今日の収穫

無線・写真・登山のブログ

明日は3.11

2018年03月10日 09時52分31秒 | 写真

「平成23年 東北地方太平洋地震」から7年。

首都圏ではいつ起きてもおかしくないと言われている地震。 明日は我が身ですので、準備は怠りなく。

本日午後は救命講習の再講習ですので、その前にブログを。

 

皆様、平成17年7月23日をお覚えでしょうか。 奥さんの誕生日なのですが、私の奥さんもこのことを覚えていないそうです。

 

「平成17年 千葉県北西部地震」

発生が16:35。 

震源の深さ:73km。

地震の規模:M6.0。

最大震度:5強(足立区)。


平成17.7.23 15:40

発生55分前の浅草(浅草寺)はご覧のとおりのご盛況。


平成17.7.23 16:28

発生7分前は、東武伊勢崎線浅草駅2番線。


平成17.7.23 16:37

地震発生時、浅草-業平橋間を走行中の電車内。 そこそこ揺れを感じ、業平橋駅手前で停車。 駅員が電車をお迎えにあがり、業平橋駅へ進入。


16:51

線路点検は行っていましたが、降車した電車は北千住へ向かってゆきました。 その向こうは「5強」だから、運転できないだろうにと思いながら。


ということで、平成17年7月23日は人生初の「帰宅難民」。

22:43 本八幡駅

この画像の「1602C」電車が、線路点検終了後の1番電車でした。 総武線は当分運転再開の見込みがなく、錦糸町から徒歩で都営新宿線住吉へ。 通常の3倍の時間をかけ本八幡へ。

地震発生時点で、当分帰れないであろうことは予測できていましたので、特に動揺もなくゆっくり自宅への帰還です。


3.11の時、埼玉県川越市の職場。 2日前の三陸沖地震のとき、朝の喫煙所で「絶対に大きなのが来るよ!」と言った2日後のこと。 本当に起きてしまいました。

15:30頃に仕事を早じまいし、川越駅→(徒歩)本川越駅→(バス)新所沢駅→(徒歩)所沢駅→(バス)清瀬駅→(徒歩)保谷駅→(西武池袋線運転再開1番電車)練馬高野台→自宅に22:50頃。

保育園に預けていたわが子は、21時過ぎに奥さんがお迎えに。 一番最後のお迎えだったそうです。


都心方面から徒歩で帰宅される方とすれ違ったのが21時頃の、西武池袋線・清瀬→東久留米間の線路沿い。 この方とすれ違った以降は多くの方とすれ違いました。 ひばりヶ丘駅を越えて、運転再開情報も仕入れましたので、徒歩の方を保谷駅にお連れもしました。

 

 

みなさま、物的と心のご準備はお忘れなく。

 

一眼レフのデジタル化はおおきいです。 保存がしやすいので・・・


東京さくらトラムって?

2018年03月01日 20時16分11秒 | 鉄道

東京23区内で唯一残存した「都電」。

わたくしめは、東京都江東区大島四丁目出生で大島一丁目→北砂三丁目→大島一丁目→大島一丁目・・・

という具合に江東区民でした。 のちに一時期町田市の小学校へ転校しましたが、たぶん住民登録は江東区のままだったのでしょう。 深い理由がありますが。

 

昭和44年1月生まれですので、当然のごとく都電が走っていた時代です。

先日、「東京さくらトラム」なるものに乗りましたが、都電を知っている世代としてはしっくりきていません。 (都電荒川線は何度も乗っています。)

 

 

江東区大島一丁目に近い都電の電停は「大島一丁目」(そのまんまですが。) 残念ながら都電に乗った記憶は1度のみ。

路線は都電「29系統」の葛西橋⇔須田町と、

     「38系統」の錦糸堀車庫⇔日本橋。

廃止日は昭和47年11月17日とのことですので、わたくし自身は3歳の後半。 とりあえず、おんぶされていて乗っていたという記憶のみ。 (もっと乗っているのだと思いますが。)

29系統は都バス転換で「草28系統」葛西橋⇔神田駅。 38系統は都バス転換で「錦14系統」錦糸町駅前⇔門前仲町。 門前仲町から先は「東22系統」が運行されていて、かつ地下鉄東西線がありましたので、どちらかにお乗りくださいというスタンス。 江東区から東京駅方面は、東22のほかに、「東21系統」北砂七丁目⇔東京駅南口、「東26系統」東京駅八重洲口行、「東28系統」東京駅北口行などがありましたので、錦14系統が東京駅に到達しなくても痛くもなかったのでしょう。

※草28系統は両28系統で区間短縮の上で臨海(はとバス)へ移管。 錦14系統は担当の葛西自動車営業所の中では最ドル箱路線でしたので、都市新バス「都08系統(グリーンスター)」へ変更、江東自動車営業所へ移管。 <この2系統は路線図にないバス運行区間が複数ありました。>  

 

「錦糸堀車庫」とございますが、国鉄総武線錦糸町駅前。 現在の丸井はその昔、都電の車庫でした。 

 

同じ江東区内には、「西荒川行」と「福神橋」からの都電もあり、江東区亀戸には「柳島車庫」というのがありましたが、存在は知っていても乗った記憶はありません。 この福神橋からの都電の歴史をたどると、都電「23系統」で福神橋⇔月島通り八丁目となっていて、バス転換では現在の「門33系統」亀戸駅前⇔豊海水産埠頭。 都バスのなかでは変則系統があり途中停留所始発のバスが複数(当時は都04系統の入出庫が担当)あったくらいなドル箱路線でした。

2005年7月17日(東池袋四丁目)

荒川線を走行していた都電7000形のルーツは、その23系統にあるようで、車体自体は新造したものの、台車・電装・ブレーキ関係は流用されたようで、江東区ともつながりのある車両であったことはのちのち知ることに。 現在の7700形は7000形の車体・冷房を流用したようで、一応柳島の7000形の流れをつないでいるのですね。

昭和62年時点で23系統のレールは道路に残っていて、アスファルト舗装の下に隠れていました(押上交差点)。 福神橋から乗車すると、柳島車庫で先行車に乗り換える、という変則的な乗車方法があったようなので、くわしくはネットで検索されて見てください。

 

 

都電雑司が谷電停

都電ではなく「東京さくらトラム」ですよね。 記憶はあまりなくとも、下町の都電世代ですので、どうしても「都電」と呼称してしまいます。 荒川区さんもこの名称を「ごり押し」ではとの見解です。 残存している都電が「荒川線」のみですので、都電のみでも十分通用するのですけど。 要は、都電=荒川線で定着していたのですから。 

とはいいつつも、ここも時代の流れですね。 どうせ「東京さくらトラム」にするのなら7700形も置き換えて、イメージいい新のほうが納得できたかも。

路線名が「東京さくらトラム」にもかかわらず、電停名は「都電雑司が谷」。 こうした矛盾が出るんですよね。 でも、この原因は東京都にはないのです。 東京メトロが副都心線に「雑司が谷」という駅名をつけなければ、こうはならなかったのに。

 

7500形(明治通り併用区間)

平成9年の都電運転士募集が3名。 この枠に対して受験者96名。 いやあこの狭き門に応募されたなあ、という過去のお話。

 

 

「東京さくらトラム」の話がわずかですみませんでした。