奉(とも)の独り言

「オギャー」と泣きながら生まれてきました。
だから、死ぬ時は、笑って死ねるように生きたい!

生きる(6)

2007年02月07日 | 膠原病
「トモノリ見て、ほら手が、手に血管が」と見舞いに来た私に嬉しそうに微笑んで
喋る母
「あぁ、母ちゃんの手に皺が」と私
母の病気は強皮症です。手は硬くてまるで石ころみたいに皮が硬く、皺も出来ません、皮を摘む事も出来ません。
その母の手の甲に血管が出ています。
「母ちゃん、手が少し柔らかくなったね」って言って手を擦る私
「薬が効いてきたっちゃなかろうか」と母
「薬が効いてきたとよ」と私
二人で「病気が治りよるとよ」と笑う
指の関節は曲げるために血が出、かさぶただらけの手。
老人の手で有れば普通に血管が出て当然なのに・・
本当に小さくなった母の手・・
こんな小さな手で私を育てたのかと・・・
今更ながらに感謝しながら手を擦る私。
母の誕生日には、兄夫婦が来ると知らせがある。
母が子守をした叔父も来る。母からすれば甥である。
その知らせを母には伝えてはいない・・・
当日になって来られないじゃ母が悲し過ぎる。





生きる(5)

2007年02月07日 | 生きる「強皮症の母と」
6年前に父を亡くしました。丁度母と同じ90歳でした。
入院して3ヶ月で旅立ちました。「肺水腫」でした。
仕事帰りには毎日見舞いに行き、バナナ・イチゴをつぶして食べさせました。
私は父の43歳の時の子供です。
小学生の頃は父は50歳過ぎで又、頭も禿げておりましたので、友達の父親と比較しますとたいそう老人に見えましたので、そんな父を嫌っていました。
父とは必要以上に接する事は有りませんでした。
でも、人間として、人の悪口一つ言わない父・誰にも笑顔で接する父を尊敬はしておりました。
父の入院期間中が一番父と接する事の出来た時間です。
いつも「ありがとう」と言う父に会いに行くのが楽しくて・・・・
そんな父も人工透析をするようになり、透析中には血圧が上が60ぐらいになるのです。すると先生を呼び透析を中止します。
透析がかなり辛そうでした。
そんな日が1ヶ月ぐらい続きました。
あくる日先生が「明日の透析は如何しますか?ご本人さんも大変辛そうですし・・」「中止してください」と答えました。
父が亡くなったのは、明け方5時半です。
毎日病院に、時には会社も休んで・・・でも最後の最後に父に会えませんでした。
今も病院の前を通ると、最後に父は何か言いたい事があったんじゃないのかと・・
家族に見守られる事なく逝った父・・・
見守って逝かしてあげたかった家族・・
只只見守って逝かせてあげられ無かった事を後悔しています。
                              合掌