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Natural Mystic ~ナチュラルミスティック~

There's a natural mystic blowing through the air

国立天文台

2006-04-23 23:30:12 | 
BS放送が普及したため、パラボラアンテナは珍しくなくなってしまったが、私の幼少の頃はウルトラマンや宇宙戦艦ヤマト等で画面を通してしか見ることがない存在自体が珍しい代物であった。

またBSが開始されても上記に出てくるような巨大な代物を見る機会など全くなかった。

韮崎を後にし清里方面へ車を走らす。20年近い昔の記憶ではこの辺りにその巨大パラボラアンテナが数多く設置される国立天文台があったと思ったからである。

コンビニの情報誌で野辺山高原に存在することを確認し到着。この野辺山宇宙電波観測所は名前の通り、宇宙のガスや塵が放出する電波を観測し天体の研究に役立てている国立の研究施設である。直径80cm~45mまでのパラボラアンテナが約100機あり、ブラックホールの発見や原始惑星系の発見と世界的な研究成果をあげているらしい。



無料にもかかわらず見学者はほとんどいなかったためゆっくり廻れた。守衛のおじさん方も暇らしく、色々説明してくれた。意外だったのはこのパラボラの寿命である。45mの巨大なものに貼られたパネルは5年で駄目になり、使わない夏場に大規模な修復をかけるとのことであった。また八ヶ岳直下の雪の多い地域、雪が積もったらどうなるのかを訊いてみたところ、単純に観測が出来なくなるため垂直に立てて付かないようにするらしい。他にも色々訊こうとしたが、あまりにもおじさん方の語る話の内容のスケールがでかすぎるため、圧倒される一方だった。

夢のない話になってしまうが、なんでもこの施設建設時の総工費は100億円だそうだ。単純に国民1人当たり100円の換算である。天文学的数字を期待したが高いのか安いのかよく分からない金額であった(笑)

新府城跡 ~桃源郷~

2006-04-22 23:59:39 | 
今朝、家の窓から雪に覆われた富士山が見えた。今日は一日快晴の予報である。

丁度10年前のこの時期、雪を被った南アルプス・八ヶ岳連峰をバックに桃の花・菜の花が咲く"桃源郷"と呼ばれる場所があると聞き行ったことがあった。しかし、その年の開花は例年より遅く、桜さえ咲いていなかった。

インターネットにより当たり前のように情報が引き出せる現在、2週間前からその場所の開花情報をチェックしていて、今週末が見頃との情報を得た。

中央道をぶっ飛ばすこと2時間、山梨県韮崎市の新府城跡に着いた。広い山頂の公園からは10年前とは違い、南アルプスをバックに山桜が見頃だった。公園には数える程しか人がいなく春の温かな日差しの下のんびり昼食を取った。

昼食後、公園の端の高台で八ヶ岳連峰を背景に眼下に広がる桃畑の油絵を描いているオッサンがいたので何となく話し込んだ。オッサン曰く、まさに今が見頃で、今年はそれでも例年より1週間以上、開花が遅れているとのことだった。オッサンは親切に菜の花がきれいに見える場所を教えてくれた。そんな話をしていると突然、オッサンの横で我が倅共は、
「電車!電車!」
と連呼する。しかし、眼下に広がる風景には電車はおろか線路さえ見あたらない。不審に思い、なにげにオッサンの油絵に目をやると電車に見えないこともない果樹園の倉庫が描かれていた。それまで気さくに話していたオッサンが無口になったのは言うまでもない...。



その後、新府城跡の隣に広がる桃畑を散策。南アルプスや八ヶ岳連峰をバックに桃の花・菜の花そして足下にはタンポポが咲き、まさに見頃だった。



10年越しのリベンジとなった今回の韮崎、桃源郷と呼ばれるだけのことはあり、のどかでのんびり出来る楽しいものであった。

鯉のぼり

2006-04-12 23:06:31 | 
ちらほら鯉のぼりがあちこちであげられ始めている。
幼い頃、この季節になると私の実家でも父親があげてくれた。実家の鯉のぼりは兄の頃からのお下がりであったため昭和30年代の木綿製の大きなセットであった。

小学校に入学して間もなく、仲良くなった級友が自慢気にこういった。
「おれんちの鯉のぼりは凄いんだ。黄金太郎鯉なんだ。見に来い!」

『黄金太郎鯉』それは当時CMでも流された鯉のぼりの商品名であり、メインとなる真鯉が文字通り黒ではなく金色で装飾され一番大きいセットの真鯉は7mの巨体を誇る金色鯉のぼりであった。低学年のガキ共にはテレビに流される物が級友の家にあると言うこと自体が物凄いニュースである。学校が終わった風の強い午後、みんなで連れだって見に行った。


【太郎黄金鯉フルセット・これは名古屋の企業のものであるが、私の幼い頃には黄金太郎鯉というのがあった。それはCMを流すだけあって東レの製品だったらしい】

ところが、である。強風に煽られさぞ見事に泳いでいると思われたその黄金太郎鯉、煽られすぎて肝心の真鯉の紐が解け、水を入れ代掻きを終えたばかりの田んぼに墜落していた。

我々を従え、意気揚々と案内した級友はその場所で自慢のキンピカの鯉のぼりが田んぼで泳いでいるという惨状を目の当たりにし、泣きながら自分のジーさんを呼びに行った。数分後、ゴム長靴を履いた級友のジーさんは泥まみれになった7mの巨体を誇る黄金太郎鯉を引きずり田んぼから救出した。

幸いこの黄金太郎鯉、ナイロン地であったため翌日は金の鱗を光らせ見事に風に泳いでいた。しかし、よく見ると口元の白い部分が一緒に翻る他のモノとは明らかに違い、薄い泥が染み込んだような気の毒な色に変化していた。

珍しい物を手に入れたからと言って見せびらかすモノではないと子供心に学んだ出来事であった。



9日の日曜日、春の時期に5,000匹以上の鯉のぼりを掲げギネスブックにも登録しているという。群馬県館林市に向かった。

自宅から車で3時間ほどで館林市内に入る。丁度昼時だったため、食事を済ませようと人出の多い鯉のぼりの会場は避け、県立つつじヶ丘公園に行く。最盛期ではないがあちこちでつつじが咲き、芝生や池もきれいで気持ちの良い場所だった。乗ることはなかったが渡し船もありのんびりするには良い場所かもしれない。

その後、目標となる館林市役所へ移動。無料駐車場はかなり混雑していたが難なく止められた。市役所横の鶴生田(つるうだ)川を渡すかたちで鯉のぼりが何列もそよいでいた。川岸の桜並木も丁度見頃でまた菜の花もそれに色を添えまさに圧巻であった。



近隣の住人から使わなくなった鯉のぼりの提供を募り、毎年この時期にそよがせ観光の目玉にしているとの話だった。意識して『黄金太郎鯉』を探してみたが残念ながら数が多すぎるため見た限りではそれらしいモノはなかった。

真・林道にまつわる噂話  そして伝説へ

2006-04-01 23:54:10 | 
(昨日の続き)おそるおそる状況を確認すると倒れた私の左脚は完全にバイクの下敷きになり、自由な右足を抜こうにも荷台に積んだフルパッキングの荷物がじゃまで足が抜けない。やむなく右手のみで荷台に手を伸ばし、バインドをはずし、荷物をバイクから離した。そして右足を地面に付けバイクを持ち上げ左足を抜いた。バイクを起こし、とりあえず自分の体の各部位をひねってみたが幸い怪我はなかった。エンジンもかかったがフロント部のライトガードが見事に左を向き、ハンドルが切れなくなっていた。やむなくハンドルを無理矢理たたきつけてライトガードの位置を修正した。その後、荷物を積み直し、スタート。このときかなり慌てた。何と左足下にあるシフトレバーがエンジンの下に潜り込みシフトアップが出来なくなっていた。バイクから降りおそるおそる、外側へ引き出す。万一ここで折れたら走行不能である。幸いにしてどうにかなった。

その後気を取り直し林道を進み、国道へ出たときは大げさだが九死に一生を得た気分だった。


【デュアルライトの右・右上に白いハンドルガードが確認できると思う。本来このデュアルライトはこのハンドルガードに平行な位置になければならない。大きく左に拉げているのがお分かりになると思う】

18:00、足寄まで走り閉店間際のガソリンスタンドでおばさんにバイクの態を訊かれて経緯を話すとおばさんは言った。
「あんた、運が良かったねぇ。エゾシカは光に向かってくる習性があるからこの明るいライトに向かってきたんだよ。鹿は見栄はって逃げたようだけどおそらく今頃動けなくなってクマの餌だよ。もし、あんたが足の骨でも折ってたらあんたもクマの餌だったかもしれないねぇ。」

夕暮れの国道をひたすらぶっ飛ばす。先ほどの転倒でライトのビームは路面を照らさずに左斜め上に延びていた。それでも35W×2のデュアルライトの光量は走るのには十分であった。

その日はオンネトー泊。近くの野中温泉に風呂を借りに行くと、秋田と東京の女性ライダーに声をかけられた。やはりひしゃげたライトガードは目立つらしい。

経緯を話すとやはり相当なショックを受けていた。その後、歌登・札幌・函館、そして大間に渡り東北縦断で帰京となった。この途中各地でバイクの原因を聞かれ、同じように経緯を話した。

この話題がライダーのハイシーズンとなる8月を中心に各地に広がり、一年経って私の耳に入ってきたというわけである。事実の口コミによる一人歩きというモノを実感した。

その後、3年の間で聞いた噂では「羆と激突したライダー説」「事実はキタキツネを轢いたのにエゾシカや羆になっているらしい説」「林道の出口付近で拉げたバイクが見つかりライダーは行方不明説」と様々な噂まで発展していた。流石に昨年5年ぶりに行った夏の北海道、この手の噂は全く耳にしなかった。

そんな噂に必ず共通するのは道東スーパー林道・関東の男性ライダー・動物ぶつかったというキーワードである。

真・林道にまつわる噂話

2006-03-31 23:54:55 | 
その噂の前年の夏1996年7月、私は道東スーパー林道を攻めた。曇りがちのその日、十勝・浦幌町の秘湯留真(るしん)温泉側から、林道のゲート横をすり抜けて進入した。時刻は14時をまわった頃だった。ゲートの横には数多くのバイクの轍があり、また林道を進むと反対側から1台バイクが来た。情報を求めると出口となる白糠側からゲート横を抜けて入ってきたとのこと。安心して80kmの林道を攻めることにした。

しかし、この林道、長いばかりで景色の眺望もなく、たまにエゾシカ・テン・キタキツネに出会うぐらいで面白いことはあまりない。しかし、数ある分岐にはしっかり『←道東スーパー林道→』の立て札が出ており、迷う心配もなかった。


【道東スーパー林道入り口付近にて・林道のあちこちでこのようなエゾシカやキタキツネ等の動物に出会った】

1時間ほど走ったときのこと、橋を渡り坂を登る途中で十字路に差し掛かった。交差点の土手の上部に道標が立っていて右側を指していた。当然のように土手の上部に直進する。そのまま15分ほど進むとまたもや橋を渡って坂になった。しかもその途中には十字路があり道標も先ほどと同じ位置にあり右側を指していた。深い山の中、見通しも利かず私はてっきり、堂々巡りで先ほどの場所へ戻ってきたと思いこみ、今度は土手の下部に進んだ。しばらく進むと右手に川が現れ、その先でラワン蕗の収穫をしてトラックに積み込んでいる高齢の夫婦の出会った。かなり山深い場所での人との遭遇という安心感、また道に対する不安もあったため声をかける。
「この先、国道に出れますか?」
私のこの問いに男性は言った。
「ちょっと進めばゲートがあるけど出れはずだよ。」
この言葉に安心してしばらく進むと教えられたようにゲートが見えてきた。この長かった林道もこれで終わりであると安堵感を味わいつつも近づいて一瞬我が目を疑った。ゲートはチェーンを巻かれていて南京錠でしっかり止めてあった。いろいろ調べたがどうやっても開かなかった。ゲートの両側はあろう事か深い側溝のためバイクでも抜け出るのは不可能だった。

やむなく来た道を引き返す。先ほどラワン蕗の収穫をしていた夫婦は既にいなかった。かなり焦る。間違えたと思われる分岐まで引き返す。そのまま正しいと思われるルート進もうかと思ったが堂々巡りだとやっかいと思い直し、コンパスを取り出し方角をチェックした。その後、一番最初の坂の途中の十字路まで戻った。

確かに景色はそっくりだったがコンパスの度数が違っていた。安心して再び進み始めたが、今度は焦りに襲われ始めた。夕暮れには2時間以上もあるはずなのにかなり時間をロスしたような感覚に襲われる。一体自分は62kmの林道のどの辺りを走っているのか皆目見当が付かなくなっていた。そんな状況に追い打ちをかけるように薄い霧が漂い始めた。不安も絶頂に達したときである。カーブを曲がると突然物凄い衝撃に襲われ転倒した。気づくと目の前に鹿が倒れていた。一瞬の後、その鹿は突然立ち上がり左の林の奥へ消えていった。

続々・林道にまつわる噂話

2006-03-30 23:59:24 | 
北海道・オンネトーのキャンプ場で一緒になった京都から来たバイク乗りの話。

彼の語り出しには噂話にしてはまだ鮮度があり、一緒に聞いていた他のライダーには妙な雰囲気が漂った。
「去年、僕が北海道に来たとき、美深のキャンプ場で聞いた話なんだけど、去年、道東スーパー林道で鹿とぶつかった事故にあったライダーがいるらしいんだ...。」
東京から来たというそのライダーは夕方全長約62kmあり、支線を合わせれば200kmを超えるという道東スーパー林道に単独で入ったそうだ。この林道、迷い込むとガス欠の心配をしなければならないほど分岐が多く、全ての枝葉の道を合わせれば300kmは優に超えると言われている。



しかし入った時間は午後3時過ぎ、あろうことか途中、道に迷い雨が降り出したらしい。夕暮れ焦り始めたライダーはカーブを曲がった瞬間、突然鹿にぶつかったそうだ。転倒時にバイクが故障したためすっかり暗くなった林道をバイクを押してライダーはひたすら出口を探して何キロも歩いたそうだ。途中、夜行性のヒグマに出くわしたがクマの方も驚き、向こうから逃げていった。朝になってようやく林道から国道に出たときはすっかり体力を消耗して国道沿いに倒れていたとの話。

この話をい聞いて私は次のように話した。

「そのライダーってのは確かホンダのBAJA(バイクの名前)に乗ってたんだよね?京都のライダーは言った。
「確かそんな話でしたね。何でもライトガードがかなりひしゃげていたらしくてハンドルを切るのも大変だったって聞きました。」
と語っていた。

この嘘くさい話、ある意味本当である。

何を隠そう、この鹿にぶつかったライダーは私自身である。しかし、これに夥しい噂のヒレが付いていたのである。

まさか、私が走った前年7月下旬の事故がその年北海道を走るツアラーの中で語り継がれ、翌年形を変えて私の耳に入ろうとは思わなかった...。

ある意味、伝説を残したのだろうか?

詳しくは後日。

続・林道にまつわる噂話

2006-03-28 23:35:20 | 
これは雑誌アウトライダーの記事から出た噂であるが富良野方面から狩勝峠・新得を経由せずにトムラウシ温泉に抜ける林道があるという噂である。その雑誌でもその噂を確かめるため、いろいろ情報を集めてみたがでまかせであるという結びであった。しかし、これを読んだ一部の人間は危険なため林道の存在を隠しているモノと思いこみ、その存在を探しているというモノである。


【地図中心点がトムラウシ温泉・西南西が富良野・南が新得となる。新得~富良野間には大雪連邦を越える狩勝峠(644m)があるのみ。主峰十勝岳に阻まれている。】

聞いた噂話では、営林署が持つ地図には記載されている。とか林野庁が地図を管理していて外へは出ないとか言われている。
また実際に探しに行ったという人物にもお目にかかることもあった。しかし、ルートを探している内に熊にあったため退散したとか、行ってみたら倒木や川で道が塞がれていたとか様々な話は聞いたがどれも林道を抜けきったという話はなく、結局は不明なモノばかりである。

第一、今の時代北海道の林道ごときをわざわざ国家が隠す必要はあるのだろうか?よく考えればそんなにやばい林道ならどうやっても入れないようにしっかりしたゲートがあるはずである。また本気で疑うのならまず初めに国内で発行されているモノの中では一番詳しいとされる国土地理院発行の1/25000の地形図を見て林道に当たりを付けるべきである。

昨夏、幌尻岳を登るに当たり、1/25000の地形図を購入する際、暇に任せて調べたことがあった。結果、南大雪を突っ切る国道はあれど林道は何処にも見あたらなかった。国家がこの林道を隠蔽していない限り全くのガセ話である(笑)。

林道にまつわるうわさ話

2006-03-27 23:39:47 | 
林道ネタが出たのでついでに。バイクを初めて早19年、日本各地様々な林道を走った。そんな旅の最中にオフバイク乗りの中で何度か訊いた噂がある。

北海道の林道ゲートの鍵は実は三種類しかない。三種類とは道北・道南・道東の3エリアのそれぞれの鍵と言うことだ。だからどれか一つのエリアの鍵を手に入れればそれでそのエリア全ての林道の鍵は開くとのことである。これを初めに訊いたのは石垣島・米原キャンプ場で知り合った長期滞在者からだった。その後、岐阜・郡上八幡のユース、島根・出雲のキャンプ場等々で耳にした。しかし、どれも個人所有ではなく営林署の管理のモノだった。

しかし、この鍵の話はおそらく全くの出任せであると考えられる。というのは次のような事があった。10年程前、道南の支笏湖畔の8km程度の林道に入ったときのことである。朝の比較的早い時間、落石等で通行止めが多いこの林道に行ってみるとたまたまゲートの鍵が開いていた。しばらく進むと工事作業の人たちがいた。通行の可否を訊いてみると、
「別に良いんじゃないの?何があっても俺達は知らないけど...。」
とあっさりした回答だった。林道終点部のチェーンは開いているのか確認するとそのオッサンは仲間を呼びこういった。
「あっちの鍵ってどうなってんだっけ?」
訊かれた別のオッサンはこういった。
「こっちのと違うから昨日、あっちに渡してあるよ。向こう側でも朝から作業しているから大丈夫なはずだよ。」
という回答だった。もし閉まっていたら夕方までここで作業しているから戻ってくればいいと言われ林道を進んだ。
この会話から察すると1本の林道の入口と出口の鍵は違うことになる。この出来事からもやはり3種類の鍵という話は胡散臭くなる。

ところが、昨年夏の北海道からの帰りのフェリーでとんでもない話を聞いた。その噂の3本の鍵のマスターキーがあるとのこと。つまりそれを手に入れれば北海道内の全ての林道の出入りが自在になる。しかもそれを語ったオッサン曰く、それが一般に流出して北海道に住む知人が持っていると言っていた。更に欲しければその鍵のコピーをあげるとオッサンは持ち主に勧められたと語っていた。普通こんなうまい話があれば手に入れないはずはない。しかしオッサンは妙な嫌疑をかけられると困るから貰わなかったと語っていた。


【写真はイメージ】

どうにも胡散臭い噂に尾ひれを付けている張本人らしい。酔っぱらっているオッサンをあまり責め立てるのもなんなんで適当に流した。しかし、その後、写真の遣り取りためこのオッサンとメールアドレスを交換した。住所の連絡を入れたついでに可能なら鍵を譲って貰って私に回してくれるように頼んでみたがそれ以来その返事は一向に来ない....。

もし、支笏湖畔の林道の鍵の出来事が例外で、本当にこんなマスターキーが実在するなら本気で欲しい物である。噂の真相はいかに...。

林道ロックアウト

2006-03-26 18:59:58 | 
有間峠を越えると秩父側の展望が少しずつ広がってきた。1,200mから一気に下るので流石に山深く感じる。相変わらず土砂が流れ込んだ舗装路を進むとあろう事か道路上に未だに雪の残った場所が数カ所あった。

【林道の雪と秩父さくら湖】

それを慎重に交わし、進むこと30分、目指していた秩父さくら湖畔までどうにか辿り着いた。長年、越えたかった峠を制覇できたのである。その後程なく通い慣れた埼甲斐街道(R140)に出た。この辺りまで来ると気温は暖かかったが峠越えでかなり体が寒くなっていた。西武秩父駅の仲見世通りでラーメンを食って温まる。その後この仲見世通りをぶらつくもあまり面白い店はなかったため帰ることにする。15:20しかし、慣れたR299ではつまらない。思い切って再度有間峠を越えることにする。

相変わらず誰にも出会うことはなく、2度目の安心感もあってかあっという間に感じられる峠越えであった。急坂を延々と下り終え、鎖が切れていた場所について唖然とする。何と切れていたチェーンがしっかりと繋がれ、それより先に進む事が出来なくなっていた。時刻は16:30、また引き返せばどうにか日没までには秩父へ戻れる。かなり焦ったが冷静になるとどう考えてもおかしい。私が始めにこの林道に入ったのはたった2時間半程度前、しかも林道途中では昼にもかかわらず作業車は見なかった。例え午前中に切れているのを発見したとしても土曜日の午後に林道管理組合がチェーンをわざわざ修理に来るのか。また普通切れているのが分かったらその時点で中へ入れないように何らかの対策はするはずだ。だとすれば非常に運が悪い。よくよくチェーンを見る。確かに錠前はあのときのままである。それでは何故、やはりどう考えてもおかしい。



疑いながら丁寧にチェーンを見ると出る方法を見つけた。何と、切れていたと思っていたチェーンの元のネジをひねれば外れるようになっていた。
どうにか無事に林道から抜けれたため湖畔で休憩。しかし、一体誰があのチェーンを閉めたのか...。疑問は残ったが無事家路についた。


【夕暮れ前の名栗湖】

有間峠(1142m)

2006-03-25 23:59:20 | 
ちょっと見難いが下記の地図を見て欲しい。中心部の印の左右の道が切れているのが分かると思う。これは埼玉県南部、東京都と隣接する、秩父・名栗近辺の地図である。地図の南側に延びる電車(青梅線)の終点地はJR奥多摩駅となる。


【更に詳しい地図はここをクリック】

今まで何度とはなくツーリングで行った地域であるが奥多摩から秩父側へは東京都最高峰の雲取山が塞ぐため車両でパスできる道は今の所ない。
しかし、地図上の中心部の印の左右の道の辺りには実は数本の林道が延びているのだ。実際、中心の右下の名栗湖からは中心左上の秩父さくら湖(浦山ダム)まで県道73号がある。にもかかわらず地図では通行止めの表示がでかでかと書かれていて数年前に行ったときも名栗湖の奥にポールが降りていたため通行が出来なかった。

ところが先日、秩父・奥多摩一帯の山岳地図を見ていた際、名栗湖の南側からかなり大回りではあるが奥多摩の山域の北側を走り、秩父さくら湖へ抜ける林道を見つけた。当然のように進入不可のゲートマークの記載もなかった。

今日の午後、時間が空いたので早速、バイクで行ってみた。山岳地図でマーキングした場所へ行ってみる。嬉しいことに未舗装、しかもそこそこがれたいた。喜び勇んで進むもがっかりした。わずか200m程でチェーン封鎖。どうやっても先には進めなかった。諦め引き返す。しかし折角ここまで来たのだからと気を取り直し名栗湖に向かう。数年ぶりの景色を眺めながらダムの入り口まで行って不思議に思った。以前掲示されていた"一般車両通行禁止"の看板が消えていた。更に進むとやはり"この先通行止め"の看板が出現した。



行けるところまで行って引き返そうと思い更に進む。しかし、その先に見えた景色に唖然とした。何と封鎖のためのチェーンが切れ落ちていた。



一瞬、戸惑ったが時間もまだ14時と日没には早いため行ってみることにする。林道とははいえ、流石に県道。しっかり舗装されていた。しかし、落石も多くしっかり路面を確かめながら進まないとハンドルを持って行かれる事もしばしばあった。きついカーブを何度も繰り返し、小さなピークをいくつか越えながら進むと当然のように標高も上がり、景色も開けてきた。


【林道から見える東京方面の眺望】

30分程この状態を繰り返しながら進むとようやく峠にさしかかった。ここへ辿り着くまでの間、快晴の土曜日なのに全く人とはすれ違っていない。



この峠が秩父・名栗を分ける有間峠(1142m)となり、その標柱も何故かしっかりしたものがビニールに巻かれて立っていた。写真中央右端が名栗湖である。近いうちにここまでのがれた土石を取り除き、一般開放するつもりなのだろうか?

城南島海浜公園

2006-03-19 23:59:23 | 
18日(土)午前中は天気がもつとの予報。起きてみれば快晴であった。前日は何も考えていなかったため何処へ行くか地図を広げ考える。秩父へ行くのも流石に4週連続では行程がまどろっこしい。2歳の子供達が飛行機の玩具を手に遊んでみるのを見て思いつく。飛行機を見にいこう!

早速地図で当たりをつけて出発。都心を突っ切るのは流石にくたびれたが2時間弱で羽田空港の北側に位置する城南島海浜公園に到着。ここは大田区・大井埠頭の隣にある埋め立て地で、南側には羽田空港が位置する。そのため飛行機の離発着が間近で見られる場所である。城南島埠頭の最深部にあり、最寄りの駅となる東京モノレールの昭和島からもかなり離れているためアクセス手段は車かバスしかない。

着いてみると公園周辺は路駐だらけだった。試しに公園内の駐車場を覗いてみると対照的にガラガラである。気になる値段は30分100円しかし、上限は800円と表示されていた。これならレッカー移動の可能性を考えた場合、中に止めた方が安心できる。

海に面した公園内は芝で覆われ、羽田に着陸待ちの日本中から飛んでくる飛行機が3分おきに着陸態勢ですぐ近くをかすめていく。


【公園の近くを着陸態勢で飛ぶ飛行機】

また東京港を利用する商船や漁船が目の前の海を行き来する。子供達は大喜びだった。昼飯をすませ、ふと思いつき、車に戻りハッチバックを開ける。以前アウトドアショップの福袋で手に入れたゲイラカイトが積みっぱなしになっていたのだ。早速取り出し、揚げて見る。予想通り海風を捕らえゲイラはあっという間に80mの凧糸を奪い遙か高見に揚がって言った。


【上部の黒い点がゲイラカイト】

手元の糸を柵に括り付けても全く落ちる気配はないためそのままにして辺りを散策。中央部では海に向かって釣り竿を振っている人々が沢山いた。訊いてみるとメバル・ハゼ・イサキ・カレイ等が釣れる場所とのこと。


【公園から見た臨海副都心(お台場)】

空模様も曇り始めたので帰ることにする。飛ばしたゲイラは30分程経っても相変わらず平気で揚がっていた。


【80mもの凧糸を巻き取って手繰り寄せたゲイラカイト】

この公園、近くに住宅街が全くないせいか殆ど自転車が入ってこない。子連れでのんびり遊ぶには非常に良い公園だった。

ねんころり

2006-03-08 23:17:06 | 
子の権現から竹寺方面への山深い坂道を下った辺りに現れだした集落はバスの終点となるところで、その本数もハイカーが増える週末はともかく平日は数える程しか来ないという所だった。一見したところ商店の類も見あたらず、住人はマイカーで飯能方面へ買い出しに行くしかないらしい。高齢者には不便な環境だと考えていたら、驚くべきものを発見した。



写真を見てお分かりになる人はある意味貴重かも知れない(笑)。生鮮食料品を販売に来るトラックである。近くに住むと思われる婆さんが買い物をしていた。

懐かしさもあって、ミカンを一袋買うついでに運転手に声をかけてみた。この集落には週2回、火・土曜日に巡回してくるそうだ。何処へ行っても馴染みの顔が出迎えてくれ、色々買ってくれるとのこと。

懐かしいと私が記述したのは実は私の幼い頃、私の田舎にもこういった移動販売が来たのだ。近所には魚屋と八百屋が一緒になったような店や肉屋もあったがこうした移動販売が入り込む余地が私が育った時代にはまだあったらしい。どこかで談合でもしているのか毎週決まってはいたが違った日に2つの業者が巡回して来たものだ。この登場の仕方がもの凄い。一方の業者は和太鼓の軽快なリズムをトラックに取り付けたスピーカーを通してテンテン鳴らしてやってくる。これはこのリズムからか我が家の主婦共も含めた近所の者共は「テンテコテンが来た!」と言って集まっていた。

それに対してかもう一方は今思い返せば信じられない凄まじさがあった。

♪に~げ~た~にょ~ぼ~にゃ、未練はな~いぃ~が~(中略)ねんこ~ろ~り~

(逃げた女房にゃ未練はないが~)

という何故か一節太郎という謎のアーティストが歌う『浪曲子守唄』をスピーカーから大音量で発しながらやってくるのだ。これが聞こえると我が家の婆さまや母親は「ねんころりが来た!」といって家の近くに停まるトラックへ買い出しに出かけたものだ。

この「ねんころり」、店の名前や素性は今となっては一切不明だが品揃えは「てんてこてん」とほぼ同じ。しかし集客力はそれよりも一段上だった。田舎の主婦共の茶飲み話では原因はよく分からぬがこの「ねんころり」の店主、曲の通り奥さんに逃げられたらしく、子供を抱え不幸せな人であるらしかった。だから売りに来たらなるべく買ってやりたいという話を耳にしたものだ。事実とすれば恐ろしい程開き直ったPR、嘘であるとしたなら人の情に漬け込む商売戦略の技である。

私が物心着いた頃にはもうこのような巡回販売は来なくなったが、あるとき母親にこの「ねんころり」の噂の真相を問うたところ、そんな噂が確かにあったが真相はよく分からないとのことだった。

まだ車も各家庭に普及していなかった30年以上昔の思い出であるが、都心から50kmにも満たない地域にこのような商売が残っていた事実を知り何故か嬉しさを感じてしまった。

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以下、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より抜粋

一節太郎(ひとふしたろう、1941年6月13日生)は日本の歌手。

1961年、作曲家の遠藤実の内弟子第一号となり、1963年12月、『浪曲子守唄』でレコードデビュー。尚、元々同曲は美空ひばりを想定した楽曲であった。

『浪曲子守唄』は現在までに200万枚以上を売り上げ、2002年現在でも年に2万枚が売れるという。

しかし、その後は大きなヒット曲もなく、一発屋と呼ばれているが、そのたった一曲のヒット曲が発売後40年を経た現在でも未だに売れ続けているのは凄いことであろう。

寺巡り

2006-03-07 21:12:11 | 
秩父側に峠を下ったはいいが一度寒さを感じた体はどうにも温かさを取り戻せない。空腹も影響していると考え、正丸トンネル出口で食事を済ます。店の中はストーブが焚いてあった。この先秩父市内は寒いだろうと見込み、引き返そうと考えた。それにしてもまだ13:20、家に帰るには早すぎる。寄り道しようと先ほど駅員さんに貰った遊名山のパンフレットに目を通す。トンネルを飯能方向に引き返すと子の権現という神社へ林道経由で行けることを知る。10数年前上京して初めて一人で山行に出かけた際、伊豆ヶ岳経由で訪ねた場所である。食後体温が落ち着くとそこへ向かった。

西武秩父線の正丸駅から南へ4km程曲がりくねった狭い林道を進むと権現様の山門に出た。開山約1,000年といわれるその場所はやはり山深く、奥武蔵・奥多摩の山々が見渡せ気持ちが良かった。

【子の権現山門】【境内・良い雰囲気を醸し出している】

その後、更に南側へ下る山深い林道を見つけ進む。スキーで言えば斜度20度以上であろうか、アスファルトではなくコンクリート打ちの急坂をエンジンブレーキを利用してひたすら下った。当然のように斜面が緩やかになると路面はアスファルトに変化し、家もちらほら点在している。とても首都圏にいるとは思えない長閑さだった。しばらく進むと家も多くなり始めた。

その後、パンフレットに載っていた天王山竹寺へ向かう。林道を抜け若干のダートを抜けて辿り着いたそこは思いの外整備されたきれいな広い庭があった。その反面人の気配は全くなく、日だまりでのんびりした。ここは精進料理で有名な場所らしくわざわざ遠方からそれ目当てで予約で来る客も多いらしい。


【竹寺の鳥居・信心深い人は衝撃を受ける写真家も知れないが光を使って狙って撮影しました(笑)】

その後、飯能市街に近づくと名栗川の所々で子供達がこの時期に川遊びをしていた。さすがに”清流と緑の町”と名乗るだけのことはある。市街には入らず西多摩郡瑞穂町へ抜け、帰宅。4時間程度ではあったがかなり密度の濃いツーリングとなった。

※ 写真を見るとかなり地味なツーリング、結果的に寺巡りとなってしまったがマニアではないので念のため

アウトレットパーク

2006-02-26 23:58:55 | 
生憎の本降りの雨であった。特にすることもないが、家でごろごろしているのは勿体ない。嫁は昨日スーパーで買い出しを終えているため特に出かけるところもない。

雨の日に適当に時間がつぶせる場所を考える。何故か数年前に出来た多摩ニュータウンのアウトレットパークを思い出す。話には聞いたことがあっても行ったことはない。この手の場所は欲しいものを探しに行ってもまず、見つけることは出来ないが、お買い得を探してぶらぶらするには楽しい場所である。早速場所を確認し出かける。

ナビに引っ張られること40分。渋滞もなくすんなりついた。駐車場もあっさり入れ、ぶらつき出す。規模に驚いた。京王線の南大沢駅前の空いた土地に80店舗以上300ブランド以上のものを扱うという店舗展開、さらに映画館も数館併設していた。アウトドアブランドの出店も何店かあり、早速モンベルを覗いてみた。しかし、価格は他店でも見られる程度の割引であった。いささか、失念していると旧モデルの一角があった。防寒着やTシャツは勿論雨具まで置いてあった。定価を見ると驚くことに殆どが50%~80%引きであった。雨具はサイズが限られていたため見送ったがかなり嬉しい発見であった。その後コロンビアを覗いたがこれも同様に旧モデルは大幅に値下げしていた。アウトドアブランドに限らず、他のものもそうで、立ち寄ったG-SHOCK・NIKE・カンタベリー・GUESS・サザビー・ミキハウス等々何処も旧モデルがこの値段であった。


【回の字の建物に様々店がテナントで入っている】

特に欲しいものは無かったので何も買わなかったが嫁はEDWINのジーンズを60%引きで見つけ購入した。また輸入食材の店を見つけ色々用途不明なものを買っていた。アウトレット扱いには出来ない本とCD以外はめぼしいものは大体揃っていて雨の日にぶらぶらするにはうってつけであった。

TRIUMPHというブランドの店の看板を見つけ驚いて行ってみた。

期待したイギリスのオートバイブランドではなくドイツのランジェリーショップであった。


輸入食材の店で見つけた蜂蜜入れ。どう見ても日本人には物体に集るハエに見えるはずだ。

このアウトレットパークの詳細はこちら

HONDA CB

2006-02-22 23:42:38 | 
先日、子連れで家の裏の雑木林を抜け、埼玉・所沢にある久米水天宮へ散歩に行った。ここはアニメ『千と千尋の神隠し』の設定に使われたという鄙びた社である。
参道を進み、境内への階段を登り唖然とした。誰もいない神社の前にヘッドライトを向けるようにしてピカピカのHONDA-CB1300が置いてあった。

この異様な状況を理解できずにいると社務所の方から人の声が近づいてきた。所有者と思われる30代半ばの男性とその母親と思しき女性。更に正装をした神主が現れた。神主は二人をバイクの前に並ばせると御祓いを始めた。



神主はあっという間に詔を終えると男性に神社のステッカーと木製の長さが20cm程はあると思われるお守りを取り出して言った。
「このお守りをここに下げて、ステッカーはここに貼りなさい。」
お守りはハンドルのメーターバイザーの部分。ステッカーはテールランプの上の部分であった。男性は、
「お守りはシートの下では駄目ですか?」
と神主に問いかけた。
「え!?このHONDAのバイクはシートの下にものが入れられるのかぃ?」
神主は驚いた様子で答えたが、思い直したように続けた。
「シートの下じゃ尻の下ということだから御利益がなくなるからやっぱりここだ。」
そういってまたもやメーターバイザーの部分を刺した。
男性は困った様子でフロントフェンダーの下部の目立たない場所を指さしながら言った。
「ステッカーはここでも良いですよね。」
神主は、
「ここじゃ目立たないから御利益が薄れる。やっぱりここだ。」
と頑としてテールランプの上の部分を指さした。情けない顔で男性が母親に助けを求めるような顔をすると母親は
「全く格好を気にする年でもないでしょ!神主さんのおっしゃる所に素直に貼りなさい!」
と無情な回答をしていた。
その後、神主は社務所へ戻っていった。

子供を遊ばせながら遣り取りを傍観していた私に母親はばつの悪い雰囲気で言った。
「全く(男性の)子供が小学校に入って手がかからなくなったからこんな大きなバイク買って事故でも起こしたらどうするんですかねぇ?」
母親はそういうと男性に向き直り、
「先に帰ってるから気をつけて帰るんだよ!」
と言い残し、足早に去っていった。
残された男性は私に苦笑いしながら
「信心深い母親なもので...。」
と照れくさい顔をしていた。
私も言葉に詰まり
「いいバイクですねぇ。私も未だにバイクは降りられないんですよ。」
と月並みな言葉を吐き、子供を呼び戻し立ち去った。

参道を引き返すと母親は自分の乗ってきた自転車に跨ろうとしていた。挨拶で頭を下げると私の足許を指さしこういった。

「そこに100円玉が落ちてるけど拾わない方が良いですよ。誰かが厄払いで賽銭箱に入れようとしたものだったら厄が付いてますから...。」

....信心も程々にしないと。そう思った出来事であった。