風韻坊ブログ

アントロポゾフィーから子ども時代の原点へ。

男性的思考と「慰安婦」問題

2015-07-27 08:20:05 | 隠された科学
先日の『報道特集』(2015.07.25)で、インドネシアにおける「慰安所」の開設に当時主計長だった中曽根康弘氏が関わっていた事実が取り上げられたのを受け、この問題を最初に報道したというLITERAの記事を読んだ。

防衛省の資料から「軍の関与」が裏づけられ、それがテレビの報道番組の現地取材によって検証された意義は極めて大きいと思うが、ここでは私自身が考える「慰安婦問題の本質」について記しておきたい。

結論から言えば、私はすべての戦争は男たちが始めるのだと思っている。より正確に言えば、人間の中の「男性的思考」が戦争を起こすのだ。女性の中にも、一部の政治家や官僚のように、男性的思考を完全に身につけた人たちがいる。

男は寄る辺ない存在だ。そして、自分の自我を成り立たせるために「権力」を必要とする。権力とは、自分の外にある力、外から支えてくれる力だ。それは国家であり、企業であり、ありとあらゆる職業である。私は私だというのではなく、さまざまな述語で自分を飾り立てる。

国家は究極の権力だ。寄る辺ない人間にとって、民族主義はもっとも身近な支えになる。国家が「家」なのは興味深い。人は家族にすがり、民族にすがり、国家にすがる。そして、自分の拠り所を脅かすすべてのものを排除する。
その根底には、自分の存在への不安がある。

戦争という極限状況で、男たちは追い詰められ、自分自身を見失っていく。その時、男が求める「女性」は、一人の個人ではなく、自分を優しく包み、支えてくれるもの。あるいは、自分が侮蔑し支配することで、何かの上にある自分を確認させてくれるものだ。
「慰安婦」は、あるいはあらゆる性暴力は、男たちの自立の欠如から発している。

そして、今、「違憲安保法制」に突き進む安倍政権は、日本の徹底した自立の欠如を露呈している。米国との不平等な関係にしがみつき、「家庭内」(ドメスティック)の国民を支配することでアイデンティティーを保とうとしている。

しかし、それは誰のアイデンティティーなのか? この政権が守ろうとしているのは誰の名誉なのか?

それは日本人の名誉でも、天皇の名誉でもなんでもない。あの戦争を始めた、そして無数の国民を見殺しにしたごく一握りの男たちの「メンツ」ではないのか?
そして、彼らを支えている力、特に米国に由来する力がある。

この「慰安婦」問題について、私たちが見つめるべきは、「親離れ」と「自立」を拒み続ける男性的思考ではないのか、と思う。

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