「平成23年 東北地方太平洋地震」から7年。
首都圏ではいつ起きてもおかしくないと言われている地震。 明日は我が身ですので、準備は怠りなく。
本日午後は救命講習の再講習ですので、その前にブログを。
皆様、平成17年7月23日をお覚えでしょうか。 奥さんの誕生日なのですが、私の奥さんもこのことを覚えていないそうです。
「平成17年 千葉県北西部地震」
発生が16:35。
震源の深さ:73km。
地震の規模:M6.0。
最大震度:5強(足立区)。
発生55分前の浅草(浅草寺)はご覧のとおりのご盛況。
発生7分前は、東武伊勢崎線浅草駅2番線。
地震発生時、浅草-業平橋間を走行中の電車内。 そこそこ揺れを感じ、業平橋駅手前で停車。 駅員が電車をお迎えにあがり、業平橋駅へ進入。
線路点検は行っていましたが、降車した電車は北千住へ向かってゆきました。 その向こうは「5強」だから、運転できないだろうにと思いながら。
ということで、平成17年7月23日は人生初の「帰宅難民」。
この画像の「1602C」電車が、線路点検終了後の1番電車でした。 総武線は当分運転再開の見込みがなく、錦糸町から徒歩で都営新宿線住吉へ。 通常の3倍の時間をかけ本八幡へ。
地震発生時点で、当分帰れないであろうことは予測できていましたので、特に動揺もなくゆっくり自宅への帰還です。
3.11の時、埼玉県川越市の職場。 2日前の三陸沖地震のとき、朝の喫煙所で「絶対に大きなのが来るよ!」と言った2日後のこと。 本当に起きてしまいました。
15:30頃に仕事を早じまいし、川越駅→(徒歩)本川越駅→(バス)新所沢駅→(徒歩)所沢駅→(バス)清瀬駅→(徒歩)保谷駅→(西武池袋線運転再開1番電車)練馬高野台→自宅に22:50頃。
保育園に預けていたわが子は、21時過ぎに奥さんがお迎えに。 一番最後のお迎えだったそうです。
都心方面から徒歩で帰宅される方とすれ違ったのが21時頃の、西武池袋線・清瀬→東久留米間の線路沿い。 この方とすれ違った以降は多くの方とすれ違いました。 ひばりヶ丘駅を越えて、運転再開情報も仕入れましたので、徒歩の方を保谷駅にお連れもしました。
みなさま、物的と心のご準備はお忘れなく。
一眼レフのデジタル化はおおきいです。 保存がしやすいので・・・