前のブログからデーターを移行していなかったかもしれませんので、ちょっと備忘録です。
たいへんくだらない内容!
昭和61年ころの営団地下鉄東西線の運用番号。
営団5000系 7両編成:13S~53S 「S」は白文字
10両編成:55S~99S
00S~04S 「S」は橙文字
試運転電車: 98S
国鉄103系1200番台ならびに
301系 7両編成:01K~11K
301系 10両編成:13K~17K
平日の国鉄車の三鷹行き最終電車は17K(301系10両編成)。 バイト帰りはいつも国鉄車最後の西船橋行のA1917K(日本橋20:10だったでしょうか)に乗車。
乗務員の仕業表の運用番号(種別)表示は・・・
快速A(浦安通過:平日) の例
A501KRAであれば 先頭のAはA線(西船橋方面):Kは国鉄車両:Rは快速:末尾のAは浦安通過。
快速B(浦安停車:平日日中・土曜休日)の例
B1455SRBであれば、先頭のBはB線(中野方面):Sは営団車:Rは快速:末尾のBは浦安停車。
快速C(浦安から各駅停車:平日朝)
平日朝のB線に大手町行が1本だったでしょうか? 要は営団車ですのでSRC。
浦安から各駅停車(今の通勤快速)。 高校在学中の中間テスト・期末テスト時の御用達電車。 南砂町に快速が停車するなんて画期的でした。
※このころの朝の国鉄三鷹電車区から出区の国鉄車の大半は快速で、中には三鷹発、東西線経由、総武線直通快速津田沼行も。 13Kが各駅停車行徳行(妙典はありませんでした)だったと思います。 同時期の総武・中央緩行線と中央快速線の運用番号の記号は、A(西ミツ:中央快速)・B(西カノ:総武中央緩行)・C(千ツヌ:総武中央緩行)・H(西ムコ:中央快速)・K(西ミツ:営団直通車)・S(営団車)・T(西トタ:中央快速)。
wikiにA快速・B快速・C快速と表記していますが間違えでしょ。 それっていつぞや(205系運用開始後?)の阪和線でしょ!!
東武伊勢崎線に準急A・準急Bがありましたね。
「じゅんきゅうーー、 いせさきゆきです。
きたせんじゅまでかくえきにとまります。
きたせんじゅからは、 にしあらい、そうか、こしがや、せんげんだい、かすかべ、とうぶどうぶつこうえん。
くき、かぞ、はにゅう、たてばやし、あしかがし、おおた。
おおたから、しゅうてんいせさきまでのかくえきにとまります。」
なんてアナウンス。 ちなみに準急Aです。 1時間に1本で浅草15時までだったでしょうか。 いやあ乗ってみたかったです。
残念ながら伊勢崎線の東武動物公園から先に初めて乗ったのは2年前でしょうか。 旧無線機のゾーンでは”伊北野”になります。 もうひとつ”伊南日”というゾーンがありました。 この文字の並びを解明できた貴殿は通です。
ヒント:当時の特急(DRC)けごん・きぬ、快速急行だいや、準急東武日光・・新鹿沼・東武宇都宮・新栃木・幸手行などは無線切換が不要ということになります。