風韻坊ブログ

アントロポゾフィーから子ども時代の原点へ。

政治と生まれ変わり

2017-11-24 20:15:26 | 雑感
先に、これからの課題は「無投票層」の人たちの衝動に耳を傾けることではないかと書いた。ここではSekitoさんから投げかけられた問いを中心に、この数日間に自分に見えてきたことを書いておきたい。

たぶん誤解は避けられないと思うのだが、ぼくはもし戦争へ突き進む道をぎりぎりのところで回避できるとすれば、「霊的なこと」(スピリチュアリティ)についてストレートに語っていくことでその僅かな可能性が開けるのではないかと思うようになった。
もちろん、これまでも霊的なことについてはいろいろな場面で語ってきたけれど、それはどこかシュタイナーが言っていることの紹介であったり、自分の見解を「ぼくにはこう見えます(が、ほかの人から見れば違うかもしれません)」という留保付きで述べることであったりした。

でも、おそらくもっと批判されたり非難されたり、おそらくは嘲笑されたりすることを表明していく必要があるのだ。そして何よりもぼくが出会った個々の人々がそれぞれの感性と知性を働かせるうえで刺激となるように自分の言動のなかで心がけたいと思う。ずっと以前、真木悠介さんという人の話を聞いたとき、「伝達のコミュニケーション」と「触発のコミュニケーション」ということをおっしゃっていたのが印象に残っているが、これからは「伝達」よりも「触発」が自分の仕事なのではないかという気がしている。

でも人を触発するということはいわば自然発生的に起ることであって、意図してできることではない。ぼくはたぶん、自分自身が触発されることを求める中で、他の人々のなかにも触発は起るのではないかと思っている。
そこで「感覚」ということを考えるのである。自分が感じるためにはー、それも自分にとって未知のことを感じとるためにはー、つねに自分自身の中に新しい感覚を育てる用意がなければならない。ゲーテやシュタイナーと共に語るなら、新しいものとの出会いは、つねに新しい感覚の萌芽を呼び覚ます。問題は、そのことに気がついて、芽生えかけた新しい感覚器官を自分のなかで育てていくことができるかどうかだ。そこに他の人々や他の文化、およそすべての未知なるものとの出会いの可能性がかかっている。

この関連でぼくが重要だと思うのは、シュタイナーが「オイリュトミー」という新しい舞台芸術について述べたことである。オイリュトミーは実は
「表現」ではなく「聞くこと」なのだという。人は耳を傾けるとき、つねにオイリュトミーを行なっている。この考えの背景には、喉頭という発声器官は、他者の語りとともに動いているという彼の直観があった。オイリュトミーは喉頭の動きを全身に広げたものである。オイリュトミーとは「身体で聞く」ことなのである。私たちが語ることができるのは、聞くことができるからである。そして語りは、聞くことがあって生まれる。
私が耳を傾けたとき、おそらく他者は語ることができるだろう。そのとき、他者が実際に言葉を発するかどうかはその人の自由である。けれど、私が聞いていることが、相手の語りを引き出す。シュタイナーの言い方でいえば、対話の中では、相手が私の中で語り、私が相手のなかで語っている。シュタイナーは現代において「聞く力」が衰えつつあるからこそ、教育の中のオイリュトミーを重要視したのである。

選挙における投票も声を発すること、表現活動である。もしいわゆる無投票層の人々に選挙に行って欲しければ、まず耳を傾けなければならないだろう。選挙がなぜ必要かとか、国民の義務だとか説得するのではなく、普段から、生活のさまざまな場面で出会う人たちに耳を傾けていなければならない。そのうえで、相手がどのように行動するかはその人の自由に任せる。それがさしあたり、私たち一人ひとりにできることなのだと思う。

聞くということは、感覚を働かせることだ。相手を感じること。それが語りが、およそすべての表現活動が成立するための条件である。そして、そこにシュタイナーが法律・国家・政治を心臓や呼吸器のある「胸の領域」(リズム系)に対応させた意味があるとぼくは考えている。

政治とは、言葉を使って仲介し調停し、調和をもたらそうとする活動である。その基本は「聞くこと」でなければならない。言葉巧みに「説得」することではないのだ。感じること、聞くことができたとき、相手に届く言葉が自ずと生まれてくる。

シュタイナーは最初の著作である『ゲーテ的世界観の認識論要綱』の後半でほんの数行であるが「憲法」に触れている。彼は憲法とは、「国民の無意識にあるものを感じとって言葉にしたもの」だと書いた。同様の考えを、彼は『自由の哲学』のなかでも法律に関して述べている。
法律とは本来、なんらかの個人の考えを述べたものではなく、人々のなかに生きている願いや衝動を感じとり、それを理念として言葉にしたものだ。本来の法律は聞くことによって生まれる。

以上の考え方からも、ぼくにとって「誰が憲法を書いたか」は本質的な問いではない。重要なのは、憲法の条文を書いた人々、具体的には戦後、GHQの中で憲法作成に携わった人々がどれだけ日本の人々の願いや衝動を感じとっていたか、そして「個人」としてではなく、いわば「人類の代表」としてそれらの条文を書くことができたかである。たとえばベアテ・シロタ・ゴードンさんの手記などを読めば、いかに彼女が当時の日本人、特に日本の女性たちに思いを寄せて「男女平等」の理念をそこに書き入れたかがわかる。

そして、もっといえば、いったん憲法として言葉になったものに対しては、それに向き合う私たちが「主体」になる。
ぼくは矢部宏治氏の『日本はなぜ、「原発」と「基地」を止められないのか』や『知ってはいけない隠された日本支配の構造』などの著作は、日本の政治の現実を見つめる上で本当に重要な役割を果たしていると思うけれども、一点、憲法については見解を異にしている。9条をはじめとする日本国憲法の理念は単なる平和主義の理想ではなく、連合国の意図によって書かれたものだと彼は指摘する。けれど、書かれた言葉はそれ自身で独立している。そこにどんな意図があったとしても、それは条文として発表されてからは、書いた人の意図から自由になる。それをどう受けとめ、どう活用するかは私たち次第である。連合国の意図があったからといって、それをもって憲法を否定するのはむしろ不自由であり、主体的ではないと思う。
問うべきは、その憲法の言葉そのものが本当に私たちを不自由にしているのかどうかだ。むしろ、今の憲法は立派に権力者の側を縛ってきていると思う。

当時の連合国、そして現在の米国(米軍)の意図を明らかにしたとき、それに抗するためにも彼らが用意した憲法を否定するのではなく、むしろそれを逆手にとって私たちの自律の幅を広げていくことに力を注ぐべきではないのか。
何より、私たちが現行の憲法を否定することで一番喜ぶのは現在の米軍や権力者たちだろう。

最後に、言語について書いておきたい。
シュタイナーが「精神生活や経済生活には霊的背景があるが、国家・法律・政治だけは純粋に地上のものだ」と考えたのは、言語とは地上における「人間性の身体」といえるからではないだろうか。
私たちが生まれ変わりを繰り返すとき、私たちは地上の個々の身体のなかに「受肉」すると同時に、特定の言語圏の中に生まれることになる。
国家の本質は法体系であるとすれば、国家の本質は言語だということになる。ある特定の国家の中に生まれることと、ある特定の言語圏に生まれることとは必ずしも一致しないし、国家と言語の関係もさまざまに議論されるところではあるが(だから母国語ではなく母語という言い方をするわけだが)、国家が言語によって成り立っているということは言えるのではないだろうか。

そしてそこに最初は英語で書かれた憲法をもつ日本という国家の運命もあるのだと思う。それをただ否定するのではなく、日本という国家、そして日本語という言語の個性として見つめたいと思う。

本来、国家が言語を規定するのではなく、言語の中から国家が生まれる。私たちはなんらかの母語の中に生まれ、おそらくはなんらかの国家のなかに生まれる。もちろん、国家が存在しないところに生まれることもある。けれど人間の子として生まれるかぎりは、なんらかの言語のなかに生まれるのだ。そしてその言語を使って他の人々と共同生活(つまり社会生活)を営むうちに、決まりごとが生まれ、それが法律となってやがては小さな国家が成立するだろう。

言語と国家は同じものではないけれど、相互に支えあったり、影響しあったりして、地上の社会形成に寄り添っている。
Sekitoさんの問いかけの文脈でいえば、社会とは「社会有機体」というように地球上の生命体なのだと思う。それは生きている以上、成長したり衰えたりする。完全に死んでしまうこともあるだろう。人は自分の身体の中だけでなく、社会有機体のなかにも受肉する。ただ社会有機体は複数の人々と共有する「身体」である。

人間は、この社会という身体を地球上で形成する。生まれてきては社会形成に関与し、また霊界に還っていく。社会形成は、この地上でしかなしえない仕事である。私たちは社会を先人達から受け継ぎ、自分たちで少しずつさらに(できればよりよい方向に)形成し、そこに生まれてくる子どもたちを受けとめ、また次の世代に託していく。

男性に生まれることも、女性に生まれることも、またGLBTに生まれることもあるように、私たちはさまざまな国、文化、言語の中に生まれ変わる。そうやって自分が関わる社会の中に少しずつ多様性と普遍性を実現していく。

そのとき、きわめて意識的に、自由、平等、友愛への感覚を自分の中に育てていく必要があると思う。人が何かを創造するとき、そこには自由がなければならない。人が相互の創造作品を認め合い、それらを流通させるとき、そこには友愛が働いていなければならない。そしてお互いを偏見なく認め合い、作品を交換するための基盤が、言語による平等な関係である。

シュタイナーは、12年間の教育を通して、この自由、平等、友愛への感覚を育てようとした。幼児期の「模倣」は自由の基盤となり、学童期の教師が演ずる「愛される権威」という役割は平等の基盤となる。そして思春期の性愛を含む「人類愛」の目覚めと「真実」との取り組みは、友愛の基盤となる。

そのような精神生活(文化)の中に自由、法律の中に平等、経済生活の中に友愛の原理が働く社会は単なる理想であり、複雑で深刻な現実に対してはなんの力も持たないと思われがちである。
けれど、社会は人と人の関係から成り立っている。私たちが他者の自由、平等、友愛に対して感覚を働かせるとき、それはその人のなかのそれらの原理を目覚ませるきっかけになる。

何より、乳幼児の保育に関わる人たちは、子どもが立ち上がり、言葉を発し、考え始めるプロセスの中に自由、平等、友愛の萌芽をみることができる。そして、それらを認め、支えようとする大人の側の意志によって、社会は形成されていく。

子どもの自我は、周囲の大人が見守り、耳を傾ける中で、目覚めていく。聞くこと、感じることが変化を引き起こす。まずは自分が知ろう、理解しようと努めることが、他者のなかの意志を、さらには物質の中の意志に働きかける。それをシュタイナーは「魔術」と呼んだ。

社会に絶望する前に、今一度、人間の中の自律性、すなわち自由、平等、友愛の感覚に意識を向けたいと思う。なぜなら、私たちはこれまでもずっとこの地上の社会形成に携わり続けてきたからだ。社会こそ、私たち人間の共通の作品である。

死後の世界と、生まれる前の世界を考慮に入れて、社会を見つめてみたい。なぜなら、死後の世界と生まれる前の世界は一つにつながっているからだ。この世を去った死者たちは、「未来」において私たちの子どもになる。そして、子どもたちは死者たちのいた「過去」からやってくる。
それがシュタイナーが教育の基礎としての「一般人間学」の出発点に据えた、教育による社会形成の基本理念であった。

以上、きわめて大雑把ではあるが、ぼく自身はこのような考え方をもって「国民の意志」に、また無投票層の中の衝動に向き合っていきたいと思う。子どもの発達、自律性に寄り添い、つねに死者との共同作業を意識しながら、この地上で出会う人々の自由、平等、友愛に感覚を向けていきたい。そこから改めて、自分なりの新しいアントロポゾフィーの歩みを始めたいと思う。

共産党の信念について

2017-10-23 07:47:37 | 雑感
今回の衆院選で共産党が半数近く議席を減らしたという事実に震撼させられている。

立憲民主党が野党第一党になったことは、私たちにとってぎりぎりの希望だけれど、その一方で共産党が議案提出権を失うことになると思うと、大きな損失である。

今後、共産党内でも少なからぬ失望や執行部への批判が広がるのではないかと心配だ。
でも、昨日、ラジオの報道番組で小池晃書記局長が立憲民主党が躍進することを「率直にうれしい」と述べているのを聞いて、ぼくはそこに強くて高貴な信念を感じた。

共産党が選挙協力のために、もともと小選挙区で擁立していた64人もの候補者を取り下げたことは、たとえそれがどのような「建前」のもとであろうと、並大抵のことではない。今、共産党の人たちが感じている痛みは、外部の人間には計り知れないだろう。

彼らにそれだけのことができたのは、彼らの思想(おそらくマルクス主義)があったからだろうと思う。職場の同僚は「共産党って一種の宗教ですよね」と言ったが(マルクスが「宗教は阿片だ」と言ったことを思うと皮肉だが)、ぼくはむしろ「信念」という言葉を使いたい。

ぼくは唯物論者ではないので、共産党の人たちとは考え方は違うが、彼らが信念を貫いたことを本当に尊敬する。シュタイナーは幼児教育について語る中で、「幼い子どもたちにとって何よりも大事なのは、身近な大人たちの信念である。それは唯物論でも構わない。一つの信念を貫く大人の姿が、子どもたちを支えるのだ」というようなことを述べているが、今回の選挙は、そのような大人たちの信念を浮き彫りにしたと思う。

今回の選挙結果は、多くの人々を絶望させた。「国民はファシズムを選んだ」という言葉も目にしたが、実際にそのように言われても仕方がない状況である。だが、ぼくがぎりぎりの希望を見るのは、枝野氏や立憲民主党の人々が「理念」を掲げて戦っていることである。
今の野党と市民の協力は、何よりも「理念」における共闘なのだと思う。そして、そのような大人たちの姿が、どんな教育政策よりも、子どもたちを内側から支えるのだ。

ぼくは個人的には、共産党は名前を変えなくてもいいと思う。むしろ、彼らの名前、彼らの思想が今回の「大局を見据えた決断」を可能にした。今は、共産党は議席を大幅に減らしたが、それは日本の民主主義という共通の土壌を救うための価値ある犠牲であり、共産党自身が今後の日本においてさらに発言し、社会形成に大きく寄与することにつながると思う。

そして、日本の幼児教育に連なる一人として、ぼくは今回、共産党が貫いた信念は何よりも日本の子どもたちを救ったのだということを書いておきたい。

ユニクロと子どもの主体性

2017-03-15 11:06:23 | 雑感
連れ合いから教えられて、ネットのある記事を見た。そこで受けた衝撃は近年まれなほど大きく、あえて較べるとすれば、一昨年の大晦日にたまたま入れた「紅白歌合戦」で椎名林檎さんの「NIPPON」を聞いたときの驚きを上回っていた。この歌は、賛否両論いろんな議論を呼んだようだが、ぼく自身は、椎名林檎さんが「自分は職人としてこの曲を書いた」というようなことを言っているのを見て、それなりに納得した。ただ、それでも「いざ出陣、我ら時代の風雲児」とか、「混じり気のない我らの炎」とか、「我ら」という言葉遣いには依然として強い抵抗がある。こういった感性はどこまでも個人のものであって、それが「我ら」で括られた途端に全体主義の罠に陥ると思うからだ。

今回、ぼくが読んだのは、衣料品の製造小売業者ユニクロが打ち出した子どもと家族向けの体験サービス「MY FIRST OUTFIT」に関する記事である。このサービスでは、「子どもが親と離れて服を探し、コーディネートを考えて、試着した姿を親にお披露目する」という。ユニクロではこれを「服育」の取り組みとして提案しているらしいが、ぼくが衝撃を受けたのは、そのプレス説明会に乳幼児教育の研究者として玉川大学の大豆生田啓友さんが登場していたことである。記事のその部分を引用しておく。

…乳幼児教育を研究されている大豆生田教授によれば、「自分で考えて、自分で決めてアクションを起こせることが、これからの子どもにはとても大切」なのだそう。アクティブラーニングの導入推進など教育の変革期にあるいま、子どもが自分の意思でものごとを決める体験をたくさんさせてあげることが、子どもの自信や自己肯定感につながり、ひいては社会を生き抜く力になる、と大豆生田教授は語ってくださいました。

また、最近の乳幼児研究では、子どもには早い段階から「自分で決める力」「自分で育つ力」がそなわっている、つまり「子どもは自立したがっている」ことがわかってきている、とも。子ども自らが成長しようとする力を伸ばしてあげるには、親がなんでも決めたり与えたりせず、ときには見守る姿勢にスイッチすることが必要だと教えていただきました…

先ほどの椎名林檎さんの「我ら」という言葉遣いに対するのと同様の違和感を、ぼくは大豆生田さんの「自分で考えて、自分で決めてアクションを起こせることが、これからの子どもにはとても大切」という言葉に対して抱かずにはいられない。「アクションを起こさせる」という使役動詞は、そこには暗に母親や大人の意思が働いていることを示している。本当の自発性や主体性は、大人の意思や予想を裏切るものではないのだろうか?

子どもが「自立したがっている」のは当然である。子どもの中の「自立への意志」を認めることが、教育や保育の、そして子育ての大前提だろう。けれどその大前提がなし崩しにされつつある現代にあって、大豆生田さんをはじめとする研究者たちがメディアに登場することには大きな意味があると思っていた。今回も、もしかすると彼はあえて企業の戦略の中に飛び込んだのかもしれない。
けれども、ユニクロのこのキャンペーンは、子どもの主体性を欺くものだ。企業が煽るのは消費者の購買意欲であり、それをもって子どもの自立への意志を育てることになるということを、乳幼児教育の研究者が言うことは間違っていると思う。それは科学が企業に加担することでしかない。

ちょうど連れ合いが同じ時に教えてくれたもう一つの記事があり、これはイギリスBBCのニュース番組における「放送事故」の動画である。釜山大学のロバート・ケリー教授が自宅の書斎からオンラインで韓国の大統領弾劾について解説しているところに、幼児と赤ちゃんが立て続けに侵入し、それを母親が慌てて引きずり出そうとする。BBCのサイトではケリー教授夫妻のその後のインタビューが掲載されていて、それも興味深いが、ぼくはこれこそが子どもの「主体性」だと思うのだ。
ユニクロの「はじめてのコーディネート体験」というサービスも、あるいはそもそも私たちが幼稚園や保育園で提供しようとする環境も、結局はケリー教授の整然とした書斎のようなものだ。そこでは大人の都合と考え方に基づいてお膳立てがなされている。子どもの意志はそこから抜け出そうとする。あるいは大人が予想もしないことを持ち込んだりする。

最近の乳幼児保育の流れの中で、「主体的な学び」や「自分で考えて、自分で決める」ということが強調されるとき、ぼくが非常に危惧するのは、でもそのすべてのお膳立てをしているのは大人なのだという事実が見落とされていることだ。
研究者たちは「見落としてなんかいない」というかもしれない。けれども、例えばユニクロの記事で取り上げられた5歳の男の子は、このサービスを体験して青いパーカーとドラえもんのTシャツを選んだという。母親はこのようにコメントする。
「じつは、半年前にもドラえもんのTシャツを欲しがったのですが、そのときは別のキャラのほうがいいんじゃない? と誘導してしまって…。でも、今回またドラえもんを選んだってことは、ずっと欲しかったんだなって」
そして、この記事は「あらためて我が子の意思に触れ、思うところがあったご様子でした」と締めくくるのである。

「ずっと欲しかった」ということが我が子の意思とされている。でも、それは欲望や購買意欲と呼ばれるものだ。
ここでの子どもの意志は、母親についていくこと、言われるままに「体験サービス」に参加し、大人たちが見ているところで服を選んで着るということだ。それはすべて極めて受動的であり、期待に沿った動きでしかない。

それを乳幼児教育の専門家が、企業と一緒になって「子どもの自信や自己肯定感につながり、ひいては社会を生き抜く力になる」と言ってしまうことに、ぼくは激しい危機感を覚えた。
国家も企業もお膳立てをし、人々がその上で期待通りの行動をすることを求める。多くの母親が今回のユニクロの企画に共感し、大豆生田さんのコメントにも納得することだろう。けれど、本当の創造性はそんなところからは生まれない。
子どもの主体性は甘くはない。予想や期待を裏切られることは、大人にとっては痛みである。でもギリギリのところで、新しい何かが生まれるのだ。

今、親たちに伝えることがあるとすれば、大事なのは良い親になったり、素敵なママやパパになることではなく、自分なりに考え抜いた精一杯の「お膳立て」(環境づくり)をして、その結果を引き受ける責任を持つことではないかと思う。そこにおいて、大人たちは何よりもお互いを励まし合うべきだ。企業や国家の提案に乗ることも、それを楽しむことも、支援を受けることもいくらあってもいいと思うけれど、その結果は親が引き受けざるを得ない。企業や国家も、保育園や幼稚園も、大人にできることはお膳立てだけである。そのお膳立てがどのような意図でなされ、どのような作用を持つものなのか、そこに意識を向けることが、研究者の責任ではないか。

こんなことを書くと、ユニクロの企画を素敵だと思ったお母さんたちから、自分がどんどん遠ざかってしまうようにも感じる。それでも、大豆生田さんという人はしっかり考えている人だろうと思っていただけに、どこかにぼくの考えを表現しておきたいと思ったのだ。
ぼくの考える教育の使命は、みんなが戦争に行かなければという雰囲気になったときに、一人でも「行かない」と言える人を育てることだ。

そこにぼくたちの未来がかかっているのだと思う。

アントロポゾフィーを改めて掲げる意味について

2017-03-14 13:33:02 | 雑感
「四大公害病」についての本を読んでいて、原田正純医師の名前が出てきたところで、心が激しく揺さぶられ、アントロポゾフィーのことを思った。ぼくは、2年ほど前に「一時期、アントロポゾフィーから距離を置くこと」を決めた。しかし、それには別の見方も可能なのではないかと思えてきた。

ぼくは、自分がアントロポゾフィーとして認識していることと、多くの人たちが「シュタイナー」や「アントロポゾフィー」の名のもとに行なっていることとの間に乖離を感じている。

具体的に言えば、ぼくにとってのアントロポゾフィーから見れば、STAP細胞の発見は生命の本質に迫るものであり、それがあそこまでの騒動と嘲笑にまで発展した背景には、現代の科学が抱える問題が如実に現れていた。

日本国憲法が成立した事情は、日本民族の運命及びアイデンティティと深く関わっており、憲法9条はまさに日本民族が持つ使命と直結している。つまり、ぼくにとってアントロポゾフィーを真に理解した人は、「護憲派」にしかなりようがない。

原発問題は、一方では「物質の本質」及びシュタイナーの言う「キリスト問題」と深く関連しており、ヒロシマ・ナガサキを経てフクシマにいたる運命の中で、日本人が個人として、また民族として人類の中で見つめるべき課題を示している。そこを考え抜くならば、アントロポゾフィーが原発推進を容認することはありえない。

以上は、これまでブログや講演などで再三語ってきたことではあるが、そこには常に自分の発言が「素朴にアントロポゾフィー/シュタイナーに関心を持つ人々」に迷惑をかけるのではないかという不安があった。
要するに、ぼくの考えるアントロポゾフィーは政治的であり、今日の科学のありように対しても批判的な発言を行うものなのだ。
その一方で、シュタイナー幼稚園やシュタイナー学校、あるいはバイオダイナミック農業やアントロポゾフィー医学、その他の領域でアントロポゾフィーに熱心に取り組んでいる人たちがいる。彼らにとって社会から認知されることは重要なことであり、それはぼくも共感し、理解しているところだ。そこにぼくが政治的な発言を行えば、彼らの活動の迷惑になるのではないかという思いがあった。
彼らにしてみれば、自分たちが求めているのは純粋に良い教育や医療であり、政治問題に関与するつもりがないということもあるだろう。そこにぼくがアントロポゾフィーに関わる一人として、政権批判などをすれば、せっかく積み上げてきたものが覆されるかもしれない。それをぼく自身が恐れていたのである。

けれど、そこに蓋をして、あるいはほのめかすような言い方に留めてアントロポゾフィーを語ることは、ぼくにとっては自分が理解したアントロポゾフィーへの不義を意味する。中途半端にシュタイナーやアントロポゾフィーを掲げながら、本当の問題を指摘しないならば、それはアントロポゾフィーを利用することでしかないと思った。自分のあり方がアントロポゾフィーを弱めているように思えてならなかったし、そのことが自分自身をも弱めているように感じていた。だから、アントロポゾフィーから距離をおき、あくまでも一人の個人として発言したり仕事をしたりすることで、自分自身のあり方にも、アントロポゾフィーとの関わりにも、新しい展開が望めるのではないかと思った。

けれど、先ほど、このように思ったのだ。ぼくの考え方、感じ方はむしろアントロポゾフィーを狭めていたのではないか。アントロポゾフィーを科学そのもののように広く深いものとして捉えるならば、そこにいろいろな考え方があってよいし、個々人が自分の考えるアントロポゾフィーを主張し、そこで議論が起こってもよいはずだ。

例えば、科学の世界にもいわゆる「御用学者」がいる。
客観的とされる研究者や医師たちが、例えば水俣病や原発事故の際に、国家や企業の側に立ち、本来の科学性を否定するような発言や行為をすることがある。彼らは科学の名のもとに偏向した発表をし、それに対して被害者の側に立つ医師や研究者もまた、科学の名のもとに真実を明らかにしようとする。御用学者がいるからと言って、真実を求める科学者が「科学」を離れることはないだろう。むしろ、「これこそが科学だ」という論争を挑むはずである。だとすれば、ぼく自身もまた自分が真実と思うアントロポゾフィーを、アントロポゾフィーという名のもとに語ってよいのではないか、むしろ語るべきなのではないかと思った。それは、他の人々が彼らのアントロポゾフィーを語ることを妨げることにはならないだろう。

ぼくが思うのは、シュタイナーの「アントロポゾフィーは《閉じた心》を許容することはできません」という言葉である。
アントロポゾフィーはひたすら開かれた人間の知性であるけれども、それが許容できないものもあるのだ。それが「閉じた心」である。したがって、他の民族を否定したり、他者を踏みにじるような政策、あるいは偏った科学、すなわち真実に心を閉ざすような態度を許容できるはずもない。
シュタイナーは、「本来なら、アントロポゾフィーという名称でさえ、毎週のように変えたいくらいだ」と言っていた。
だから、ぼくも自分の立場を「おんなこどもの知性」と呼んで、アントロポゾフィーという呼称から離れてよいのではないかと思った。けれど、シュタイナーが「アントロポゾフィー」という名前を使い続けた理由があったはずだ。
彼自身は「名前を始終変えたりすれば混乱するから」と言ったのだが、今、ぼくが思うのは、同じ名前を一貫して使い続けることで、一つの思想の「責任」と「進化」が可能になるということだ。

アントロポゾフィーを名乗ることは、自分だけが正しいとか、絶対に間違えないということではない。個人であれば、自分が過去に行った行為に対して、それが間違いあったと気づいた時点で謝罪したり訂正したりして、認識を改め、先へ進むことができる。アントロポゾフィーの名のもとに発言したり、行為したりすることは、アントロポゾフィーに思いを向ける人々と運命を共有することを意味する。そのことをぼくはずっと自覚してきたつもりである。けれど、逆に、ぼくの発言や行為が、そのつもりのない人々を巻き込むことをぼくは恐れた。

やはり、恐れだったのだと思う。ぼくが乗り越えるべきはこの恐れなのだ。
ぼくはいま、自分の認識を次のように整理しておきたい。

・アントロポゾフィーとは、一人ひとりの「個」を基盤に、多様な人々が性、文化、人種、生育環境、思想的芸術的傾向など、あらゆる違いを突き抜けて対話を試みることで、徐々に形成されていく人類共通の知性の、暫定的な一つの名前である。
・その対話は、一人ひとりが自分の思考、感情、意志に対して責任を持ち、他者の思考、感情、意志を尊重する中で可能になり、その過程での相互の承認、謝罪と間違いの訂正、和解、絶えざる認識への努力によって、アントロポゾフィーは人類の知性として進化していくことができる。
・すべての個人は、生まれながらにして人類の知性の形成者の一人であり、そのことを自覚した人は自分で自分自身を「アントロポゾフィーの担い手」(アントロポゾーフ/アントロポゾフィスト/人智学徒など)と呼ぶことができる。

この意味において、ぼくはふたたび自分自身をアントロポゾフィーの担い手の一人と見なしたいと思う。

名前の由来(1)

2009-04-28 22:21:23 | 雑感
このブログは
「シュタイナー探訪」から始まって、
「アントロポゾフィー研究所」になり、
この「風韻坊ブログ」に到った。

ボクが風韻坊を名乗っても、たぶん、
よく分からないという人が大半だろうと思う。

「入間カイ」という名前に改名したことについても、
いまだに、納得されないことがある。
この前も、尊敬するある人から
「名前を変えても、本質は変わらない」と言われた。

そこで、久々にこのブログを再開したので、
「入間カイ」と「風韻坊」の名前の意味について
この機会に書いておきたいと思う。

まずは「入間カイ」について。

親との違いを際立たせたくて、この名前を選んだわけではない。
自分の生き方に迷い、
シュタイナーの初期の著作をドイツ語で読んでいるとき、
彼が歩んだ道がいかに孤独な道だったかが感じられて、
アントロポゾフィーという「認識の道」が
とても辛くて悲しい道に感じられたことがあった。
それでも、自分が見てとったその道を歩んでいこうと思ったとき、
自分はそのように決意した自分自身に、
自分で名前をつけたい、と思ったのである。

カイという名は、
かつて十代のころ、
アメリカで一風変わった女の子から
「Kai, blood!」と呼びかけられたから。
その響きが、思春期の自分が、
迷いながらも、自分はこんな大人になりたいという
ひとつのイメージをもったときの、
心のあり方につながっていた。
ボクは、かつて子どものころの自分が、
思い描き、目指そうとしたような大人のあり方、生き方を
すでに大人になった今でも、目指し続けよう。
そう思うときの自分は、どうしてもKaiだった。

そのような自分をもって、
人々の間に入っていこうと考えたとき、
「入間」という姓を思いついた。
「間」というのは、
アントロポゾフィーでも重要な概念である。
ドイツ語で「中間領域」(Zwischenreich)といえば、
対極的な要素が出会い、重なり合うところ、
たとえば「夜の世界」と「昼の世界」が出会い、
夢が立ち上がるところである。
人間がその意識をもって、認識を求めてあがくのも、
精神と物質の間の、
「たましい」という中間領域のことである。
そして、人間の人生も、
人と人の間で展開していく。
そんなとき、地名としてしか知らなかった「入間」という名が、
ボクが目指す生き方を示唆しているように思えたのだ。

次は、「風韻坊」について書くことにする。

筑紫哲也氏の追悼番組を見て

2008-11-12 00:33:51 | 雑感
きょうは、幼稚園で役員会と
ライアーコンサートがあり、その後、移動して
夜、鹿児島に帰ってきた。
つくばから来てくれた人たちのライアーの音色が、
久々に幼稚園のホールに響いたことで、
何となく温かい、うれしい気持ちにはなったのだが、
今日はそれとはべつに、なぜかひどく虚しい気持ちがつきまとっている。

このところ、毎日向き合うようにしている
「アントロポゾフィー指導原理」も、
新幹線のなかや、空港のラウンジで訳そうとしてみても、
なぜか心に伝わってこない。
というか、晩年のシュタイナーの寂しさや孤独感のようなものだけが
感じられてしまって、
ボク自身がそこから力づけを得ることはなかった。

最近、ボクは
アントロポゾフィーは、
それによって救われるものではないと思っている。
ボク自身が、アントロポゾフィーに力を注ぎ込み、
それを生きたものにしていかなければならない。
そんなふうに思うのだ。

そして、鹿児島の家に戻って、この番組を見た。
11月7日に亡くなった筑紫さん。
彼の生前の優れた仕事ぶりや、
戦後への思い、人間的な素晴らしさも改めて感じたけれど、
「またひとり、逝ってしまった」と思う。
なんでこの世界が必要としている人たちが
次々にあちら側に行ってしまうのだろうか。

筑紫さんは最後の多事争論で、
「この国はガンにかかっている」と言った。
地上に取り残されたボクたちは、
どうやってこの病んだ社会に向き合っていけばいいのだろうか。

アントロポゾフィー医学では、
ガンは「冷たい病気」だという。
感覚的にいえば、
「社会のガン」に対して戦うには、
一人ひとりの「熱」が重要なのではないかと思う。
ボクの無気力も虚しさも、
心の冷えにつながっていく。

筑紫さんは「負けちゃいけないんだ」と言っていたという。
勝ち負けじゃないということもできるが、
やはり「勝ち負け」はあると思う。
ボクたちは誰に対して、何に対して戦っているのか。
たぶん、それは均質化とか、個性を無化するような作用、
ボクは以前「個の不在」といったこともあるが、
そういう作用に対してだと思う。
一人ひとりの心の熱を冷やし、
人間の力を果てしなく無力に感じさせて、
生きる意味を見失わせるような作用。
それが今、世界中を覆いつつある。

心が冷えきったとき、
個に根ざしていない集団の感情、
集団の熱情が憑依したりする。
でもそれもまた一種の「熱」だから、
臆した心や、無気力な心は
次々にのみ込まれていく。
そうやって戦争のような極端な状態が引き起こされる。
「個の不在」の行き着く先は戦争なのだ、
とボクは思っている。
そして、シュタイナーは虚しくも
「個の不在」に対して戦いつづけたのだと。

「アントロポゾフィー指導原理」は、
本当に、シュタイナーが最後の一年間につづった
遺言なのだと思う。
シュタイナーは、
ボクたち一人ひとりの「個の参加」を呼びかけた。
アントロポゾフィーは、
ボクたちがそこに熱を注ぎ込んだとき、
シュタイナーとの、そして人類との共同作業として、
具体的な力を帯びてくる。

でも自分のなかに何の熱も感じられなくなったとき、
どこから力を汲みだせばよいのか?
アントロポゾフィーは救いにはならない。
アントロポゾフィーはただ、
力の源泉は自分のなかにしかないことを告げるだけだ。
自分のなかにわずかにでも残っている感情や感覚、
悔しさとか切なさとか、見果てぬ夢とか、
そういったものを何とか探し出して、
そこからわずかにでも「熱」を取り出してくるしかない。
でも、そんなふうにもがきながら、
アントロポゾフィーに向き合うと、
自分自身が語り始める。
思いもかけないことが見えてきたりする。

要は、自分を信じるしかないのだ。

デンマークで思ったこと

2008-11-04 23:49:14 | 雑感
コペンハーゲン郊外の海岸近くに
「盆栽」という名の幼稚園があって、
そこに5日間、ホテルからバスで通いました。
朝、バスから降りると、いつもきれいな海がみえて、
これはそのときの写真です。

デンマークでは、IASWECEといって、
世界28カ国のヴァルドルフ幼稚園の代表者が集う会議があり、
ボクは「日本シュタイナー幼児教育協会」を代表して参加していました。

世界のシュタイナー教育も一つのターニングポイントを迎えていると思います。
南米、東欧、中東、アフリカ、アジア・太平洋圏など、
ドイツとは異なる文化をもった国々で、
改めて「ヴァルドルフ幼稚園って何?」という問い直しが始まっています。

ドイツの森に棲むグノームから、イギリスの妖精たち、
フィンランドのムーミンや、
日本の妖怪や、キツネやタヌキや、
月のうえのウサギたちが、
「子ども」という普遍的な存在のまわりに集まって、
ボクたちが新しい何かを見つけだすのを待っている。
そんな感じがするのです。

数年前、スイスの有名な生物学者を訪ねたとき、
その秘書の女性が、
自分の娘はシュタイナー幼稚園に通っていたけれど、
やめてしまったという話をしてくれました。
娘さんはディズニーが大好きで、
ミッキーマウスのキャラクターがプリントされた服を着ていたら、
先生から母親に
「商業主義を幼稚園に持ち込まないでください」と言われたそうです。
その堅苦しさや厳しさが不自由に感じられて、
お母さんは幼稚園を変えてしまった。
実際の事情がどうだったかはわからないけれど、
ミッキーマウスに罪はないよね、と思いました。

シュタイナー幼稚園が本当に大切にしているもの、
絶対に譲れないところって何だろう。
たぶん、それは「ことば」にかかわるところじゃないかな、と
最近のボクは思っています。

マジパン・チョコレート

2008-11-03 22:43:09 | 雑感
ボクがドイツで一番好きなチョコレートです。
中にマジパン(アーモンドの練粉)が入っています。
リッターシュポート(騎士のスポーツ?)というシリーズで、
いろんな種類があるのですが、なかでもボクはこのマジパンのが好きです。
仕事の合間とか、「気つけ」に食べることが多いです。
ドイツでは、駅とか空港とか、どこでも見かけるお菓子です。

今回の旅行では、デンマークとスイスに行きました。
スイス滞在中に、このチョコレートを買おうと思ったのですが、
結構探すのに苦労しました。
スイスには高級なチョコレートがたくさんあって、
ホテルで「この辺にリッターシュポートを売っていそうな店はありますか?」
と聞いたら、
「私たちのチョコレートではダメなんですか?」と言われてしまいました。
結局、Coopで見つけることができました。