到着した。

 

赤線の部分がコースからはずれたところ。地図をだして確認すればすぐわかるのに、どうも私はこういうところで横着をして失敗する。

父不見山は秩父側からも登れるが、今回のコースは、山の雰囲気、道、距離など総合して私としては満足度が高かった。

新緑の芽吹きのころや広葉樹が色づく頃また歩いてみたい山だった。

 

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新春ハイキングは子の権現へ(2024年1月5日)

2024-01-06 11:27:33 | 奥武蔵・秩父の山

2024年は、元旦からの能登半島大地震であけ、航空機の事故もおこった。

大津波警報が出され、テレビの画面にくぎ付けにされたが、翌朝、明るくなってからの報道で建物や道路の惨状に驚かされた。

さて、そんな新年だが、計画していた子の権現へのハイキングを5日に実施。

 

西吾野駅を出発し、秩父へ抜ける国道をはなれるといきなり急な登り。

日陰の寒々しい谷間へと入っていく。

 

その谷の奥にある民家の庭に梅の古木が。どう見てもこれは龍の頭。

特に看板などつけてはいないけど、この家の主は龍を意識して仕立てていると思われる。

立派に龍に見えるので、ちっとは宣伝してもいいのでは?

 

その少し先、谷の奥まったところに静之神社があり、ここから山道にはいる。

 

杉林の少し薄暗い感じの中を登っていくが、道は良く踏まれていていい。

 

そんな中ではあるが、杉林のあちこちに墓地がある。

かつてはこのあたりにも民家があったのかもしれない。

 

少し日差しがもれてきた。

 

少し急な登りがあって、尾根に登りつくとそこからはしばらくゆるやかな道が続いた。

 

その後もう一度急な登りがあって子の権現に続く車道に出た。

 

ここが子の権現への近道だけど、われわれは素直に車道をたどった。

 

少し歩くと南東側の展望が開けた。

その先が大きな駐車場になっていた。

 

駐車場からもう少しあがるといよいよ子の権現天龍寺の入り口だ。

 

入口にあった売店に山くらげが置いてあった。

山に行くといつも山くらげを探しているMさんは喜んで買い求めていた。

 

売店のところで赤い鳥居をくぐり、先へすすむと山門がある。

 

山門の内側には2体の大きな仁王様。

ちょっと頭でっかちで短足気味。かわいらしい。

 

ようやく子の権現の本堂。

この寺は子年子の月子の刻にうまれたという子ノ聖が開いたそうで、このお堂には子ノ聖が彫った十一面観音がまつってあるそうだ。

 

本尊はガラスが光ってよく見えなかった。

 

これこれ、有名な鉄のわらじ。2トンあるそうで、金色?に塗装されている。

 

わらじのとなりにはこれまた大きな下駄。これは個人の寄贈だそうだ。

 

本堂の裏手にあがる。

 

金つき堂があって、自由につかせてくれる。

 

その先が山頂の展望台。

関東平野が一望できてスカイツリーも見えると書いてあったが、天気が穏やかすぎてかすんでしまったのか、はたまた私の目が衰えてしまったのか、確認できなかった。

 

山頂は腰を下ろす場所が少なくて日陰でもあったので、鳥居の近くの日当たりのいいベンチでお昼に。

 

こちらは鳥居の手前にある2本の杉の巨樹。

残念なことに2本とも頭を失っている。

これがそのままだったらすごい巨樹だ。

 

その2本の杉のあいだに割りばしがたくさん立てられいた。もちろん使い古しではない。

 

こちらが大きい方の杉。3人がかりでないと手が届かないほどの太さだ。

 

さて帰りは吾野駅へとむかう関東ふれあいの道でくだった。

最初、急斜面をジグザグに下りていくが、道は幅もしっかりあり、よく踏まれていて歩きやすかった。

 

30分あまりで舗装の道に出た。

 

民家の屋根の煙突から煙がたなびく山里らしい風景。

 

でも一方で、壁を取り壊された空き家も数軒見かけた。

自治体によって放置空き家に取り壊しの手が加えられているのだろうか。

 

 

少し長い舗装道路歩きのあと、国道ではなくて西武線にそった近道を吾野駅へとむかう。

 

そして吾野駅に近づくと、お寺の境内に東日本大震災で被災した名取市閖上のお寺から預かっているという梵鐘があった。

13年前の大震災と数日前に起こった能登半島地震に思いをはせた瞬間だった。

 

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