風韻坊ブログ

アントロポゾフィーから子ども時代の原点へ。

共産党の信念について

2017-10-23 07:47:37 | 雑感
今回の衆院選で共産党が半数近く議席を減らしたという事実に震撼させられている。

立憲民主党が野党第一党になったことは、私たちにとってぎりぎりの希望だけれど、その一方で共産党が議案提出権を失うことになると思うと、大きな損失である。

今後、共産党内でも少なからぬ失望や執行部への批判が広がるのではないかと心配だ。
でも、昨日、ラジオの報道番組で小池晃書記局長が立憲民主党が躍進することを「率直にうれしい」と述べているのを聞いて、ぼくはそこに強くて高貴な信念を感じた。

共産党が選挙協力のために、もともと小選挙区で擁立していた64人もの候補者を取り下げたことは、たとえそれがどのような「建前」のもとであろうと、並大抵のことではない。今、共産党の人たちが感じている痛みは、外部の人間には計り知れないだろう。

彼らにそれだけのことができたのは、彼らの思想(おそらくマルクス主義)があったからだろうと思う。職場の同僚は「共産党って一種の宗教ですよね」と言ったが(マルクスが「宗教は阿片だ」と言ったことを思うと皮肉だが)、ぼくはむしろ「信念」という言葉を使いたい。

ぼくは唯物論者ではないので、共産党の人たちとは考え方は違うが、彼らが信念を貫いたことを本当に尊敬する。シュタイナーは幼児教育について語る中で、「幼い子どもたちにとって何よりも大事なのは、身近な大人たちの信念である。それは唯物論でも構わない。一つの信念を貫く大人の姿が、子どもたちを支えるのだ」というようなことを述べているが、今回の選挙は、そのような大人たちの信念を浮き彫りにしたと思う。

今回の選挙結果は、多くの人々を絶望させた。「国民はファシズムを選んだ」という言葉も目にしたが、実際にそのように言われても仕方がない状況である。だが、ぼくがぎりぎりの希望を見るのは、枝野氏や立憲民主党の人々が「理念」を掲げて戦っていることである。
今の野党と市民の協力は、何よりも「理念」における共闘なのだと思う。そして、そのような大人たちの姿が、どんな教育政策よりも、子どもたちを内側から支えるのだ。

ぼくは個人的には、共産党は名前を変えなくてもいいと思う。むしろ、彼らの名前、彼らの思想が今回の「大局を見据えた決断」を可能にした。今は、共産党は議席を大幅に減らしたが、それは日本の民主主義という共通の土壌を救うための価値ある犠牲であり、共産党自身が今後の日本においてさらに発言し、社会形成に大きく寄与することにつながると思う。

そして、日本の幼児教育に連なる一人として、ぼくは今回、共産党が貫いた信念は何よりも日本の子どもたちを救ったのだということを書いておきたい。