今日の収穫

無線・写真・登山のブログ

電車、あれこれ。

2006年02月21日 18時05分38秒 | 鉄道

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 京成津田沼駅の上野方にある踏切。 撮影したのは日中ですが、その日中にも関わらず開かずの踏切。

 まず1本目は千葉(千原)線の津田沼止まりの中線引上げ。 2本目は下りAE(エアポートエクスプレス・スカイライナー)。 3本目は上りAE。 4本目は新京成上り松戸行。 そして5本目は下りうすい行。

 京成の踏切は長時間遮断すると警報音が早い、遅いの繰り返しになり煩わしい音と化します。 ここから更に上野方に行くと”まろにえ通り”というのがあるのに。

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 とうとう2006年3月ダイヤ改正で無くなる湘南色の113系。 中距離電車といえばやはりこれではないでしょうか。

 東海道線からは113系は撤退しますが、113系自体が無くなる訳ではないんですね。

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 湘南からスカへ変貌?した113系。 と、言う事で東海道線の113系の中で2000番台は車齢が若いので、房総各線用の113系1000番台の古いものを置き換えています。

 首都圏の113系も残るは千葉のみという事になりますね。 東海道線の4ツドアってピンとこないんです。

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 東京メトロ(旧営団地下鉄)の東西線5000系。

 営団地下鉄とは”帝都高速度交通営団”という特殊法人で帝都高速度交通営団法という法律もありました。(現在は東京地下鉄株式会社法なるものがあるようです。)

 私が高校の通学で使っていた頃、東西線は7両と10両編成が混在し朝のラッシュ時は南砂町基準で6時54分(10両)の各駅停車から7時40分(10両)の各駅停車まで10両編成が1本も来ないなんて状況でした。 しかも各駅が2本来ると快速が1本入り、7時10分頃でも車内は新聞が読めないほどの混雑。 当時、国鉄は01K~17K(01K~11Kは7両、13K~17Kは10両。) 営団は19S~99S(19S~53Sは7両、55S~99Sは10両。後の改正で00S・02S・04S(すべて10両)という運用番号を追加-10両編成はSの文字が橙表示)という運用。 後に編成組替えなどによる編成不足を補うために半蔵門線用8000系10両新造車3本がやってきました。 このころだったと思いますが快速C(浦安から各駅停車の快速・現在の通勤快速)が登場、よく乗っていたのが快速C大手町行でした。

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 あまりにも人気の無い東葉高速1000系(旧営団5000系)

 東葉高速鉄道開通(平成8年4月27日)前のJRダイヤ改正と東葉高速営業ダイヤ対応による東西線ダイヤ改正(3月18日)で”快速A”(浦安通過-平日朝と夕方以降の快速)が廃止となりすべて快速Bとなり快速運転本数の削減(日中の運転割合6:6から4:8へ改正など)で浦安~原木中山の利用者にとってはかなり便利になったのではないでしょうか。

 この改正後からだと思いますが、東葉高速開通の何日か前まで営業ダイヤによる試運転が行われており、西船橋到着後ダイヤ上での直通電車は東葉高速の乗務員と交代の上、東葉高速のトンネルへと消えてゆきました。(その電車に乗れば早く帰れたんですけど)

 東西線の快速といえば、駆け込み乗車その他で失敗する人が多く、しかもラッシュ時で浦安も通過するため西船橋まで間違えて連れて行かれた、なんて話が良くありました。

 かくいう私は東葉高速の最終が早いのと22時(休日は21時以降)に1時間に2本しかなかったため、35分待ちやJRからタクシーなんて事がざらでした。(開通当時は平・休日ともに西船橋23:40発が最終) しかも運賃が高いですし。 でも値上げしたのって消費税率改正によるものだけなんです。

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 次世代型電車901系B編成(209系910番台)

 JR東日本の首都圏の通勤・近郊を”走ルンです”に置き換えた?先駆者の試作車。 A・B・Cの3編成が当時、京浜東北線を103系・205系とともに走ってましたが、まさか首都圏が次世代型に染まるなんて思いもしませんでした。 でも先頭車だけ長いんですよね。

 ある話によると209系試作車(901系)は今年に廃止になるとか。 廃車した分を総武・中央緩行線の209系500番台3本を抜き取り、そこにE231系基本番台車3本を新造するとか。 嘘か真か知りませんが。

 と、いうか雨の日の次世代型電車って最悪なんですよね。 起動(加速)時、制動時に車輪が空転か滑走かというくらい乗り心地も悪いし遅れるし。