風韻坊ブログ

アントロポゾフィーから子ども時代の原点へ。

風韻坊ブログのはじまり

2008-10-31 02:19:41 | ごあいさつ
これまでの「アントロポゾフィー研究所」から、
この「風韻坊ブログ」へ引っ越すことにしました。

それには二つ理由があります。

一つは、自分の子ども時代の原点に帰ろうと思ったからです。
今から何十年も前、ボクが13歳の頃だったと思いますが、
夜の風の音が聞こえるたびに、不思議な感覚にとらわれていた時期がありました。
どこか遠くの、ボクが知っているはずの場所から、その風の音は聞こえてくるような気がしたのです。
それは幼少期を過ごしたドイツかもしれない。あるいは、生まれる前の世界なのかもしれない。
いずれにしても、その風の音を聞くと、ボクには思い出すべき「故郷」がある、と感じられてなりませんでした。
今、ふたたびボクはあの子ども時代の感覚に戻って、自分の「故郷」を探してみたいと思うのです。

もう一つの理由として、
ボクが大人になってから長年かけて取り組んできた、アントロポゾフィーという思想があります。
この思想を生きようとする人のことを「アントロポゾーフ」といいますが、
本来、そのあり方は一人ひとりまったく違っているはずなのです。
ところが、2週間ほど前にヨーロッパに行って改めて思ったのですが、
アントロポゾフィーというものがまるで一つの「型」にはまった考え方や生き方のようになってしまっている。
そういう現実があります。

シュタイナーが見ていたアントロポゾフィーは、
一人ひとりが本当に「自分らしく」生きるための支えであったはずです。
そうであれば、ボク自身がアントロポゾフィーと出会い、それと取り組むなかで見えてきた、
ボクらしい考え方、感じ方、生き方があるはずだ。
それを「アントロポゾーフ」とは呼ばずに、別の名称で呼ぶほうが、
シュタイナーの思いにも合致するのではないか、と思ったのです。

そして、ボクは子ども時代の原点に改めて向き合いつつ、
大人になって獲得してきた自分自身の認識を本当に生きようとする自分の姿勢を、
「風韻坊」と呼ぶことにしたのです。

自分の立場を「アントロポゾーフ」とするかぎり、
「それはシュタイナーが言っていることではない」と言われたり、
逆にボク自身もいつまでも「シュタイナーによれば」に頼ってしまうかもしれない。

これからは、
本当に自分自身の言葉で、自分が考えていることを、自分の責任で語っていきたいと思います。
そして、それを「風韻坊ブログ」に綴っていくことにします。

ちなみに、「アントロポゾフィー指導原理」の訳と解説も、
この「風韻坊ブログ」で続けていきます。
そして、シュタイナーの言葉に触発されるかたちで、
ボク自身の思想を自由に語っていきたいと思います。

そのほうが、実はシュタイナーが願っていた
「アントロポゾフィー指導原理の使い方」にかなっていると思うのです。