毎日が山のこと

最近の山歩きの記録はもちろん、作ってみた山行プラン、過去の山歩きの記録も順次掲載中です。

ダケブキ大群落、28年前の日光白根山(1995年8月27日)

2023-08-30 16:07:16 | 山日記

男体山に登って日光白根山の記録も残しておこうと思っていつ行ったのか調べてみた。

1995年8月だった。もう28年も前、48歳の時だ。

もちろんデジカメの時代ではないのでプリント写真なのでスキャンしてデジタル画像に変換した。

一度記憶を頼りにこれを書いて投稿したが、その後ワープロで記録を書いていたことを思い出したのでそれを読み直して書き直した。

 

この時は、前夜夕食をすませるとすぐに出発し、途中のコンビニで朝食と昼食用におにぎりやサンドイッチを買い込んだ。

関越道の沼田から尾瀬への道に入り、途中から金精峠へ向かった。街灯もなくなり、漆黒の闇の中を走る。

菅沼登山口の駐車場で車中泊。夜空には天の川が浮かび、白鳥座の十字がすぐに見つかった。

 

歩いたコースは菅沼から座禅山のふもとをかすめて弥陀ヶ池、白根山、前白根、金精山とめぐり、金精峠から菅沼に戻った。

結構がんばって歩いている。まあ、まだ若かったし、早朝出発で時間的にも余裕があった。

 

夏休み中とあって夜中まで走る車の音とライトで時々起こされたが、ふと気が付くと朝の5時をまわっていた。

お湯を沸かして紅茶を入れ、サンドイッチで朝食。5時20分出発した。

 

駐車場のはずれの林道にも車がたくさんとまっていてテントもあった。

 

夏も終わりの8月27日だったけど、花がたくさん。

ハンゴンソウだろうか。

 

カニコウモリらしい。当時は花の名前もあまり知らなかった。

 

マルバダケブキが一面にみられるようになった。これは名前を知っていた。

 

急斜面のジグザグの登りを終えると弥陀ヶ池のほとりに出た。

池の向こうにはこれからめざす奥白根山がどっしりと見える。

 

 

池のそばの斜面にはマルバダケブキの大群落。

 

池のほとりから山の斜面までマルバダケブキが覆いつくすように咲いていて、まわりは電気柵で囲まれていた。

最近のヤマレコなど山行記録の写真を見ても、同じ時期でもこんなに咲いている写真は見かけない。

防護処置もむなしく、鹿などの食害で数が減ってしまったのかもしれない。

 

弥陀ヶ池から白根山と座禅山の鞍部にあがり、そこから白根山頂をめざす。

 

途中で一緒になった中年のご夫婦と前後しながら登っていくと、花の斜面から弥陀ヶ池を見下せるようになった。

奥は温泉ヶ岳(ユセンガタケ)。

若いころ金精峠を越えて温泉ヶ岳、根名草山をとおって加仁湯まで歩いたことがあったっけ。

東を見ると雲を被った太郎山も見えてきた。

 

見上げると頭上に大きな岩塊がせまり、なかなかの迫力だ。そして足元は火山らしく岩がごろごろ。

 

 

そろそろ頂上台地の一角にたどりついたようだ。

 

かなり登ってきたところにもハンゴンソウらしいき花がたくさん。

それにしても花が豊富な山だったんだなあ。

 

山頂は広い火口原といくつかのピークでできている。

 

2578mの山頂に到着。弥陀が池から登ると2つ目のピークが山頂だった。

 

まだ朝の8時だが、コンビニで買った海苔巻きとお稲荷の寿司を食べた。

かなり汗もかいていたので、お湯を沸かすのはやめて水を飲んだ。

ところがポリタンの周囲が濡れている。よく見たら、プラスチックのふたが劣化してひびが入っていた。

休憩していると、それまで雲に隠されていた男体山が姿を見せ始めた。女峰山も見えてきた。

 

この祠は山頂の祠。最近投稿されている山頂写真の祠と少し違うように思う。

新しくなったのだろうか。念のため9年前に登った時の写真と比べてみたらやはり新しくしたようだ。

 

山頂から奥白根の火口原とその縁にある祠の方へと下る。

そのあたりは富士山の須走のようなザラザラの道だった。

 

五色沼が見えている。右の岩の向こうが前白根山。

五色沼を囲む稜線を歩いて左端の五色山をこえて金精山へむかった。

五色沼避難小屋付近ではふたたびマルバダケブキが増えてきた。

避難小屋から五色沼の外輪山へと登り返し前白根山へ。そんなに長い登りではないのだが疲れてきて度々立ち止まった。

前白根から奥白根を振り返ると右手前に五色沼をしたがえてなかなか迫力のある姿をしていた。

この写真も撮ったのだが、このあたりでカメラが不調となり、このあとも写っていたかった。

前白根からうっかり湯元へ下りそうになったが、すぐに気が付いて五色山へとむかう。

金精山から金精峠への下りが最後の難所。尾根をはずれて丸沼側のほとんど崖という急斜面をくだり、その後トラバースして峠に飛び出した。

峠の祠は、20年前に温泉ヶ岳から加仁湯への旅でみたものと違ってコンクリート製になっていた。

最後、金精峠から菅沼まではそれほど急なところはなかったが、地質がもろいのか道が雨でえぐられ、石がごろごろしていた。

30年近くなると記憶もあやふやだったが、見つかった記録で確認してそれほど間違ってはいなかった。

12時40分、菅沼に戻り、車で湯元に出て風呂に入ってから帰った。

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絶好天の男体山(2023年8月25日)

2023-08-26 19:26:07 | 山日記

8月25日、好天を見定めて、日光の男体山に登ってきた。

ここの所、猛暑とあって連日あちらこちらで雷雨が起こっている。

でも昨日はかなり安定した晴れが期待できた。

男体山は初めて。これまで何度も候補にあげてきたのに、その都度ほかにまだ登っていないいい山があると後回しにしてきた。

実のところ少しビビッていたのだ。

 

朝4時起きで4時半には埼玉を出発。中宮祠には7時ちょうどについた。

二荒山神社の登山者用駐車スペースは満杯。

でもよく見るとその奥の参集殿の駐車場が登山者の臨時の駐車場とされていたのでそこに駐車した。

 

 

まずは受付で1000円支払う。男体山登山と記された守護札を渡される。つまり入山料。

 

ここは朝6時に開かれるそうだ。

 

いきなり階段! 最初は広い山すそをゆっくりと歩けるのだと思っていた。

社殿の敷地を確保するために平地を切り開いた分、最初は階段になってしまうということだろう。

 

男体山は、最初から最後まで登り。3合目と4合目のあいだの治山道路を歩く部分を除けば終始直登だ。

だからなんとなく後回しにしてきた。でも後期高齢者となってしまったので、登るなら今のうちだ。

 

笹におおわれた斜面に原生林の森が広がる。割と見通しのいい森だ。

最近登った赤城山地蔵岳の北斜面とよく似ている。

 

出発点の二荒山神社が標高1275mくらい。山頂が2486mだから標高差1211mをひたすら登り続ける。

木の葉が日差しを遮ってくれるので涼しくて気持ちがいい。

 

7時15分に登り始め、35分にこの2合目の石碑の脇を通った。

最初はここが1合目だと思って、ここにもそう書いていたが、1合目は階段が終わって山道に入るところにあるそうだ。

 

さらに10分ちょっと歩くと、苔むした土留めの石垣が現れた。

 

そのすぐ上で治山工事の舗装道路にでた。

ここから4合目までこの道を歩く。

 

朝日がさしこむ木陰の道。

 

白い花がたくさん咲いていた。

野菊はみんな似通っているが、こないだ名前を覚えたシロヨメナに似ていると思う。

 

道路の折り返し点のひとつからようやく中禅寺湖の一部を見下ろすことができた。

 

アキノキリンソウらしい花もたくさん咲いていた。

 

針葉樹が多い原生林の中にダケカンバが顔を出した。

標高は1600mを超えたはずだ。

 

8時13分。4合目の登山口についた。

ここからふたたび直登が連続する山道を登る。

 

そこで水分補給と羊羹をたべて急登にそなえた休憩をとった。

その間に、次々と登山者が登ってくる。外人さんの姿も何組かあった。

 

7分ほど休憩して、いよいよ岩々の山道に踏み込んだ。

いやいや、なかなかの急登だ。けど、標高が高いので涼しさに助けられる。

 

20分ほど登ると五合目と書かれた建物があった。

急な雨位は避けられる避難小屋を兼ねたものだろう。

 

こちらは立派な石碑。草に埋もれかけているので歩くコースによっては気が付かないかもしれない。

 

岩が大きくなってきて足元に集中する必要があるが、時々青空を映した中禅寺湖が見える。

 

ちょっとめだつ岩場があった。このあたりが6合目だろうか。

 

湖が見えそうだが、残念ながら木に邪魔されていた。

 

このあたりからヤマハハコが姿を見せ始めた。

 

タデ科の花も。

 

さらに登ると湖を見下ろす角度がだいぶ違ってきた。

それだけ高く登ってきたのだ。

 

9時33分、七合目の建物に到着。五合目から1時間近くかかってしまった。

歩きにくい岩場の連続でペースがあがらない。

いやいや私はこういうところで無理をするとあとで足がつってしまうので自分のペースを守るしかない。

 

ここにも建物の近くに七合目の立派な石碑。

 

ヤマハハコと岩々の道。

 

10時5分。鉄製の鳥居をくぐる。

 

その近くの朽木にりっぱなきのこ。

近くの倒木の陰には手のひらサイズのものもあった。

 

鳥居から10分ほど登ると社殿らしい建物があらわれた。

 

八合目の滝尾神社だった。

滝尾神社は東照宮の裏手にあるが、ご神体山の男体山にはいろいろな神さんが祀られているようだ。

 

岩の割れ目の中にも小さな祠が祀られていた。

 

八合目をすぎて少し登ると急に周囲の雰囲気が変わってきた。

岩に替わって火山性の砂礫があらわれた。

 

傾斜はこれまでよりゆるくなったが、土留めをかねた木の階段や土嚢などがたくさん。

 

その途中にある九合目の石碑。実は登りでは見落として気づかず、帰りに写したもの。

 

このあたりまでくれば展望が開けると期待していたけど、あいかわらず周囲は針葉樹の樹林。

 

いよいよあたりの木も背が低くなってきた。山頂は近いぞ。

 

やあ、ようやく戦場ヶ原が見えたぞ。

 

その向こうには、関東以北最高峰の日光白根山。

まだこのブログでは紹介していないけれど、この山も2回登っている。

いい山だ。

 

振り返ると赤茶けた山体と樹林をこして中禅寺湖やその向こうの半月山が見えている。

 

山頂の左手には太郎山神社らしい建物とそこに向かう人影も見えた。

あと一息だ。

 

溶岩の塊がごろごろした赤い砂礫を踏んで山頂へ向かう。

 

着いたぞ。山頂の二荒山神社の鳥居と社殿の覆いがみえる。

 

鳥居をくぐって社殿の前へ。11時10分。出発から4時間弱だった。

地図のコースタイムでは3時間50分なので、まあまあのペースだった。

何人にも追い越されたので、後半はだいぶ遅れていると思っていた。

でもこの日は早起きした割には体調もよくてあまり苦しいとは感じていなかった。

 

広い山頂の一角に立つ二荒山大神のブロンズ像。

 

中禅寺湖とその奥に千手ヶ浜、西ノ湖。

 

残念ながら日光白根山には雲がかかってしまった。左側の山は宿堂坊山かな。

 

岩にカメラを置いて自撮りで記念撮影。

 

まずは太郎山神社に行ってみた。

途中から男体山の最高点をパチリ。最高点には大きな剣が立てられている。

この写真の右手の岩の上。

 

男体山の噴火口を囲む外輪山の一角にある太郎山神社。

中禅寺湖や戦場ヶ原北部が見渡せる。

 

その途中で、それまで山頂を隠していたお隣の太郎山が全身をあらわした。

戦場ヶ原散策以来、日光づいているので、ついでに太朗山にも登ってみたいな。

 

ここからは中禅寺湖のほぼ全体が見える。

 

男体山を振り返る。

 

男体山の爆裂火口壁と太郎山。

男体山は、火口の北側が崩壊しているので火口を一周することはできない。

 

さて今度は三角点と剣がある最高地点へ。

でもこんな広いところなのに油断してころんで腕に擦り傷をつくってしまった。反省。

 

剣を写真に撮ってみたが。青空に溶け込んで見えにくい。

 

三角点のある北側に回り込んでシルエットにしてみた。

これなら形がはっきりわかる。

 

ついでに三角点も。三角点は2484.2mだ。

ちなみに、剣のある最高点は2486m。

 

三角点付近からは戦場ヶ原北部の光徳牧場や付近にあるホテルなどが見える。

左の尾根の鞍部は金精峠。そこから温泉ヶ岳などの山々。

その手前は、湯ノ湖と光徳牧場のあいだにある三岳と呼ばれる溶岩ドーム(だろう)の連なり。

周囲の山には積雲がかかっているが、男体山の上には雲がない。

それに入道雲はどこにも見当たらない。

 

めずらしく開花しているリンドウを発見。

 

これは山頂の一角から華厳の滝付近をみおろしたもの。

少し雲がわいてきて、こちらに近づいてきた。

 

でも、下山をはじめるまで、男体山の山頂は晴れていた。

帰りの東北道でも見回してみて関東平野周辺には、丹沢方面にやや高い雲が見えただけで、あとは青空に綿雲があるばかり。

今回は天気の狙いもずばりあたり、体調もよくて気持ちのよい山歩きとなった。

 

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富士山、吉田口を六合目から山下り(2011年8月12日)

2023-08-23 16:18:05 | 山日記

今年の夏は富士山が大混雑だそうだ。

弾丸登山とか転んで救助される人とかいろいろ話題を提供している。

私は高校1年のときに登ったことがあるが、山頂はそれ以来ご無沙汰。

でも山頂以外なら2回登っている。

一番最近は、おととし、2021年8月に宝永山に登ったし、そのまた10年前の2011年には吉田口五合目から御庭、六合目をまわって馬返しまで山下りをしたことがある。

宝永山のことはすでに投稿していあるので、今回は、12年前の山下りの様子を報告したいと思う。

 

富士急富士山駅からバスで五合目まであがった。10時30分。

 

五合目は、登山者や大勢の観光客でごったがえしていた。

南側の新五合目とは違って、観光客向けのたくさんの建物もたっている。

 

すぐに喧騒をはなれて、まずは御庭をめざして歩き始めた。

この道は、お中道といわれて、富士山の五合目をひと回りしていたが、大沢の崩壊がはげしくなったので今は大沢から先の道は廃道となっている。

標高2300mから2350mのあいだをほぼ水平に歩くのだから楽ちんだ。

 

苔や咲き残りのシャクナゲ、富士山らしいタデ科の花々を眺めながらのんびりと歩いた。

 

ちょうど森林限界近くを歩くので、樹林帯にはいったり、砂礫と灌木の部分があったり。

 

砂礫地帯になるとはるか頂上まで続く雄大な斜面を見上げることができる。

 

夏山らしく雲が流れているのでなかなか頂上は見えない。

 

カラマツは強風の影響で枝が片方だけになっている。

よくぞ冬の烈風に耐えてきた。ほめてあげるよ。

 

御庭は、富士山の北西側に連なる火口丘の中で一番上にあたるようだが、わずかな盛り上がりにすぎない。

特にめだったところはない。

 

砂礫の中に新しく育ち始めているカラマツ。

 

やはりきびしい環境なのだ。大きくなった木も強風によって倒されているものがあった。

五合目から御庭まで往復で50分くらいかな。

 

ふたたび同じ道を戻って、今度は吉田口六合目をめざす。

そこから富士スバルライン開通前のメインの登山道である吉田口登山道をたどって馬返しまで下る予定だ。

その前に小御岳神社に立ち寄る。

ここは、現在の富士山の前にあった小御岳火山の山頂部だけが顔を出しているところだそうだ。

 

このあたりには立派な大木もあった。

 

砂礫の斜面を見上げながら、先ほどとは反対に五合目から東に歩く。

1kmほど水平の幅広い道を歩いて砂礫地帯から樹林帯にはいると斜めに登る登山道が現れた。

 

ここが六合目への道。六合目で昔からの吉田口登山道と合流する。

左の水平の道はかつてのお中道で、佐藤小屋へ続いている。

下るだけならお中道をすすんで佐藤小屋からくだってもいいが、せっかくなので六合目まで登ることにした。

 

冬の積雪の影響なのだろう樹木の幹が大きくまがっている。

 

ふたたび砂礫地帯に出た。

左下に見えているのが佐藤小屋らしい。そして右上には吉田口旧道にあるお堂の建物のようだ。

 

標高2390mあたりの六合目に到着。ちょうど12時だ。

ここも登山客でいっぱい。

 

さらに上をめざして登っていく人の列を見送って、私はここから旧道を下ることにする。

 

ぱったりと人影が消えて静かになった。

花の写真を撮りながらのんびり下る。

なにせ下りだから楽なもの。

 

宗教的な意味合いがあるような感じのものが気の枝に吊り下げられていた。

修験道と関係があるのだろうか。

 

途中壊れてしまった建物があった。

メインの登山道をスバルラインに奪われて廃業してしまった小屋なのだろう。

 

お堂にたどりついた。

 

日蓮宗の経ヶ岳八角堂というものらしい。

 

さらにくだって佐藤小屋に到着。ランニングをしている人がいた。

 

ここが佐藤小屋、富士山で唯一冬場も営業している。

夏の今は閑散としている。

 

佐藤小屋から少し下ると雲切不動神社のお堂があった。

 

さらに下ると4合目の廃屋。旧井上小屋跡。

少し下には大黒小屋という建物もあったらしいが、そちらは撤去されて看板だけが残っていた。

 

森の中の道をくだっていく。そろそろ2000mを切ったころだ。

 

三合目の小屋は完全につぶれていた。見晴茶屋跡らしい。

 

かつては大勢の客を迎えていただろうに、今は廃墟だらけ。

このあたりまで来ると傾斜はゆるくなってくるが、そのかわり道が長い。

 

疲れてきたので、写真もかなり省略。

というかあまり撮っていなかった。

 

ようやく馬返しが近くなった。また神社があった。

富士嶽神社というらしい。

石柱には富士山禊所と彫ってある。

ここで禊をしてから富士山に登ったということらしい。

 

鳥居とたくさんの石碑があった。

 

道も立派に整備してある。

 

 

 

午後2時18分、馬返し到着。

歩いてみて、かつてのこの道の賑わいが想像できた。

それにしても建物を撤去しないで廃屋のまま放置してあるんだね。

そのおかげで昔が偲べるというわけだ。

下の方がやや単調であきてしまうので、新緑か初夏か紅葉の秋がいいのかもしれない。

ただし、紅葉する樹木は多くなさそうだけど。

 

ここからはワンボックスの路線バスで富士山駅に戻った。

 

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戦場ヶ原散策のち雷雨(2023年8月19日)

2023-08-22 14:39:57 | 山野草

私の妻の話。彼女は、質の悪いガンのサバイバーで、手術はうまくいったものの、その後肺への転移を繰り返していて、再手術、化学療法、抗がん剤の服用などを続けている。

先日主治医の診察で、腫瘍マーカーの値があがってきているので、9月には入院して、肺静脈へのカテーテル設置の手術を受けることになった。

少々へこんでいたので、外に連れ出して気分転換をさせたいと思うのだが、この暑さ続きで、本人の気が乗らないようだった。

そこで、久しぶりに奥日光の戦場ヶ原に行ってみようと言ったら、ようやくその気になってくれた。

 

土曜日の今日、車で出かけた。

天気予報では、山沿いは雷雨の可能性。でも少しくらい降られてもいい。

 

赤沼の駐車場に車を留めて湯川自然研究路を歩いた。

日向は少し暑いくらいだったが、樹林の中に入れば気持ちいい。

湯川にそそぐ小さな流れにそって歩き出すと、さっそく白い花。

あとで調べたのだが、ゴマナかシロヨメナ。

 

湿原部にはホザキシモツケがたくさん咲いていた。

 

淡いピンクの花にカミキリムシがとまっていた。

 

雲のあいだから時々日差しがもれていたが、次第に入道雲が大きくなってきた。

時折、風に流された雨粒が少し落ちてくる。

 

でも男体山の山頂も雲間から顔を出しているし、なんとかなりそう。

 

この花、見たようだと思ったらセンブリの仲間だそうだ。

名前はアケボノソウ。白い花弁にゴマ粒のような模様がついている。

 

ほとんど高低差のない木道なので、妻も楽に歩けているようだ。

できたら小田代原をまわって低公害バスで赤沼にもどるつもりだ。

 

 

これはイタドリかな?

 

遠くにホザキシモツケの群落が見えたので望遠でパチリ。

 

8月は花も少ないのではと思いながら来てみたけれど、けっこう咲いている。

小田代原では違う花もみられそうだと思っていたら、自然研究路が湯川を渡る青木橋にさしかかるころ、突然大粒の雨が落ち始めた。

傘を出して橋を渡ろうとするころには、もう土砂降りに。

ズボンのすそがびしょぬれになってきたので、しばらく木の下に入って様子を見ていた。

こういう雨は少し待っていたら弱くなる場合がある。

でも10分以上たっても少しも弱くならないので、あきらめて赤沼に引き返すことにした。

 

しばらくすると少し弱くなってきたが、予報から見ても今後回復はむずかしそう。

このあとは車に戻ってから食堂にはいり、昼食をすませて帰路についた。

妻には久しぶりの遠出なので、ちょっといいレストランでもと思ったが、中禅寺湖畔の金谷ホテルなどは車が止められないほど混んでいたのであきらめた。

 

 

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暑かった山の日の谷川岳(2023年8月11日)

2023-08-12 09:49:48 | 山日記

今年は「山の日」から始まる3連休からお盆休みが始まる。

高速道路は大渋滞、新幹線も満席が予想される。

加えて、13日からは台風が本州に上陸しそうだ。

天気を見るとやはり11日の「山の日」が最適らしい。

あれこれ調べているうちに、上越新幹線の「たにがわ」越後湯沢行きがすいていることに気が付いた。

これを利用して天神平から谷川岳を往復することにした。

 

朝の大宮駅。「たにがわ」の前にでる「とき」は、自由席に乗り切れない客が指定席車両へと走ってきて乗り込む騒ぎ。

でも「たにがわ」は大丈夫だった。

上毛高原から谷川岳ロープウェー駅までのバスは2両仕立てでどちらも満席。

 

ロープウェーの切符売り場も長蛇の列。でもゴンドラは次々出発するので無事天神平に到着。

でもそれほど涼しくないぞ。

 

天神平では家族連れの避暑客などが遊んでいる。

リフトに乗って天神峠まで登る人もある。うちでも子どもをつれて遊びに来たっけ。

 

天神平は花盛り。

 

まずは白毛門をバックに記念撮影。9時30分、登山道にむかって天神尾根を谷川岳山頂をめざす。

 

 

熊穴沢避難小屋までは、木道や木の階段が多い割とゆるやかな道が続くし、樹林の中なので暑くない。

 

途中、沢の向かいの白毛門が木々の間から姿を見せる。

谷川岳は先ほどまで山頂部が雲に隠されていたが、今は雲が切れて西黒尾根の急な稜線がトマの耳へと突き上げているのもよく見えた。

 

エゾアジサイも咲き残り。

休日なので若い人がほとんど。家族連れもたくさんいるが、われわれのような後期高齢者の姿は少ない。

 

大きなブナの下に木道が続く。

 

ようやく避難小屋が見えてきた。

 

小屋の中も周りも人でいっぱい。

 

避難小屋を過ぎると岩場の急登がはじまった。

 

まもなく樹林帯を抜け出し、笹の尾根道を登る。展望が広がったが暑い。

 

特に急な登りを抜けると岩があって展望がいい。そんなところでは必ずのように人が休んでいた。

若い人が次々に追い越していく。われわれより遅いのは子ども連れだけ。

 

上を見上げれば「天狗の留場」の岩の上にたくさんの人が休んでいるのが見える。

 

振り返れば上州武尊山、赤城山、子持山、榛名山の連なり。

でも日差しが強すぎる。

 

相棒に疲れが見えるので天狗の留場で小休止。聞けば朝飯を食べていないという。

そりゃだめだ。時計をみると12時になっていたので飯にした。でも口の中がばさばさだといって喉を通りにくそうだった。

 

肩の広場に続く笹原の登りになった。見上げる青空の色が濃い。

12時30分、ようやく肩の小屋に到着。ベンチで小休止後、トマの耳に向かう。

肩の小屋の脇から斜面を登っていくのだが、山頂は近いと木の階段でほんの少しペースをあげたら、足がつりそうな気配。

すぐにペースを落としてゆっくり登ったが、それでも暑さでからだの水分が減少しているせいなのか、ちょっとしたことで足がつってくる。

からだのバランスに気を付けながら登り続けた。

 

午後1時5分。トマの耳到着。相棒は相当疲れた様子。私の方は、疲れというより足のつりの痛みに悩まされた。

でも、久しぶりの晴天の山頂。

岩場に咲く花々と360度に広がる大展望に癒される。

 

尾瀬の燧ケ岳と至仏山。

 

越後三山の中ノ岳と越後駒ケ岳か。

 

西には苗場山の平らな山頂。

 

向かいに見えるオキの耳には大勢の姿が見える。

 

キオン。最近まで名前知らなかった。私の持っている図鑑類には出ていない。

葉の色がずいぶんと濃くってムラサキがかっているので違うのかと思った。

 

花の写真などを撮りながらオキの耳を往復。次々と人とすれ違う。

 

オキの耳も人でいっぱい。

 

肩の小屋に戻ってベンチでふたたび休憩。

周りの人は下山して人の姿が減っていくが、一方で連休を小屋どまりで楽しもうという人が登ってくる。

 

爼嵓をバックに。これもキオンだ。

ロープウェーの最終時刻も気になるので下山を開始。

岩場の下りなので気を付けながら下る。

登りとは違ってそこそこのペースで下り続けることができた。

 

夏の雲がわきはじめた谷川岳を振り返る。暑かったけど久しぶりに展望と夏の花を満喫した山旅だった。

このあと、避難小屋から天神平までの樹林の道では、汗をかいた腕にアブがまとわりついて、チクッとやるのに悩まされた。

虫よけを忘れてきたことを後悔した。

 

午後5時3分発の最終バスで上毛高原駅へとむかったが、新幹線は駅で30分待ちだったので水上駅から在来線に乗る人が多かった。

でも大宮まで在来線を使うと新幹線より1時間も遅くなるので駅で缶ビールを飲みながら時間をつぶした。

 

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