毎日が山のこと

最近の山歩きの記録はもちろん、作ってみた山行プラン、過去の山歩きの記録も順次掲載中です。

磐梯山(2018年9月12日)

2021-08-15 16:53:51 | 山日記

磐梯山を関東から日帰りで登ってみようと思い立った。

安達太良山へは、マイカーを使い、道の駅泊で登ったことがあるし、新幹線とシャトルバス利用で日帰りしたこともある。だから磐梯山だって日帰りできるだろうと調べてみた。

郡山まで新幹線を使い、磐越西線で猪苗代駅に向かい、タクシーで猪苗代スキー場に行って、そこから頂上を往復するという計画だ。裏磐梯や八方台からよりは行程が長くなるが、駅からのアプローチが短くてアクセスしやすい。調べてみたら十分に可能という結論だった。

9月12日、9時20分、スキー場についた。天気はいい。秋晴れというよりまだ夏空だ。

標識にしたがってスキー場の中の道を歩いていく。少しづつ高度がましていく。

振り返ると猪苗代湖が見え始めた。ススキが穂を出している。地上はやはり秋の始まりだった。

途中でこれから登る磐梯山の山頂部が見えた。道のりは長いぞ。

道はスキーコースからはずれ、並行して登っていく。まだ9月なので花も豊富に咲いていた。

スキー場の中間点、標高900mあたりでふたたびスキーコースに戻りその中を歩き、スキー場の最上部に到達した。

ここからスキーで滑ったらさぞかし気持ちいいことだろう。

足元をみると色鮮やかなキノコが生えていた。

いよいよ本格的な登山道にはいる。そこに「天の庭」という看板があった。磐梯山の一合目のようだ。スキー場のすぐ上の地点だが、私にはあまり「天の庭」とは感じられなかった。かつてはお花畑でも広がっていたのかもしれない。

最初に磐梯山の外輪山の一角と思われる赤埴山にのぼる。その出発点を示すかのように大きな岩があった。

 

岩から少しのぼると道が2つにわかれる。私は右の赤埴山へむかう。足元の石が赤っぽい色をしている。赤埴山の名前はこの石からつけられたのだろう。

11:20赤埴山に到着。赤埴山から磐梯山を仰ぎ見る。右が北側になり、そちら側は火山らしく岩肌が露出して迫力がある。登山道はこの北側、右手の尾根のほうにまわりこんでいく。

赤埴山をこえるとしばらく下りになり、古い火口原と思われる池と湿原がちらばる池の平へと踏み込んでいく。

岩肌が現れた。昔の火口壁にあたるのだろう。

ナナカマドの実が色づいている。

池の平の中心部と思われるところに岩があった。近くに鏡ヶ池という名の池がある。しばらく池の平の底を歩くので楽に歩ける。すこし先で右手から別の登山道が合流してきた。琵琶沢沿いにのぼってくるコースのようだ。見下ろすとかなり大きな池が見えた。

そこから標高差で100mほど登ると池の平火口の縁に登りついて、反対側に裏磐梯の広々とした景色が広がった。その中心は大きな檜原湖だ。

明治の起きた大噴火のあとも生々しい。大規模な山体崩壊が起きたその残りが尖った峰として残っている。天狗岩と名付けられていた。

ここからもう一段あがると弘法清水だ。

秋の花がが咲き乱れている。

斜面の途中に水場があった。かたわらにはアルミのコップの用意されていた。

斜面が一段落してゆるやかになると右手に八方台方面にむかう道が分かれていた。あと少しゆるやかな斜面をのぼりつめると弘法清水だ。

ようやく弘法清水小屋についた。

これが弘法清水。全国にある弘法太子信仰の一つだ。恵みの水をありがたくいただいた。

山頂へはここから標高差200mほどの急な登りとなる。最後のひとふんばりだ。

ふりかえると雄大な飯豊の山々が見える。ここへはまだ訪れていない。ぜひ訪れてその雄大な姿にふれてみたい。

会津盆地の一角も見える。

裏磐梯も全貌が見渡せる。くたびれているのでたびたび振り返っては小休止をくりかえす。

ついたぁ! 磐梯山1816mの山頂だ。南に猪苗代湖が広がり、360度見渡すことができる。

三角点越しに裏磐梯。

スキー場のあとが痛々しい猫魔ヶ岳の向こうには雄国沼の一角も見えている。そしてそのはるか向こうには飯豊連峰。

会津盆地の中心、会津若松の街。

猪苗代湖のはるかかなたには那須連山。

下りは、基本的に登ってきた道をそのまま下る。

 

赤埴山には寄らずに巻道をつかう。

すると途中でなにやら大きな足跡があった。通りかかった人も「クマだよね」といっていた。まだ新しい感じだ。登りには通っていないので朝早くなのか昼間なのかはわからない。

ほぼ予定通りスキー場にもどることができ、途中からタクシー会社に電話してスキー場まで迎えをお願いした。

写真は割愛するが、電車の時刻まで間があったので、途中の亀ヶ城あとに立ち寄ってから駅へともどった。

 

 

 

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若神子尾根から西御荷鉾山(2019年12月27日)

2021-08-15 10:59:59 | 山日記

群馬にある御荷鉾山は西上州の神流川の北にあって東西二つのピークをもっている。それぞれ東御荷鉾山、西御荷鉾山と呼ばれている。

標高は、東が1246m、西のほうが少し高くて1286m。西のほうに三角点がある。

この山域の1000m付近の稜線には御荷鉾スーパー林道という立派な舗装の林道が走っており、私は以前に車をこの林道の駐車場に停めて登ったことがある。かなり安直に登れる山だ。

今回は、その林道は使わずに、万場の街から若神子尾根をたどって登るという計画だ。

西御荷鉾山からは、南にへと尾根が伸びている。しかし、この尾根にはゴルフ場がつくられ、山道は消滅してしまった。

それにかわって、最近になってから地元の方々によって若神子尾根に登山道が整備されたのだ。

 

2019年12月27日早朝7時50分、万場の町中の駐車場に車を留めて出発した。

 

国道を少し西に歩いてから脇道にはいるといきなり坂道になった。神流川流域の中心となる町ではあるが、やや開けた平地があるところに民家が集まっていって町をつくっているので、そこはすでに山が川の近くまで迫っている。

町からはしばらくくねくねと折れ曲がるやっとクルマが1台通れるばかりの道を登っていく。すぐに民家は途切れてしまった。

国道から高さで100mほど登ったところから林道が杉林の斜面へと続いていた。その林道を歩いて、8時半ころに登山道の入口に到着した。ここから林道をはずれて尾根道に取り付いた。トレイルランニングの大会が開かれたらしく、その関係の標識が目に付いた。

しばらくは杉林の急登が続く。

若神子山の山頂に近づくと落葉樹の林に変わった。日差しがたっぷりそそぎ、見通しがよくなって快適だ。

 

9時50分、若神子山891mに到着。ちょうどよい休憩ポイントだ。散り積もった落ち葉に腰を下ろして軽食を口に運んだ。

 

今日の目的地、西御荷鉾山の山頂も木立越しに見えている。

 

若神子山から桐ノ城山まではいくつかのピークをこえていくのでアップダウンが続いた。そして桐ノ城山に近づくと急な斜面の登りになった。

 

その斜面を登りきった尾根の岩の根方に石仏が安置されていた。

桐ノ城山は稜線上の分岐点から西に少しそれたところにあった。山頂は木に覆われていて展望はなかった。

 

分岐にもどって登り続けると雪が現れた。

やがて未舗装の林道に出た。その林道を右手にたどって行くと万場の町とスーパー林道を結ぶ舗装の車道に出た。この時この道は下部の土砂崩れで通行止となっていた。

そこから300mほど登ると今度はスーパー林道に合流した。

西御荷鉾山に向う私たちは、スーパー林道を横切ると斜面を少し登って稜線に出て、その稜線をたどって山頂へと向かった。思ったより急な登りで、すでに4時間以上歩いているのでいささか疲れが出てきた。

 

やがて急登も終わって道が少しゆるやかになってようやく山頂に到着だ。12時45分になっていた。

 

さて、下りをどうしようと相談になった。とりあえず山頂の南斜面にある道を下ってスーパー林道に出てるとして、そこから先、万場まで完全舗装の車道を下るのはあまりにも味気ない。そこでスーパー林道を西へと歩いて、オドケ山のさらに西1kmほどの地点から万場へとつながる林道があるのでそれを使ってみることにした。

この林道は、スーパー林道のような観光用ではなく、まったくの山仕事用の道であり、当然舗装はされていない。かなり荒れている可能性もあったが、ここを下ることに決定した。

ただし、舗装のスーパー林道の移動が2kmも続いたのでそこは気分的に疲れたのだが。

 

目指した林道は、杉木立の斜面をゆったりと曲りながら下っていた。

 

途中からすっかり葉を落とした雑木林になった。

冬の弱々しい日差しではあるが、南斜面の日だまりなので少し暖かさを感じる。そこで林に入って小休止した。

 

 

さらに下ると左手に岩の崖で覆われたピークが見えてきた。地図で確認すると古峰というらしい。

 

くねくね曲がっているので少々道のりは長くなったが歩きやすく快適にくだってきたが、道が天狗沢に出ると様相は一変した。

 

最近の大雨の影響だろうが、道がいたるところでえぐられている。ほとんど道が流されているところもあった。

 

 

途中沢筋に岩肌が水流でえぐられている白い石灰岩が露出していた。水は流れていない。これが水が流れる滝になっていたら見ごたえがあるだろうにと思った。

その先もあちこち崩れていて、道がクレバスだらけの氷河のような状態のところもあり、さらに下流では脇のさわから押し出した土石流によって道がおおわれている場所もあった。

大雨の被害は山の上部よりも下部の沢のほうが、たくさんの水が集まってきて巨大な力となるので大きくなる。そのことが目の当たりに理解できた。

そんな沢筋の道から万場へと向う斜面沿いの道にはいってほっと一息をついた。

 

午後4時30分近くなってようやく万場の家並みが見えてきた。山の暮らしへの大雨の被害の大きさを思い知った山行だった。

 

最後に歩いたコースを地図で示しておく。

 

 

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