2年ぶりの更新です。
これから1年くらい、ーまずは1ヶ月くらい、できるだけ定期的に更新して行こうと思います。
一つの目標は、今月の後半に予定している「隠された科学と陰陽五行説」という夜間の連続講座です。
ぼくはシュタイナーの『神秘学概論』という本は、
日本語で表現した場合、「隠された科学」という言い方をしたほうが、
その本来の意味が伝わると考えているのですが、
ぼく自身が「隠された科学」として理解しているアントロポゾフィーを、
一度、自分のことばでしっかり語ってみようと考えました。
そして、講座の最後の2コマで、
自分のアントロポゾフィー理解をもって、
どこまで東洋の陰陽五行の考え方に迫ることができるか、
まずは自分自身のために見てみたいと考えています。
この夜間の連続講座は、
ぼくにとって、これまでで一番の挑戦になると思います。
そこで、なぜ自分がそのようなことを試みようと思ったのか、
また、どういうことをそこで語ろうと思っているのか、
いわば講座への準備として、
自分自身のためにも、これからノートのようにして、
このブログに綴ってみたいと考えました。
最初に書きたいのは、ぼくにとって本当のところ、
アントロポゾフィーは「自分主義」だ、ということです。
以前、NHKの番組で、作家の梁石日さんが、
「これからは既存の思想ではない、新しい思想がもとめられているが、
それは~主義というようなイデオロギーではなく、
一人ひとりが発達させる自分の思想、
しいて言えば、《自分主義》とでもいえるようなものだろう」
というようなことを語っておられました。
(もし間違って理解していたら申し訳ないのですが、ぼくはそのように理解したわけです。)
このことばを聞いたとき、
ああ、シュタイナーが目指していたのは、そういう「自分主義」だったのではないか、と思いました。
そして、シュタイナーが「ゲーテ主義」にこだわった意味、
アントロポゾフィーはゲーテ主義だと言った意味も理解できた気がしたのです。
今、シュタイナーのゲーテ主義といえば、
ゲーテが独自に探究した自然科学のことと思われがちですが、
それだけではなく、
シュタイナーの講演をよく読むと(たとえば「歴史兆候学」など)、
彼にとって「ゲーテ主義」は、
「社会主義」と対をなす「個人主義」を意味していたことがわかります。
ゲーテの考え方の基本は、
つねに全体と個、普遍と個別の両方を視野に入れつつ、
ひたすら「個」(Individuum)の意味を探っていくことであったように思います。
シュタイナーはおよそ100年くらい昔の人で、
その当時、自分主義などといっても通じるわけはなく、
だから、「個」がもつ普遍的価値を徹底してみようとした
ゲーテの名前を掲げることで、
そこに、一人ひとりが自分の目をもち、自分で考え、
自分自身の思想を発展させていくことの意味を込めたのではないかと。
しかし、そのようなアントロポゾフィーも、
アントロポゾフィーという名前が固定化することによって、
やはりひとつの思想的立場に固まってしまう。
ぼくは、自分のアントロポゾフィーの立場(アントロポゾーフとしての立場)を
「風韻坊」と言い表そうとしているのですが、それは
本来、アントロポゾフィーは、一人ひとりの自分主義なのだから、
自分で自分のアントロポゾフィーに名前を付けてもよいのだ、
ということを言いたいからでもあります。
それでは、アントロポゾフィーは何でもありなのか、
ただの相対主義なのか、というと、そうではない。
アントロポゾフィーには、絶対に譲れないところ、
それを手放したら、もはやそれはアントロポゾフィーではない、といえることがある。
それは、たとえば、一人ひとりが自分の思想(自分主義)をもつことを否定するようなこと。
それはアントロポゾフィーとは相容れない。
アントロポゾフィーは何を守ろうとしているのか、
何を支えようとしているのか、
それを自分なりのことばで、自分自身のために捉え直してみること、
そして、東洋の陰陽五行の考え方に目を向けることで、
ぼく自身が学び理解したと思っているアントロポゾフィーは、
そこに何を見いだすのかを、自分で見てみようとすること、
それが今回の試みです。
日本でアントロポゾフィーにかかわっている人間が、
そういう試みに取り組むことが、
今の状況のなかでは意味があるのではないかと思っています。
そんなことを、これからしばらく書いていきます。
もしお付き合いいただけたら、幸いです。
これから1年くらい、ーまずは1ヶ月くらい、できるだけ定期的に更新して行こうと思います。
一つの目標は、今月の後半に予定している「隠された科学と陰陽五行説」という夜間の連続講座です。
ぼくはシュタイナーの『神秘学概論』という本は、
日本語で表現した場合、「隠された科学」という言い方をしたほうが、
その本来の意味が伝わると考えているのですが、
ぼく自身が「隠された科学」として理解しているアントロポゾフィーを、
一度、自分のことばでしっかり語ってみようと考えました。
そして、講座の最後の2コマで、
自分のアントロポゾフィー理解をもって、
どこまで東洋の陰陽五行の考え方に迫ることができるか、
まずは自分自身のために見てみたいと考えています。
この夜間の連続講座は、
ぼくにとって、これまでで一番の挑戦になると思います。
そこで、なぜ自分がそのようなことを試みようと思ったのか、
また、どういうことをそこで語ろうと思っているのか、
いわば講座への準備として、
自分自身のためにも、これからノートのようにして、
このブログに綴ってみたいと考えました。
最初に書きたいのは、ぼくにとって本当のところ、
アントロポゾフィーは「自分主義」だ、ということです。
以前、NHKの番組で、作家の梁石日さんが、
「これからは既存の思想ではない、新しい思想がもとめられているが、
それは~主義というようなイデオロギーではなく、
一人ひとりが発達させる自分の思想、
しいて言えば、《自分主義》とでもいえるようなものだろう」
というようなことを語っておられました。
(もし間違って理解していたら申し訳ないのですが、ぼくはそのように理解したわけです。)
このことばを聞いたとき、
ああ、シュタイナーが目指していたのは、そういう「自分主義」だったのではないか、と思いました。
そして、シュタイナーが「ゲーテ主義」にこだわった意味、
アントロポゾフィーはゲーテ主義だと言った意味も理解できた気がしたのです。
今、シュタイナーのゲーテ主義といえば、
ゲーテが独自に探究した自然科学のことと思われがちですが、
それだけではなく、
シュタイナーの講演をよく読むと(たとえば「歴史兆候学」など)、
彼にとって「ゲーテ主義」は、
「社会主義」と対をなす「個人主義」を意味していたことがわかります。
ゲーテの考え方の基本は、
つねに全体と個、普遍と個別の両方を視野に入れつつ、
ひたすら「個」(Individuum)の意味を探っていくことであったように思います。
シュタイナーはおよそ100年くらい昔の人で、
その当時、自分主義などといっても通じるわけはなく、
だから、「個」がもつ普遍的価値を徹底してみようとした
ゲーテの名前を掲げることで、
そこに、一人ひとりが自分の目をもち、自分で考え、
自分自身の思想を発展させていくことの意味を込めたのではないかと。
しかし、そのようなアントロポゾフィーも、
アントロポゾフィーという名前が固定化することによって、
やはりひとつの思想的立場に固まってしまう。
ぼくは、自分のアントロポゾフィーの立場(アントロポゾーフとしての立場)を
「風韻坊」と言い表そうとしているのですが、それは
本来、アントロポゾフィーは、一人ひとりの自分主義なのだから、
自分で自分のアントロポゾフィーに名前を付けてもよいのだ、
ということを言いたいからでもあります。
それでは、アントロポゾフィーは何でもありなのか、
ただの相対主義なのか、というと、そうではない。
アントロポゾフィーには、絶対に譲れないところ、
それを手放したら、もはやそれはアントロポゾフィーではない、といえることがある。
それは、たとえば、一人ひとりが自分の思想(自分主義)をもつことを否定するようなこと。
それはアントロポゾフィーとは相容れない。
アントロポゾフィーは何を守ろうとしているのか、
何を支えようとしているのか、
それを自分なりのことばで、自分自身のために捉え直してみること、
そして、東洋の陰陽五行の考え方に目を向けることで、
ぼく自身が学び理解したと思っているアントロポゾフィーは、
そこに何を見いだすのかを、自分で見てみようとすること、
それが今回の試みです。
日本でアントロポゾフィーにかかわっている人間が、
そういう試みに取り組むことが、
今の状況のなかでは意味があるのではないかと思っています。
そんなことを、これからしばらく書いていきます。
もしお付き合いいただけたら、幸いです。