最近、ベーシック・インカムという考え方が気になっています。まだあまり浸透していないでしょうか。
社会福祉や公的扶助の考え方の一つなのですが、簡単に言うと...
○すべての個人に対して無条件で、定期的に現金が支給される
○給付水準は、「これだけでギリ生活できるレベル」
○そのかわり、年金とか生活保護とか失業保険などがなくなる
って感じでしょうか。たとえば「一人当たり毎月7万円支給する」となれば、親子三人で自動的に月額21万円(非課税)で、世帯年収だとデフォルト値で252万円になります。これに稼ぎの分がプラスされます。
#もう少し支給金額を上げるか世帯構成員が増えれば、これだけで食べて行けるかなと
これがあれば、いわゆるワーキングプア脱出や生活保護の不公平解消(本当に必要な人がもらえてないという説もあります)、また、無理して働いて心の病に陥るような人々を救う事にもつながる、とされています。嫌なら働かなければいいので。
その財源は、上記の現行社会福祉や公的扶助の分、企業の社会保険分などを充当します。もちろん足りないでしょうから、その分は消費税を上げるとかするのかな。個人的には、「仕事を作り出している無駄」分も使えると思うので、あながち無理な話ではないと思ったりしています。
一方で、「まったく働いていなくてもお金がもらえちゃう」ことの是非も問題でしょうし、裕福な人にまでくれるのかという批判もあるでしょうね(審査・配布コストを考えればバラまく方が楽でしょうが)。働かない人が続出して、みんながプラプラしている社会になっても嫌だしね。
このテーマを少し勉強したくて、光文社新書の「ベーシック・インカム入門」(山森亮 著)を読みました。ベーシック・インカムの要求がキング牧師にまで遡る事や、女性運動ともリンクしている事など知らぬ話が多くて参考になりました。
反面、もっと現実に即した話_たとえば、今実現するならどうなるのかの試算(財源含めて)とか_にも触れてほしかったと思います。
読後の改めての感想ですが、「すべての人に給付する」ことの理論的支柱に「働く事の意義」とか「所有の問題」を交えるのは、ともすれば原始共産主義とかユートピアみたいな議論になって敬遠されるんじゃないかと思うのです。
もっとシンプルに社会福祉・公的扶助のあり方として、所得の再分配の新しい視点として捉えて行く方が現実的ではないのかなあ。
もっと勉強してみます。
社会福祉や公的扶助の考え方の一つなのですが、簡単に言うと...
○すべての個人に対して無条件で、定期的に現金が支給される
○給付水準は、「これだけでギリ生活できるレベル」
○そのかわり、年金とか生活保護とか失業保険などがなくなる
って感じでしょうか。たとえば「一人当たり毎月7万円支給する」となれば、親子三人で自動的に月額21万円(非課税)で、世帯年収だとデフォルト値で252万円になります。これに稼ぎの分がプラスされます。
#もう少し支給金額を上げるか世帯構成員が増えれば、これだけで食べて行けるかなと
これがあれば、いわゆるワーキングプア脱出や生活保護の不公平解消(本当に必要な人がもらえてないという説もあります)、また、無理して働いて心の病に陥るような人々を救う事にもつながる、とされています。嫌なら働かなければいいので。
その財源は、上記の現行社会福祉や公的扶助の分、企業の社会保険分などを充当します。もちろん足りないでしょうから、その分は消費税を上げるとかするのかな。個人的には、「仕事を作り出している無駄」分も使えると思うので、あながち無理な話ではないと思ったりしています。
一方で、「まったく働いていなくてもお金がもらえちゃう」ことの是非も問題でしょうし、裕福な人にまでくれるのかという批判もあるでしょうね(審査・配布コストを考えればバラまく方が楽でしょうが)。働かない人が続出して、みんながプラプラしている社会になっても嫌だしね。
このテーマを少し勉強したくて、光文社新書の「ベーシック・インカム入門」(山森亮 著)を読みました。ベーシック・インカムの要求がキング牧師にまで遡る事や、女性運動ともリンクしている事など知らぬ話が多くて参考になりました。
反面、もっと現実に即した話_たとえば、今実現するならどうなるのかの試算(財源含めて)とか_にも触れてほしかったと思います。
読後の改めての感想ですが、「すべての人に給付する」ことの理論的支柱に「働く事の意義」とか「所有の問題」を交えるのは、ともすれば原始共産主義とかユートピアみたいな議論になって敬遠されるんじゃないかと思うのです。
もっとシンプルに社会福祉・公的扶助のあり方として、所得の再分配の新しい視点として捉えて行く方が現実的ではないのかなあ。
もっと勉強してみます。
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