小学校高学年のときの事である。使っていた国語の参考書に穏やかな白い砂浜と青い空の写真が載っていた。撮影場所は与論島との記述があり、おそらく私がこの島の名前を初めて知ったのはこのときのことだろうと思う。
7年前の5月22日、私は嫁と那覇から鹿児島行きのフェリーに乗船していた。前日、沖縄本島を自分たちのバイクで走り、その日は那覇以北の南西諸島に立ち寄りながら奄美大島で下船予定であった。
しかし、梅雨入り直後のこの季節、沖縄本島の本部港を出た後天候は強風と高波で荒れ、上陸できなくても遠巻きに見るのを楽しみにしていた与論島の海岸は荒波のため穏やかな風景ではなかった。結局3度の試みにもかかわらず船は接岸できなかった。その後、沖永良部島へ着く頃には天気も回復し徳之島を経由し奄美大島での3日間は晴れっぱなしだったのである。
このGW、久々に南西諸島に行ってみようということになり計画を練りだしたのは3月上旬のことであった。しかし、この地域、かなりガイドブックで探したが詳しく掲載している物は全くなかった。殆どが鹿児島の離島という内容で屋久島・種子島・奄美大島がメイン。それ以外の島は多くて5ページ程度。与論に至ってはせいぜい見開き2ページ程度のものが殆どだった。また沖縄・奄美をまとめたものでも同様でネットで探してもあまり情報は得られなかった。
しかし飛行機の割引をおさえ更に宿泊施設を格安で見つけた。
そして5月2日自宅を車で5:45発、新青梅街道・環八・首都高経由で羽田へと向かったのである。
7年前の5月22日、私は嫁と那覇から鹿児島行きのフェリーに乗船していた。前日、沖縄本島を自分たちのバイクで走り、その日は那覇以北の南西諸島に立ち寄りながら奄美大島で下船予定であった。
しかし、梅雨入り直後のこの季節、沖縄本島の本部港を出た後天候は強風と高波で荒れ、上陸できなくても遠巻きに見るのを楽しみにしていた与論島の海岸は荒波のため穏やかな風景ではなかった。結局3度の試みにもかかわらず船は接岸できなかった。その後、沖永良部島へ着く頃には天気も回復し徳之島を経由し奄美大島での3日間は晴れっぱなしだったのである。
このGW、久々に南西諸島に行ってみようということになり計画を練りだしたのは3月上旬のことであった。しかし、この地域、かなりガイドブックで探したが詳しく掲載している物は全くなかった。殆どが鹿児島の離島という内容で屋久島・種子島・奄美大島がメイン。それ以外の島は多くて5ページ程度。与論に至ってはせいぜい見開き2ページ程度のものが殆どだった。また沖縄・奄美をまとめたものでも同様でネットで探してもあまり情報は得られなかった。
しかし飛行機の割引をおさえ更に宿泊施設を格安で見つけた。
そして5月2日自宅を車で5:45発、新青梅街道・環八・首都高経由で羽田へと向かったのである。