アルバニトハルネ紀年図書館

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日本人が英語を学ぶ必要は無い

2009-04-30 | Weblog
 


豚インフルエンザが怖くてここ数日テレビのニュースを見ているんですが(笑)、先日、小学5年生から英語の授業が必須になったと知りました。

誤解を招きそうなので私自身のことを最初に書いておきますが、私は幼稚園から小中学生時代に累計で8年間ほど主に英語圏の海外で暮らしていたために、日本の英語教育を一切受けずに英語を身に付け、日常会話には困らない程度の英語力があります。現在も外国人のメル友や文通相手が数人いるためにメールや郵便のやりとり等で日常的に英語は使用しています。
その上で敢えて思っていることを書きますが、私は日本人全員が義務教育終了後も英語を学ぶ必要はないと思います。
今は「国際化」「グローバル化」が進んでいる、英語ができないなど「国際人」として失格だ、恥ずかしいなどと考える方もいらっしゃるでしょうが、日本人が日本で暮らす上で本当に英語は「必要」なのか?というのは私が疑問に思っていることです。

私が間接的に知っている二つの対照的な事例をここで挙げたいと思います。
一つ目は、自称国際人のあるオバサンの愚行です。彼女は比較的外国人の居住者が多い地区に住んでおり、町中で外国人に出会っては用もないのに英語で話しかけ、自分は外国人と積極的にコミュニケーションを取っていると「国際人」を自称するオバサンでした。
もうお気付きでしょうが、彼女は根本的な勘違いをしています。それは、日本に来た外国人は日本語を話すのが当然だということです。私達日本人が旅行や出張等で英国やオーストラリア、その他の国々を訪れれば渡航先では英語や現地の言葉を使用するように、来日した外国人が日本では日本語を使用するのは当然のことです。日本の国内では、相手が外国人だからといって私達日本人が相手の言語を使用する筋合いはありません。「日本に来る外国人は日本語を覚える」、これが本当の「国際化」だと私は考えます。

二つ目は、海外で長期間暮らした経験が皆無であるにもかかわらず、英語とフランス語に堪能な日本人の青年のケースです。彼は大の映画好きで、学生時代に第二外国語としてフランス語を学び、卒業後も独学で語学の学習を続けていたそうです。洋画の原作である小説を読みたいので英語や仏語を学んでいるだけで、仕事や日常生活の上では全く役に立たない知識だと言っています。たまに海外へ旅行するそうで、覚えた言語を実践で使用するのはそんな時くらいだそうです。彼が来日している外国人相手に英語で話しかけ、その語学力を「ひけらかす」ようなことはありません。

私は日本人が英語ができないことを「恥じ」たり、劣等感を抱いたり、あろうことかそのことに「恐怖」する必要は全くないと思います。例えば路上で外国人に英語で道を尋ねられたりしたら、毅然とした態度で日本語で「ここは日本なので日本語を話して下さい」と返答すべきです。
一口に「日本人」といっても、外交上の要職に就いたり外資系の会社で働くような人から、海外旅行もせずに一生を日本国内で終える人まで様々です。「英語が必要な人生」というものは確かに存在します。しかしそれは日本人全員ではありません。ごく一般的な日本人にとって英語とは、日本で生きていく上で不要な物で、時に必要性を感じてもせいぜい「海外のネットショップから買い物をするので辞書を引く」レベルの代物でしょう。

英語(外国語)に触れる「きっかけ」を若い時に与えてあげる必要はあるとは思いますが、「小学生」の時から詰め込む必要などありません。中学の3年間に過去完了までの「基本」を教えてやるだけで充分です。この時点で義務教育を受けている中学生にとって「英語」は、「数学」や「理科」などと同じく「沢山ある教科の内の一つ」に過ぎないはずです。中学で数学に触れ、数学に興味を持ち、そこから派生する様々な研究分野への道を見つける生徒がいるのと同じように、ごく基礎的な英語に触れて文学や語学そのものを志すようになる子も出てくるわけで、言ってみれば単に将来への選択肢の幅を広げてくれる一要素に過ぎないわけです。
義務教育である中学校で英語に触れて、それでも英語に興味を持つことができなければ、その生徒にとって英語は「義務教育の一環として学んだけど結局不必要だった」というものなんじゃないでしょうか。幼児の頃から高い金を払って我が子を英会話教室に通わせるなど愚の骨頂です。

「英語ができれば人生が豊かになる」というのは否定しませんが、それは「数学を極めれば人生が豊かになる」というのと同じレベルのものです。「私は因数分解ができなくて困っている」と感じる人は(特定の職種の人を除いて)ほとんどいないのに、何故「私は英語ができなくて困っている」と口にする人がいるのか。その困惑の9割は単なる「勘違い」で、残りの1割が「インターネットの発展」によるものだと思います。
インターネット上では公用語のように英語が使われているので、何かを調べようと検索したら英文のサイトがヒットした、ブログや掲示板に英語のコメントが届いた、突然見知らぬ人から英文のメールが届いたなどということは日常茶飯事です。
その英文のサイトを読みたいと思ったら英語を学ぶか英語の出来る誰かに頼れば良いし、その英語のコメントやメールを無視したくない、自分には必要だと思えば対応すれば良いだけのことで、まるで「洗脳」のように「コミュニケーション手段である英語は人間として必要不可欠」と思い込ませるような風潮には違和感を覚えます。

英語なんてものは「必要になった」「勉強したい」と思った人だけが、必要を感じた時から勉強すればいいんです。30過ぎても40過ぎても勉強はいつでもできるんだから。

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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
英才教育? (やすっち)
2009-05-01 06:37:31
小学校から英語が必須科目になるとは奇妙な展開になってきているんですね。確かに仰るとおり日本で普通に暮らす場合に英語が必要かどうかは微妙だと思います。自分の場合はプログラマという職業柄英語出来ないと困るなって思うときがよくありますが、それでも会話できる必要は特に無く、単に海外の情報を読めれば良いだけですので。これは単に国内では技術系の情報が乏しいという理由だけです。他に沖縄ではアメリカ人が身近にいますが英語話せなければ困るような事は特にないです。ご近所さんとして付き合いのあるアメリカ人の場合はちゃんと日本語学んでいるので特に会話にも困りません。逆に気の会わない日本人同士のほうが会話しづらい程なので多少の言葉の不自由は大した壁とは感じていないです。個人的な実感としては気持ちの距離の方が言葉の壁より厄介だと思っています。一番よろしくないのは子供の意思を問わず何でも知識を詰め込めばいいという浅はかな教育理論です。うわべの知識だけを求めるのは日本人の悪い癖だと思います。活用できなければ知識も無駄な努力になりかねないです。実践の伴わない理論ばかり追求しても意味がないといつも感じています。
英語は標準語じゃ無い (Wrlz)
2009-05-01 07:26:18
>やすっち様

おそらく脳が柔軟(?)な幼少期から英語を詰め込めば良い発音も身に付き将来的に流暢な英語が話せる学生・社会人に育つだろうという発想で小学生から英語を学ばせるようにしたのだと思います。
確かに幼い頃から英語を勉強させれば発音やヒアリングの面では有利になりますが、私は英語を母国語としない人に良い発音や優れたヒアリング能力は不要だと思います。外見がアジア人なのにまるで正真の英国人のような完璧なクイーンズイングリッシュを話すような日本人は逆に不気味ですし、英語話者と会話する際には自分は英語が母国語ではないので不得手だからと伝えて「ゆっくり話してもらう」ようにすれば良いだけです。

英語が流暢に話せることと「国際人」であることはイコールではありません。小学生には、「知識」としての英語を詰め込む前に、「人間」として大切なことを教える必要がまずあるのではないかと思います。「人」として立派な日本人に育ってくれれば、極端な話外国語が一言もできなくても、「通訳」を雇えば外国人との意志疎通は可能です。

猫も杓子も英会話教室に通う前に、綺麗な日本語を身に付けるようにしてほしいと思いますわ(笑)
英語は (笛巣田 真夜)
2009-05-01 20:32:48
ぶっちゃけ「ひどい言葉」だと思うんですよ。

文学部欧文科だったんで、一応欧州の基本言語は勉強したのですが

「綴りと発音に規則性が無い」
「アクセントが単語によってまちまち」というのは
英語ぐらいなもんです。

正直他の言語では、最初1週間ぐらい「発音の規則」徹底的にやれば、流暢とは云わなくても、構文を「すらすら」読むことは(意味は当然りかいできませんが)可能なんです。

あと、英会話ですが、日本の英語教育(他の言語もそうですが)は「文章読解」「翻訳」に特化されてきました。これを批判する人もいますが、これこそが日本の「強み」であり、「必要だから」この教育が行われたのです。

何故、今でもアジア、アフリカ各国から留学生が来て日本語を勉強するのか?「日本語が読めれば、世界の大抵の基礎文献が(日本語に翻訳されて)読めるからなんですよ。

「ロンドンあたりのDQNニーちゃんねーちゃんとの『日常会話』(笑)ダベれるひとより『テポドンは推進剤過多により第二宇宙速度を突破し、地球の重力圏を離脱。月周回軌道に就いてしまった」ちゅうのをスラスラ英語で書ける、人のほうが偉いと思いますです。
言語としての完成度 (Wrlz)
2009-05-01 21:19:54
>笛巣田 真夜様

英語が言語としての一貫性に乏しいというのは実感としてかなり分かります。世界で広く使用されているわりに、理論的な文章を作る場合に差し障りが出るなど、「英語という言語自体の弱点」というものがかなりあると思います。

以前、国内の切手展で配布する英文パンフレットの推敲を頼まれたことがあるんですが、
「添付されている凹版のシートは、19XX年に最初に発行され、19XX年に刷り色を変更して再版された切手を、今回再度刷り色を変えて復刻した物である」
というような文章があり、「色が変えられた対象」がどれであるのかを一文の中で明確にするのにえらく苦労した覚えがあります(笑)

綴りと発音の間に明確な法則がないのはほんと困ったもんです。インド=ヨーロッパ語族では私はフランス語とスペイン語だけ知ってるんですが、この二つは綴りとアクサンを見ればその単語自体を知らなくても発音だけはできます。動詞の語尾変化も一人称・二人称・三人称男性/女性できちんとした法則に則っているような印象でした。

日本人は変なところで英語にコンプレックスがあるような気がします。何十万円もする英語学習キットが悪徳商法で大量に売られていて、それを騙されて買う人が出てくるの、いい加減にして欲しいです(笑)

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