風韻坊ブログ

アントロポゾフィーから子ども時代の原点へ。

新しい神の名は、子ども時代

2015-09-14 11:08:29 | 十字架に眠る幼子
今、人間には、宗教や文化、思想の違いを超えて一致できる、
共通の価値観が必要なのだ、と思う。
新しい民主主義の基盤が必要なのだ。

自由と民主主義を掲げるアメリカ合衆国の原点、
1776年の「独立宣言」には、
「創造主が万人に自由と幸福追求の権利を与えた」とある。
創造主とは、神のことだ。
だったら、神を持たない人々、
無神論者や、万物の中に無数の神を見ているアニミズムの人たちには、民主主義の根拠がないことになる。

私たちには新しい「独立宣言」が必要だ。
一神教の神からの独立、
そして、一神教を信ずる支配者たちからの独立を宣言しよう。
神を否定しようというのではない。
私たちが成長し、親元を離れて独立するように、
神に対しても、
私たち自身が親であり、大人であり、
責任を持つべき子どもたちがいることを宣言するのだ。

古い民主主義の根拠が「神への信仰」であったとすれば、
新しい民主主義の基盤は、
私たち一人ひとりが、
子どもたちに対して持つ責任感だ。

人権は、神から私たちに与えられるのではなく、
私たちが子どもたちに認めるものだ。
子どもたちが等しく愛され、
一人ひとりの個性が尊ばれ、
幸せに、健康に生きて欲しい、
と私たちが願うから、
子どもたちには人権がある。

そして、私たちはみなかつて子どもだった。
だから、私たちには人権がある。

私たちがみな「子ども時代」を通って大人になる。
そこに新しい民主主義の基盤がある。

子どもたちは子ども時代を生きている。
そして、大人たちは子どもたちの「子ども時代」を守る責任がある。
その事実に、人種、民族、文化の違いはない。
これは頭で考え出した理屈ではなく、
人間の身体に根ざした衝動なのだ。

地球上、どこへ行っても、
大人たちは子どもたちの健やかな成長を願い、
新しい世代が古い世代を乗り越えていくことを喜んでいる。
それは人類進化の根本衝動に違いない。

新しい民主主義は、一人ひとりの内的な決意から始まる。
宗教や思想、民族や文化にはかかわりなく、
自分のなかの「子どもへの責任感」を、
「神への信仰」に代わる新しい民主主義の基盤に据えること。
自分はいかなる運命に対しても大人であり、
この自分こそが、子どもの人権を、そしてすべての人の人権を認める主体なのだと覚悟を決めること。

そこに多様な人間が共有する、
新しい価値観の発生を見届けたい。