私の祖父は商人だった。戦前・戦中・戦後商いのため日本中を旅して回っていたそうである。面白いことで私も各地を旅した際、幼少の頃その祖父がお土産に買ってきたものを意外な場所で見つけ驚くことがよくある。
先週末の土曜、ちょっとした嫁の用向きで車で埼玉の日高市へ出かけた。事が済んだのが13時30分。若干寒いが天気も良いしこのまま家に帰るのは勿体ない。コンビニで埼玉のるるぶを立ち読みして越生梅林に行くことにした。
毛呂山町から単線のJR八高線沿いに走る。何とものどかな風景に感激しつつも越生市内に入る。道路脇右側に立つ看板を見て驚いた。"一里飴本舗"と書かれていた。
私が育ったのは南東北の養蚕(ようさん)が盛んな過疎の町である。幼い頃、腹が減って祖母に何かせがむとこの一里飴がよく出された。日常的に我が家にはこの飴があったため、地元のものとばかり思っていた。しかし、いつのまにか我が家ではこの飴を見かけなくなった。それ程好きなものでも無かったためこの看板を見つけるまで記憶の隅に追いやってしまっていた。

この土地がこの”一里飴”の名物であるとすれば当然祖父がここを訪れているということになる。ある推測を立てた。あたりの風景には桑畑はなさげだが、この越生近辺は養蚕が盛んだったのではと考えた。そのため絹織物業が当然のように栄え、その取引先がこの越生にあり、私の爺さんが出張で来るたびにこの”一里飴”を土産に買って帰ったに違いない。と考えた。
ともかくこの懐かしい飴を買おうと駅前の店に入った。何と飴は私の幼い頃の記憶のパッケージそのままで缶入りのものまでそのままだった。店主に訊いてみたところやはり越生は養蚕が盛んな土地であり、昔ほどではないにせよ今でもわずかに養蚕・織物業が残っているとのこと。思えば我が家で”一里飴”を見かけなくなった30年程前が衰退期のはじまりだったとのことであった。ちなみにネーミングの由来は一粒口に入れれば一里歩くのに要する時間は楽しめるという意味で一里飴というネーミングらしい。グリコの一粒300メートルの元祖といったところだろうか。またパッケージのデザインは私の記憶通り昔から何の変化もなく現在に至っているとのこと。一袋は我が家用に、また一缶は実家へ発送した。


日曜日、実家の母から電話があった。本当に懐かしい飴を贈ってもらってありがとうとのことであった。予想通り祖父は越生に行くたびにこの”一里飴”を土産にしていたそうだ。祖父の旅のルートは国鉄八高線沿いに高崎・越生・八王子、更に中央本線で長野の諏訪方面と絹織物業が盛んだった土地を回るのが普通だったそうだ。
先週末の土曜、ちょっとした嫁の用向きで車で埼玉の日高市へ出かけた。事が済んだのが13時30分。若干寒いが天気も良いしこのまま家に帰るのは勿体ない。コンビニで埼玉のるるぶを立ち読みして越生梅林に行くことにした。
毛呂山町から単線のJR八高線沿いに走る。何とものどかな風景に感激しつつも越生市内に入る。道路脇右側に立つ看板を見て驚いた。"一里飴本舗"と書かれていた。
私が育ったのは南東北の養蚕(ようさん)が盛んな過疎の町である。幼い頃、腹が減って祖母に何かせがむとこの一里飴がよく出された。日常的に我が家にはこの飴があったため、地元のものとばかり思っていた。しかし、いつのまにか我が家ではこの飴を見かけなくなった。それ程好きなものでも無かったためこの看板を見つけるまで記憶の隅に追いやってしまっていた。

この土地がこの”一里飴”の名物であるとすれば当然祖父がここを訪れているということになる。ある推測を立てた。あたりの風景には桑畑はなさげだが、この越生近辺は養蚕が盛んだったのではと考えた。そのため絹織物業が当然のように栄え、その取引先がこの越生にあり、私の爺さんが出張で来るたびにこの”一里飴”を土産に買って帰ったに違いない。と考えた。
ともかくこの懐かしい飴を買おうと駅前の店に入った。何と飴は私の幼い頃の記憶のパッケージそのままで缶入りのものまでそのままだった。店主に訊いてみたところやはり越生は養蚕が盛んな土地であり、昔ほどではないにせよ今でもわずかに養蚕・織物業が残っているとのこと。思えば我が家で”一里飴”を見かけなくなった30年程前が衰退期のはじまりだったとのことであった。ちなみにネーミングの由来は一粒口に入れれば一里歩くのに要する時間は楽しめるという意味で一里飴というネーミングらしい。グリコの一粒300メートルの元祖といったところだろうか。またパッケージのデザインは私の記憶通り昔から何の変化もなく現在に至っているとのこと。一袋は我が家用に、また一缶は実家へ発送した。


日曜日、実家の母から電話があった。本当に懐かしい飴を贈ってもらってありがとうとのことであった。予想通り祖父は越生に行くたびにこの”一里飴”を土産にしていたそうだ。祖父の旅のルートは国鉄八高線沿いに高崎・越生・八王子、更に中央本線で長野の諏訪方面と絹織物業が盛んだった土地を回るのが普通だったそうだ。