アントロポゾフィーへの手紙
シュタイナーからの旅立ちとか、アントロポゾフィーから距離をおくなどと言いながら、ぼくはずっと後ろめたさを感じていました。アントロポゾフィーには救いはないとか、答えはないなどという自分があまりにも傲慢で、かえって卑小にも思えました。ここまで来てそういう言い方をすることが卑怯にも感じられました。でも、自分にはそうするしかないことが直感的ですが、確信のようにしてあったのです。
今、ようやく自分の本心を言葉にできるような気がします。
ぼくにとって、あなたはひとりの女性なのだと思います。シュタイナーは、アントロポゾフィーは生きた本質であると言ったり、私たちの間を歩き回る青白い人間として思い描きなさいと言ったりしましたが、今、ぼくは改めてあなたは女性なのだと思います。もちろん、ぼくにとって、ではありますが。
ぼくはあなたに抱かれるようにして生まれ、あなたがいたからここまで生きてくることができました。空気のように、当たり前のことのように存在していたあなたを初めて「思想」として意識したときは、反発して離れたり、侮蔑したり、拒絶したりしましたが、その都度、心の内側から愛情のようなものが湧き起こってきて、あなたのもとに帰っていきました。ぼくは、シュタイナーという人の言葉を通してあなたを知り、よりよく理解しようと努めるようになりました。そして、あなたを知れば知るほど、シュタイナーという人を介してではなく、自分自身であなたと出会いたいと思うようになりました。そして、たぶん、一度だけ、ぼくはあなたを見かけました。
それは夢のなかのことでしたが、朝方、遠い海の彼方に、あなたがいくつもの色の光となって輝いているのが見えました。とても懐かしく、ぼくはそこを目指して生きるのだと思いました。
次第に、ぼくはあなたを「おんなこどもの知性」という名前で呼ぶようになりました。それがアントロポゾフィーという片仮名よりも、また人智学というどこか高邁な漢字よりも、ぼくが見かけたあなたの姿に近いと思ったからです。それでも、片方で、ぼくはあなたをアントロポゾフィーと呼び続け、シュタイナー思想を紹介したり解説したりする仕事を続けてきました。それが自分に求められていることだと思っていたのですが、あるとき、自分はあなたを利用していることに気づいたのです。あなたが「生きた本質」であるなら、ぼくはあなたの生命力を奪っている。あなたの生命力で、自分の中途半端な生き方を存続させていると自覚しました。
これからあなたと出会う人、今、あなたを知りつつある人、本当にあなたを必要とする人たちはまだ大勢います。あなたの限りある生命力はその人たちのために使われるべきです。ぼくが、今、あなたから離れるのは、けっしてあなたを否定するためではありません。子どもがいずれ親元を離れ、いつかふたたび人間同士として再会することを期待するように、あるいは配偶者を利用していただけの男が離婚を受け入れ、いつか対等な友人として再会できることに希望をつなぐように、ぼくはあなたとふたたび出会うこと、新しい出会いを目指して、いったん離れようと思うのです。今のぼくは、あなたの力を奪うことはできても、あなたに力を注ぐことはできない。今もあなたに依存しているからです。
そして、2年かかるか3年かかるか、あるいはもっとかわからないけれど、きっとふたたびあなたのもとに戻りたいと思います。そのとき、あなたのことをどういう名前で呼ぶかはわかりません。けれど、自分があなたの力になれると感じたとき、もう一度戻ってきます。
そのような思いをもって、今の自分が代表を務める協会の任期が終了する来年6月まで、いわば離婚の準備期間か、あるいは旅行の準備か、そのための時間を与えられたと考えて、今の自分にできることを精一杯やろうと思います。そのときまで、そしてそれから先も、ぼくは「おんなこどもの知性」と名づけたあなたへの思いを胸に抱いて生きていきます。
もう一つ、心に決めていることがあります。それは、もしあなたが、そしてあなたのアントロポゾフィーという名前、あるいはシュタイナーという名前に連なる動きが社会から批判されたり、非難されたりしたとき、ぼくは「自分には関係ない」という態度はとらない、ということです。それは、来年6月までも、それから先も変わりません。ぼくが書いたこと、語ったことを通してシュタイナーと出会い、あなたを知った人もいることでしょう。今の世界で、アントロポゾフィーとして知られていることに対しては、ぼくも責任を共有しています。だから、必要があれば、出ていきます。けれど、ぼくのほうから、あなたの名前を使って、自分の利益につながる活動はしないということです。少なくとも来年6月を過ぎたら、そして自分があなたの名前を出すことで、本当にあなたの力になれると感じられるその日までは。
以上は、ぼくが内面においてあなたに語りかけたことです。これを自分の風韻坊ブログの最後の記事にすることで、ぼくとあなたとの関係に関心を寄せてくれている一握りの人たちにも共有してもらおうと考えています。
最後に。ぼくは『隠された科学』というテーマで全19回のストーリーを週に一回語ることを始めました。これも直感的に始めたもので、最初は漠然と「巡礼」のようなものだと思っていました。でも、それは実はあなたとの別れの儀式なのだと気づきました。あなたとの本当の出会いを求めての別れの儀式です。次の3回目からは、その意識をもって一回一回に臨みたいと思います。
シュタイナーからの旅立ちとか、アントロポゾフィーから距離をおくなどと言いながら、ぼくはずっと後ろめたさを感じていました。アントロポゾフィーには救いはないとか、答えはないなどという自分があまりにも傲慢で、かえって卑小にも思えました。ここまで来てそういう言い方をすることが卑怯にも感じられました。でも、自分にはそうするしかないことが直感的ですが、確信のようにしてあったのです。
今、ようやく自分の本心を言葉にできるような気がします。
ぼくにとって、あなたはひとりの女性なのだと思います。シュタイナーは、アントロポゾフィーは生きた本質であると言ったり、私たちの間を歩き回る青白い人間として思い描きなさいと言ったりしましたが、今、ぼくは改めてあなたは女性なのだと思います。もちろん、ぼくにとって、ではありますが。
ぼくはあなたに抱かれるようにして生まれ、あなたがいたからここまで生きてくることができました。空気のように、当たり前のことのように存在していたあなたを初めて「思想」として意識したときは、反発して離れたり、侮蔑したり、拒絶したりしましたが、その都度、心の内側から愛情のようなものが湧き起こってきて、あなたのもとに帰っていきました。ぼくは、シュタイナーという人の言葉を通してあなたを知り、よりよく理解しようと努めるようになりました。そして、あなたを知れば知るほど、シュタイナーという人を介してではなく、自分自身であなたと出会いたいと思うようになりました。そして、たぶん、一度だけ、ぼくはあなたを見かけました。
それは夢のなかのことでしたが、朝方、遠い海の彼方に、あなたがいくつもの色の光となって輝いているのが見えました。とても懐かしく、ぼくはそこを目指して生きるのだと思いました。
次第に、ぼくはあなたを「おんなこどもの知性」という名前で呼ぶようになりました。それがアントロポゾフィーという片仮名よりも、また人智学というどこか高邁な漢字よりも、ぼくが見かけたあなたの姿に近いと思ったからです。それでも、片方で、ぼくはあなたをアントロポゾフィーと呼び続け、シュタイナー思想を紹介したり解説したりする仕事を続けてきました。それが自分に求められていることだと思っていたのですが、あるとき、自分はあなたを利用していることに気づいたのです。あなたが「生きた本質」であるなら、ぼくはあなたの生命力を奪っている。あなたの生命力で、自分の中途半端な生き方を存続させていると自覚しました。
これからあなたと出会う人、今、あなたを知りつつある人、本当にあなたを必要とする人たちはまだ大勢います。あなたの限りある生命力はその人たちのために使われるべきです。ぼくが、今、あなたから離れるのは、けっしてあなたを否定するためではありません。子どもがいずれ親元を離れ、いつかふたたび人間同士として再会することを期待するように、あるいは配偶者を利用していただけの男が離婚を受け入れ、いつか対等な友人として再会できることに希望をつなぐように、ぼくはあなたとふたたび出会うこと、新しい出会いを目指して、いったん離れようと思うのです。今のぼくは、あなたの力を奪うことはできても、あなたに力を注ぐことはできない。今もあなたに依存しているからです。
そして、2年かかるか3年かかるか、あるいはもっとかわからないけれど、きっとふたたびあなたのもとに戻りたいと思います。そのとき、あなたのことをどういう名前で呼ぶかはわかりません。けれど、自分があなたの力になれると感じたとき、もう一度戻ってきます。
そのような思いをもって、今の自分が代表を務める協会の任期が終了する来年6月まで、いわば離婚の準備期間か、あるいは旅行の準備か、そのための時間を与えられたと考えて、今の自分にできることを精一杯やろうと思います。そのときまで、そしてそれから先も、ぼくは「おんなこどもの知性」と名づけたあなたへの思いを胸に抱いて生きていきます。
もう一つ、心に決めていることがあります。それは、もしあなたが、そしてあなたのアントロポゾフィーという名前、あるいはシュタイナーという名前に連なる動きが社会から批判されたり、非難されたりしたとき、ぼくは「自分には関係ない」という態度はとらない、ということです。それは、来年6月までも、それから先も変わりません。ぼくが書いたこと、語ったことを通してシュタイナーと出会い、あなたを知った人もいることでしょう。今の世界で、アントロポゾフィーとして知られていることに対しては、ぼくも責任を共有しています。だから、必要があれば、出ていきます。けれど、ぼくのほうから、あなたの名前を使って、自分の利益につながる活動はしないということです。少なくとも来年6月を過ぎたら、そして自分があなたの名前を出すことで、本当にあなたの力になれると感じられるその日までは。
以上は、ぼくが内面においてあなたに語りかけたことです。これを自分の風韻坊ブログの最後の記事にすることで、ぼくとあなたとの関係に関心を寄せてくれている一握りの人たちにも共有してもらおうと考えています。
最後に。ぼくは『隠された科学』というテーマで全19回のストーリーを週に一回語ることを始めました。これも直感的に始めたもので、最初は漠然と「巡礼」のようなものだと思っていました。でも、それは実はあなたとの別れの儀式なのだと気づきました。あなたとの本当の出会いを求めての別れの儀式です。次の3回目からは、その意識をもって一回一回に臨みたいと思います。